3.温かな巣
出された食事を少しずつ食べられるようになって数日が経過した。食事をしっかりと食べるようになってから、身体がふらつくことも減ってきた。
「……」
空になった器を見つめながらアベルは小さく息を吐き出した。
いつもならレオニスが後で回収しに来るのだろう。だが、ただ黙って食べて、黙って寝るばかりの日々を少しだけ変えてみたくなった。
──食器を、下げてみるか。
器が乗ったお盆を両手で持つ。軽いはずのそれすら、今の身体には少し重たい。
「……」
このドアの先は、まだ片手で足りる程しか出ていない。
意を決して、アベルはドアを押して廊下へと出た。
「あら」
弾むような声に振り返ると、ちょうど向こうから若い侍女が歩いてくるところだった。アベルは思わず身構える。だが、その反応に気づいた様子もなかった。
「言ってくだされば下げましたのに」
朗らかに笑って屈み、アベルからお盆を受け取った。
「いや……少し、歩こうと思って」
口をついて出た言葉は言葉は上擦ってしまった。
「いいですね。今日は天気も良くて、陽がよく差し込んでおりますよ」
それでも若い侍女は気にする様子も全くなく、お困りの事があったら何でもお申しつけ下さいね。と、あっけらかんとした調子で笑う。
「……」
咄嗟に歩く、と言ってしまったものだから、すぐに部屋に戻るのもばつが悪い。壁沿いに廊下を少し歩く事にした。行く当てもない。所在なく二階から中庭を覗いたり。大きな屋敷の間取りを覚えたりした。
そろそろ部屋に戻るか、そう思って踵を返すと、まだあどけなさの残る別の侍女が、落ち着かない様子でちらちらとアベルを見ている。
アベルは眉をひそめた。この姿の自分に何か言いたいのか、と身構えると、アベルの視線が自分に向けられた彼女は小さく走り寄り、ぺこりとお辞儀をして──
「アベル様、あのっ……!」
再びアベルは身構える。だが。
「お部屋に、お花を飾ってもいいでしょうか?」
「……ん?」
思いがけない申し出に、アベルが固まる。どう答えるべきか考えあぐねていると、娘は首を小さくかしげて更に質問をする。
「ちょっと、お部屋が殺風景な気がして……お怪我でお外にまだ出られないようなので……お花が毎日変われば、お気持ちも少し晴れるかなって……お花、お好きではないですか?」
珍しがるような視線はどこにもなく、ただ純粋に、部屋を飾りたいという気持ちだけがそこにあった。
肩に入っていた力が、少し抜けた気がした。
「いや……そういったものとは、無縁だったから。……別に、嫌ではない……飾ってもらって、構わない」
ただ、思ったことをそのままに答えた。
戦に向かう途中に咲いている花を目にすることはあっても、それを気にすることは一度としてなかった。それでも、アベルの返答に満足したらしい。にっこりと笑顔を浮かべる。
「じゃあ、綺麗だなって思ってもらえるようなお花を飾りますね!」
裾を軽やかに揺らして若い侍女は去ってゆく。角を曲がり姿が消えたところで、何やらやりとりがアベルの耳に飛び込んできた。
「マリー、良かったわね」
「はいっ!」
花を飾りたいと申し出た侍女はマリーというらしい。嬉しそうな返答に偽りがないのがわかる。
この屋敷の者たちには、自分を探る目がない、むしろ、包むような優しさがある。
なんとなく、ここで育ったレオニスがあの性格なのも、わかるような気がした。
「おっ、花を飾ってもらったのか?」
夕飯を持ってきたレオニスは、テーブルの上の花瓶にすぐに気づいた。あの後、遠慮がちなノックと共にあの侍女が顔を出し、花を飾るとアベルに気を使わせないようにとすぐに部屋を後にしていった。
「マリーだろ。まだここで働いて間もないが、気の利く真面目な奴だよ」
花が見える位置に、夕食の乗ったお盆をそっと置いた。
「……悪くないものだな」
「ん? なんか言ったか?」
振り返ったレオニスに、アベルは首を振った。
「いいや、何でもない」
部屋にほんの少し、ぬくもりが増えた気がした。