5.知らない悪意
夕刻。
授業が終わり、生徒たちが談笑しながら帰っていく。誰もいなくなった教室には、窓から差し込む西日が斜めに伸びていた。
セロは一人、焦げた制服の袖を見つめていた。
授業を終えた生徒は教室から出るように言われている。それでも今すぐに帰る気にはなれなかった。
ふと、足音が近づく。
顔を上げると、そこにいたのはディランだった。
「……事故を防いだ英雄様は、いい気分だったかい?」
教室に響いたその声は、静かで、でも刺すように冷たかった。
「ディランくん……?」
セロは戸惑いながら立ち上がる。セロはただ、目の前で起きた出来事に咄嗟に対処しただけだし、疑いをかけられそうなディランを咄嗟に庇っただけだ。
「僕……何か悪いことしたのかな……?」
「そうだよ」
即答だった。
「お前の魔石を隠したのも、劣化した魔石をお前の実習道具に混ぜたのも俺だよ」
「……っ」
セロは言葉を失う。
「見逃してやったとか、思ってるんだろ。聖人ぶって。あんなの、余計なお世話なんだよ。……あんな場でああ言われて、どうすればよかったんだよ」
「なん、で……?」
ディランの顔には、いつもの皮肉げな余裕はない。剥き出しの怒りと羞恥が入り混じったような表情。
それはまるで、塞いでいた蓋を開けてしまったように。
「お前は、何でも知ってて、何でもできて、しかも周りのやつらは、あっさりお前のこと信じて……っ!」
吐き捨てるようにディランが言った。
「……お前なんか、大っ嫌いだよ」
音もなく、セロの心に何かが落ちた。
「……!」
何かが、というのに、それが何なのか分からない。ただ、胸の奥のどこかが鈍く、じんじんと痛い。
息がしにくくなった。言葉が出ない。どうして、そんなふうに思われているのか、分からなかった。
「……ごめん、なさい……」
ようやく出たのは、その一言だった。
ディランは、それを聞いた瞬間、はっとした顔をした。
だが次の瞬間には、目を逸らし、無言のまま踵を返して教室を出ていった。
静かになった教室。
窓の外では茜色の空が、次第に夜に沈もうとしていた。
セロは、その場に立ち尽くしていた。
袖の火傷も、まだ少し痛んだ。でも、それよりも──胸の中の痛みのほうが、ずっと深くて、ずっと、分からない痛みだった。
正門が閉まる予告の鐘が鳴る。
早く教室を出ないといけない。寮の門限もある。だが、体が動かない。
── 俺の名前で推薦したんだから、ちゃんと勉強しなきゃただじゃおかねーぞ
「ノアさん……」
言えるわけがない。自分の為を思って、この学院に送り出してくれたのだから。
「泣くんじゃない……! 泣くんじゃ……ない……!」
もう自分は七歳の姿の子供じゃない。それでも、視界は歪んでいく。焦げた襟袖で涙を拭い、セロは静かに教室を去った。




