8.知識の魔窟
「ノア……まーたお前無理してやがるな」
目の下に出来ている濃い隈を見てレオニスが呆れた声を出した。
片手には盆に乗った茶器と、軽くつまめる軽食が乗っている。朝食にも顔を出さなかったので、アベルとセロが解析室に向かう時を見計らってレオニスが朝食を運んできたのだ。
「とりあえず食え」
「……ありがとうございます」
ソファのサイドテーブルにレオニスが軽食を置いたので、ノアが立ち上がる。
「ノアさん、見てもいいですか?」
「構わない。だが、まだ進展はないぞ……」
トコトコと歩いて、ノアが広げている考察の文面をじっと見つめている。
「……魔力反響完全遮断性……?」
セロがノアの残したメモの一部を読み上げる。パンに齧り付きながら、ノアはセロに説明をする。
「ああ、どんな魔力も跳ね返してしまう性質の事で――」
ノアが書き留めたメモをじっくりと眺めたセロが静かに口を開く。
「……でしたら、マナ干渉導律理論を使って、アベルさんと僕の終齢石をルイデン式共振媒介機構で遠隔接続して、互いに対位相魔導逆干渉したらどうでしょう?」
「セロ!?」
高い子供の声が、すらすらと専門用語を羅列してレオニスは仰け反った。そんなセロに驚いているのはレオニスだけでは無かった。だがノアが驚いているのはそのセロが話した内容だった。
「……!? お前、そんな馬鹿げた発想どこで…!?」
ノアの勢いに思わず一歩後ずさるセロ。
「あ、あの……昔読んだ本に、カンデラ・シャルア博士が鏡像魔術干渉理論を証明するときに似たような方式を使った論文があって……でもすみません、こんなの絶対失敗……」
おずおずと上目遣いでノアを見つめながら小さな声で返す。立ち上がったノアは、メインの机に戻ると、何やらガリガリと万年筆を削りかねない勢いで紙に何かを書き記し始めた。
「……いけるかもしれねぇ……! こんなの誰も……いや、出来たわけがないんだ。でも、終齢石が二つあるこの状況なら…もしかしたら……!」
二人の会話を聞いていたレオニスが眉根を寄せる。
「何言ってるかぜんっぜんわかんねぇ……」
アベルも正直同じ思いだったが、レオニスの顔を見つめる程度にとどめた。
ノアは興奮冷めやらぬ様子でレオニスを見つめ返す。
「つまり、終齢石が魔力の干渉を受け付けない性質を利用して、アベル様とセロの終齢石をぶつけ合って打ち消しちまおうってことです」
「なんだ、そういうことか」
「なんだ、じゃないです。そんな簡単に出来る事じゃない。でも……とんでもない気づきです。終齢石が二つあるからこそ出来る荒技ですよ! やってみる価値は十二分にある!」
つまんでいたパンを飲み込むように食べ切り、ノアは再び紙にペンを走らせ始める。
今までとは全く違う、何かを掴みかけている希望がノアの顔に現れていた。
「……セロ、そんな知識を一体どこで」
アベルがセロに問いかける。確かに、囚われていた屋敷ではずっと本を読んでいた。そう言っていた。だが、それでもセロの知識の量は常軌を逸していた。魔術を専門に行う魔術師、いやそれ以上だ。
セロはアベルに向かってくるりと向き直る。
「……二十年、ずっと読んでいたんです。愛玩としてご主人に可愛がられている時以外はずっと」
「……!」
セロの言葉に一同は言葉を失った。
「最初は、絵本とか、可愛いのばかり。『似合うから』って。すぐに読み終わってしまったけど。それでも足りなくて。屋敷の本、全部読み尽くしたんです」
セロを「飼う」だけの財力を持つ者の屋敷だ。その屋敷内の本を読み尽くすというだけでもとんでもない話である。だが、セロの話はここで終わらなかった。
「それで、お願いしたんです。もっと読みたいって。ご主人や、使用人の人たちに。そうしたら、少しずつ読める本が増えていって。僕が喜べば喜ぶほど、みんな競うように難しい本や、本当は持ち出しちゃいけない本や資料まで与えてくれるようになったんです」
「……」
その姿が思い浮かぶ気がした。
小さな声で、控えめに頼みごとをするセロに、皆が応えてしまう光景。
気を引きたくて、喜ばせたくて、より難しい本、より珍しい書物を与えてしまう──
愛玩の器として飼われていたセロの底知れぬ恐ろしさが滲み出た気がした。
──それが、二十年。
様々な本の知識がこのセロの中には積み重なっている。
レオニスが、ふとあることに気づく。
「……なぁ、もしかして、セロのその元主人っていうのは……」
レオニスの一言で、ノアがはた、と気づく。
「まさか……! 禁書管理棟の旧、典蔵官……!!」
数年前、私欲のために禁書を持ち出したとして、罷免された者がいる。その報が入った際、王都中枢部は大きく揺れた。アベルの記憶にも新しい。
「あ、そうです。最後の方には、国の禁書まで見せてくれました。……僕が喜ぶから」
「……まさか、あの男がお前を……」
レオニスは次に紡ぐべき言葉を放てなかった。
「これで合点がいく……見つからないはずだ。セロの終齢石は王都の禁術庫にあったはずのもの。記録も保管番号も消されていたんだ。当時、その庫を管轄していたのも……あの禁書管理棟の──」
呆れとも、驚愕ともつかないノアの声が解析室にやけに響いた。
男が禁術庫から終齢石を盗み出し、セロに埋め込まれた事が全ての始まりだった。可愛がられるだけだったはずのセロの知識の渇望が、愛玩の器の魔力が、一人の男を狂わせ、破滅を産み、そしてセロの自由を呼んだのだ。
セロは小さく首を傾げる。その出来事すら、ほんの小さな日々の出来事を話すような、そんな軽さを持っていた。
「まるで……知識の魔窟だな……」
ノアが呟く。
幼い姿の中に、夥しい量の知識が堆積している。見た目の儚さの内側にあるその計り知れなさに、知識の魔窟という言葉は酷く馴染んでいた。




