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夜明け知らずの黒狼ー幼き将と終齢の子ー  作者: 紺
二章 異変の香り
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13.主待つ剣

 アベルの部屋から戻ってきた侍女マリーに、レオニスが声を掛けた。

「どうだった」

 身体を拭き清めに行ったマリーは静かに首を振った。

「以前なら、お身体に触れられるのもアベル様自身がお気を使っていたのに、いまはされるがまま……」

 身体を起こされればそのまま。身体を横たえられてもそのまま、らしい。

 食事も何とか食べるようにはなったが、最低限の量を僅かに口に入れるだけだ。

 ノアも姿を消して数日。

 日に何度かアベルの部屋を訪れて、他愛のない話をアベルの背中に掛けるが、返答は帰ってこない。


「俺はあいつにどうしてやれる……? どうすれば、救ってやれる……?」

 ノアの提案で、この事態は王都には伏せてある。宮廷魔術師団に、これ以上アベルを関わらせないためだ。ほかに魔術に詳しい者を探してはいるが、内情を話した上で、協力を仰げそうな者はレオニスの人脈ではなかなか見つからない。

 使用人らも、どこか元気がない。今まで邸の中を歩いていた「小さなお客人」の客室を、心配そうに眺めている。


 バタバタと、足音が近づいてくる。

 束ねた黒い髪を揺らし、ノアが数日ぶりに姿を現した。

「ノア……どうした。何があった」

「……まだ、解決の手立てではありませんが、見つけたんです。「同じ痛みを持つ者」を」

 息が切れたまま、ノアはレオニスを見上げる。

「話を、聞いてみる価値はあると思うんです」

「……」

 レオニスは頷いた。二人は何も言わずにアベルの部屋へと向かう。


 ベッドには変わらずアベルの小さな背中がある。寝返りも打たず、壁だけを見つめて。

 呼吸の気配だけが、微かに生きている事を示している。まるで、ここだけ時間が止まっているようだった。

 レオニスは無言で近づき、毛布の端を少しだけ整える。

 ノアはアベルの背中に向かい、静かに口を開いた。

「アベル様……貴方様と同じく、終齢石を埋め込まれた男性の記録を見つけたんです。その方は今、東方の施設で過ごしていらっしゃいます。話を聞いてみる価値は、あると思います」

 毛布がわずかに動く。

「……俺が会いに行ったところで、何になるというんだ」

「……アベル」

 アベルの絶望は深い。自身の身体に根付いた石が簡単に取り外せるものではないというのは、自分が良く分かっているのだろう。

「……」

 これ以上、掛けられる言葉は無い。二人は大きな絶望を抱えた小さな背中を見つめるしかできなかった。


 

「……邪魔をする」

 低く、落ち着いた声が入口から響いた。

「ブロム爺……!」

 レオニス邸の裏に工房を構える鍛冶師のブロムがそこに立っていた。なにやら長い物を布に包み、片手に下げている。滅多に屋敷には姿を現すことがないブロムがそこに立っている事にレオニスが驚いているようだった。

 挨拶も無く、ブロムは大きな足音を立ててアベルのベッドの側に立つ。

「……黒いのが臥せってると聞いてな。預かり物を返しに来た」

「預かり物……?」

 ノアの言葉と同時に、ブロムは手に持っていた物から慣れた手つきで布を外し、アベルの目の前に置いた。黒く輝く鞘に納められた、武骨な剣が現れた。

 アベルの視界にそれが映るや、僅かに毛布が動いた。

「……アベル様の……」

「黒いのが初めてこの屋敷に来た日、赤い坊主から預かっていて欲しいと言われていた。毎日刃の状態を確認して、油を引いてある」

 確かに、布を解かれた瞬間から、客間には柔らかく油のにおいが漂い始めていた。

「だが、もう俺は……この剣を握れない」

 剣の大きさは、今のアベルの身体の半分以上を占めている。今の身体では鞘から抜くことすら出来ないだろう。


「だが、この剣はお前さんのもんだ。お前さん以外に振られることを拒んでいる」

「……っ」

 アベルの呼吸が震える。

「いい刃の減り方だ。斬るべきもんだけを迷わず斬ってきた、そんな刃だった。……以前言ったな。火床の前に立ちゃ、そいつにどんな鋼が合うか自然と見えてくるって。だが、打ってみねえと分からねえ事もある」

 アベルの背を見つめながら、ブロムは静かに口を開く。ずんぐりとした大きな体から放たれる声は、室内によく響いた。

「火にくべて、叩いて、折れて。それでも何度も繰り返してようやく一振りの形になる。……あんたもそうだろう。もう終わった、砕けた。そう思ってるかもしれねえがな。そんな一度や二度の熱と打ちで諦めてちゃあ立派なもんは出来ねえ」

 アベルの返答は無い。だが、ブロムは最後に告げた。

「鍛冶師はな、折れた鋼を二度と使わねぇとは言わねえんだよ」

「――ッ!」

 震える息が、長く、長く吐き出された。

 

「……アベル、様」

 毛布が動く。細くなった手が、寝台に突いて、ゆっくりと身体が起こされた。

 今や、両手で抱えねばならないかつての自身の剣を胸に、アベルは真っすぐに、ブロムを見た。金の瞳に泪を溜めて。

「……できる、だろうか。また、再び、剣を振ることが……」

「ああ。お前さんなら」

 滅多に笑わない、頑固な鍛冶師が、緩やかに目を細めた。

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