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夜明け知らずの黒狼ー幼き将と終齢の子ー  作者: 紺
二章 異変の香り
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10.終齢石

 ザファルが重厚な箱からある物を取り出した。小箱に納められた一見宝石のような石は、禍々しい色を放っている。

「『終齢石(しゅうれいせき)』って知っているか? 市場に出回らない、最高に趣味のいい希少品だ」

 それを目にしただけでアベルの胸の奥に不快感が湧き上がる。

「こいつを埋め込むと、身体の奥深くにまで根を張る。するとどうなると思う?」

 下卑た笑いを浮かべ、ザファルはアベルを見下ろす。石の禍々しさ、これから行われるであろう嫌な予感に、思わずアベルは一歩後ずさった。

「こいつを埋め込まれた人間の身体はな、『成長』しなくなるんだよ! ガキの姿のまま一生を終える! そのまま悪趣味な富豪に売り渡してやるよ! 誇り高い黒狼様にはさぞお似合いだろうな!」

「……!?」

 背が冷える。ザファルは迷いなくそれをアベルの身体に埋め込む気だ。幼くなったこの姿を、そのまま『固定』されてしまう。

 黒狼将の姿にも戻れず、そのまま一生を子供の姿で過ごさなければならないなんて、今のアベルにとって、最大の恐怖だ。

「……ッ!」

 逃げ場はない、だが、それでもアベルは扉に向かって駆けようと足に力を込めた。だが、ザファルの脚がアベルを払う。絨毯に身体が倒れ込む。瞬間、アベルの首を宝石の指輪だらけの手が押さえ込んだ。

「や、めろッ……! そんなモノを……! 埋め込まれて……たまるか……!」

 ザファルの手から逃れようと、アベルは必死の抵抗を繰り返す。だが、大人の力に対抗ができるわけもない。耳に障るザファルの笑い声が部屋に響く。

「やめろと言われて止める奴が何処にいるんだ。オイ! 処置をする! 手を貸せ!!」

 アベルの視界の端に、部屋に入り込んできた粗野な男たちが映る。手には金属の拘束具と、器具のような物を携えていた。

「……ッ!」

 思わず身をすくませた。あの時の実験の数々が、どうしても脳裏に蘇る。

「おやぁ? 黒狼将ともあろうお方が怯えていらっしゃる? 最高にいい眺めだ」

 ザファルが高笑いを上げた。

「始めろ」

 低い声が、合図だった。


 沢山の手がアベルに伸びてくる。手で防いでも無駄だった。息が震える。このままでは、このままでは――!

 抵抗は無駄に終わった。部屋の中心に置かれていた重厚な卓に、アベルの身体が乱暴に置かれ、両腕を拘束具で固定される。

 乱雑な手が、アベルの着衣を剥がす。薄い胸板が露わにされてしまう。

「旦那ァ、いいんですかい? あんな高価な石……」

「ここで使わねぇでいつ使うんだよ。正にこいつにお誂え向きだ。丁寧に扱えよ。豪邸が建つ程の金が動く」

 腕は拘束具を嵌められ、持ち上がらない。身を捩っても、男たちの腕の力が強まるだけだ。ザファルの紫紺の瞳が細められた。

 

「じっくりと見せてもらうぜ。終齢石が馴染むさまをよ」

 終齢石が冷たい光を放ち、アベルの胸に押し当てられる。次の瞬間、焼きごてを肉に埋め込まれたような激痛が全身を突き抜けた。

「ッあッ――! ぐ、うッ……!」

 身体中の痛みに背中が反り返り、意識が飛びかける。

 咆哮を上げるかわりに、奥歯を強く噛みしめ、唇を食いちぎった。血が口の中に広がり、胃が蠢いた。

「……!」

 咄嗟に込み上げるものを抑えきれず、吐瀉物が絨毯を汚した。だがそれすら、ザファルの興味を削ぐことはなかった。

「問題ねぇだろ。続けろ」

「が……アッ! う……あぁッ!」

 魔力の回路が、無理やり書き換えられていく。幼い身体に閉じ込められていたアベル自身を、穢され、塗り替えられる感覚。身体が熱いのに、内側の芯は氷のように冷え切っている。魂に刃を突き立てられているかのような寒気が、背骨を這い上がる。

 びし、びし、と人体から発せられた音とは思えない硬い音がアベルの胸に走り、広がっていく。

 胸にはあの禍々しい光を放つ石が、悦びながら根を広げているように思えた。身体に走る痛みに、アベルの身体が痙攣する。

「そろそろいいだろ。石を固定しろ」

 ザファルの声が宣告のように響いた瞬間、埋め込まれた石がぐずりと肉に沈み、肉がそれを呑み込み始める。

 焦げた皮膚、割れた血管、破れた魔力の回路──そのすべてが一つに縫い合わされ、身体と石が「一体化」していく。

「う、ぁ……あぁ……!」

 アベルの瞳が見開かれる。身体は痛みを逃そうと限界まで反り返る。それでも足りず、拘束具で押さえ込まれた手首から血が滴る。痛みからくる生理現象で視界が歪む。目尻から涙が一筋流れた。

「っ! はっ! はぁっ!」

 瞬時に痛みから解放される。激しく胸が上下し、そこで気がつく。自分の胸に、見慣れないものが埋まり、青黒い光を放っては静かに明滅している。

「いいザマだぜ、黒狼将。この石が胸元で光り続ける限り、お前は一生その姿から成長しない」

「……ッ!」

 アベルの息が詰まる。

「その石はな、どんな魔力も弾く。取り外そうとしても無駄だ。ありがたく思えよ。お前はもう、『黒狼将』じゃない。ただの子供のお人形さ」

 笑い声が耳の奥で反響する。だがそれすらも、遠く霞んで聞こえた。

 吐瀉物の中に手首から流れた血が混じり、赤色が広がっていく。 

 

 どれほどの時間が経過したかわからない。自身に行われた「処置」に心が追いつかなかった。

 だが、事態は一変する。

 突然開いた扉の隙間から、血相を変えた男が転がり込んできた。

 息を荒げながら、ザファルに向かって叫ぶ。

「ザファルの旦那! 兵です! 入り口の結界を破って中に! あの赤髪も居ます!」

 瞬間、ザファルは大きく舌打つ。

「……またかよ、クソが」

 ザファルは苛立ちを露わに迫る足音に耳を澄ます。

 だがその目は、アベルを見下ろしながら、どこか薄ら笑っていた。

「……まぁいい。黒狼将ともあろうお方が、泣きながら石を埋め込まれる姿なんて、そうそう見られねぇからな。二度と戻れねぇ体にしてやったんだ。お釣りが来るってもんだ」

 ザファルは雑嚢に物をいくつか詰め込み、絨毯の奥の隠し床を踏み抜く。

「……せいぜい、王都の玩具として転がってろよ。黒狼サマ」

 捨て台詞を吐いて、ザファルは影のように姿を消した。




「アベル様っ!!」

 必死の形相で、部屋にノアが飛び込んできた。卓の上で倒れているアベルの姿を見、ノアの顔色が変わる。

「ノ……ア……」

 上半身に何も身に纏わず、両腕に決して浅くはない傷が。ノアの内心が怒りに震える、

「……こ、れは……!?」

 アベルの胸元に埋め込まれた石に気がつき、ノアが言葉を失った。

「もう……戻れないらしい……。俺の身体は……もう……」

 ノアの腕の中でアベルは意識を失った。幾度もアベルを呼ぶノアの声が遠ざかっていった。


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