10.終齢石
ザファルが重厚な箱からある物を取り出した。小箱に納められた一見宝石のような石は、禍々しい色を放っている。
「『終齢石』って知っているか? 市場に出回らない、最高に趣味のいい希少品だ」
それを目にしただけでアベルの胸の奥に不快感が湧き上がる。
「こいつを埋め込むと、身体の奥深くにまで根を張る。するとどうなると思う?」
下卑た笑いを浮かべ、ザファルはアベルを見下ろす。石の禍々しさ、これから行われるであろう嫌な予感に、思わずアベルは一歩後ずさった。
「こいつを埋め込まれた人間の身体はな、『成長』しなくなるんだよ! ガキの姿のまま一生を終える! そのまま悪趣味な富豪に売り渡してやるよ! 誇り高い黒狼様にはさぞお似合いだろうな!」
「……!?」
背が冷える。ザファルは迷いなくそれをアベルの身体に埋め込む気だ。幼くなったこの姿を、そのまま『固定』されてしまう。
黒狼将の姿にも戻れず、そのまま一生を子供の姿で過ごさなければならないなんて、今のアベルにとって、最大の恐怖だ。
「……ッ!」
逃げ場はない、だが、それでもアベルは扉に向かって駆けようと足に力を込めた。だが、ザファルの脚がアベルを払う。絨毯に身体が倒れ込む。瞬間、アベルの首を宝石の指輪だらけの手が押さえ込んだ。
「や、めろッ……! そんなモノを……! 埋め込まれて……たまるか……!」
ザファルの手から逃れようと、アベルは必死の抵抗を繰り返す。だが、大人の力に対抗ができるわけもない。耳に障るザファルの笑い声が部屋に響く。
「やめろと言われて止める奴が何処にいるんだ。オイ! 処置をする! 手を貸せ!!」
アベルの視界の端に、部屋に入り込んできた粗野な男たちが映る。手には金属の拘束具と、器具のような物を携えていた。
「……ッ!」
思わず身をすくませた。あの時の実験の数々が、どうしても脳裏に蘇る。
「おやぁ? 黒狼将ともあろうお方が怯えていらっしゃる? 最高にいい眺めだ」
ザファルが高笑いを上げた。
「始めろ」
低い声が、合図だった。
沢山の手がアベルに伸びてくる。手で防いでも無駄だった。息が震える。このままでは、このままでは――!
抵抗は無駄に終わった。部屋の中心に置かれていた重厚な卓に、アベルの身体が乱暴に置かれ、両腕を拘束具で固定される。
乱雑な手が、アベルの着衣を剥がす。薄い胸板が露わにされてしまう。
「旦那ァ、いいんですかい? あんな高価な石……」
「ここで使わねぇでいつ使うんだよ。正にこいつにお誂え向きだ。丁寧に扱えよ。豪邸が建つ程の金が動く」
腕は拘束具を嵌められ、持ち上がらない。身を捩っても、男たちの腕の力が強まるだけだ。ザファルの紫紺の瞳が細められた。
「じっくりと見せてもらうぜ。終齢石が馴染むさまをよ」
終齢石が冷たい光を放ち、アベルの胸に押し当てられる。次の瞬間、焼きごてを肉に埋め込まれたような激痛が全身を突き抜けた。
「ッあッ――! ぐ、うッ……!」
身体中の痛みに背中が反り返り、意識が飛びかける。
咆哮を上げるかわりに、奥歯を強く噛みしめ、唇を食いちぎった。血が口の中に広がり、胃が蠢いた。
「……!」
咄嗟に込み上げるものを抑えきれず、吐瀉物が絨毯を汚した。だがそれすら、ザファルの興味を削ぐことはなかった。
「問題ねぇだろ。続けろ」
「が……アッ! う……あぁッ!」
魔力の回路が、無理やり書き換えられていく。幼い身体に閉じ込められていたアベル自身を、穢され、塗り替えられる感覚。身体が熱いのに、内側の芯は氷のように冷え切っている。魂に刃を突き立てられているかのような寒気が、背骨を這い上がる。
びし、びし、と人体から発せられた音とは思えない硬い音がアベルの胸に走り、広がっていく。
胸にはあの禍々しい光を放つ石が、悦びながら根を広げているように思えた。身体に走る痛みに、アベルの身体が痙攣する。
「そろそろいいだろ。石を固定しろ」
ザファルの声が宣告のように響いた瞬間、埋め込まれた石がぐずりと肉に沈み、肉がそれを呑み込み始める。
焦げた皮膚、割れた血管、破れた魔力の回路──そのすべてが一つに縫い合わされ、身体と石が「一体化」していく。
「う、ぁ……あぁ……!」
アベルの瞳が見開かれる。身体は痛みを逃そうと限界まで反り返る。それでも足りず、拘束具で押さえ込まれた手首から血が滴る。痛みからくる生理現象で視界が歪む。目尻から涙が一筋流れた。
「っ! はっ! はぁっ!」
瞬時に痛みから解放される。激しく胸が上下し、そこで気がつく。自分の胸に、見慣れないものが埋まり、青黒い光を放っては静かに明滅している。
「いいザマだぜ、黒狼将。この石が胸元で光り続ける限り、お前は一生その姿から成長しない」
「……ッ!」
アベルの息が詰まる。
「その石はな、どんな魔力も弾く。取り外そうとしても無駄だ。ありがたく思えよ。お前はもう、『黒狼将』じゃない。ただの子供のお人形さ」
笑い声が耳の奥で反響する。だがそれすらも、遠く霞んで聞こえた。
吐瀉物の中に手首から流れた血が混じり、赤色が広がっていく。
どれほどの時間が経過したかわからない。自身に行われた「処置」に心が追いつかなかった。
だが、事態は一変する。
突然開いた扉の隙間から、血相を変えた男が転がり込んできた。
息を荒げながら、ザファルに向かって叫ぶ。
「ザファルの旦那! 兵です! 入り口の結界を破って中に! あの赤髪も居ます!」
瞬間、ザファルは大きく舌打つ。
「……またかよ、クソが」
ザファルは苛立ちを露わに迫る足音に耳を澄ます。
だがその目は、アベルを見下ろしながら、どこか薄ら笑っていた。
「……まぁいい。黒狼将ともあろうお方が、泣きながら石を埋め込まれる姿なんて、そうそう見られねぇからな。二度と戻れねぇ体にしてやったんだ。お釣りが来るってもんだ」
ザファルは雑嚢に物をいくつか詰め込み、絨毯の奥の隠し床を踏み抜く。
「……せいぜい、王都の玩具として転がってろよ。黒狼サマ」
捨て台詞を吐いて、ザファルは影のように姿を消した。
「アベル様っ!!」
必死の形相で、部屋にノアが飛び込んできた。卓の上で倒れているアベルの姿を見、ノアの顔色が変わる。
「ノ……ア……」
上半身に何も身に纏わず、両腕に決して浅くはない傷が。ノアの内心が怒りに震える、
「……こ、れは……!?」
アベルの胸元に埋め込まれた石に気がつき、ノアが言葉を失った。
「もう……戻れないらしい……。俺の身体は……もう……」
ノアの腕の中でアベルは意識を失った。幾度もアベルを呼ぶノアの声が遠ざかっていった。




