5.闇市の匂い
ノアが調査の時間が欲しいとレオニス邸宅を空けて、数日が経った。
今、レオニスの執務室に真剣な顔をしたノアが立っている。その向かいには、執務の机に掛けているレオニス。その横に椅子に掛けているアベルがいる。
ノアは軍服から安い民服に着替えて、闇市の横行するナフタへと潜伏していたのだ。
「ナフタで数日探ったのですが、やはりそこでは過去に数回、黒狼の仔が高価で取引がされていました」
「……!」
ノアの報告にアベルの纏う空気が鋭くなる。
「闇市の奴隷商、そこで不定期に黒狼の仔が扱われることがあるそうです。ただ……」
ノアが珍しく言葉を濁す。
「どうした、ノア」
「その後の黒狼の仔の『その後』が全く追えない。逃亡や売り残しの痕跡もない。街でも黒狼の仔が『買われた後、生きて戻らない』という噂もありました。愛玩や奴隷目的の子供なら書類や噂で痕跡が残る。だが、あるべき痕跡がぱたりとなくなるそうです。まるで「素材」として使われたような……」
人間に使うにはあまりに不適合な言葉が上がる。報告を受けている二人の顔は険しい。
「おそらく、その痕跡が残らなかった子供の黒狼の仔たちが私が見つけた渓谷の異形の遺体と共に遺棄されていた者らです。明らかに只の殺人ではない。隠蔽された術式の痕跡がある。おそらく、何かの実験に使われたのだと」
ノアの目が光る。自分と同じ黒狼の仔が絡んでいるのだ。冷静ではいられないだろう。
「この件には明らかに高度な魔術が絡んでいる。お前が咄嗟に書き留めたあの紋様……一般の魔術師では扱えない術式だろう。それが、アベルの鎧に掛けられた呪いの術式と似た紋様を持っていた。偶然とは考えづらい」
ノアがレオニスの言葉に続く。
「だからこそ、その術者の手がかりを探る必要がある。術者は明らかに、子供の黒狼の仔を狙っている。だから、この先を追うには、黒狼の仔を扱う奴隷商に接近し、その術者を探る事が必要かと」
ノアが静かに二人を見る。更なる潜入の許可を乞う目だった。
「ノア、お前はそこの町の出なんだろう。顔が割れているんじゃないのか。……俺が奴隷を買いに行く客として潜入するのはどうだ。顔は知られていない。貴族然とした格好を避け、相応の準備をすれば……」
レオニスの提案にノアは即座に首を振った。
「無理です。レオニス様は……匂いが違う」
毅然としたノアの答え。レオニスは片目を細めた。
「匂い……?」
ノアは頷きもせずに、真っすぐレオニスを見据えた。
「闇市の連中は、人の目じゃなく『匂い』で判断します。そいつが何を通って生きてきたか、何を食って、何に手を染めてきたか。そういう空気を読むしぐさが染みついてる。悪いけど、レオニス様からはそんな匂いが一切しない。するわけがない」
領主の一人息子として育ったレオニスからすれば、ノアの育った環境は、想像はできてもその者たちの放つ空気までは知らない。知らないものは、模倣すら出来ない。
「同族の匂いがしない奴には、誰も話は持ちかけません。冷やかし扱いされて終わりますよ。それならまだいい、最悪なのは、探っていることがバレて警戒されることだ。そうなると、奴隷商の足取りすら追えなくなるかもしれない」
ノアの低い言葉。レオニスが唸る。
「なら、どうする。そこから手がかりを掴まなければ、あの異形化の魔術の使い手……ひいてはアベルに呪いをかけた奴を追えなくなる」
二人の会話をじっと聞き入っていたアベルが口を開いた。
「俺が行く」
静かに、だが不思議と通るその声が部屋に響いた。
「アベル!」
レオニスが非難するような声を張り上げる。だが、アベルは引かない。
「もともとは、俺の不手際で受けた呪いだ。お前たちに任せてばかりはいられない。それに俺なら、わざと攫われれば内部を探れる。黒狼の仔の買い手について手がかりを見つけられるかもしれない。どう考えても適任だろう」
「自分の今の姿を考えろよ……! 抑え込まれちゃひとたまりも無いんだぞ」
レオニスの赤い目に怒りが灯っている。金の目はそれを冷静に返す。
「言っただろう。今の姿だからだ。誰も俺を黒狼将とは思わない。……それに」
アベルは一呼吸おいて、二人の顔を順に見た。
「……俺が危機に晒されたら、お前たちが助けに来てくれるんだろう?」
「……!」
二人ともアベルの言葉に思わず苦笑する。
「……そんな事言われたら、止められないじゃないですか」
眉尻の下がったノアの顔が、アベルを見る。
「やろう。レオニス、ノア」
アベルの言葉に、二人は頷いた。




