7.火床に誘われて
邸宅の裏に回ると、空気が少し変わる。
そこはひっそりと、だが確かな重みをもって存在していた。
低く構えた建物は年期の入った古い石積み。屋根には煤がこびり付き、煙突からは鉄の匂いを運ぶ煙が立ち上がっている。
昼を過ぎると、小屋の中から重く芯のある鉄を打つ音が響き始める。
この屋敷に世話になってから久しく聞いていない鉄を打ちつける音に、自然とアベルの足が向いたのは当然の事だった。
窓は、開いている。近くに薪を積み上げていたので、アベルはそっと薪の上に乗り、邪魔をしないように窓から中を覗いた。
髭を蓄えた色黒の男が火床から熱された鉄を取り出しているところだった。熱された鉄が辺りを照り返し、直視するだけで眩しい。
「おい、黒いの。そこで隠れて見られちゃ気が散る。見てぇなら中に入んな」
邪魔をしないように窓から覗いていたアベルに、ずんぐりとした親方は腹の底から叱っているような声を掛ける。
「いいのか?」
「邪魔しねえなら勝手に入って勝手に見ていろ」
それ以降の返答はいらないと言いたげに、再び鉄を打つ音が小屋内に響き渡る。アベルは開きっぱなしの扉から中に入ると、近くにあった木箱に腰を下ろした。
打ち鳴らす音が空気を揺らし、壁に染み渡る。心地良い振動がアベルの耳に届く。
鉄の音や匂いは落ち着く。かつての自分は常にこの匂いや音と在った。久しく忘れていた戦場に立つ前の気の高ぶりを思い出せそうな気がした。
火床から取り出される真っ赤に滾る鉄の塊。それを筋張った手が握る槌が一定のリズムを刻む。再び火床をくぐっては熱を得るを繰り返し、徐々に形を変えていくその様子に、時間を忘れて見入った。
「黒いの。足元の桶、こっちに寄越せ。……そう。そこでいい」
声をかけられたアベルは即座に足元の水桶を運んだ。
頼みこむわけでもなく、そこにいるアベルを自然に使う。気遣いの無さが逆にアベルには心地よかった。
アベルの持ってきた水桶で道具に水を掛けると、ジュウと蒸発する音が響く。手を止められない手順が終わった事を察し、アベルは口を開いた。
「貴方の作ったナイフを使って食事をした。自分の指先のように、思い通りに肉が切れた」
アベルの言葉に、親方はへっと一つ笑う。
「当たりめぇだ。俺は赤竜将が戦で使う剣も、黒狼将の携える剣も打ってんだ。あんなの、朝飯前よ」
親方の言葉に、アベルは目を見開く。
「……貴方だったのか」
思わず口から転び出た。将になった時に拝領し、剣と共に戦を駆けた。不思議と手に馴染み、今や自身の分身のような剣となっていた。
アベルの正体を知っているのかいないのか、不自然ともいえるアベルの返答を特に気にするでもなく、親方は筋張った手を広げ、見下ろした。
「火床の前に立ちゃ、そいつにどんな鋼が合うか自然と見えてくる。黒狼将の剣にゃ、派手な意匠はいらねえ。飾りもいらねえ。重ねに重ねた鋼の芯が通ってりゃいい。表面の光なんぞも邪魔にしかならねえ。斬るべきものを斬って、守るべきもんを守る。だが、そのくせ妙に脆そうなところがあってな。だから、折れないように芯は多層にしてあるのよ」
思わずアベルに笑いが込み上げた。どこか親近感の沸いていた剣に、さらに愛着が沸いたような気がする。
「まるで火と、鋼と、水と、対話をしているようだな」
アベルの言葉に、親方は満足げに頷いた。
「おうよ。その点、あの赤い坊主の剣は全く違う。火の勢いを制するよりも、一緒に踊るような鋼が似合った。暴れ馬みてぇだったよ。鋭いだけじゃ、物足りねえ、重くしすぎりゃ足を引っ張る。軽くしすぎりゃ折れる。速さと破壊が何より似合った。だから、野性が宿るように打ち続けたもんさ」
火床を見つめながら語る親方の目は、炎を反射して美しく照り輝いていた。
「……まるであいつそのものだ」
小さく呟いたアベルの言葉は、小さく爆ぜた火床の音に掻き消えた。
「さぁて、続きだ」
剣の事になると雄弁に語る親方は、ゆっくりと立ち上がった。また別の作業を始めるらしい。
「また、来てもいいだろうか」
この場所の心地良さに、思わず親方の背中に問いかけた。
「もう帰んのか。時間があんなら灰の掻きかたを教えてやる。手伝え」
親方の言葉に再び目を丸くする。太い人差し指が数度動き、アベルを呼んでいる。
自分らしくもないが、嬉しさのあまりに笑みがこぼれたアベルは、そのまま親方の後に続いたのだった。




