■料理長バルトの信念
肉の塊を手際よく捌く料理長バルトの手が、ぴたりと止まる。
「……また残してたのか、あの坊……いや、将軍様は」
レオニスが皿を下げてきたところだった。盆に乗っている粥とスープは半分も減っていない。
「……ああ、悪いなバルト」
バルトはぶっきらぼうに鼻を鳴らすと、骨を包丁で割る。
アベルがこの屋敷に来て二日経った。事前にレオニスからは「お客人」が来ることも、事情も聞いている。
「……そんなに悪いのかい」
「……いや……身体の方もだが……」
「ああ……」
レオニスの「小さなお客人」は殆どを客室で過ごす。その為にレオニスが毎度食事を運んでいた。ややこしい事情、とやらで相当の事があったのはバルトでも容易に想像が付く。
「アイツの事は分かってるつもりだ。人に頼る方法を知らない、人のために動いてないと死ぬような奴さ。どんなに姿が変わっても傷ついても、そこは変わらないって思ってる。……だから、待ってるんだ」
父親に叱られたとき、悪戯がバレて叱られたとき、子供の頃のレオニスはよく厨房に来た。誰かに話を聞いてもらいたいからだ。それでも、バルトは知っている。ここに来ている時点で、彼の中では答えが決まっている事を。
「……ああ、レオニス坊ちゃんが言うならそれが正しいんでしょうよ。信じてやりゃあいい」
昔と変わらない真面目な顔で、レオニスは一度頷いた。
翌日。
朝のお盆はそのまま戻ってきた。だが、昼を過ぎた頃、レオニスが嬉しそうに厨房の扉を開く。
「坊ちゃん、顔に出てますよ」
「いいだろ。嬉しいときは嬉しい。それでいいじゃねーか」
緩んでいる瞳の先には、綺麗になっている皿が並んでいる。
「……食事は身体の資本だ。食えりゃ、なんとかなる。だろう?」
「ああ。そうです。その通りだ」
昔、レオニスに言った言葉が、そのまま帰ってきた。
「この屋敷にも、なじんでくれりゃあ良いんですがね」
言い方は悪いが、野生の生き物がようやく与えた食物を手ずから食べたような気持ちだ。まだ時間はかかるだろう。
「大丈夫さ。ウチには最高の料理人がいるからな」
レオニスは照れもせずにそんなことをさらりと言う。バルトは大口を開けて笑う。
「そりゃ、腕を振るわにゃいけませんな。……もう少し食べられるようになったら、広間で食べても良いだろう。会話しながらの方が、飯は美味い。出来たてなら尚更な」
「……そうなるといいな」
空いた食器を優しい目で見つめながら、レオニスは呟くように返答した。
その日は、意外にも早く訪れた。
アベルが屋敷の中を歩けるようになり、食事も病人食ではなく、普通の物が食べられるようになったタイミングでの事だった。
そうなると、バルトの腕が鳴る。昼食の用意が終わった後、バルトはすぐに夕食の仕込みに取りかかった。傍には見習いが控えている。
「お前、子供用の飯って聞いて、何を想像した?」
鋭いバルトの目線にもう慣れっこになっている見習いは、何秒かの思案の後に口を開いた。
「……そうですね。柔らかく煮た肉団子とか、細かくして見た目を良くした野菜とか」
「まあ、普通はそうだろう。だがそんなモン出してみろ。あのお方は口すら付けないだろうよ」
「でも、大人向けの料理を出したら、多分食べ辛いと思います。辛いものもありますし」
見習いの返答に、バルトは満足げに頷いた。
「ああそうだ。今の殿下の身体は、五つ六つの坊主と変わらん。味覚も内臓も、子供そのものだ。大人の時の食いもんをそのまま食うには少々骨が折れるだろうよ」
この地方で客人をもてなす際、大きな肉のプレートで提供する。客人自らがナイフを入れて好みの大きさに切り分けて食べるのが主流だ。だからといって、その流儀を今のお客人に押し付けるのは少々酷だろう。切り分ける苦労に気が向いて、食事を楽しむ余裕がなくなってしまう。
「……じゃあ、どうすれば」
見ろ、とばかりにバルトは包丁を置き、肉の塊に指を添えた。既に筋に沿って、ほんの細かな切れ目が入れられている。
「切れ目を入れておけば、子供の力でもナイフを入れやすい。だがな、見た目にはわからんように入れておくのが肝心だ。あとはアイツの拵えたナイフなら問題ねぇだろうよ」
「……なぜ隠す必要が?」
バルトは一瞬目を細め、それから笑った。
「誇りを傷つけたくないからだ。こちらが『できない前提』で作っていると感じさせたら、あのお方は傷つくだろうよ。だから、気付かせない。食事の味も、その時の会話も、空気も含めてきっちり味わってもらう」
そう言いながらバルトは香草を湯にくぐらせ、別の鍋へと移す。
「味付けも同じだ。見た目は子供、味覚も子供、でも中身は大の大人。辛味は控えるが、深みは残す。そのための香草だ。「子供用の味」ではなく、「今のアベル様」にとっての最善を出す。それが我ら厨房の務めだ」
見習いはじっと、肉を見つめた。
「難しいですね……まだまだ分からないことだらけです」
「だから、面白い。気づかれなくていい。それが本物の料理人の仕事だ」
料理長はそう言って、鍋の蓋をそっと閉じた。




