【第7話】迷う剣と、揺らぐ祈り
森が、喚いていた。
閃光弾が空を裂き、煙が視界を閉ざす。至る所で爆ぜる仕掛け罠、傾斜に張られた滑り油、足を縛る蔓の罠――
聖騎士団の部隊が、次々に隊列を崩していく。
「落ち着け! 敵は……数は少ない! 罠と陽動でこちらを翻弄しているだけだ!」
クラウス=レインハルトは、咄嗟に剣で罠を断ち切りながら、散った部下たちへ指示を飛ばす。
だがその眼差しの奥には、焦りと怒りが渦巻いていた。
(この布陣……やつは、最初からこちらの動きを見越していたというのか……!?)
爆発音。木片が飛び、横の騎士が吹き飛ばされる。
それでも、彼の剣は揺るがない。
◇ ◇ ◇
「騎士ども、ざまあないなぁ」
木陰から様子を見下ろす盗賊・ダルクが、不敵に笑う。
彼の部隊が仕掛けた罠は、相手の動線・心理・聖騎士の“正義感”すら逆手に取った、徹底した“遊び”だった。
「ラグドの野郎、悪趣味な計画立てやがって……ほんと、楽しいぜ」
◇ ◇ ◇
一方、リーネは森の中、隠し通路のような小径でひとり佇んでいた。
あの混乱の隙に、縄を解かれ、ラグドから解放されていた。
――否、「逃がされた」方が正確だろう。
(……これは、選ばせようとしている?)
そう、ラグドは言っていた。
「逃げたければ逃げりゃいい。俺は聖女なんざ一人いなくても化け物は狩れる。
……だが、お前は“人を救う力”を持ってる。それを“誰のために使うか”は、お前の好きにしな」
それは、支配ではなかった。ただの放棄でもなかった。
けれど、それが――妙に彼女の心を締めつける。
「リーネ……!」
声が、聞こえた。木々を掻き分けて現れたのは、クラウス。
鎧は傷つき、息も荒い。それでも彼の目は、迷いなく彼女を捉えていた。
「無事で……よかった……!」
「クラウス様……!」
ふたりは、短い距離を駆け寄る。
だが、そこでクラウスはリーネの姿に違和感を覚える。
縄は切れている。衣も汚れていない。
何より――その目が、“救われたい者”の目ではなかった。
「……どうやって逃げてきた?」
「……ラグドさんが、解きました。逃がす、と……」
「……なぜ、逃げなかった?」
リーネは、答えられない。
それでも、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「彼は……とても、冷酷な方です。人の心も踏みにじるような、酷い……
けれど、化け物に対しては、誰よりも……“真剣”でした」
「……!」
クラウスの顔がこわばる。
彼はずっと信じてきた。神の力、聖女の加護、そして正義の剣。
だがリーネの言葉は、そのすべての“外側”を語っていた。
「クラウス様。どうか、聞いてください。あの方は、ただの盗賊ではありません。
この世界に蔓延する“穢れ”を、最も深く知る者です。
……たとえ、その方法が間違っていたとしても」
「……っ、リーネ様。あなたは……奴に、心を――」
「囚われてなどいません!」
リーネは叫んだ。自らも驚くほどの、強い声で。
「でも……見たいのです。
あの人が、どこまで“人でいられるか”。
“化け物を狩る”という道が、どこに辿り着くのか。
そして、それが……もし間違っているなら、その時こそ私が止めたい」
クラウスは、言葉を失った。
かつて、ただ祈るだけだった聖女が、自分の足で“意思”を選ぼうとしている。
それが、どうしようもなく――遠く感じた。
◇ ◇ ◇
「クラウス様、どうか――今回は、見逃してください。
私は、自分の目で……この世界の真実を見届けたいのです」
そして、リーネは森の奥へと走った。
再び、ラグドのもとへ。自らの意志で。
「……リーネ様……」
クラウスは、その背に手を伸ばせなかった。
剣を振るうべきなのか、祈るべきなのか――
その答えが、見えなかった。