【第6話】森にて、信仰と罠が交わる
森は、静かにざわめいていた。
風に揺れる梢の音、鳥のさえずり、虫の羽音――
だがそれらすべてを、騎士たちの重装と足音が塗りつぶしていく。
「……不自然な静けさだ」
クラウス=レインハルトは、馬上で小さく呟いた。
騎士団の中でも先鋭で知られる部隊を率い、彼は聖女奪還の命を受けて、盗賊団《屑星》の足取りを追っていた。
「副官、確認を」
「はっ。西の斥候より、煙の痕跡あり。間違いなく奴らのキャンプ跡です。三刻ほど前かと」
「ならば、まだ近くにいる可能性が高い。全軍、警戒態勢で進軍を続けろ」
その声には迷いがなかった。だが心の奥には、焦りがある。
――リーネ様は、あの下劣な男に何をされているのか。
考えるたびに、喉奥が焼けるような怒りに襲われた。
◇ ◇ ◇
「――来たか」
森の高所。枯れた木の上に腰かけながら、ラグドは遠くの騎士団を双眼鏡で見下ろしていた。
「さすが“聖騎士団”ってわけだ。思ったより、ずっと早い」
背後に気配。副官のダルクが、木陰から顔を覗かせる。
「全隊、配置についた。お前の予想通り、あいつらは一本道に誘導されたぞ」
ラグドはニヤリと笑う。
「いいね。まっすぐで真っ当なやつらは、狩るには楽で助かる」
「だが、殺しは?」
「するな。怪我くらいなら構わんが、“聖女を殺された報復”って名目を作られたら、さすがに面倒だ。俺たちは“ただの盗賊”でいい」
「了解。足止め優先、殺さず撃退……ってとこか」
「ダルク、お前の部隊にかかってるぞ。あいつらを躊躇させろ。“信仰”ってやつは、割と簡単に足枷になる」
◇ ◇ ◇
その頃、隊の後方にいたリーネは、木の根元に座らされ、縄でゆるく縛られていた。
見張りの盗賊たちは、彼女にそれほどの警戒心を向けていない。
彼女が逃げ出さないことを、ラグドは知っている。
リーネ自身が、“この男が何をしようとしているのか”を見極めるため、ここに残っているのだ。
(クラウス様……いらっしゃるのですね)
森に微かな鉄の匂い。軍靴の音。聖句の唱和。彼女には、それが聞こえていた。
「……助けを呼べば、私は戻れるのでしょうね」
小さく呟くリーネの手が、縄をそっと解こうとする。
だが――止まる。
(けれど……)
視線の先にあるのは、《黒鉄輪禍》。歯車がむき出しの異形のチェンソー。
それを整備するラグドの横顔には、どこか奇妙な“真剣さ”があった。
(この人は、ただの盗賊ではありません……)
リーネの胸に、ひとつの問いが芽生える。
――この男は、化け物を“狩る”者なのか、それとも、化け物に“なる”者なのか。
その答えを知る前に、森が爆ぜた。
「伏兵!? 包囲されて――っ!」
騎士団の叫び。毒のない煙弾。絡み罠。幻術めいた視界の分断。
そして、遠くで聞こえるラグドの笑い声。
「ははっ、ようこそ白い騎士様! 化け物と盗賊の境目、見に来たのか?」
リーネは、思わず立ち上がっていた。
思考は混乱し、感情はねじれ、だが――足は自然と、“あの男”のほうへ向かっていた。
(どうして……私は)
この混沌のなかで、聖女の心に生まれつつあるのは、
“神”ではなく、ある“人間”への興味と――それ以上に、抗いがたい関心だった。