【第5話 】白き聖堂に、影差す
聖都フロリア。
白大理石で築かれた高塔に、朝の鐘が静かに鳴り響く。
だが、聖堂内の空気は、ひどく冷たい。
「……本当に、行方がわからぬと?」
沈黙のなかで呟いた声は、老いた男のものだった。
大聖堂主席教皇、《アステル=ヴァルシュ》。この国の“神意”を代弁する者である。
「はい。昨夜、北の辺境教会にて、聖女リーネ様が……盗賊団によって誘拐されたと報告を受けております」
そう答えたのは、聖騎士団の副団長ユリオス・ヘイル。黒髪を短く刈り込み、表情をほとんど変えない冷血な男だ。
「盗賊団の名は?」
「《屑星》……かの“泥喰いのラグド”が率いる小規模の戦闘団とのこと」
アステルは、静かに目を細めた。
その名には、記憶がある。聖堂の命令で消されたはずの男。かつて化け物狩りに関与しながらも、思想的に異端視された存在だった。
「忌まわしき名だ……“穢れ”に手を染め、金を得る者など、“神の道”には不要なはずだ」
「では、全騎士団を以て即時追撃を?」
「……否。聖女が攫われたという事実は、民衆に広めるべきではない。
“聖なる加護の象徴”が盗賊に奪われたとなれば、神威の威信が揺らぐ」
「……理解しました。極秘裏に、処理を?」
アステルは頷く。
その目には怒りも悲しみもない。ただ冷たく事務的な光。
「リーネは……確かに純粋な子であった。が、“聖女”は代替が利く」
「……」
「だがあの娘は、“祝詞を使って呪核を封じる”奇跡を見せた。
我らの計画に不可欠な存在であることに変わりはない。
……殺さず、確実に回収せよ」
◇ ◇ ◇
同時刻、聖騎士団本部では、別の空気が流れていた。
一人の若い騎士が、床に拳を突きながら声を上げる。
「リーネ様を! あの方を、ただの“戦力”として扱うなど……っ!」
騎士の名はクラウス=レインハルト。
聖女の護衛を務めていた青年であり、聖堂の中でも数少ない“本気で人を信じる”異端の男だった。
「黙れ。……それ以上の発言は、“異端審問”に回されるぞ」
上官が冷たく言い放つと、クラウスは口を噤む。だが、その眼にはまだ炎が宿っていた。
(……あの方は、神に仕える者ではなく、“人を救いたい”と願う人間だった……)
その真っ直ぐな姿を、彼は見ていた。
だからこそ、奪われた“彼女”を、聖堂の道具としてではなく、“人間”として取り戻したいと願っている。
そして、彼はまだ知らない。
“泥喰いのラグド”という男と出会ったとき、自身の信仰がどう揺らぐのかを――。