【第4話】泥と光、街の片隅で
黒の森を抜け、南へ半日。
くすんだ石壁の町、ルーベンのスラム街に、俺たちは身を潜めるように入り込んだ。
道行く連中の大半が顔を伏せるか、薄汚れた布で顔を隠している。
ここでは身なりと視線を間違えると、それだけで命が軽くなる。ま、俺たちには馴染み深い土地だ。
「ここで物資を買うのですか……?」
鎖を短くした状態で連れてきた聖女――リーネが、周囲の空気に怯えたように呟く。
白金の髪と清潔すぎる法衣は、この街じゃ“財布です”と名乗ってるようなものだ。
「その格好じゃ目立ちすぎる。……こっちに来い」
俺は露店が並ぶ裏路地へ入り、粗末な衣服を扱う老婆に銀貨を叩きつけた。
「このガキに、身なりを合わせてやってくれ。……“光”じゃなく、“泥”の中の色でな」
◇ ◇ ◇
「……これは、修道服……?」
しばらくして、リーネは灰茶の裾短い上衣と、襟のない布スカーフをまとって戻ってきた。
法衣とは比べ物にならない質素さだが、妙に馴染んでいる。
「それは、ここの孤児修道院が使ってた服らしい。潰れたがな。
だがまぁ、その格好なら、道で刺されずに済む」
「……人の視線が、変わりました。まるで、誰にも見られていないような」
「それが、“こっち”の世界の生き方だ。
名もなき顔で、死なねぇように歩く。……お前も早く慣れろ」
リーネは少し顔を伏せたが、それ以上は何も言わなかった。
ただ、風にたなびく白銀の髪を、自らスカーフで隠した。それだけで十分だ。
◇ ◇ ◇
裏手の倉庫に入ると、待っていたのは物資の仲介人──骸骨のような顔の商人、ベレクだ。
「よう、“泥喰い”……随分と珍しいブツを連れてきたじゃねぇか」
「……見るな。見るだけで、金を取るぞ」
「冗談だ。お前さんが連れてるなら、きっと面白ぇ用途だろうな。
さて、頼まれてた火薬と保存食、持ってきてる。毒の材料もな……そっちは倍額だぜ」
「わかってる。こっちも、呪金を手に入れてる。ほらよ」
俺は“笑う主”の使い魔から掘り出した黒金石をベレクに投げる。
「──これは……なるほど。奴らが北から動き始めたって話、マジだったのか」
「監視哨が一つ潰れたそうだ。どうせ聖堂は黙殺してる」
「ったく、いよいよか……死にたくなきゃ、南へ逃げろよ。お前らなら、まだ間に合う」
「逃げねぇさ。俺は、化け物の首で“金”を稼ぐ」
ベレクは、笑いもせず黙って頷いた。
こんな外道の会話が、今のこの国の“最前線”だ。
◇ ◇ ◇
帰り道。スラムの裏通りで、リーネがぽつりと聞いてきた。
「……あの金属、あなたが倒した“化け物”から取ったのですか?」
「ああ。奴らの核は“呪金”って呼ばれてる。祝福も祈りも効かねぇが、錬金術や魔導機器の触媒には最適だ」
「……人の命を食った“穢れ”が、金になる……」
リーネの声は、どこか虚ろだった。
だが、それを否定する暇はない。俺たちは、“それ”で生きている。
「祈りじゃ、腹は満たせねぇからな」
そう言い捨てて、俺は再び《黒鉄輪禍》を背にした。
今のリーネがどんな顔をしていたか──見なかった。
だが彼女は、その場で足を止めず、静かに歩き続けた。
その姿は、もう“囚われた聖女”というより──
穢れに踏み込んだ者の覚悟を、わずかにまとい始めていた。