廃村ディラエル
霧が濃く、地を這うように流れていた。
北方の廃村──魔禍種によって滅ぼされたその場所には、生の気配はなく、空気に漂う瘴気だけが未だに異形の爪痕を伝えていた。
「こんな場所にまで来る羽目になるとはな……」
ラグドは黒鉄輪禍を背に、瓦礫の街道を踏みしめる。隣を歩く聖女リーネは、額に薄く汗を浮かべながら祝詞を小声で唱えていた。
「ここは、瘴気が強すぎます……。祝詞の加護を絶やせば、意識が持っていかれそうです」
「だったら、早く見つけて、とっとと帰るぞ。笑う主とやらの痕跡をな」
そんなやりとりをしていた二人の前で、骨を砕く音がした。
警戒したラグドが建物の陰を覗くと、そこには異様な光景が広がっていた。
瓦礫の中に座り込み、魔禍種の残骸を解体する少女。黒い呪衣に白銀のツインテール、赤い瞳。少女は無感情に骨を割り、肉を削ぎ、何かの液体を小瓶に詰めている。
「……子供、じゃねぇな。何してやがる」
ラグドが声をかけると、少女はようやく顔を上げた。
「……研究。観察。あと、記録」
感情のこもらない声。だが、次の瞬間――。
聖女リーネに視線が向いたとき、少女の目が僅かに見開かれた。
「祝詞の残滓……本物の聖女。しかも、かわいい」
ポツリと呟いた声には、明らかに先ほどとは違う、微妙なテンションの上昇があった。
「ねぇ、それ、もう一度だけでいいから唱えて。今すぐ。すごく貴重。記録したい」
「えっ、あ、あの……? は、はい……?」
困惑しつつも反応するリーネに、ラグドが割って入る。
「おい、そいつに何の用だ。化け物の仲間じゃねえだろうな」
「ううん。私はフィリル=ノクターン。魔禍種研究者。呪術師。聖女と祝詞と可愛いものが好き」
「……最後のが本音か?」
「大事な要素。とても重要」
フィリルは頷きながら、懐から取り出したノートにリーネの特徴や祝詞の痕跡を殴り書きしている。
「“笑う主”の眷属痕、ここにある。多分、孵化前の影響でこの村が滅んだ。今なら追える。協力する。ついでに、祝詞のサンプル、定期的に聴かせて」
ラグドは呆れ顔で髪をかき上げた。
「……ま、面白え女だ。知識もありそうだし、使えそうだな。いいぜ、同行させてやる」
「やった。これで現場調査が捗る。あと、聖女の観察も。あと……」
と、再びリーネに近寄ろうとするフィリルを、ラグドが小突いて止める。
「……お前な、まず距離感ってもんを学べ」
「……はーい」
感情のない返事の中に、ほんの少しだけ楽しそうな響きが混じっていた。
霧の廃村での奇妙な出会い。だがそれは、さらなる“深淵”への導入に過ぎなかった。