8.従魔
「こうしてみると本当に泥人形ね……」
「話に聞いてたより、こう……案外ヒトっぽいか?」
子どもに手を引かれてのろのろと行くと、先に到着していた三人がやや青い顔で出迎えた。
床に突き立てられた数本の杭は、青く発光している。よく見てみるとそれらは等間隔に配置されており、その杭の内側になんらかの力が働いているようだった。
杭を境に、こころなし空気そのものも弾かれているような。
この魔物の体は呼吸してないようなので不明だが、もしかしなくてもダンジョンの空気はかなり悪いのかもしれない。まあ換気は良くなさそうではある。植物もなんとなく禍々しい気がするし。
そんなことを思いながら近づくと、やはり足が動かなくなった。ここが魔物が侵入できるギリギリらしい。
手を引いていた子どもが、立ち止まった俺を不思議そうに見上げる。
「どうしたの? いこ?」
そう言われても、動けないものはどうしようもない。できるものならとうの昔に上に移動しているわけで。
困り顔で引っ張る子どもへ、男性が声をかける。
「あー、ぼうず、あのな。ここはモンスター……じゃなくて、魔物は入れないんだ。冒険者が安心して休憩できるようにって作ってある場所だから」
「……ぼうけんしゃ」
「俺らみたいに、ダンジョンを探索……冒険してお金を稼ぐ仕事だな。俺らはDランクの『炎の剣』……っつってもピンとこねぇか。まあ、俺は冒険者のジークで、」
自らを指差し名乗る男性。彼の茶色っぽい目と髪の色は、村でもよく見られた色合いだ。国は違うかもしれないが、案外レテとはそこまで離れていないのかもしれない。何しろレテは、街よりも森のほうが近いくらい辺境の地だったので。
「私はアリシア。ジークとは幼馴染みで、彼の尻拭いが仕事かなあ」
「エレンです~修道女見習いなので、回復は得意ですよ~」
次いで、赤い髪の女性と、修道服の女性が名乗った。
アリシアは赤い髪を高い位置でひとつに括り、皮鎧などの比較的軽めの防具を纏っている。腰のベルトに数本の短剣と、小ぶりのポーチを備えていた。最前、俺に短剣を投げてきたのは彼女だろう。
エレンのほうは俺が思ったように修道女だったらしい。やはり防具らしい防具はなく、自らの背丈より幾分長い杖を両手で握っている。白っぽい頭巾の下から覗く髪は亜麻色で、ジーク達とは違う青い瞳をしていた。
彼らの簡単な自己紹介を受けて、子どもはぱちりと瞬く。俺の手を握る指に僅かに力が入った。
「……ノア、です。冒険者、しってる。おにいちゃんが冒険者だから……
あの……えっと、このひとは、ここで助けてくれたの……えと……おなまえ……?」
三人へ答えたあと、俺を仰ぐ子ども。名前を尋ねられても答えようがないのだが。
「あー、そのな、ノア?」
俺を見上げたまま首を傾げている子どもに、ジークと名乗った男性が困惑顔で話しかけた。
「そいつは喋れないと思うぞ。泥人形には声帯がねぇからな。……あと、わかってるんだよな? そいつが人間じゃないって」
「……」
子どもは目線を下げてうつむく。図星……というかさすがに気づいてなければおかしい。
ここまで一切喋らない上に、攻撃方法がアレだ。幾ら魔法だと仮定しても人間離れしすぎている。さらにはこの外見である。誤解の余地もないはずだ。
「そいつはモンスターっていう、まあ魔物の一種なんだよ。俺らは"泥人形"って呼んでる。そんでここはマリード近くのダンジョンなんだが……ノア、お前どうやってここに来たんだ? 兄ちゃんが冒険者って言ってたな。兄ちゃんと一緒か?」
ジークの問いかけに、子どもは首を振る。
「……おにいちゃん探してるけど、どこにもいなくて……暗くて、何もみえなかったから……」
「兄ちゃんとはどこまで一緒だった?」
「んっと、ざっかやさん?までは一緒だった。きらきらきれいな輪っか見てたら、おにいちゃんも、みんなも消えてて」
「雑貨屋……街の中ではぐれたってことか。ダンジョンにはどうやって来た?」
「…………わかんない。気付いたら真っ暗なとこにいた」
「うーん、誰かに誘拐されたか転送系の魔道具あたりか? 真っ暗なとこに来てからは一人か?」
「うん。ひとり」
子どもはこくりと頷く。
「そこにソイツが現れたと」
ちらりと俺を見遣ったジークは、顔を顰めてすぐに視線を逸らす。嫌なものを見たといわんばかりだ。俺も自分の全体図がどうみても化け物ということは知っているので、気持ちは理解できる。それはそれとしてムカつきはするが。
「壁がぼろぼろってなって、埋まっちゃいそうなときにね、助けてくれたの。ぐいって。あと、ずっと一緒にいてくれた。こわい声があちこちから聞こえてたけど、手を握ってたからこわくなかったよ」
「そっかー、まあ……うん、そうだろうな」
ジークの視線が流れた先は、さきほど俺が魔物を一掃した現場だ。今はもうなんの痕跡も残っていない。
若干引き気味な様子だが、もう少し子どもの図太さを見習って欲しい。この様子だと俺がこっそり他の魔物を倒していたのも気付いていたっぽい。
「ノア? せっかくだからこっちにこない? お腹すいてないかな。ちょっとしかないけど、保存食くらいならあるよ」
杭の内側からアリシアが声をかける。彼女を含めた三人は既に杭の内側、ギリギリの位置にいる。俺が動けないため、子どもはまだ杭の外側だ。
子どもは青く光る杭をちらりと見遣り、戸惑いがちに首をふる。
「ううん、いい。一緒にいる」
俺の手をしっかり握っての台詞に、三人が揃って渋面になった。
「まあモンスターじゃなあ……」
「弾かれるわね……モンスターはモンスターでも、従魔は大丈夫って聞くけどホントかしら」
「ホントですよ~、実際は従魔かどうかは関係ないんですけどね~。ダンジョンの外のモンスター、つまり普通の魔物はすり抜けます~。効果を高めるために弾く対象を限定しているそうですよ~」
「へぇ、そうなのか。魔術はさっぱりだけど、そんな細かいことできるんだな」
「何でも高名な魔術士の方にお願いしたそうです~」
なるほど。ダンジョン内の魔物だけがこの杭に弾かれるのか。
この身体がダンジョンの魔物である現状、どう足掻いてもここから先に進むのは無理らしい。外に出るにはまた別なルートを開拓する必要がある。子どもを彼らに託したら、いっそあの下にでも進んでみるべきだろうか。
「……じゅうまってなあに?」
「ん?ああ、従魔術っていう魔術があってな。魔物を従順に……えーと、魔物と仲良くなる? みたいな魔術のことなんだ。そうやって仲間になった魔物を従魔っていうんだよ」
首を傾げた子どもに、ジークがかみ砕いて説明する。
俺も初めて聞く言葉だった。そんな技術が存在するとは世界は広い。魔物を仲間にするなんて発想がそもそもなかった。魔物はすべからく退治するもの、あるいは関わり合いを避けるべきものだったので。
「ねぇ」
ジークの説明を大人しく聞いていた子どもが、俺を仰いで腕を引っ張った。
「ノアと仲良く……おともだちになってくれる?」
は?
思わず、ありもしない声帯から怪訝な声が出そうになった。
ジークの説明をしっかり聞いた上で、その問いを俺にするのか。
その意味がわからないほどこの子どもは馬鹿ではないはずだ。むしろ三人との会話や態度を見るに、幼い見た目の割にしっかりしている印象を受ける。あの何も見えないだろう暗闇でも、気丈に前を向いていた子どもだ。
なのに何故。
ぐるぐると疑問が脳裏に渦を巻く。
この言葉に容易く応えることはできないと思った。
こんな幼い子どもが、魔物を側に置く危険性。そんなもの、従魔がなんたるか知らなかった俺でも簡単に想像が付く。本人にも周囲にも、悪影響しか及ぼさない。
子どもに必要なのは親や家族、友人といった「人」との繋がりだ。百歩譲って愛玩動物も必要かもしれないが、間違っても狂犬より厄介な魔物ではない。
「はっ!? いやいや、ダメだぞ!」
「そうよ!……あっ、そのほら、従魔術って難しいのよ。簡単に使えるものじゃないし、使えても抵抗されて反撃されるってことも……待って今ので発動してないよね!?」
「ええっ、は、発動は周りからはわかりにくいんです~! の、ノアさん、ちょっとこちらに~」
「ジーク!」
「おうよ、ちょっとごめんなノア!」
にわかに慌ただしくなる周囲。慌てた様子のジークが、子どもの小さな体を抱え上げた。
油断していたのもあったのだろう、子どもの手はあっさりと俺の手から離れて、まるで猫の子のように軽々と宙に浮く。
その途端、自分でもよくわからない衝動が突き上げた。
意識のすべてが、感覚のすべてが子どもに向いて。
気づいたら、俺は子どもを抱き上げていた。
足元の地面はえぐれ、植物の根が触手のようにうねうねと蠢いている。そして少し離れた杭の内側に、ジークが尻餅をついてぽかんと俺を見上げていた。
何が何だかわからないと明らかに書いてあるその顔を見下ろして、酷く安堵する。
心臓があったら今頃とんでもなく暴れていたに違いない。表情のない泥人形の体に、恐らく初めて感謝した。
勢いに任せて殺す、なんてことにならず心底よかったと思う。無意識の自制が効いたのだと思いたい。だからこそ、明確な攻撃ではなく根でジークを突き飛ばすという手段を取ったのだろう。土による攻撃よりずっと殺傷能力は低いはずだ……いや、別に低くはないな? 既にコレで魔物も人も殺したような。
「……? おともだち、なってくれるの?」
自身の行動に困惑していると、腕の中から子どもが不思議そうに問いかけてくる。
自分の置かれた状況がイマイチわかっていないらしい。それとも気にしていないだけか。
これが普通の状況なら、子どもに適当に話を合わせることもできた。
だがこの体は魔物で、従魔術がどんなものかもよくわからない。ジーク達が止めに入るくらいだから、こんな他愛ない口約束程度でも発動してしまうのかもしれない。
ならば対応は慎重にせねばならないだろう。
そもそも俺は、子どもと長くいるつもりはないのだ。子どもの安全を確保して、帰還の目処がたてばそこで終わりだ。俺は外に出る方法を探すために、またダンジョンの中を彷徨くだけである。
だから友達になんてなる気はない。
――ないけれど、この子どもが心配なのは事実。
それこそ、手元から離れただけで咄嗟に手、もとい根を動かしてしまうくらいには。
……もう少し、近くで見守るくらいなら構わないだろうか。
『友達』にはなれないけれど、せめてこのダンジョンを出るまで護衛をするくらいならば。その程度ならば、仲良くしても問題ないのではなかろうか。
そう思った瞬間、ふっと何かが繋がったような気がした。見えない指で服の裾を摘ままれているような、小さなひっかかりだ。
「いいの? やったあ!」
腕の中で歓声をあげた子どもに驚く。
いいとは何が。
確かに妥協はしたが、今それを口にしただろうか。いや、そもそも俺は喋れないのだ。口にする以前の問題である。
「あれ? いまいいよって聞こえた気がしたんだけど……」
首を傾げる子どもに、俺も内心首を傾げた。承諾したわけではないし、それらしい反応もしていない。俺としては「ダンジョン内限定の護衛を請け負った」くらいの気持ちである。
「えっと……俺、生きてる?」
「……うん、大丈夫。ノアは無事っぽいね……」
「いや俺……」
「ジークも無事ですよ~これ、従魔術成功しちゃってませんかね~」
「しちゃってそう……ねぇノア、もう一度、一緒にこっちに来てみてくれる?」
アリシアが手招きをするのに子どもは頷いて、俺に「行こう」と促す。
さきほど強い拒絶を感じたので無理だとは思うが、試すだけならタダだ。
そう半ば諦めつつ足を進めると、今度はなぜかすんなりと杭の内側に入れた。あまりの抵抗の無さに拍子抜けする。つい背中に「目」を配置して、まじまじと見てしまうほどには信じがたい感覚だった。
これ、きちんと安全な場所として機能してる?
「うわー……マジで成功しちゃってる……お前凄いなノア」
「うん、凄いわ。呪文とかなかったのに……」
「従魔術は呪文よりも適性が肝心だと聞きましたけれど……すごいですねぇ」
三人に褒められて、子どもは居心地悪そうにもじもじとしている。意味はわかっていないようだが、褒められたことに照れているようだ。
「……よし、とりあえず休憩だ。俺は水が飲みたい」
自棄気味にジークが宣言して、どっかりと座り直した。それに女性二人が顔を見合わせて、その場に腰を下ろす。エレンが子どもに向かって微笑んだ。
「ノアさん、お水はいかがですか~? 後ろのあなたも、ノアさんと離したりはしませんので、どうぞ落ち着いて下さい~」
子どもに話しかけたと思っていたら、普通に俺にまで話しかけてきた。
落ち着いているけど? と不思議に思ったところで、子どもを抱えたままだったことに気付く。警戒心丸出しに見えても仕方がない図だ。
とりあえず子どもを地面に降ろした。子どもは俺の手を握って躊躇う様子をみせたが、エレンが再度呼びかけると、俺を気にしながら彼らのもとまで歩いて行った。
女性陣の間に座らされた子どもは、左右から渡される食料にぱちぱちと目を瞬かせている。
保存食と思われるものは、棒状の固形物だった。それこそ土の塊のような見てくれだが、栄養価は高いらしい。彼らの説明を理解しているのか否か、子どもは小動物めいた仕草で一心に囓っている。
一体いつからダンジョンを彷徨っていたのかはわからないが、もしかしたら結構前から空腹だったのかもしれない。
微笑ましい三人と子どもの光景を眺めていると、安堵と満足感のようなものが浮かぶ。どうやら無事に、子どもの保護先が決まりそうだ。
ジークの説明をそのまま受け取るならば、『冒険者』というのはダンジョン探索で生計を立てている仕事なのだろう。俺が殺してしまった4人も含め、これまで見かけた人間は彼らと同じ『冒険者』だったに違いない。
彼らの様子を見るにそう悪い仕事ではなさそうだ。――危険のない仕事とは言えないだろうけれど。
ひとまず子どもを託す相手としては問題なさそうである。何より人間性がまともそうだ。
このまま俺がここから離れれば、俺の目的は完遂だ。
彼らの会話と状況から察するに、どうやら「従魔術」とやらは発動してしまったようだし、俺も一応は「従魔」ということになるのだろう。
とはいえ、実感は何もない。拘束や制限も感じなければ、子どもに対する認識への変化もない。
俺が人間だからかもしれないが、簡単に振り切れそうなものに思える。
正直なところ、上に行きたい身としては、願ったり叶ったりではあるのだ。
従魔ならばきっと上――ひいてはダンジョンの外に出られるだろう。待ち望んでいた機会だ。活かせるものならばそうしたいのが本音だが、反面、さすがにどうかと思わなくもない。
子どもの従魔として外に出て、俺は良くても子どもはどうなるのか。
ダンジョンから出れば、子どもに俺という魔物の責任を負わせることになる。こんな幼い子どもに。
俺の意思として暴れる気は皆無だが、この体が魔物であることは紛れもない事実だ。力加減を少し間違えただけでも大惨事になりそうで怖い。不可抗力で殺してしまった4人のように、気付いたら大量虐殺なんて洒落にならない。
まして、その責任をこんな子どもに取らせるというのか。
いい大人としてそれはちょっといただけない。
なので、この従魔術を大して実感していない今のうちに、そっと逃亡したいと思っているのだが。
そんな俺の内心など知るはずもない子どもは、時折ちらちらと俺に視線を向けてくる。
まるでいなくなることを警戒するようなその仕草に、逃走の機会を奪われ続けているのが現状だ。
「やっぱ一度はギルドに連れてくしかないよな。従魔にしたのが鼠や狼ならともかく、泥人形だもんなあ……」
「そうですね~泥人形はダンジョンにしかいませんから、黙っていてもどこかでバレると思います~」
「まずギルド……の前に、親か保護者? に確認取らないといけないんじゃない? ノア、お家はマリードの近くかな?」
「……わかんない」
「えっと、お父さんとかお母さんは何してるひとかな?」
三人があれこれと聞くが、子どもはうつむいて首を振るばかり。年の割にしっかりしているようだが、さすがにそう上手く説明できるはずもない。俺が話せたら道中で聞いた話を伝えられるのだが。
それから、三人はかなりの時間をかけて事情を聞き出したようだ。
内容的には俺が聞いていたことと違いはない。
要約すると「孤児院育ちで、買い物中に人攫いに遭遇しなぜかダンジョンにいた」である。彼らの話から追加された情報としては、孤児院を運営している教会が『七天教』という聞いたことのない組織だったことくらいだろうか。
村から一番近い街には『創世教』の教会があった。あまり行ったことはなかったが、孤児院が併設されていた記憶がある。てっきり、孤児院の運営は『創世教』が行っているものと思っていたのだが、国が違えば宗教も違うものらしい。
そのくせ文化や人種は近そうなのだから、現在地の予想がしづらい。
やはりここは俺の知らない国の、知らないダンジョンなのだ。