6.出会い
壁を押しつぶすように伸びている樹木の下、膝を抱えて座っているのはどうみても幼い子どもだった。
年の頃は4つか5つあたり。着ているものはあちこち破けて薄汚れ、どこかみすぼらしい。保護者とはぐれたか、迷い込んだ孤児か。
ダンジョンがそう簡単に迷い込める場所なのかどうかはさておき、魔物が徘徊するこんな場所にたった一人いるのは不自然だ。
もしやこれも魔物の類いだろうか。不出来とはいえ人型を模した泥人形がいるのだから、子どもに擬態する魔物がいてもおかしくはない。
やや警戒しつつ様子を窺う俺の視線の先で、子どもはそろそろと顔をあげ、頭上を仰ぐ。
そこに、子どもにのしかかるように枝を下ろす木を見つけて、ぽかんと口を開けた。大きな目がぱちぱちと瞬き、不思議そうに首が傾ぐ。
その間抜けであどけない表情は、とても魔物とは思えないものだ。
子どもはきょろきょろと周囲を見回し、僅かに安堵したような顔をした。それからよろよろと立ち上がり服の裾をはらうと、唇を結んで前を向く。その幼い顔は泥やら土やらで汚れていたが、緑の瞳は力強く輝いていた。
「さがさなきゃ」
決意の込められた幼い声。
まだどこか舌足らずな、けれども強かな命を感じるそれに、やはり魔物などではないと考えを改める。あまりにも人間らしい。
魔物は喋らないとは言わないが、ここまで擬態できる魔物がこんなところにいるなら、俺が「ボス」だなんて誤認されている筈がないからだ。
俺みたいな土の塊などより、子どもそっくりに擬態できる魔物のほうが何倍も強敵だろう。
警戒を解いて眺めていると、子どもは壁にぺたりと両手をつけてゆっくりと歩き始めた。
足元の石に躓いて幾度か転んだものの、泣き出すことはない。
我慢強いと感心したが、よく考えなくてもここはダンジョンである。
泣いて助けが来るより、血に飢えた魔物が群がる可能性の方が断然高い。あの子どもがそこまできちんと理解しているかは謎だが、少なくともその我慢強さが生存率を上げているのは間違いなかった。
子どもの背後に忍び寄った蛇の魔物を、操作した土で飲み込みながら、俺はなんとなく子どもの後を追った。
特に意味はなかった。強いて言うなら、少し気になったのだ。
子どもを見つけた瞬間に、呼ばれたような感覚が綺麗に消えた。だからてっきり、あの子どもがこの魔物の体に何か働きかけたのかと思っていたのだ。なのに、子どもの方は俺の存在に気付かないどころか何も知らなさそうだった。あまつさえ、こんな場所で何かを探そうとしている。
あれが魔物の擬態ならともかく、人間の子どもが欲しがるものなどなさそうな場所なのに。
「ここ、どこかなあ……まっくら……お外にでたい……」
不安げに揺れる声を聞いて、俺はようやく子どもが壁伝いに歩いている理由に気づいた。
ダンジョンに灯りはない。振り返れば、王の間に突っ込んできた人々もカンテラを所持していたし、上へと続くあの場所でも床にカンテラを置いていたように思う。
問題なく見えていたので、特に暗いとは思わなかった。これもこの魔物の身体の能力なのだろうか。
もしや、出会う魔物が見境なく襲ってくるのは暗くてよく見えていないから……?
やたらと襲われる理由の一端に触れた気がして地味にショックを受けていたら、震える声が聞こえた。
「どこ……おにいちゃん……」
小さく、しゃくり上げる声が混じる。周囲を警戒してか、かなり控えめなそれが一層弱々しく感じる。
きっと人間の目には、夜よりも濃い闇なのだろう。
怖いだろうなと子どもの胸中を思い、小さな背中を見つめる。
だが、そんな子供の事情など魔物はお構いなしだ。前方の茂みから双眸を光らせている狼のような魔物に、頭上から静かに壁を這いおりてくる蛇に似た魔物。他にも鼠や兎、昆虫など、動物と大差ない魔物だが幼い子どもにとっては十分な脅威であるそれらが、虎視眈々と狙っている。
非力な子どもが生き残るには、過酷すぎる環境。
力のないもの、弱い者から死んでいく。それは自然の摂理で、村の大人たちに幾度となく教えられたことではあったけれど。
ここは森の中ではないし、様子のおかしな魔物しかいない。そして自然の摂理ではなく、独自のよくわからない法則が存在する場所。
子どもの足元の土を操作する。ちなみに石畳自体は操作できないが、その下にある土は簡単に操作できるので石畳を動かすのもさして難しくはない。
一気に地面を動かして、周辺の魔物を吹っ飛ばす。次いでに、近くに埋まっていた樹木の根も借りて邪魔な魔物を駆除したところで、子どもが異変に気付いた。
「あ、あれ? なんだろ、行き止まり?」
壁から手をはなし、前方をぺたぺたと触る。
行き止まりと思うのも無理はない。子どもの前方、もとい周りを囲うように半円状の土の壁が形成されている。
製作者は俺だ。魔物を吹っ飛ばした衝撃が、万が一にも影響しないように考えた結果である。
とはいえただの土なので天井部分は脆いし、うっかり崩れて生き埋めになったら目も当てられないので早々に崩しておく。
――さすがに、放っておけなかったのだ。
これが大人なら、あるいはきちんと武装していたら、俺は何もしなかった。
だって彼らは危険を承知の上でダンジョンに挑んでいるのだ。死ぬも命を拾うも、彼ら自身の力次第。俺は親切な通行人でもなければ熟練の狩人でもなく、むしろ狩られる側である。
下手に姿を見せれば戦闘になるのは間違いない。大変に面倒なので、いっそ他の魔物に狩られてくれたほうが有り難いとすら思うくらいで。
けれどこの子どもは違う。
魔物がいるとは思ってもいない様子だし、できるだけ無事に帰してやりたい。
俺もある意味迷子なので出口についてはわからないが、上に行けて且つ安全な場所ならば心当たりがある。
何とか子どもをあの場所まで誘導すれば、そのうち誰かが上に連れて行ってくれないだろうか。少なくとも魔物が近寄れない場所ならば、徘徊しているよりはずっと安全だ。
問題は俺がどうやって子どもを誘導するか、である。
「あ、崩れた……わ、わわ、どうしよ」
身を隠したままうんうん悩んでいたら、集中力が切れたのか子供の周囲の土壁がぼろぼろと崩れ始めた。操作の制御から外れてしまったらしい。
周囲の土に埋もれ始めた子供に慌てた俺は、咄嗟に動いてしまった。
人間、慌てた時ほど普段の癖がでるものだ。
虚弱な俺は屋内で過ごすことが多く、自然と子守りを頼まれる機会が多かった。ようやく歩き始めた年齢の子どもから、遊び盛りだけれど子どもだけで遊ばせるには不安な年齢の子どもまで。外で遊べないと言えば、室内で満足してくれる聞き分けの良い子どもたちばかりだった。
そんな記憶が過ぎったわけではないが、気づいたら目の前の子どもを抱き上げていた。
引き上げないと、と思ったのは間違いない。
ただ、腕をつかんで引き上げて、そのまま流れで抱えてしまったのはもう完全にただの癖だった。
元々、子どもはあまり好きじゃない。煩い子どもは嫌いだし、泣き喚く子どものあやし方もわからない。けれど頼まれた以上は危険からは遠ざけねばならず、ちょろちょろ纏わり付いたり危ないことをしそうになる子どもをよく捕獲していた。その癖が、出てしまった。
腕にうっかり抱いてしまった子どもの反応を怖々と窺う。
頭部に「目」がなかったことをこの時ほど感謝したことはなかった。間近で泣かれたら本気でどうしていいかわからない。
だが、覚悟した割にいつまでも子どもの泣き叫ぶ声は聞こえない。
暴れるでもなく、大人しく腕の中に収まっている。さては恐怖に固まっているのだろうか。
疑問に思ったので、改めて「目」を子どもを抱いていないほうの肩に移動してみた。
そうして鮮明な視界に収めた子どもは、不思議そうな顔で首を傾げていた。
「……? ありがと……です?」
助け出されたのは理解したのだろう。たどたどしい敬語で礼を述べて、その小さな手がぺたりと首元あたりに触れる。泥、もとい固い土の感触に一瞬手を引っ込めて、またそろそろと触れる。
「けいびへい、のひと?」
固い感触を鎧と結びつけたらしい。首を傾げて尋ねてくるが、残念ながらこちらに応える術がない。
「あの、あのね。おにいちゃんとはぐれたの。おにいちゃん知りませんか」
無言でいると、子どもは沈黙を埋めるようにぺらぺらと「おにいちゃん」情報を語り出した。こちらが大して反応を示さないことも気にしていない様子だ。
こんな暗闇にたった一人だったのだ。魔物は見ていなくても、その恐怖と不安は想像にあまりある。胸の内にあるそれらを誤魔化すために話に集中するのは、自然な防御本能だろう。
子どもがおにいちゃんトークに夢中なのを良いことに、そのまま移動を開始する。
ずいぶん彷徨ってしまったが、あの場所に行くこと自体は実はそう難しくはない。
王の間の外に伸びていた道が"大通り"だとすれば、あの場所はその突き当たりを折れた脇道の先。そして俺の現在地はどこかの脇道だ。ならば大通りにたどり着きさえすれば、あとは道なりに進むだけである。
ちなみに、大通りは脇道に比べて広いのですぐにわかる。脇道、俺一人で殆ど埋まるくらいの幅しかない。
とにかく、このまま子どもを置いてこよう。
子どもが都合良く俺を「人間」だと誤認してくれているので、とても助かる。暴れたり泣き喚かれたりしたら面倒だし、下手したら「邪魔だから殺してしまうか」という思考に傾かないとも限らない。絶対にないと断言できないあたりが悲しいところである。
「それでね、これをぎゅってしたら、あそこにいたの。……なんでだろう」
けいびへいさん、わかる? と子どもが言う。
当然ながらわかるわけがない。警備兵でもないし。
子どもの手の中には、その手にすっぽり収まるほどの小さな袋が握られていた。
曰く、『冒険者』をしている兄にお守りだと渡された品らしい。ふたりは街の孤児院で生活しているようで、今日は孤児院の先生の誕生日なのだそう。ささやかな贈り物をするべく、なけなしの小遣いを持って兄を含めた数人の子どもたちで店へ向かう途中、ひとりはぐれてしまった。探し回っているうちに、知らない大人達に囲まれてどこかに連れて行かれそうになったと。怖くなってお守りを握り締め、気づいたらダンジョンにいたらしい。
そのお守りの効果は謎だが、子どもが巻き込まれたのは人攫いの類いだろうとあたりをつける。
村でも人攫いの噂は時々流れてきていた。やれどこぞの街で子どもが消えただとか、どこぞの村では娘が数人拐かされたとか。信憑性は定かではないが、「人攫いがいるから子どもだけで遠くにはいかないように」と注意されていた。レテはすぐ側に深い森があるので、行方不明で真っ先に疑われるのは人攫いよりも魔物や動物関係だったが。
そういえば、なぜか周りから「人攫いに気をつけろ」と口酸っぱく言われていた。女性でもなければ子どもでもないし、なんなら成人男性なのだが。虚弱だから?
そう遠くもない記憶を掘り返しながら、子どものおしゃべりを聞く。
勘を頼りに脇道をいくつも折れて、ようやく大通りに出たあたりで、子どもが言った。
「ざらざら……?」
俺の肩あたりに触れた小さな指が、不思議そうに撫でている。鎧にしては感触がおかしいことに気付いたようだ。少し気持ちに余裕が出てきたのかも知れない。
「"どぶ"におちたの? おにいちゃんもね、前に"どぶ"に落ちてガビガビになってたよ。"どぶさらい"のお仕事だったんだって。おにいちゃん真っ黒になってた。かいぶつだ! って言ったら怒られちゃった」
こちらの顔なんて大して見えてないだろうに、にこにこと愛想良く子どもがしゃべる。
今まさに抱き上げているのが怪物です、とは言えない。
この様子だと、バレるのも時間の問題か。
ここに至るまで俺は一言も発していない。幾らこちらを「人間」だと思っていても、相槌すら打たない無言の相手をそろそろ不気味に思い始めているだろう。
幸い、出た場所がよかったようで、あの場所はここからそう遠く離れていない。
間に迷うような脇道はないし、壁伝いだとしてもさほど時間はかかるまい。
俺はゆっくりとかがんで、子どもを床に下ろす。子どもは抵抗することなく、すんなりと床に降り立ち、ぱっとこちらを振り向いた。
勿論、子どもの目には俺の姿などよく見えない筈だ。暗闇に慣れたとして、せいぜいが黒っぽい人影に見える程度。
「けいびへいさん?」
困惑した様子で首を傾げる子ども。俺の意図がわからないのだろう。
俺はゆっくりと腕をあげる。人間より長い、ちょっと不気味な腕。子どもを刺激しないように上げた手で、道の奥を示した。
このままこの道を行けばあの場所に出る。床に刺さっていた何かがうっすらと発光していた記憶があるし、突き当たりまで行けばその光が見えるだろう。
短い距離とはいえ、魔物が飛び出してこないとも限らない。そういうときは漏れなく俺が後ろから倒していくので安心して欲しい。
そう伝えられれば良いのだが、俺にできるのは指さすことくらいだ。
「……えっと、あっちがお外?」
厳密には違う。けれど説明しようもないので頷いておく。少なくとも外と繋がる場所なのは間違いないので。
「うん、わかった」
子どもは表情をきりりと引き締めて頷いて、ごく自然な動作で俺に手を伸ばした。やはりある程度見えていたようで、まっすぐに伸びた手が俺の足を掴む。
「ざらざら、気にしないよ。だいじょうぶ」
土の感触に子どもは顔を顰め、悲しそうな顔を向ける。俺が子どもを気遣って地面に降ろしたと解釈したらしい。しかもなんとなく同情されている気がする。
どうやら本気で俺がどぶに落ちた哀れな警備兵だと思っているようだ。
突っ込みたくても伝える術もないので、慎重に子どもの手から逃れようとしてみる。だが、子どもは離れかけたとみるや、今度はがっつりと鷲掴んできた。両手で。
もはやしがみつくような姿勢になった子どもが、「お洗濯たいへん……」などと呟いている。抱え込んだ足全体の感触が土なので、相当な泥まみれと判断したらしい。
間違いではない。泥まみれというより、ほぼ泥なだけで。
「けいびへいさん、いこ?」
俺を仰いでにこにこと笑みを振りまく子どもからは、何が何でも離れないという強い意志を感じる。
……まあ、確かにこの暗がりでは怖いか。
魔物と一緒にいるよりはと思ったけれど、そもそも子どもにはこの姿がはっきり見えていないのだ。この反応も当然かもしれない。
子どもを剥がすのを諦めて、手を差し出した。足にしがみつかれると動きづらいから仕方ない。
剥がされると思ったらしい子どもの体が強張ったが、俺が手を伸ばしているとわかるとすぐに手を掴み直した。
俺に拒絶の意思がないとわかると、子どもはご機嫌な様子で再び囀り始める。話題の大半はお兄ちゃんだが、まさかお兄ちゃんも見知らぬ魔物に個人情報を漏らされてるとは思いもしないだろう。
歩みを再開して暫く、案の定、短い道程で魔物が現れる。
子どもに気付かれるわけにはいかないので、気配を感じた時点で地面を操作して処理しておいた。泥人形の特性なのだろうけれど、土を操作できる能力はとても便利である。なにしろ、敵が地面に触れてさえいればある程度の距離ならば簡単に攻撃できるのだ。
反対に、壁を伝ったり飛ぶ相手はやりづらいが、そのあたりは工夫次第で今のところどうにかなっている。
泥人形、なんとも弱そうで微妙な魔物だと思っていたが、以外と厄介な魔物なのではないだろうか。
子どもの歩みに合わせてしばらく、ようやく目的の場所が見えてきた。
「明るい」
青く発光している例の仕掛けを見て、子どもがぱちりと瞬いた。
カンテラほどの光度はないが、それでも周辺の壁がぼんやりと浮かび上がる程度には明るい。
子どもは「外かな」と呟きながらそわそわと落ち着かない様子だ。俺の手を離してとっとと行ってくれたら有り難いのだが。目先のことにすぐに飛びつかないあたり、慎重な性格をしているらしい。
俺の目には床に打ち付けられた杭と真っ暗な上への入り口が見えているが、子どもにはそこまではっきりと見えないのだろう。
そして同じくあちら側からも、見えない。こちらの方が暗がりなのだから、それはある意味当然なのだが。
「……あーやっと着いたあ! 中層!」
「やっと休憩できます~」
「さすがにあの数はキツかったな!もうちょっと楽かと思ってたぜ」
静寂に響いた賑やかな声に、子どもが文字通り飛び上がった。
ちょうど奥の真っ暗な入り口から、3人の男女が姿を現したところだった。ここで出会った多くの人々のようにきちんと武装を整えている。彼らもまた、ダンジョンで稼ぎにきたのだろう。
「……えっ、ひとだ」
彼らの手には当たり前のようにカンテラが掲げられていて、杭の内側が一気に明るく色づいた。その灯りで状況を理解したらしい子どもが、どこか呆然と呟く。
これで子どもは無事に外に出られるだろう。
上がどうなっているかはわからないし、あの三人が善良とも限らないが。少なくとも、ダンジョンの中を魔物と徘徊するよりはずっとマシなはずだ。
安堵して、子どもの手の中から腕を取り返そうと試みる。
気付かれないうちに立ち去りたかった。あの三人にも、この子どもにも。
だが当然ながら、離れようとする俺に子どもは敏感に反応した。
焦燥をのせた顔がぱっと俺を仰いで、固まる。
ここはもう完全な暗闇ではない。3人が持ち込んだカンテラの灯りの恩恵が、距離のあるこの場所にももたらされている。
子どもの目にもはっきりとわかるはずだ。
俺がヒトを模しただけの魔物――泥人形だと。