5.徘徊するボス
魔物の身体は疲れ知らずである。
まるで悪夢の中のような出来事から一日が経過した今。
飽きもせず己の不幸を噛みしめつつふと気づくと、一睡どころか休憩すらせずにダンジョン内を徘徊していた。
同じような景色ばかりのダンジョン内で、正確な時間などわかるはずもない。なのでこれは体感であり、ただの勘でもある。もしかしたら一日どころか三日くらい経過しているかもしれない。
ここがダンジョンであり、身体が魔物である以上、上にも外にも出られないと理解して。
そのことが思った以上に衝撃だったらしい。
半ば呆然としながら惰性で足を動かしていたら、いつの間にか随分と奥のほうまで進んでいたようだった。
無意識に倒した魔物の残骸が、これまでのそれとだいぶ違っていて、その事実に気付いた。
腕の一振りで壁にぶち当たって潰れたのは、土の塊。
血しぶきの代わりに壁に散ったのは水っぽい泥だ。
これまでの魔物とは明らかに違う様子に、思わず動きを止めてまじまじとみてしまう。
石畳の上に崩れているのはどうみても土の山で、とても生き物の死骸には見えない。俊敏に動く想像もできないし、やはりいくら観察してもただの土の塊だ。
ぼんやりしすぎて柱か何かを魔物に見誤ったのだろうか。
敵意なり害意を感じたから無意識に反応したのだと思っていたのだけれど、ちょっと自分が疑わしくなってきた。
少しつついてみようかなと思ったところで、目の前の土の塊がぐずぐずと溶けるように崩れだした。
そのまま、これまでの魔物のように地面に吸い込まれるように消える。
消えたということは、魔物で間違いなかったのだろう。
俺の判断が正しかったことが証明されたが、なんの魔物だったのか謎が残る。記憶を探っても思い出せない。
土の塊の魔物……? と首をひねって、気づく。
俺も土の塊だった。
もしかしなくても、この身体の仲間、もとい『泥人形』ではないだろうか。
そう思うと、なんとも言いがたい感情に襲われた。
俺のこの身体は泥人形のボス個体という話だし、この状態で出会ったらどういう反応がくるのか、少し不安だ。当然、俺に仲間意識なんてものはない。これまで倒してきた魔物の様子から、きっと向こうもそんなものはなさそうだと思うのだけれど。
心なし鈍くなった足で進むと、遠くに白っぽい影が揺らめいているのが見えた。
不安定な動きの二足歩行。遠目には人型だが、よくみれば歪さが目立つ。腕が異常に長いせいか前屈みの歩行はおぼつかなく、くびれのない体はひょろりと長い。顔部分は「なんとなく顔かな?」という雑さ。
改めて客観視すると、泥人形は「おおまかに人型」なだけの珍妙な魔物だった。
これを人と誤認するのはなかなか無理がありそうである。
ちなみに俺の姿もどっこいどっこいだ。「目」を手のひらあたりに移動させてちゃんと比較したので断言できる。これでボスと主張するのは無理があると思う。全体的にひょろすぎてボスらしい威厳も風格もない。
そしてやはりというか、目の前にしても仲間意識のようなものは芽生えなかった。
向こうもこちらを仲間とはみなしていないようで、普通に襲いかかってくる。
動きが鈍いため、回避も攻撃も難しくはない。安全を取るなら先制攻撃だが、敢えて回避して撫でる程度の反撃をしておく。
人間よりは頑丈だろう、と相手の肩あたりをめがけて腕を振る。
軽くかすった泥人形の腕が、根元からもげ落ちた。
思ったよりもずっと脆い泥人形に、驚いて動きをとめてしまう。
その間、泥人形はもげた腕にもお構いなしに襲撃を続行。もげた部分の腕はゆるゆると再生し、地面に落ちた腕はそのまま崩れて消滅していった。
再生速度は決して早くはない。攻撃しながらと思えば早いほうなのかもしれないが。
泥人形は何度も襲い掛かってきては組みつこうとしてくる。その胸部の「口」が露出しているのを見るに、それが攻撃手段なのだろう。他に攻撃パターンはないようで、土を操作したりだとか魔法を使う気配もない。ただ愚直にのしかかって捕食しようとしてくる。
次第にあしらうのにも飽きてきて、土を操作してすっぽり地面に埋めてやった。
これまで出会ってきた他の魔物なら、窒息して死ぬのだけれど。
泥人形はたぶん呼吸していない。
俺のこの身体も怪しい。突き詰めて考えたら頭がおかしくなりそうなので、なるべく考えないようにしていることのひとつである。
この身体と同じ仕組みならば、泥人形の身体はほぼ土。このまま土の中で丁寧にほぐしてやったらそのあたりの土と混ざって消滅したりしないだろうか。
そう思って、なんとなくで周辺の土を操作する。引っ張って剥がしたり揉んで崩したり、という曖昧な想像をしながらごそごそすること暫く。
なにやら固い感触がしたので、疑問に思いながら取り出した。
地面にころりと転がったのは、手のひらほどの大きさの赤い石だ。
魔石かと思ったが、歪な形であることが多いそれらに比べて、角が取れてきれいな球体になっている。
宝石のように光沢があり、素人目にもキレイだと思う。
……これ、売れないだろうか。
ちらりとそんな思考がよぎるほどには。
勿論わかっている。
魔物の身体になっている現状、お金なんて無用のものだ。使うところもなければ、そもそもほしいものがない。今ほしいのは、現状に対する説明と解決策である。なんなら一足飛びで元の俺のところに戻してほしい。これがすべて夢ならなお良しである。
ただ、もしも本当にこれが現実なら。
いつかはダンジョンの外にでなければならない。
元の体も探したいし、元に戻る方法も探す必要がある。こうやってダンジョン内を徘徊するだけでは見つけられないだろう。俺の元の体がこのダンジョン内にあれば別だが。
その際に、先立つものが必要になることもあるかもしれない。
まあ、どう見ても魔物の俺に対価を要求してくるような人間はいないと思うが、備えは大事だ。たぶん。きっと。
適当な理由で自分を納得させ、俺はそれを拾うことにした。
鞄なんてものはないので、手持ちだ。
不便かなとも思ったが、攻撃も防御も腕の一振りで済んでしまうためあまり問題はなかった。
邪魔になったら捨てればいい、と気楽に構えていた俺は、最終的に10個ほど拾う羽目になる。
別に石ほしさに泥人形を狩っていたわけではない。
恐らくは(この魔物の)同族だろうし、さすがに率先して狩るのは良心が咎める。
だがそんな感傷は俺だけだったようで、出会うたびに泥人形は襲いかかってくるし、回避しようにも俺の体は俊敏さに欠ける。狭い場所で泥人形同士まごまごするくらいなら、とっとと対処してしまったほうが楽だ。
そんな調子で進むうち、気付いたら集まってしまった。
さすがに3個目から手持ちが厳しくなり、物は試しと胴体の適当なところに押し込んでみたところ、案外うまく収納できてしまった。
基本的に土なので、中のほうまで押し込んでしまえば落下するようなこともない。これは便利だと、それからは拾う度に体の中に埋め込んでいった。
ちなみにこの石、魔石同様、全ての泥人形が持っているというわけではないらしい。実際に倒した泥人形は、軽く倍以上である。
そうやってあてもなく徘徊していた俺がたどり着いたのは、下へと続く階段だった。
上に繋がっていただろうあの場所は、階段らしきものは見えず、ただひたすら濃い闇が口を開けていた。しかもその手前の空間は、魔物が近づけない仕掛けつき。
ここには何の仕掛けもなかったようで、容易く階段の手前まで近寄ることができた。
ぽかりと地面に空いた穴の奥に、人ひとりがようやく通れるくらいの小さな階段が伸びる。
明かりがないと困る程度には薄暗く、奥は完全に闇に呑まれている。その先がどんな場所なのか、想像はできるが確信は持てない。
上が外に通じており、人々が上へと帰還するのならば、下はその逆だろう。
俺の第六感的なものがガンガン警鐘を鳴らすので、冒険はやめておくことにする。
とりあえずここより更に下があることを知っただけで十分だ。
引き返すべく歩きはじめて、ふと足が止まった。
下に行きたくなったわけではない。むしろ絶対に行きたくないくらいだが、そうではなく。
この場所は行き止まりで、最終地点だ。
俺が殺した4人や他の多くの人間が目指していたのは、きっとこの場所だろう。
下へ続く未知の領域。
ならば、引き返したとして俺の行くべき場所はどこにあるのか。
上へと続くあの場所か。
それとも、最初に目覚めたあの血なまぐさい部屋か。
まだ知らない場所はあるに違いないが、それでもここからは出られない気がする。上か下か、それともここに留まり続けるか。
実質、選択肢なんてないようなものだ。上は何かの仕掛けに阻まれ、下は本能的な恐怖がある。
少し悩んで、あの部屋に戻ることにした。「王の間」という大層な呼び名がついている、ただの広い空間だ。
4人の死体が転がっている現状を思うと気は進まないが、少なくともひっきりなしに魔物に襲われることはない。
戻ったら真っ先に死体を処分しよう。土の操作にはだいぶ慣れてきたので、簡単に土中に埋められる気がする。
つらつらと考えて、感情の淡泊さに少し首を傾げた。
人を4人も殺しておきながら、悩むことは死体の処理で。
そこにあるのはただ「面倒」という気持ちであり罪悪感なんて殆どない。
確かに、魔物や動物なら何度も殺してきた。食べるため、売るため、守るため。どれも生きていくのに必要で、けれども罪悪感や忌避感がないわけではなかった。
命を奪うのも、狙われるのも、恐ろしく苦しいことだと思っていた。
なのに今、人殺しに対する良心の呵責が、罪悪感が、恐怖が、意識してもなお浮かんでこない。
ただ理性的に考えて「悪いことをした」と理解しているだけ。
俺は一体どうしてしまったのだろう。
これが夢ならば、感情が希薄なのもわかるのだけれど。
そうでないのなら魔物の身体に影響されているのだろうか。
……人は、順応するものだし。
俺は平和主義者なのだ。争い事は嫌いだし、傷つけるのも傷つくのも嫌いだ。もちろん、問答無用で襲いかかってくる奴らも嫌いだし、そんな奴らが死ぬのは自業自得だという話で――いや、これはちょっと違うな?
どうあがいても暴力を肯定しそうになる思考に困惑していると、感覚に何かが引っかかった。
呼ばれているような、行かなければいけないような、不思議な感覚。
実際には何の声も気配もしないそれは、無視できるほどのささやかなものだ。
すこし躊躇って、結局、その謎の誘導に従うことにした。
現状は既に手詰まりで、あの部屋に急いで戻る必要性も感じない。というか、面倒なので先送りにしたい気持ちが強い。
どうせどうにもならないなら、この不思議な現象に付き合うのも悪くはない。
道中襲ってきた泥人形をすべて土に還しながら、いくつかの脇道を折れて、もはや現在地がどこかわからない勢いで彷徨うことしばらく。
崩れた壁のそばに、それはいた。
土色の髪をした――子ども?