41.★ちょっと綺麗な同僚
(キャロル視点)
孤児院に響く子どもの笑い声が、キャロルは好きだ。
特別子どもが好きな訳ではないけれど、元気で無邪気な子どもたちの声を聞いていると自分の気持ちも軽くなる。どんなに疲れても、心折れそうなことがあっても、子どもたちが楽しげに笑っていれば少しだけ頑張れそうな気がするのだ。
だから時々、仕事の合間に子どもたちの遊ぶ姿を眺めることがある。
何の用事も意味もないのだけれど。
それがちょっとしたキャロルの息抜きで、楽しみだった。
キャロルが修道院に入ったのは、14歳の時。
光属性の適性があったからというのが理由だが、何より実家から逃げたかった。
キャロルはそれなりの大きな商家の、次女として生まれた。姉は貴族へと嫁ぎ、家業は兄が継ぐことが決まっていて、キャロルには幼馴染の婚約者がいた。何の問題もなく、一般的にみれば安泰な日々。
いずれは彼と結婚するのだろうと漠然と思っていた。けれど、その幼馴染が変心したことでキャロルの婚約は白紙になる。
元々、恋愛感情なんてものはなかったから諦めは早かった。しかし幼馴染はあろうことか、婚約解消の原因がキャロルにあるように吹聴してまわった。噂はあっという間に広まり、キャロルは腫物扱いをされるようになる。次の婚約者はなかなか決まらず、焦った両親が持ってきたのが貴族の後妻話だった。
身分や待遇を思えば悪い話ではないのだろう。だが、まだ成人前のキャロルには耐えがたいものだった。
何もかもが嫌になったキャロルは、すぐに修道院に入ることを決断した。
驚く両親を振り切って修道院の門を叩き、生涯を信仰に捧げることを誓った。意に添わない結婚よりは、そのほうがずっと良いことのように思えたのだ。
キャロルも、今にして振り返れば、甘い考えだと言わざるを得ない。修道院での生活は想像を絶していた。まだたった3年だが、その倍の年数は修行しているような気すらする。とにかく毎日が必死で、辛いことも困惑することも、何もかも勢い良く押し流されて日々を過ごしている。
当時、少しでもこれらが想像ができていたら、今はもっと違う道を歩んでいたかもしれない。家出同然に飛び出さずに、もっと我慢していればあるいは。
それでも、後悔はしていなかった。
あのまま鬱屈した日々を過ごすより、こうして子どもたちの笑顔を眺めながら、くるくると働いている今のほうがずっと幸せだと思えるのだ。
「ね、ここ、なんて読むの~?」
「うたかた」
「うたかた?」
「泡だよ。水の表面に浮かんでいる泡のこと」
「泡かぁ。うたかた、うたかた……うたかたの、眠りを」
エルシーがたどたどしく繰り返している。
その小さな手が捲っているのは魔術本のページだ。どうやら魔術の勉強中らしい。
そういえば、とキャロルは記憶をたどる。確かエルシーには『水』の適性があったはずだ。となると、音読しているのは水魔術の呪文だろうか。
聖魔術以外に詳しくないキャロルにはいまいち判断がつかないが、勉強熱心なのは良いことだと、物陰で頷く。
物陰から窺っているのは、なにもやましいことがあるわけではない。
子どもたちの勉強や、楽しげな様子を邪魔しないようにというキャロルなりの配慮である。盗み見ではない。ないったらない。
何しろ、熱心に取り組んでいるのはエルシーだけではないのだ。
ソフィアもユーグもノアも、目の前のことに夢中になって取り組んでいる。木の枝を振り回しているユーグなどは訓練なのか遊びなのか怪しいところだが、それはそれで楽しそうだから良い。
ノアが冒険者として活動するようになってから、他の子どもたちもそれぞれの目標を掲げて励むようになっていた。特に熱心なのはノアと仲の良い子どもたちで、ノアと一緒になって『炎の剣』にあれこれと教えて貰っている。
とはいえ、『炎の剣』が頻繁に指導に来るわけではない。彼らにも都合があるし、厚意にも限度はある。
ならばとキャロルたちが教えられたら良いのだが、残念ながら日々の生活で精一杯だ。時間も人手も圧倒的に足りていない。
そこで白羽の矢が立った――いや、いつの間にか教師役をしていたのがルーチェだった。
子守りの延長なのだろう。気付けば本を読み聞かせ、教本の解説をし、ちょっとした訓練の手ほどきをしていた。
今も、エルシーが時折のけぞるようにして背中を預けているのは、椅子にされているルーチェだ。
ルーチェはエルシーのそんな行動を厭う素振りはなく、それどころか小さな身体が膝の上から落ちないように、エルシーの身体に腕を回して固定している。
相変わらず力加減が上手い。
しっかりと胴を拘束されているエルシーは、不快そうな様子もみせず抱えた本に夢中だ。その両足は元気にびちびちと跳ねているが、ルーチェは危なげなく支えている。抜群の安定感である。
「……うーん、こっちは~? みずの……おおきい……?」
「たいけん」
「剣! 知ってる、ルーチェが持ってるやつ!」
「そう。まあ俺のものじゃないけど……大剣は、これよりずっと大きな剣のこと」
「へぇ~じゃあルーチェも持てない?」
「どうだろう。持ったことないからなあ……」
エルシーの問いかけに、ルーチェが答える。
首を傾げた拍子に、灰色の髪がさらりと肩に流れ落ちた。同じく灰色の睫毛の奥で輝く双眸は、金と青の色違い。まるで宝石のように煌めくそれらが、膝の上のエルシーを優しく見つめる。
珍しい髪色に、瞳。それらが奇跡的なまでに調和した、端正な美貌。
天使像もかくやのその容姿は、ルーチェがひとではない証でもある。
ルーチェは魔物だ。
それも、魔術士ギルドのマスター、スヴェンの従魔である。
土妖精の亜種だと紹介されたのは、まだそう遠くはない過去の話だ。従魔とはいえ魔物を孤児院に寄越すなんてと、あまりの恐ろしさと悍ましさに震えたのを覚えている。
けれど、そうしなければならない事情があるのもわかっていた。
ノアが危険に晒されているのだと、そのための護衛として借り受けたのだと言われれば、強く反対もできない。そもそも見習いでしかないキャロルには反対する権利もないのだけれど。
恐怖と我慢の日々が幕を開けるのだと覚悟していたものの、結局は長くは続かなかった。
ルーチェと名付けられた従魔が、とても大人しかったから。
不出来な彫像のような姿は不気味ではあったが、それだけだ。子どもたちはすぐに懐いたし、ルーチェも子どもたちを脅かすことなく、大人しく過ごしていた。
次第に、キャロルたちはルーチェに子どもたちの相手を任せるようになった。
ルーチェはノアの『護衛』だからか、ノアの言うことはよく聞く。暴れたり突拍子もない行動をする魔物ではないようだし、子どもたちの監督を任せるくらいならば大丈夫だろうと。
そのうち、荷物持ちくらいならばキャロルたちの指示にも従ってくれるようになった。こちらの意図を察したように動いてくれたり、一度頼んだことならば率先して手伝ってくれるようにもなった。
気付けば、ルーチェを不気味とは思わなくなっていた。冷静に考えれば確かに不気味な姿なのだけれど、それよりも日常のちょっとした仕草や、子どもたちに振り回されている姿に微笑ましいと思うことの方が多くなった。
そんな時だ。
ルーチェが、天使像もかくやの姿になって帰ってきたのは。
正直、驚きすぎてあの日の記憶は曖昧だ。あまりに刺激が強すぎたのだと思う。しかもルーチェは、簡単な言葉まで話せるようになっていた。
ルーチェが頭が良いことは、最初からわかっていた。
アンジェリカを始め他の皆もそう言っていたし、キャロル自身、何度も思ったから。
ルーチェを前にしていると、ただの魔物を相手にしているのだと忘れそうになる。話をすべて理解しているのではと錯覚することが度々あった。
どうやらそれが錯覚ではなかったのだと、話せるようになったルーチェを前に納得したものだ。
ルーチェの言葉は殆どが単語の羅列。口を開くのは必要最低限で、ひとつふたつの単語をぽつりと口にするだけ。
けれど思えば、ルーチェはその短い単語だけで、ほぼ正確に自らの意思を伝えていた。会話の内容を理解した上で「伝えたい」言葉だけを選別している。キャロルが思うよりもずっと、豊富な語彙の中から選んで。
ルーチェは間違いなく頭が良い。
このまま慣れていけば、いつか流暢に話すようになる日がくるかもしれないと思っていた。
魔物の進化は早いと聞くし、数年もすれば人らしくなるのでは、なんて思っていたのだけれど。
「わぁ、やった! ちゃんと刺さったよ!」
「うわぁ」
弓を保ったまま呆然としているのはソフィアだ。
最初はエルシーと共に魔術を学んでいたソフィアだったが、どうにも制御が上手くいかず、ここ最近弓の練習を始めた。魔術よりも適性があったのか、飲み込みは早く、今やかなり遠くの的に矢を当てられるようになっている。
今回はどうやら、的のど真ん中に矢が刺さったらしい。
ソフィアの近くにいたノアが飛び上がって喜んでいる。当の本人は、自分のしたことに驚いて棒立ちになっているようだが。
「ルーチェ見て! ソフィアが!」
興奮気味のノアがルーチェに報告している。
ルーチェは顔を上げ、『奥の庭』の端、壁近くに設置された的を見遣る。
的は、人の高さほどに盛られた土に、印を付けた紙を貼り付けたものだ。もちろん用意したのはルーチェである。
ルーチェはその紙に突き刺さった矢を見て、まだ動揺しているらしいソフィアへと視線を向けた。
「うん、上手。ソフィアは狩人の素質があるね」
頷いたルーチェは、そう言って柔らかく笑う。
天使のような、暴力的な美貌で。
離れた場所から見ていたキャロルですら、思わず息が止まりそうになる。目だけでなく思考までも奪われそうな、目映いそれ。傾国という言葉が脳裏を過ぎる。
それをまともに浴びたソフィアは、けれども少し照れたように顔を緩めるだけだった。
そこにあるのは、「褒められて嬉しい」という純粋な喜びだけだ。普段、大人びて落ち着いたところのあるソフィアにしては珍しい反応ではあるが、褒められたことに対しての反応としてはなんらおかしなところはない。
慣れているのだ。
いや、慣らされたというべきか。
ルーチェの姿が変わり、話せることがわかっても、子どもたちの反応に大きな変化はなかった。
ルーチェはルーチェだからと子どもらしい純粋さで受け入れ、変わらず懐いていた。
それはルーチェが顔を隠さなくなっても変わらない。むしろご機嫌なノアにつられて、子どもたちも歓迎している様子だった。
そして、ルーチェの姿が不気味だからと敬遠していた他の子どもたちも同様に。
以前は近づくのも嫌がっていたのに、輪の中には入らないまでも、見える場所から様子を窺っている姿をみるようになった。あれだけの美貌だ。つい気になるのは理解できる。
それ自体は問題ない。むしろ、子どもたちがルーチェの元に集まるようになれば、キャロルたちも今よりずっと楽になるので歓迎である。
問題は、そうやってあの美貌を見続けた子どもたちが、それにすっかり慣れてしまったことだった。
最近のルーチェは、表情が豊かだ。
まるで人のように喜怒哀楽が顔に出る。といっても、怒ったり悲しんだりといった表情は今のところみたことはないのだが、とにかくよく笑うようになった。
これがローレンあたりならば「加減しろ!」と指摘するに違いないが、子どもたちは違和感など覚えずに受け入れてしまう。
そのため、子どもたちといるルーチェはいつも以上に表情が柔らかい。端から見ていると、まるで天国にいるのではないかと錯覚するような、美しい光景ができあがっている。
「すごいなあ、ぼくもルーチェに教えて貰ったのに、ぜんぜん飛ばないよ」
「ノアは魔術士でしょ、飛ばなくてもいいじゃない。弓は私が頑張るし……」
子どもたちの会話を聞きながら、キャロルは割と最近の出来事を思い出す。
魔術の制御がうまくいかないソフィアに、弓をすすめたのは誰あろうルーチェだった。
正確には弓を指定したわけではなく、気分転換も兼ねて他のものを試したらどうかという提案だ。幾つかあがった候補の中で弓を選んだのはソフィア本人である。曰く、「ルーチェが教えてくれるものがいい」と。
ルーチェは見た目は人のようだが、魔物だ。候補にあがったものはどれもできるとは思えなかったし、人に教えるなんてことはもっと無理だと思った。
けれど現実として、ルーチェは弓の使い方をソフィアに丁寧に教えていた。自ら弓の構えを見せて、ちょっとしたコツなども伝えていた。一緒に聞いていたノアもソフィアと一緒に練習していたが、あまり上達はしなかったようだ。
あの時はさすがに、キャロルも二度見した。
キャロルは弓については詳しくない。そもそも弓を間近にみる機会のない環境で過ごしてきた。ただそれでも、弓を構えてみせたルーチェの姿はそれなりに様になっていて、ただの人真似とは思えなかった。
弓を使って狩りをした経験があると言われても、普通に信じてしまいそうな姿だったのだ。
「キャロル?」
不意にかけられた声に飛び上がる。
はっと見遣ると、こちらを不思議そうに見ているルーチェと目が合った。
「用事?」
ぶんぶんと首を振る。なんとなく見守っていただけだ。盗み見ではない。
ルーチェはキャロルが抱えた洗濯物の籠をみて、仕事の途中であることを理解したようだった。
「エルシー、続きはまた後で」
ルーチェは膝の上のエルシーに声を掛け、そっと抱き上げて下ろす。
「うん。まってるね」
にこにこと見上げるエルシーに優しく笑み返してから立ち上がり、そのままキャロルの方へと歩いてきた。
焦ったのはキャロルだ。邪魔をするつもりはなかったし、そもそも用事もない。いや、頼もうと思えば幾らでも仕事はあるのだが、わざわざ中座させてまで頼むことでもないわけで。
「あの、違うの。用事はないのよ。たまたま通りかかって、ちょっと眺めてただけで……あ、もしかして邪魔だったかしら?」
近づいてきたルーチェに慌てて弁解をすれば、ルーチェはぱちりと瞬いて、ふいに笑った。
まともに被弾してしまった、とキャロルは内心戦く。鼓動が跳ね上がり、無駄に血流が良くなるのを自覚する。
「大丈夫。それ、これから干しにいくんだよね?」
「え、ええ。そうだけど……」
「貸して。一緒に行くよ」
思わぬ申し出にぽかんとしていると、ルーチェはそんなキャロルの手からさっと籠を取り上げてしまった。
「あ、でも、」
「手伝ったらダメだった?」
迷惑? と首を傾げるルーチェに、キャロルは無言で首を振ることしか出来ない。今口を開いても人間の言葉を話せる自信はなかった。人間なのに。
「そう。じゃあ一緒にいこう」
以前より目線がずいぶんと高くなったルーチェが、少し屈むようにしてキャロルに言う。頷いて返しながら、キャロルはその事実に少しだけ複雑な気持ちになった。
前までは、ルーチェはキャロルとそう変わらない身長だった。少年を模しているとは知っていたけれど、どちらかといえば妹分のような、百歩譲っても弟分のような感覚だった。
だが、こうなってしまうと話は変わる。
キャロルより高い背丈に、細身の、明らかに男性を模した姿。そのくせ顔立ちは中性的で、天使像と見紛うほどなのだ。
14歳で修道院に入るまでは、婚約者もいて異性の友人だっていた。異性への免疫はそれなりにあるほうだと自負していたのに、ルーチェの容姿にはまったく慣れない。
ジークやロビン、身近なところではローレン。そういう目で見ていないキャロルにも、それなりに「モテる」だろうなと思わせる男性陣を思い浮かべて対処法を探るが、ルーチェとは方向性が違いすぎて参考にならなかった。
キャロルもわかってはいる。
ルーチェは従魔で、魔物で、この姿はあくまで作り物だ。
柔らかな表情も、優しい眼差しも。何かの、或いは誰かの真似をしているだけ。
「干すのはあまり得意じゃないから、そこは任せていい?」
「もちろん。もともと私の仕事だもの。運んでくれるだけで助かるわ」
「そう? ならよかった。……ああ、でもシーツは手伝うね」
ひとりじゃ大変だし、とルーチェがふわりと笑う。
……この笑い方は、誰の真似なんだろう。穏やかで優しくて、親しげな表情。親愛の情を向けられていると錯覚しそうになる。
そうでなくても、最近はよくルーチェを人間だと錯覚しそうになるのだ。
今だってそう。こうやって並んで、話しながら歩いていると特に感覚がおかしくなる。
会話はいつだってちゃんと噛み合って、困惑も苛立ちもない。ルーチェは会話ひとつ、態度ひとつとっても、とても丁寧に気遣ってくれる。キャロルは、ルーチェの主人でもないのに。
「良い天気だね。よく乾きそうだ」
「ほんと。風もあるし洗濯日和ね。まあ毎日洗濯してるんだけど」
「はは、そうだね」
交わされる世間話と、小さなルーチェの笑い声が心地よい。
できれば、ずっと仲良くしたいものだとキャロルは思う。
こんな風に気軽に話が出来る仲間として。ちょっと綺麗な……綺麗すぎるのは玉に瑕ではあるが、それでもこの先もこうやって過ごせたらきっと楽しい。
ルーチェは魔物で、従魔で。キャロルは人間で、修道女。
そんな未来は難しいとわかっているけれど、キャロルはこの風変わりな『同僚』をとても気に入っているのだ。
年内最後の更新です。間に合った……!
今年一年ありがとうございました。来年もかわりばえのないまったりペースですが、宜しくお願いします!




