37.周囲の反応
「あらまあ……冒険が楽になりそうですねえ」
ノアからの説明を受けたアンジェリカが、ぱちりと瞬いた後、零したのが上記の台詞である。
確かにそれはそうなのだけれど、その前にいろいろとクリアしなければならない問題があるわけで。
というか、怪物が会話可能と聞いて最初に言うことがそれでいいのか。
もっとこう、怯えるとか警戒するとか……相応の反応があると思うのだが。
「そうなの?」
「ええ、今までノアだけが依頼を受けていたのでしょう?」
「うん。ぼくが受けて、一緒にお仕事してたよ」
「これからはルーチェも依頼を受けられるようになりますよ。一緒に依頼のお話も聞けますし、今よりもっと楽しくお仕事できそうでしょう?」
「そっか、お話しながらお仕事できるね!」
俺の当惑は置き去りに、ノアとアンジェリカの間で話が弾んでいる。
どうやらアンジェリカは『歓迎派』のようだ。それどころか積極的に活用するものと思われている。
活用するわけがない。騒ぎになるのは目に見えているのだ。
俺がアンジェリカに相談したのはあくまでノアのため。ひいては、ノアを納得させるためだ。
俺が喋ることは誰の得にもならない。むしろ頭痛の種、或いは騒動の元である。
だからこそ俺は秘匿したかったし、本当ならノアにも明かすべきではなかった。……ただ、魔が差してしまっただけで。
話ができたら、というノアの望みに少しだけ共感してしまった。現状に不満も不便も感じなかったけれど、言葉で「会話」をしてみたくなった。……結局すぐに我に返って、苦し紛れにひねり出したのがこの"不慣れ"な演技だったのだけれど。
ともあれ、俺としてはこの件はあまりおおっぴらにすべきものではないと思っている。
常識がある人間なら、俺の意見に賛同してくれるはずだ。
そしてそれがアンジェリカであれば、いい感じにノアを諭してくれるのではないかと期待した。
具体的には「二人の時だけ」とか「孤児院内だけ」という制限、或いは秘匿するように促してくれるものと。
「先生は、困ったりしない?」
「困る?」
「ルーチェが言ってたの。お話できるってなったらまた困らせるかもって。ルーチェのお顔も隠そうってみんな言うし、困っちゃうのかなって」
「ああ……そうですね。ルーチェの顔は……その、あまりにも目立つので隠さないと困ったことになりそうですし……」
「じゃあ、ルーチェがお話できることも秘密?」
「……ルーチェ、貴方の声に魔力は含まれていますか?」
ややあって首を傾げたアンジェリカが、俺にそんなことを訊いてきた。
声に魔力とは?
心当たりどころか意味がわからずぽかんとしてしまう。魔物は声にまで魔力が含まれているのが常識なのだろうか。それとも……ああ、もしや咆哮のようなものか。
大型の魔物の咆哮には、まれに攻撃的な威力をもつものがある。実際に明確な魔法として発動しているものもあれば、魔力を叩きつけるだけのようなもの、恐怖心などの本能に働きかけるものもあった。
今の見た目はともかく、この身体は怪物だ。そうした能力がないとは言い切れない。
ただ昨日の段階でノアはけろりとしていたので、その可能性は低いと思うのだが。
「……魔力、ない」
少し悩んで、首を振った。
「……まあ、本当に話ができるのですね?」
「おぼえた」
頷きながらそう嘯く。
覚えたも何も最初から知っている。何しろ中身は元人間だ。
とはいえ今のところそれを誰にも伝える気はないので、学習中の怪物のフリをしている。俺はちょっと学習能力が高めなだけの怪物である。
「そういえばルーチェは文字も読めましたね。勉強熱心なのは良いことです」
うんうんと頷くアンジェリカは、おっとりと笑っている。
いや、暢気すぎないか。
次から次に問題を起こしている身で言うのも憚られるが、もっと警戒してくれてもいい。
人語を話す魔物なんて前代未聞もいいところなはずである。少なくとも、俺の常識にはない。怖がられたい訳ではないが、彼女の危機感が心配になってくる。ノアといい彼女といい、ここの人間はどうしてこうも色々と暢気なのか。
「声に関しては問題なさそうですね。……こちらもしばらくは様子をみましょうか」
「様子……」
「ええ、ルーチェはよい子なので心配はいらないと思いますが。皆さんの心の準備が……時間がかかるかもしれませんのでゆっくりと」
「……? うん」
よくわかってなさそうなノアが、頷いてから俺を仰ぐ。「どういう意味?」と如実に語りかけてくる目に、俺はなんと返したものか迷った。
俺がよい子うんぬんは置いておいて、常識的に受け入れられない人がいると言う話だ。むしろそちらが大多数だろう。従魔だからなんとなく置いてもらえているが、それでも魔物は魔物。次々と厄介ごとを持ち込んでくる魔物にいい顔をしようはずもない。
ノアの説明だけであっさり受け入れたアンジェリカのほうがおかしいのだ。
「私のほうから皆さんに伝えておきます。なのでまずは、ルーチェとのおしゃべりは孤児院内だけにしましょうね」
驚いてしまいますからね、と諭されて、ノアは再度頷く。
経緯はともかく、俺が期待した結果になったので胸をなで下ろしていると、アンジェリカの視線が俺を向いた。
「ルーチェも、それで問題ありませんか?」
慌てて俺も頷く。今後もなるべく言葉での反応は避けるつもりだった。ボロがでそうなので。
そんな俺を見遣って、アンジェリカが微笑んだ。
「冒険者ギルド含め、外部への連絡は暫く保留します。ここの皆さんにも固く口止めをしておきましょう。あなたが良いと思ったら教えて下さい。外部へ報告するときは私も口添えしますから」
あまりにも自然に言われて、束の間思考が止まった。
俺の意図に気付いて、意思を尊重するようなその口ぶり。
中身に気づいているのかと疑うくらい、アンジェリカの発言は異常だ。魔物、それもダンジョンの外に出てしまっている怪物だと知っているはずなのに。
思えば薬草図鑑を渡してきた当時から、彼女の反応はおかしかった。当然のように一人前に扱うし、こちらが相応に対応できるものと思っている節がある。
あと、そこまで俺を信用してしまっていいものだろうか。
もちろん俺の方から何か事を起こす気はないし、ノアの害になるようなこともする気はない。だがそれをアンジェリカが理解する機会はないはず。
ノアの後ろをついてまわり、子守りやら細々とした手伝いをした程度。むしろ俺の存在をはじめ、メランを拾ってきたことといい、孤児院に負担しかかけていない気がする。
もやもやしたが、それを彼女に直接尋ねるわけにもいかない。ちょっと学習能力が高いだけの怪物だから。
こうして、孤児院内限定でおしゃべりを解禁された俺だったが、顔布に関しては「ちゃんとしてくださいね」と念入りに釘を刺された。
喋るのは良くて顔を晒すのはダメらしい。どう考えても見た目より「喋る」インパクトのほうが大きいと思うのだが。解せない。
「メラン」
手の中をころりと転がる毛玉に、そっと呼びかける。
毛玉は転がるのをやめて、「みぃ!」と元気よく答えた。
その姿からはいつも通りの単純な喜怒哀楽しか感じない。様変わりしただろう俺に対する困惑も、警戒も感じられなかった。
メランにとっては俺は俺でしかないようだ。もしかしたら、俺のこともあんまりよくわかってないかもしれない。ノアには懐いているし、俺にもそれなりに懐いてくれているとは思うのだけれど。……判別ついてるといいなあ。
「ルーチェ! 俺も! 俺もだっこする!」
俺の袖を引っ張って主張しているのは、ユーグだ。
ユーグも出会った当初に比べれば背がのびた。ノアと同い年だからそんなものかと思っていたが、いまやユーグのほうがノアより背が高い。やんちゃな言動は相変わらずで、孤児院の子どもたちの中では一番子どもらしい子どもだ。
そんな彼も、俺の変化を気にしないひとりらしい。
俺の状態よりも手の中のメランに夢中だ。仕方ない。
今やメランは子どもたちの人気を独り占めしている。ちょっと犬っぽくはないものの、丸っこい身体で転がるように走り回る姿は愛らしいし、幼体特有の甲高い鳴き声も可愛い。多少仕様が変わっただけのデカイ泥人形より優先度が高いのも納得である。
背伸びしてまで主張するユーグに、そっとメランを手渡す。
メランはぽんと弾むような勢いでユーグの腕の中に収まった。ユーグの顔が文字通り輝く。
「次はわたしね~、ソフィアも抱っこするでしょ?」
「うーん、私は後でもいいかなあ。メラン走り回りたそうだし」
エルシーの言葉に、ソフィアが首を傾げて答える。
その手には魔術の教本。ノアが冒険者として活動するようになって以降、二人の成長はめざましかった。ノアの行動が彼女たちの刺激になったらしく、いつか冒険者登録をすると意気込んでいる。二人とも魔術士を志しているそう。
彼女たちもまた、俺の変化をさほど気にしていない。
顔布の下が変化していることには気付いているようだが、特に詮索はされなかった。俺がしゃべってみせても「ふうん」という感じで流される始末。反応が薄い。
唯一反応してくれたルッツも、「いつもと同じじゃない?」とエルシーに言われて「確かに……」と流されていた。同じじゃないと思う。
当初からあまり接点のない子どもたちは、相変わらず近寄ってもこない。そもそも俺の変化に気付いていなさそうである。
一方、顕著な反応を見せたのが修道女たち大人だ。
きちんと顔布をしていたのに、顔を合わせた瞬間に造形がバレた。一瞬硬直したあとの反応はそれぞれだったが、概ね悪いものではなかった。
劇物扱いだったので、この時代の人間には嫌悪される顔なのだろうかと少し落ち込んでいたのだが、そういう訳ではなかったらしい。そしてやはり「顔布は外さないように」と釘を刺された。
「別に意地悪で言ってるわけじゃねぇぞ」
同じように顔布をするよう忠告してきたローレン曰く。
「自分じゃわかんねぇだろうけど、お前の顔、絵画になっててもおかしくねぇから。むしろどっかに飾られてた宗教画を参考にしたとかじゃねぇよな?」
宗教画の題材になっているのは、聖書の一場面や神話、天使などが一般的だ。
当然ながら描かれているのは当時の基準での美男美女である。そして、そうした宗教画は領主などの有力者が所蔵しているか、大きめの教会に飾られている。辺境の村に住んでいた俺がお目にかかれる代物ではないため、知識として知ってはいるが実際に見たことはなかった。
ちなみにこの時代、もとい今の宗教の宗教画も見たことがない。隣の教会にある天使像が関の山である。
「わかるか? そんな顔ひっさげてうろうろされると、見てる方の気が散る。見なきゃいいとわかっててもつい見ちまう。仕事が進まねぇだろ」
散々な言われようだった。
自分では何度見ても「生前の俺」でしかないのだが、もしかして他人から見ると顔が違ってみえるのだろうか。その場合、異常が起きているのは俺の目なのだけれど。
「ま、お前は悪くない。要は俺らが慣れるまでちょっと手加減してくれってことだ。しばらくすりゃ慣れるだろうし、悪いが少しの間辛抱してくれ。あとこれは真面目な忠告なんだが、院の外では絶対に外すなよ。馬鹿どもが湧いてくるのは目に見えてるからな。余計なトラブルに巻き込まれたかねぇだろ」
ジークにも似たような忠告を受けたので、それには頷いておく。
そうでなくとも、目立っている自覚はあるのだ。何しろ不審者と子どものパーティーである。俺の劇物扱いの顔がそこに追加されれば、更に目立つこと請け合いだ。
目立っていいことは何もないので、隠すことに不満はない。辛抱というほど不便はないし、不都合があるならこのままでも構わないのだ。ただ、劇物扱いが不満なだけで。
仮にも人の顔なので……こう、言い方とか……。
ともかく、俺の姿の変化については、このように比較的穏やかに受け止められた。
ただ、肝心の俺の『声』については。
修道女たちは軒並み石化してしまったし、ローレンもまた目をかっびらいたまま動かなくなった。
やはり衝撃が過ぎたようだ。
まあ、逆の立場なら彼らの反応も納得である。これまで害獣として駆除していた魔物が、急に話し出したようなものだ。想像するだけで価値観と常識が崩壊しそうな気がする。
そう思うと、怖がられたり逃げられたりしなかっただけマシだった。いや、今頃恐怖は湧いているかもしれないが、少なくともあの場で目にしなくてよかった。
出会った当初ならともかく、それなりに過ごした今、彼女たちにガチで怯えられたらさすがに傷つく。
魔物の身体である以上、そういうことにも慣れないといけないのだろうけれど。
メランをかわるがわる抱っこしてはしゃぐ子どもたちを眺めつつ、そんなことを思う。
実は、どれもつい先ほどの出来事である。
修道女たちが自失している間にノアを抱えて畑に逃亡し、そこでローレンと遭遇して、更に彼を凍り付かせて今に至る。
今も視界の端に、頭を抱えているローレンが見えている。どうやら硬直は解けた様子。
「……ぜったい、土妖精じゃねぇ……」
消えそうな声でぼやいている。正解である。
「ローレン頭痛いのかなあ?」
「ノア」
不思議そうに首を傾げるノアへ、そっとしておくようにと目くばせする。
きっと色々な意味で頭が痛いんだろう。当初から俺の変化を大歓迎しているノアには、たぶんわからない類の頭痛だと思う。
「いやお前マジか。俺の幻聴とかじゃねぇよな。おいちょっと喋ってみろ」
街のごろつきかと問いたくなるような柄の悪さで、ローレンが話しかけてくる。その横柄な態度とは裏腹に、こちらに近寄ってくる足は重傷者のようにふらついていた。
「……ローレン」
「……おう。その声、どっから出てるんだ」
「ここ。喉」
「喉か……声帯とか……いや土だろ……どうなってんだ」
「知らない」
真実である。自分の身体だがまったくわからない。首を振って答えると、ローレンが微妙な顔をした。
「お前それあれか、顔がそんななったのと同じ理由か」
「……たぶん?」
ふわふわな問いかけだが、言いたいことはわかる。だが、答えはやはり俺にもわからないので首を傾げた。
「何があった……って聞いても俺にはわかんねぇか。まあいい、今更なこときくけど、お前こいつらのことどう認識してんだ」
こいつら、と示されたのは、メランとわちゃわちゃしている子どもたちである。
「こども」
なので見たままを答えたが、違ったらしい。首を振って言葉を探す素振りで顎をさすっている。
ああ、そうか。
ローレンは俺が魔物だと認識している。恐らく、本当に害がないのか確認したいのだろう。
「護衛。仕事。ノア守る。こども守る」
護衛だから子どももノアも守るよと言って、ふと考える。
仮定で考えた場合、対象は別に子どもたちだけではない。本来ならばノアだけ守れたらそれでいいし、孤児院にきたばかりの頃であればそう答えただろう。
けれど今は、余力があれば守りたいものは増えた。ノアの安全を確保した上でという注釈はつくけれど。
例えば、子どもたち。例えば修道女たち。孤児院や畑。修道院に教会。ジーク達や、冒険者として関わった人たち。そして。
「ローレンも、守る」
俺や子どもたちに世話を焼くこの口の悪い元兵士だって、簡単に損なわれてほしくないもののひとつではあるのだ。
俺の答えを聞いたローレンは暫しぽかんと口を開けて。
「……手加減しろっつっただろうが!」
何故か思い切り怒られた。解せぬ。
豪胆な院長とそうでない一般人たち。
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近況:なんか乙女ゲームもどきを作るのにハマってまして。……ようやく目処がついたのでこっちも頑張ります。




