36.声
ちょっと入院&療養してました★
ぼちぼち投稿再開しますので宜しくお願いします。
どうやら、俺の顔面は凶器になるらしい。
あのあと、スヴェンまで呼び出される事態となり、最終的に「顔をさらすのは禁止」という結論になった。混乱が予想されるとのこと。
孤児院ではいいでしょ? となぜかノアが食い下がっていたが、俺のためなのだと思いたい。アンジェリカが悩んだ末に「少しずつ……様子を見ながら……」と渋い返事をしていた。
俺の顔が劇物扱い。
そこまで酷いモノだろうか、と顔に触れる。
感触はすっかり人肌と変わらない。服の下もすべてあらためてみたが、どこもかしこも人らしくなっていた。正確には、生前の俺そのままだった。
筋肉も骨もないはずなのに、皮膚の下にそれらがあるように見える不思議。
単に外見だけかと思いきや、動作もまた生前の頃の感覚に近くなっていた。歩く速度も、身体の重さも覚えのあるもの。指先は思いのままに動き、衣服のボタンも簡単に留められる。
ヒトの身体に戻ったのではと錯覚しそうなほどだ。加えて、かつて悩まされた体調不良も存在しないので、いっそ快適ですらある。
「どうしたの?」
俺が顔をぺたぺたと触っていることに気付いてか、ノアが尋ねてきた。
なんでもないと首を振り、視界を遮るフードにふと動きを止めた。
俺の恰好は以前と同じフード付きのローブだ。ダンジョンでの一件で何もかも駄目にしてしまったので、今着ているそれらは新調してもらったものである。
ローブはただの布ではなく、様々な魔術的な防御が付いた冒険者仕様の『防具』となっている。防刃・防水の加工もされているため、木の枝でひっかけて破れる、なんてこともないらしい。
そんなやや高価な品であるため、今回もアンジェリカに出資してもらった。さすがにノアの『お小遣い』やこれまでの報酬額では賄いきれなかった。主人より良い装備の従魔とは。
だが、外見上はこれまでと大差ない。
以前よりやや濃い色のローブに、顔布で顔を隠した不審者丸出しの恰好だ。
劇物扱いの俺の顔を隠すためにギルマスは仮面を検討しているという話だし、今後は一層不審者感が増すのではないかと思っている。拒否権はたぶんない。
不審者度が加速しようとも隠蔽を優先される俺の顔だが、一方でノアにはなんの影響もないようだった。
周囲がおかしな挙動をする横で、ノアはそれをおかしそうに眺めているだけである。
ただやはり、姿が変わったことは気になるらしく、こちらを見上げる頻度は上がった。俺の顔を「綺麗」と評するあたりはどうかなと思わなくもないが、精神に異常をきたしているというわけではないので、聞き流している。
孤児院の、ノアに与えられた個室。
これまでは、ノアと二人きりであってもフードを下ろしていた。
要望があれば外すけれど、大抵はフードのまま。これといって意味があったわけではなく、単純に気にしていなかった。
だがかつてのように身軽に動けるようになると、途端に視界を遮るフードが邪魔に思えてくる。
今くらいは外してしまってもいいのではなかろうか。
ちょっとお高いローブが普段使いで傷むのも忍びない。脱いで椅子にでも掛けておくべきでは。
「ぼく、ルーチェのお顔好きだから……」
色々と言い訳を並べつつノアに伺いを立てたら「外していい」という主旨の言葉が返ってきた。
主人もそう言ってるし……といそいそとローブを脱ぐ。
勿論、ローブの下にもきちんと服を着ている。首元まで覆うシャツとパンツ。どちらもローブと一緒に新調したものであり、市井で出回る一般的な衣服である。こちらも耐久性の優れた『防具』仕様のものがあるらしいが、さすがにそこまでしてもらうわけにはいかないのでごく普通の布製だ。
室内にひっそりとおかれている椅子に、なるべく伸ばしてローブを掛けておく。
「メラン、もう寝ちゃった?」
ベッドから身を乗り出したノアが、俺の足元をみながらきいてくる。
ひとり用の小さな机、傍らに置かれた椅子。その足元に、小さな籠があった。木の蔓で編んだ籠は内側に幾重にも布が敷かれ、その真ん中に黒っぽい毛玉が転がっている。
毛玉はゆっくりと上下に膨らみ、どうやら寝入っているらしいことが窺えた。
白氷狼の子どもであるメランは、長くは生きられないと言われていた。だがスヴェンの見立てによる寿命を過ぎた今もなお、相変わらず元気に過ごしている。
その原因は、俺が分け与えている魔力だ。魔物は魔力によって生命を維持できると聞いたので、俺の魔力でも問題ないのかと試してみているところである。
あくまで維持でしかないため、いくら魔力を与えたところで「成長」には繋がらないらしい。
俺の魔力で繋いでいるうちに、メラン自身が餌を摂れるようにならないかなという希望的観測に基づいている。
まあ、メランは手のひらに収まる程度の子どもなので、魔力を分けるといっても大した量でもない。まだ地面を操作する時のほうが魔力を使っている気がする。
なので俺としては、ちょっと「植木に水を遣る」ような感覚だったのだが。
話を聞いたスヴェンが絶句していたから、やはり「魔力を分ける」という行為は一般的ではないらしい。
あまり面倒なことになりそうなら辞めるしかないかと思っていたが、スヴェンからは特に咎められなかった。魔力だけでは成長できないとわかっていたからか、それとも別の理由があったからか。
ともかく、メランは今後も孤児院、もといノアが面倒を見ることが決まった。
他の子どもたちも気に掛けていたようだったから、現状維持ではあるが、まあまあ良い結果になったのではなかろうか。
「じゃあぼくたちも寝たほうがいいね」
寝てる、と伝えたら、ノアは納得したように頷く。
窓の外には既に夜が来ている。室内の光源は空に浮かぶ月だけで、人の目では読書もままならないだろう。
ごそごそとベッドに潜り込むノアへ、毛布を掛けてやる。
毛布の下から俺を見上げたノアが、ふと問いかけてきた。
「ルーチェのお口はふたつあるんだね」
頭部の口を見ながらの言葉に、俺は首を振る。頭部はただの飾りだ。本物は胸に隠してあるほうである。
「でもここのお口……歯も舌もあるよね?」
ノアの指摘に頷く。
そうなのだ。謎の形態変化によって、飾りでしかない頭部もそれらしく作り込まれたらしい。
後から鏡で確認したが、ただの洞だった口には歯も舌も、なんなら喉まで備えたものになっていた。
喉の奥がどうなっているかはわからないが、案外飲食も普通にできそうな気がしている。
「あした、ご飯一緒にたべる?」
俺の答えを受けて、ノアが少しわくわくしたように言った。
さすがにそれは遠慮したい。孤児院の食糧事情はそうでなくても厳しいのだ。特に食事の必要がない怪物が気まぐれに消費していいものではない。
食べる必要がないから、と断る俺にノアが手を伸ばす。小さな指が伸びるのは頭部にある飾りの口。
ふに、と唇にノアの指が埋まる。
唇から感じるノアの指の温度も感触も、以前より格段にリアルだ。人間だった頃とまったく変わらないそれに、ついまだ「生きて」いるのではないかと錯覚してしまう。
「えい」
悪戯っぽい声とともに指が突き出された。
口に指をつっこまれるのは二度目だ。さすがに今回は予測できていたので、実際に突っ込まれる前に軽く顔を逸らして回避した。
「あ、失敗しちゃった。……えと、お口のなか見せて?」
見せてと言っているが、その目的はわかりきっている。どうしてこう、この子どもは口の中に指を突っ込みたがるのか。子どもは好奇心旺盛なものだが、その好奇心を怪物相手に発揮しないで欲しい。
口を閉じて言外に拒絶すると、ノアは唇を尖らせた。
「だめ? 指入れないよ? みるだけ」
あまりに食い下がるので、一体何をそんなに確認したいのかと気になってくる。
怪訝に思って首を傾げたら、ノアの視線がきょろりと泳ぐ。眉を下げて、ぼそぼそと理由を口にした。
「ぼくとおんなじかなって……ルーチェとおしゃべりしたいの」
おしゃべり。
つまりは、俺の喉の構造が人と同じかどうか確認したかったらしい。同じであればきっと声も出せるに違いないと考えたようだ。
そして声さえでれば、俺と普通に会話ができるとノアは信じている。
俺としては今のままでも特に不便はない。なんとなく意思疎通ができているのだし。
そう思いつつ、俺は小さく口を開ける。
軽く空気を吸って、吐く。
どこに空気が送り込まれているのかはさっぱりわからないが、ひとまず空気が通る空間は確保されているようだ。
「ルーチェ? もうちょっとお口開けて?」
見えないよ、と少しだけ身体を起こしかけているノアが言ってくる。生憎、ノアに見せるために開けているわけではない。
すぅ、と「息」を吸って。
「ノア」
囁くように音を吐いた。
若葉色の瞳が、満月のように丸くなる。
「っルーチェ? いま」
勢い良く起き上がったノアが、ぶつかりかけるのもおかまいなしに俺に詰め寄ってきた。
らんらんと輝く目には睡魔の気配はない。眠気は明後日の方向に飛んでいったらしい。いや、そもそも眠そうでもなかったか。
「ね、ルーチェ、もういっかい! もういっかい!」
腕をつかんで強請られたので、再度呼びかけるだけの音を繰り返す。
「ぼくの名前! すごい、ルーチェ、すごいよ!」
名前を呼んだだけでノアは大興奮だ。手放しで賞賛してくれる。
これくらいでと思うなかれ。魔物とは会話できないのが「常識」だ。おそらく、怪物についても同様の認識だろう。人の名前を呼びかけるなんて事態は、通常起こりえない。
なので、ノアのこの反応はまだ柔軟な部類だと思われた。
試しに出してみた音がきちんと「声」になっているようだし、この様子なら普通に会話もできそうなのだけれど、そうなったらノアはどんな反応をするだろうか。
きゃっきゃとはしゃぐノアを見下ろして、少し考える。
ノアはたぶん喜ぶ。むしろ会話できると思い込んでいる節のあるノアならば、喜ぶ以外の反応はないかもしれない。これでお話できるね! とはしゃぐ姿が易々と想像出来た。
ただ、ノア以外の人間はそうはいかない。
歓迎されるより、不気味、或いは危険だと恐れられる可能性の方が高そうだ。
やはり、話せることは秘密にしておいたほうがいい。俺の中身が人であることも含めて。
となると、賢くはあるものの圧倒的に「秘密」に向かなさそうなノアにも、隠しておいたほうが無難な気がしてくるのだが。
「もっかい呼んで! そうだ、名前言って! ルーチェ、だよ! ルーチェの名前!」
名前を呼べ、ついでに自分の名前も言え、と腕を掴んだノアがせがんでくる。
ちょっと色々考えているところなので待ってほしい。
あと、単純に声が大きい。
ノアへと与えられた部屋は倉庫などの空き部屋が多い別棟にあり、修道院からも孤児院からも物理的に離れている。多少騒いだところで、修道女たちや子どもたちに聞かれるとは思えないが、同じ棟に寝泊りしているローレンには聞こえてしまう。
というか、ローレンは確か隣の部屋だとか言っていなかっただろうか。
「ねえルーチェ! ルーチェってば……」
「静かに」
興奮が振り切れたノアの声が高くなってきたので、さすがに注意する。これまでならば手で口をふさぐくらいの対応しかできなかったが、声が出るなら話は別だ。
手加減に慣れてはきたとはいえ、子どもの柔らかな身体に触れるのは気を遣う。
「メラン、起きる」
「……メラン」
ぽかんと目と口を開けて固まったノアが、メランの名にはっとしたように瞬いた。そのまま慌てて椅子を振り向き、安堵の息をつく。足元の籠に転がっている黒い毛玉に変化はない。寝入っているようだ。
「夜。ノア、寝る」
月が輝く窓の外を示し、寝るように促す。色々試したい気持ちはわかるけれど、6歳児は寝る時間である。
「でも……ルーチェともっとお話したい……」
口を尖らせてそんな主張をするノア。
俺のこのたどたどしい話し方でも「お話」に含まれるらしい。そもそも普段から意思疎通ができているのに今更な気もするのだが。
ちなみに、このぶつ切りの話し方はわざとである。かつてのように普通に話すこともおそらくは可能だが、さすがに非常識すぎると思い直した。
俺はそもそも泥人形なのだ。
自分でも『見た』からわかる。今の外見は違うとはいえ、あの、どうみても化け物にしか見えない泥の塊が、『喋る』という異常事態。
うめき声が出ても驚きはしないだろうが、つるつると流暢な人語が出てきたら耳を疑う。騙されているか、悪い夢をみてるかと混乱するだろう。
このたどたどしい口調でも十分非常識な自覚はあるけれど、まだマシではなかろうか。
「ノア、秘密」
「ひみつ?」
「話せる……困る」
この姿だけで、ギルマスを交えての騒ぎになった。更に喋れると知られたらどうなるか。俺が処分を免れたとしても、彼らの頭痛の種が増えるのは間違いない。
つらつらと説明するわけにもいかないので、どう伝えたものかと悩みながら単語を並べていく。
幸い、ノア相手ならば大抵のことは口にださずとも伝わる。
例に漏れず、俺の意図することを正確に理解したノアは、眉を下げた。
「みんな困るかなあ……でも……おしゃべりしたい」
「ふたり、だけ」
ならば二人の時だけ、こうして会話するのはどうだろう。
そう持ちかけてみたが、ノアの反応は相変わらずはかばかしくない。
既にノアはたくさんの隠し事を抱えている。主に俺の『設定』のせいで。だから尚のこと、いっそノアにも「話せない」態でいこうかと悩んだのだが。
……まあ、結局はこうして話してしまったのだから、今更考えても仕方ない。
そこで、ひとまず問題を先送りすることにした。
ノアと話し合って、この件はアンジェリカに相談するということで纏まった。
ノアの周りにいる人間は、大抵が信用に足る者たちだ。
ギルマスしかり、ジークたちしかり。
けれど、その中で最も「ノアのため」になりそうなのはアンジェリカだった。
なにしろ彼女は、ノアの保護者的な立ち位置の人物だ。ノアは孤児であり、彼女の所属する教会が保護している子どもでもある。他の人間たちよりもノアを良く知り、多少の情もあるはず。
俺を危険と判断しても、最終的にノアだけは無事に守ってくれると思う。
ともあれ、アンジェリカの反応を基準に、周囲の人間に伝えるかどうかを判断するしかない。
或いはアンジェリカにそのあたりの判断を委ねてしまうか。アンジェリカが好感触であることが前提だが、そのほうが楽な気がしてきた。
「ね、あのね、お願いがあるの」
すっかり目が冴えてしまったらしいノアが、袖を引いてきた。
何だろうと首を傾げると、ノアはベッドから下りて、忍び足で机へと歩いて行く。
そして、色々なものが雑多に置かれた机の上から、一冊の絵本を取り出してきた。
内容は確か、聖書と同じだったような。
「……読んで?」
本で顔を隠すようにして、ちらりと隙間から視線を寄越す。
ノアは文字が読める。魔術の教本を読めるのだから、それこそ絵本にあるような文字や単語ならなんの問題もないはずである。
だからこれは、いわゆる『読み聞かせ』をしてほしい、ということだろう。
「読む、遅い」
「いいの。ゆっくり……ええと、練習? にもなるし……」
視線を彷徨わせたノアが、もごもごと言いつのる。
俺が文字が読めることも知っているので、朗読は問題ないと思ったようだ。
まあ、この話し方も不慣れさを装っているだけなので、別に難しくはないのだが。
むしろ難しいのは、たどたどしく朗読するほうである。
「…………」
手を伸ばし、本を受け取った。
不慣れな演技は、従魔契約で繋がっているノアにはいずれバレるだろう。それはそれで構わない。
少しずつ口調を改めて、『学習』しているように周囲に印象づけられたらそれでいいのだ。
そのうち、この劇物扱いの顔も含めて周囲が俺に慣れてくれるかもしれない。
「……だめ?」
窺うようなノアの頭を軽く混ぜて、ベッドに入るよう促す。
「――むかし、むか、し。とある、国に、」
それまでは、『学習途上の怪物』として頑張るとしよう。
ルーチェ、ようやく喋るの巻。
いつもご感想や評価をありがとうございます。
いただいた感想で色々な気づきを得られるので大変有り難いです。なにより作者のモチベーションに直結しているので、感想や絵文字?を頂く度にわっしょい(?)しています。
今後とも是非色々なご意見・ご感想を聞かせて下さい。尻尾フリフリ待ってます。▽・w・▽