33.泥人形の口
帰り道は行きよりも進みが早い。
俺がノアを抱えて移動していることも理由だが、ジークたちも明らかに急ぎ足だ。
「周囲を警戒しつつ進む」というより「モンスターをなぎ倒して進む」という勢いである。ダンジョンの中を迷いもせずに駆けている。
「腹減ったー。がっつり食いてぇ」
「串焼き食べたい」
「冷たい飲み物もいいですね~」
主に食欲が動機のようだが。
急ぐなら俺も参戦しようかとノアを介して提案したものの、あっさり却下されてしまった。
ノアの守りに専念しろと言われれば、頷くほかない。それに今は人目がないからいいとしても、上層に近づけば他の冒険者と鉢合わせる可能性もゼロではないのだ。目撃された時のリスクを思えば、大人しくノアの足に徹したほうが良いのは間違いない。
そんなわけで、ばっさばっさとモンスターを倒していく彼らの最後尾をノアを抱えて追いかけている。時折、彼らの守りを抜けてくるモンスターもいるのだが、動きも遅いので難なく避けられている。両手が塞がり、足も木の根も使えないので仕方がない。
最初のうちはノアも魔法で対処してくれていたのだが、照準が危ういので自重してもらった。うっかり頭を吹き飛ばされたら再生が面倒なので。
「あ」
不意に、思いもしない角度から土竜鼠が飛んできた。
襲いかかってきたわけではなく、ジークたちに蹴散らされた一部が弾みで飛んできたものらしい。つまりは完全に事故。
避けるにも迎撃するにも微妙な位置。どうする、と思う間もなく、咄嗟に本能が反応した。
飛び込んできたソレがノアに触れるより早く、長く伸びた舌が宙で土竜鼠を絡め取った。
そして捕えた土竜鼠ごと『口』の中へと仕舞い込まれる。
「……? いまの」
ぽかんとしたノアが俺をまじまじとみる。
視線の先は、無惨に裂けたローブの胸元。ひとの肌とはかけ離れた土色の胸が露わになっている。そして今まさにゆっくりと閉じようとしている巨大な『口』も。
いわずと知れた、俺の本当の『口』である。
木の根などの攻撃手段を封じた結果、泥人形のもつ最も本能的な攻撃が発動したらしい。『捕食』というやつだ。
「おくち……?」
ノアが尋ねてくるので、肯定しておく。
怖がるだろうかとちらりと脳裏を過ぎったが、ノアは更に身を乗り出して『口』をじっくりと観察していた。杞憂だったらしい。
混乱したり暴れたりする様子もないので、ノアのことはひとまず置いてジークたちの後を追う。
前を行くジークたちは一連のやりとりに気付いた素振りもない。
まあ最大限警戒しつつ襲撃にも対処してるのだから、俺たちの会話に気を配る余裕などないだろう。ノアも静かなものだし。
「あーやっとついた!」
「休憩しよ休憩! もうへとへと!」
「ちょっと座りたいです~」
見慣れた『安全地帯』に到着するや否や、三人がへなへなと座り込んだ。
セーフティエリアに近づく頃には襲撃もなくなっていたが、ずっと緊張しっぱなしだったのだ。疲労もたまろうというもの。
三人が思い思いに寛ぎだしたところで、俺もノアを地面に下ろす。
大人しく地面に足を付けたノアは、俺の腕を掴んだまま首を傾げた。
「ルーチェ、大丈夫? ぺってしなくてもいいの?」
どうやら、土竜鼠を食ってしまった俺を心配しているようだ。吐き出さないのかと問われ、吐き出そうにもたぶん既に消滅しているだろう獲物を思う。
土竜鼠を捕えた時の感覚はきちんとあったものの、『口』のなかに放り込んだ途端に感覚はほぼ消えた。どこに土竜鼠がいるのか、どうなっているのかもわからなかった。噛んだ感じはしなかったのでほぼ丸呑みだろう。腹の中、といっても胃があるのかは不明だが、そこになんの違和感もないし、獲物が「存在しない」のは間違いない。
ちなみに味はしなかった。痛覚同様、味覚も鈍いのかも知れない。例えきちんと機能していたとしても、鼠の味なんて知りたくもないので深く考えないようにしている。
なので「モンスターは身体が残らないから」と結果だけを伝えた。
ノアは頷いて、俺の腹あたりを撫でていた。いやだからそこにはもう何もないんだって。
「なんだ? ルーチェがどうかしたのか?」
見咎めたジークが、水分補給をしながらノアに問いかける。
「さっき、土竜鼠をたべちゃったから大丈夫かなって思ってたんだけど……大丈夫なんだって」
ノアの答えに、束の間三人が固まった。
「あー……そっか、ルーチェは泥人形だったな……」
「そういえばそうだったわね。うっかりしてたわ……」
「”捕食”ってやつですね~泥人形の基本的な攻撃です~」
「きほんてき?」
「そうだ。言ったろ、泥人形は力が強くて、捕まったらそのままパクリと食べられちまうって」
ぱち、と瞬いたノアが俺を見上げる。
その緑の瞳に、怯えの色は見られない。むしろきらきらと好奇心に目を輝かせている。
あの説明をきいて、なぜそんな目ができるのか不思議でならない。怖がられるよりはいいのだけれど、危機感がちゃんと搭載されているのか不安になる。
「ルーチェ、おくちみせて!」
俺の両腕を掴んで、はやくはやくと強請るノアに、ジークたちがドン引きしている。
俺も内心引き気味である。楽しそうなものには思えないのだが。
仕方なく、ノアの目線に合わせて膝を折り、無残に裂けてしまったローブをさらに開いて見せた。当然ながらローブの下に着ていた服も残念なことになってしまっている。
今は『口』を閉じた状態なので、胸元を一筋の傷が横切っているようにしかみえないだろう。
案の定不思議そうな顔になったノアに、ゆっくりと『口』を開いて見せる。
ひとのそれと同じように、歯が並び、舌が覗く。
人と違うのは、並んだ歯が尖っていることと、舌が異様に長く伸びること。
「わぁ、大きいね! ぼくのあたまが入っちゃいそう!」
洒落にならない感想を無邪気に言うノアに、ありもしない頭痛を覚えた。
それは俺だけではなかったようで「アレをみながら言うことがそれかよ……」と脱力しきったジークの呟きが聞こえる。全く同意見である。
「ねぇ、こっちのおくちはどうなってるの?」
こっち、と示されたのは頭部にある飾りの口である。どうもこうも、口にみせかけたただの穴なのだが、気になる様子なので覆っていた薄い布を外した。
唇を模したあたりを小さな指がむにりと押す。素材が土なので肉の柔らかさはない。土の山に指を突っ込む感触に近いはずだ。
ご要望に従い、頭部の口を小さく開けてみせる。
伸びあがってじっくりと観察したノアは、「からっぽ……」と少し残念そうに零し、ふたたび胸部の『口』の観察に戻っていった。
まあ歯もなければ舌もなく、ついでに奥行きもほとんどないので見ごたえはないだろう。
とはいえ、胸部の『口』も別に面白いものでもないとは思うのだが。胸部にある点は珍しいとは思うが、あとは普通の生き物の構造と変わらないはずだ。
今にも頭を突っ込みそうな距離で、並んだ歯や舌、真っ暗な闇しかないだろう口の奥を興味津々で覗き込んでいる。
「うーん、心臓に悪い光景。ていうかノア、なんであんなに楽しそうなの」
「まあ滅多に見られない姿ではありますし~」
「むしろ一生見なくていいやつよ、アレは」
「必死の抵抗している時にみるやつか、死ぬ直前にみるやつだよな」
少なくともセーフティエリアで寛ぎながら見るものじゃねぇ、とジークがぼやく。
「……でもさ、こうしてみると、泥人形ってよくわかんない怪物よね」
「モンスターはたいていわけわかんねぇだろ」
「それはそうなんだけど。泥人形ってぜんぶ泥……っていうか土じゃん? なのにさ、あんな人間みたいな口があるの不思議じゃない? 歯とか舌とか、土っぽさ全然ないし」
「そういえばそうですね~歯も真っ白できれいです~」
「ね、ゴードンよりきれいな歯してるなって」
「ふぐっ、……ゴードン引き合いに出すのやめてやれよ」
思わずといった様子でジークが噴き出す。ゴードンとやらすごい言われようだな。
そして俺の歯、そんな状態なのか。わざわざ目を移動してまでじっくり見ていないからわからなかった。
「えい」
ジークたちの会話に気を逸らし、ノアに好きなようにさせていたら、いきなりノアが手を突っ込んできた。
俺の『口』に。
反射で閉じかけた『口』を、慌てて開ける。
「ちょ! 何やってんだ!」
ジークが叫んですっ飛んでくる。ノアの脇に手を入れ、俺の前から強制的に引き離した。
「無事か!? 手は!?」
ちゃんとあるのかと泡を食って確認するジークに、ノアはきょとんと目を丸くしている。
「あるよ? どうしたの?」
「……っ、どうしたもこうしたも! 口に手を突っ込むなんて何考えてるんだ!」
ジークの叫びに全面同意である。驚きすぎて固まってしまっていたが、俺に声が搭載されていたら間違いなくジークと同じことを叫んでいた。
「おくちの中、どうなってるのかなって……そっか、ルーチェがびっくりしちゃうよね」
そうじゃない。いや確かにびっくりしたけれど、そういうことじゃない。
ジークも「頭痛が痛い」みたいな顔をして、違う、違うぞと首を振っている。
「あー……いやまあ、ともかく怪我はねぇな?」
「ないよ。ちょっと歯があたったけど痛くなかった」
ノアの申告にぞっとする。
俺には何かに触れた感触はなかったし、当然ながら噛んだ感触もない。恐らく、ほんとうに軽く触れただけなのだ。そう思いたい。あのやわらかな子どもの腕を危うく噛むところだったなんて思いたくもなかった。
もし突っ込んできたのが頭だったら――と、さらに洒落にならないことを想像しかけて慌てて思考を止めた。
やめよう、怖すぎる。俺は人間なんて食いたくないし、食う予定も全くない。味覚が怪しいとはいえ、事故であっても「味」なんて知りたくないのだ。
ひっそり肝を冷やしている俺を余所に、ノアは俺の口に突っ込んできた腕をジークに見せて「あ、ちょっと赤くなってる~」と笑っている。笑い事じゃないんだが?
同じく笑い事にできないジークが顔色を悪くして、ノアの腕を検分していた。ここから見る限り、出血はしていないようだが、実際はどうなのか。
ハラハラしながら見ていると、俺の視線に気付いたのかノアがこちらを見遣った。
そして、ぽかんと口を開ける。
「……ルーチェ?」
零れんばかりの緑の目。呼びかけた声には疑問符がついている。
その反応の意味がわからず、首を傾げた。
どうしたのか。むしろ尋ねたいのはこちらのほうなのだが。腕の具合とか危機感の有無とか、今後のためにもやらかしそうな案件を確認しておきたいところ。
「ノア? どうした、何見て、」
不自然に硬直したノアに気付いて、ジークがその視線の先を追う。
そして、ぼかんと口を開けた。
お前もか。
二人揃ってその反応ということは、俺か俺の背後に問題が発生しているということだろう。とはいえここはセーフティエリア、モンスターが背後にいたとして攻撃を受ける心配はないし、そもそも俺の感覚に危険なものはひっかかっていない。
つまりこれは、俺に何か不具合が発生しているということか。
す、視線を落して自らの胸元を確認するが、そこには力を抜いた半開きの『口』があるだけだ。こうしてみると確かに人間のそれのような白い歯が並んでいて、泥人形に「骨」はあるのだろうかとどうでもいいことに思考が逸れる。
ひとまず破れたローブの前を合わせ、『口』をしまっておく。
それから再度ノアに視線を戻すが、まだ二人とも固まったままだ。
ほんとうにどうしたのだろう。
もしかして、元の泥人形の姿に戻っているのだろうか。あの、顔のない歪な化け物に。
『目』はちゃんと頭部についていると思っているのだが、正直あまり自信はない。
今の姿になったのだって、自分で意識してあれこれ配置した訳ではないのだ。
無理なく維持できているからそのままにしていただけで、一度崩してしまったら次にどんな姿になるかは自分でもわからなかった。
鏡があれば確認するのだが、鏡なんて持ち歩いていないし、代わりになるようなものもない。
人の擬態が崩れているならきちんと指摘してほしいのだが。
「ルーチェ、お顔」
やっぱり崩れてるのか。
ノアの言葉にどうしたものかと眉根を寄せて。
「きれい!」
続く言葉に、今度は俺がぽかんとすることになった。
ルーチェが第三形態(?)になったようです。容姿は次話にて。
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お手数をおかけしますが、作者のメンタル救済&モチベーション維持のためによろしくお願いします。
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