31.メラン
黒い毛玉は孤児院で飼うことになった。
もちろん最初は難色を示された。子どもたちへの食事が既にギリギリの状況なのだから、ペットに割く余裕はない。怪我が治り次第、元いた場所に戻すようにと言われたノアは、気落ちした様子で餌やりや寝床などの世話を手伝っていた。
毛玉の怪我は火傷と擦り傷で、本来ならば手当などしなくても自然治癒するような軽微なものだ。それをわざわざ「怪我が治るまで」としたあたりがアンジェリカなりの譲歩なのだろう。
事情が変わったのは、連れ帰った翌々日のこと。
毛玉が何も食べないのだ。怪我を感じさせない勢いで元気な様子なのだが、拾ってきた日から何も口にしていないという。
牛や山羊の乳、細切れの肉などを与えても見向きもしない。それどころか水すらも拒絶する。
さすがにおかしいという話になったところで、ローレンがぽつりと零した。
『アレ、本当に犬か?』
犬ってあんなに丸いか? と、至極真っ当な疑問を呈した。
走るというよりは転がっていると表現したほうが正しい、丸すぎる外見。
あくまで長すぎる体毛のせいだとはわかっているのだが、それにしても普通の「犬」とは違いすぎる。2000年も経てば知らない犬種くらい増えていてもおかしくないかと納得していたが、やはり違ったらしい。
そこから冒険者ギルドをはじめ、いくつかの伝手から確認した結果、毛玉の正体が判明した。
『白氷狼』の黒変種。
白い体毛が基本である白氷狼に、ごく稀に生まれる異常個体なのだという。
魔物の異常個体は通常、極端に「強い」か「弱い」かに分かれる。そして、圧倒的に「弱い」個体の方が多い。特に肉体的な欠陥を抱えている場合は短命であり、生まれてすぐに排除されることもあるのだとか。白氷狼もその例にもれず、異常個体は親に噛み殺される、或いは捨てられる例が殆どらしい。
この毛玉もまた、そうして捨てられた個体だと断定された。
ちなみに、魔物は必ずしも食事が必要ではないらしい。経口で食事をしたほうが成長が早く、肉体的にも強くなるが、生命維持だけならば自らの魔力や大気に漂う魔力で補えるようだ。
我が身を振り返ってみれば、確かに俺も飲まず食わずである。
『生きていない』なんて話を聞いていたからそういうものだと思っていたが、もしかしなくても俺も魔力を主な動力源にしているのかもしれない。
ただ、俺のような怪物や成長した個体とは違い、毛玉はまだ幼い。
わざわざ様子を見に来たスヴェンいわく「保有している魔力が非常に少ない」そうだ。このまま餌を食べられなければ、成長はおろか生存すら危ういらしい。
何も口にしないのは親に食べることを教えられていないか、もしくはそういった欠陥のある個体なのかもしれない、とも言っていた。
現状、もってあと一週間。
保有魔力も少なく、周囲から魔力を吸収する術を「知らない」幼体であるため、そのくらいが生存の限界だという話だった。
白氷狼は、本来ならば討伐対象の危険な魔物である。
この毛玉が無事に成体となればそれなりの脅威となるが、その可能性は限りなく低い。あと一週間程度しか生きられない子どもをわざわざ殺さずとも、という結論になった。
毛玉がぱっと見、白氷狼に見えないことも幸いした。
魔物であることが周囲に露見せず、且つ大人しい「子犬」のままならば、飼育を黙認しようということになった。
万一のことを考え、ノアには毛玉が犬ではなく白氷狼であることは伝えられた。修道女たちはノアが怖がるかもしれないなどと言っていたが、泥人形を友達といって憚らない子どもがその程度で揺らぐはずもない。
案の定、飼育許可が下りたことにノアは大喜びだった。
ただ、さすがに死期が近いことは伝えられなかった。「ちゃんと世話をする」という条件で許可が下りたとノアは思っている。
俺もしっかり口止めされた。ただ、俺の思考はところどころノアに漏れているので、だんまりを貫き通せる自信はない。
そうして、黒い毛玉は『メラン』と名付けられた。
「みぃ!」
事情を知る周囲から哀れまれているとは欠片も気付いていなさそうなメランは、相変わらず何も口にしないまま元気に過ごしている。
「しかし本当に毛玉にしかみえねぇな……」
「顔とか全然見えないもんね。白氷狼って子どもの頃はあんななのかあ」
「ころころしてますね~」
なんかそういう妖精みたいです、とエレンが笑う。
スヴェンから暫定の余命宣告を受けて、既に5日が経過していた。『炎の剣』は念のための監視要員として、毎日孤児院を訪れている。
ノアは、急に訪問頻度があがった彼らに首をかしげていたが、「犬が好きで! 子犬かわいいよな!」とやや無理のあるジークの説明にあっさり誤魔化されていた。ご機嫌なノアに「メラン、抱っこしてみる?」と促されたジークはひきつった顔で固辞していたが。
年齢の割に小柄なノアならば「抱っこ」になるかもしれないが、普通の大人が「抱っこ」するにはやや不安になる大きさなので気持ちはわからなくもない。なにしろ大人の手のひらに収まる大きさである。潰しそう。
「白氷狼の面影ってぜんぜんないわね。大人はこう……狼って感じで普通に怖かったもの」
「遠目で見ただけですけれどちょっと戦いたくないですよね~」
三人の会話に、ふと先日の魔物討伐のことを思い出した。
そういえば彼らは例の討伐に参加したのだったか。どうだったんだろう、と少し首を傾げたら、ジークが「俺らは今回後方支援だったんだよ」と答えをくれた。
「Cランクが結構参加しててさ。白氷狼はCランク対象の魔物だからもうそれだけで戦力十分って感じで。余った俺らは適当に他の魔物と戦ってたわけ」
俺も白氷狼とは戦いたくなかったからちょうどよかったけど、とジーク。
ダンジョンほどではないがそこそこに稼げたらしく、暫くはゆっくりしようという話になっていたところに今回の依頼が来たらしい。貴重な休暇の機会を奪ってしまったようで申し訳ない。
まあメランが白氷狼であることも寿命が短いことも、更には結局飼うことになってしまったことも、俺のせいではないのだが。ただ最初にメランを見つけてしまったのは俺なので、少しだけ責任を感じている。
「いや、遊んでるわけにもいかねぇし、このくらいの依頼ならむしろ助かるっていうか」
「指名で依頼がくるなんて有り難い話よね」
「ある意味、いい息抜きです~」
機嫌良く笑う三人に安堵する。酒場で散財するより孤児院の庭で駄弁っているほうがまだ建設的、らしい。
ちなみに、監視目的の彼らのために『奥の庭』には簡素な長椅子がひとつ置かれている。
大所帯だった頃に食堂で使っていた備品であり、『炎の剣』が訪れるようになってから配置されたものだ。
彼らはその椅子を使っているが、俺は今のところ一度も利用していない。禁止されているわけではなく、単純に土に触れている面積が多い方が何かとやりやすいからだ。
なので俺は彼らを仰ぐ形で地べたに直に座っている。そしてそんな俺の周囲には、魔術を練習中の三人の子どもと、魔術には興味がないものの彼らと仲良しであるルッツが集まっていた。
ノアは珍しく俺の膝にはいない。
メランと一緒に楽しく『奥の庭』を駆け回っている。
――つまり、俺はいつの間にかノアの仲介なしに『炎の剣』と会話ができているわけで。
「……なんか普通に話してたけど、考えてみたらルーチェはなんも言ってねぇよな?」
俺と同じ事に思い至ったらしいジークが、ぼそりと呟く。
「まあそうね。……でもあたしもルーチェがなんか聞きたそうだなあって思ったけど」
「顔……仕草? がそんな感じでしたよね~あくまで推測ですけれど~」
なるほど、どうりで修道女たちとも「なんとなく」意思疎通ができるわけだ。まあ俺がわかりやすいというよりは、彼らのほうが「慣れた」というのが正しいのだろう。
ぴくりともしないこの顔から何かを読み取れるはずもないので、俺のちょっとした癖や仕草から推察してくれているのだと思う。気遣いの塊か?
とはいえ、細かなニュアンスは相変わらず伝わらないので、こちらからあれこれ質問するなんてことは不可能なのだが。あくまで話の流れから彼らに察してもらうしかない。
「ルーチェ、なんかメランがつらそうなの」
そうこうしていたら、ノアが両手にメランを載せて駆け寄ってきた。
随分焦った表情をしている。
差し出された手の中で、黒い毛玉がふるふると震えている。ついさっきまで跳ね回っていたのに、と思ったが、そもそも俺では辛そうかどうかもわからない。いつもと変わらないような気もする。
大抵の小動物がそうであるように、メランも普段から小刻みに震えている。別に問題ないことはわかっているが、とても不安になる震えなので俺はあまり触らないようにしていた。潰しそう(2回目)。
眼も口も埋もれて見えず、震えているのは常日頃から。異変を感じ取るには鳴き声の強弱から判断するしかないものの、メランは鳴きもしない。
……鳴いていない、というのが異変なのだろうか。
俺にはさっぱりわからなかったが、ノアは何らかの不調を感じ取っているようだった。
どうしよう、と焦るノアを宥めるために、ひとまずメランを預かった。
十中八九、不調はメランの寿命と関係している。あんまりな言い方をしてしまえば、命が尽きかけている状態だ。
俺の手のひらに移動させられても、メランはこれといって反応を示さない。
鳴くこともなく、ころころと慣性にしたがって動くさまは、生き物ではなく本当にただの毛玉のようだった。
魔物は、生命維持だけならば魔力でなんとかなる。
幼すぎて、食べることも周囲から魔力を吸収することも「知らない」だけだとしたら、教えてやれば覚えたりはしないだろうか。
もちろん、俺は白氷狼の子育ては知らないし、元々は人間なので魔力の吸収の仕方なんて教えようもないのだけれど。
ただもしかしたら、今は魔物である俺の魔力を、メランが吸収することができるのではないかとちらりと思った。
ものは試し、とそっと手の中の毛玉に魔力を流してみる。
地面を支配下に置く時のそれより穏やかに。土に水を沁み込ませていくように、少しずつゆっくりと。
暫くして、メランが僅かに頭を起こした――ように見えた。
「……みぃ?」
不思議そうに傾く、恐らく頭。
魔力の流れに戸惑っているのかも知れない。
悪影響がありそうならいつでも止めるつもりで、反応を見ながら流し続ける。
メランは不思議そうに頭を傾げ、疑問符がついていそうな声で鳴いている。
「み!」
やがて、毛玉がぽんと跳ねた。
慌てて魔力を止めたが、別段なにか異常があったわけではなかったらしく、そのまま楽しげに手のひらで跳ねている。勢いが良すぎて落としそう。
あからさまに元気になったその様子からみるに、俺の目論見は成功したらしい。
外部からの、この場合は俺からの魔力の供給でも、ちょっとした栄養剤にはなるようだ。
ただ根本的な解決にはならないだろう。そもそもメランが食事ができないのが一番の原因である。いくら俺が魔力を分けたとしてもただの延命措置でしかなく、身体の成長を促すまでには至らないはずだ。
「わ、元気になった! ルーチェ、なにしたの?」
ノアに尋ねられたので、「魔力を分けた」と正直に答える。
「魔力……魔力のあるもの食べさせたらいいのかな? 薬草とか食べる?」
魔力は万物に宿るというのが、俺の常識だ。エレンたちの会話から察するに、その常識は現在も変わっていなさそうである。
ならば、薬草も魔力を含んでいるだろう。実際、「魔力を増強する」なんて効果の薬草も存在していることだし。ただ魔力をたくさん摂取させたいなら、やはり肉、それも魔物のモノが一番なのではないだろうか。メランは一応、肉食の『白氷狼』なのだし。
「薬草? メランにか?」
「うん。いまルーチェが魔力をわけてあげたみたいなの。だから魔力がたくさん入ってるの食べさせたらいいかなって」
「え、魔力をわけるなんてことできるの?」
不思議そうにアリシアが言う。
なんとなく、土に魔力を流す要領でやればできそうな気がしたのだが、普通はできないことなのだろうか。
確かにレテで暮らしていたころはそんな無謀な真似はしたことがなかった。周りでする人もいなかったし、そんな方法も聞いたことがなかったから、人間にはできないことなのかもしれない。
魔物同士だからできるのかなとぼんやり考えた答えを、ノアが代わりに口にする。
「……そういうものかしら? あんまり聞かないけど……」
「うーん、魔力を奪ってくるタイプの魔物もいますし、ないわけではないんでしょうね~土妖精ができるというのは聞きませんけれど~」
「ダンジョンのモンスターとかはそもそも魔力を分け合うなんてことしねぇしな」
それなりに魔物をみてきただろう彼らが首を傾げるのなら、あまり一般的なことではないのだろう。
頭の中で、「なるべく使わない」項目に放り込んでおく。ちなみに他にも「植物の根を操作する」だとか「『口』を使う」、果ては「腕を振り下ろす」なんて簡単な動作も放り込んでいる。いや、この魔物の身体、割と凶悪な仕様だから。
周りがメランの「死」に言及しまいとしても、ノアもそこまで鈍くはない。生き物として、何も食べない状態が不自然なことは理解しており、「このままではよくない」とは思っているようだった。
その後も、畑の野菜や薬草を与えようとしていたが、案の定見向きもされなかった。
大人たちはそんなノアを静かに見守る体勢でいる。ノアに求められたら手伝いはするものの、それ以上の手助けはしない。メランがどういう状態なのかをスヴェンから聞いて、「そういうもの」と納得しているのだ。
何より、メランは討伐対象の『白氷狼』だ。子どもであり、そのまま死ぬ可能性が高いとわかっているからこそノアが飼うことが許されている。
成長すること、生き延びることそのものを望まれていない。
本当は、俺も周り同様に静観すべきなのだろう。人間としての常識に従うならば。
――だが、今の俺は『魔物』でノアの『従魔』。
相変わらず従魔らしい何かを感じることはないけれど、従魔云々を抜きにしても、ノアの望みは叶えてやりたい。俺自身の望みは、もうなにもかもなくなってしまったから。
周りに人目がない時に、俺はノアに問いかけた。
メランと共にいたいかと。
メランが成長すれば討伐対象の魔物となる。皆が口をそろえて危険だという魔物に。それでも構わないかと。
ノアは少し考えて、頷いた。
「一緒にいたい。メランは可愛いし……でもね、無理だったら一緒じゃなくてもいいの」
メランはルーチェじゃないから、と笑う。
「ずっと一緒じゃなくてもいい。メランが元気だったらいいなって」
苦しそうなのは嫌だもの、と続けるノアは、恐らく俺の意図に気付いているのだろう。
だから俺は、それに了承を返した。
この身体は、生前の俺よりも魔力が豊富だ。それこそ、小さな毛玉の命くらいなら余裕で補える。
その間に、少しでも食べられるようになるかもしれない。
或いは、周囲から魔力を得られるようになるかもしれない。
メランが自力で「上手く」生きられるようになる可能性は、まったくのゼロではないのだ。
――ノアが、その生存を望むなら。
▽・w・▽ < おおかみだよ!
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お手数をおかけしますが、作者のメンタル救済&モチベーション維持のためによろしくお願いします。
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