30.黒いもふもふ
数日後、魔物の討伐騒ぎが落ち着いた頃を見計らって、薬草採取にでかけた。
魔物の群れが出たという森深いダンジョン側ではなく、反対側、平原が広がっている方だ。
マリードは町の半分を高い壁で囲い、残り半分を人の背丈くらいの塀で囲っているのだが、この塀で囲われた向こう側が広大な平原となっている。
高く頑丈な壁を配置しているのは、ダンジョン側。すぐそばに鬱蒼とした森があること、ダンジョンからの脅威もあっての防衛設備だ。壁の内側には、工場や兵舎、商店、公共の施設などが中心に配置されており、住居はほとんどない。
片や、塀で囲われているほうにはこじんまりとした住居が雑然と並ぶ。
『居住区』と明確に区別されているその区画には、ダンジョン側と同様に出入りのための門も設置されているが、そちらに比べて随分と簡素なものだ。そう高くもない塀がぐるりと並んでいる様は、少々の魔物では突破されてしまいそうで不安になる。
まあ、俺の住んでいたレテは町ではなく「村」だったので、壁どころか塀すらなかったのだが。
それでも平和に生活していたのは、ひとえに誰でも魔法が使えたからだ。どこの家庭でも、家屋や畑など重要な場所を魔法でガチガチに防御するのは常識だった。なので、魔物が村に入ってくるのは「困るけど仕方ないなあ」という程度。腕に覚えのある村人にとっては臨時収入扱いだったし。
2000年の間に人は魔力をあまり持たなくなり、魔法もとい魔術を使うのにも魔道具という補助がいる。そんな状況ではレテのような防衛方法は無理だろう。住民に魔道具を配り魔術を学ばせるよりも、物理的に防衛するほうがずっとコストもかからない。
門番と思しき兵士にギルドカードを提示し、門の外へと出る。
隣の町に繋がるのだろう一本の道と、広大な平原。見晴らしは随分と良く、森らしき影が見えるのは遙か彼方だ。足元の一本道が、平原を蛇行しながらその森へと続いている。
高い木が殆どないので、薬草探しは捗りそうだ。
ただ「植える」採取は見送った方が良いだろう。よほど遠くへ行かない限り、町からも丸見えなので。誰もまじまじと見るような人はいないだろうが、万にひとつでも疑われたら洒落にならない。
元気なノアが勢い良く駆けていくのを、相変わらずの鈍い足取りで追う。
一本道から逸れて、草原の中を進む。草丈は俺の膝あたりまで。
時折、兎や鼠のような小動物が飛び出してくるのを躱しながら進む。
「魔物だよ」
ただの小動物だと思っていたら小型の魔物だったらしい。俺が適当に払いのけ、衝撃でひっくり返ったそれを見てノアが小声で言う。
「雷兎じゃないかな。小さな角が二本あって、雷の魔法を使うんだって」
ギルドで聞いたの、とノアが胸を張る。
あらためて見れば確かに、ひっくり返った兎には小さな角が生えていた。雷の魔法は食らっていないものの一般的な兎は角を持たないため、これは魔物の『雷兎』で間違いないようだ。
目的地に関する情報収集は冒険者の基本である。
ノアの成長を喜ばしく思いつつ、「どうにかなるか」と無意識に楽観視していたことを反省する。冒険者でなくとも、初めての場所は警戒してしかるべきなのに。
村にいた頃は、慎重に慎重を重ねて行動していた。下手に無理をすると倒れかねないし、家族にも迷惑がかかる。だから俺はてっきり慎重派なのだと思っていたのだけれど。
俺の慎重さは、身体の虚弱さに由来していたようだ。
虚弱体質から解放された途端にこの体たらくである。この魔物の体が頑丈だと認識していることも、適当さに拍車をかけていそうだ。
実際、俺自身のことだけならばそれでも問題ない。頑丈なのは本当だし、油断してどうこうなったとしても自業自得。そもそも既に死んでいる身なので惜しいものなどない。
だが、俺はノアの従魔だ。
ノアに類が及ぶことだけは避けなければならない。ただでさえノアはまだ幼いのだ。何かあってからでは遅すぎる。
緩みがちな気を再度引き締めて、周囲の気配を探る。地面に直接触れれば早いのだが、そうすると俺自身の移動ができなくなるので断念した。
草むらに点在する小さな気配は、小動物、あるいは小型の魔物のものだ。
あまりに弱くて小さいため、どちらか判別がつかない。脅威度はかなり低いとみた。
思ったよりも多い反応からは、討伐騒ぎの影響は感じられない。さすがに町の反対側となると影響は殆どなかったのだろう。
朝に少しだけ寄ってきた冒険者ギルドを思い出す。
大量の素材が運び込まれて職員がてんやわんやだった。素材は白氷狼のものだけでなく、討伐の障害となっただろう他の魔物の素材も多く積まれていた。
白氷狼は厄介な魔物だと聞いていたから、それを含めて多くの魔物を討伐している様子に、この町に集まっている冒険者の優秀さを痛感したものだ。
いつか、この戦力が俺に向けられる可能性も頭の隅に置いておくべきかもしれない。
そうなったら、俺はどう立ち回るか。――まあ、すべてはノア次第ではあるのだけれど。
「雷兎はね、ウサギに似てるけど草は食べないんだって。お肉が好きで飛んでる鳥を捕まえることもあるんだって。すごいよね」
ノアの説明は続いている。もちろん、薬草を探すことも忘れない。
「これ、薬草って言われたやつだ。採っとこう」
どうやら先日「植えた」やつと同じ薬草が生えていたらしい。葉を数枚摘んで、採取用の袋に入れている。
「うーん、こっちの葉っぱの方が似てるかな……ギザギザ……」
ぶつぶつ零しながら、ノアが茂みの中を進んでいく。夢中になっているようで、周囲への警戒は明後日の方向に飛んでいってそうだ。
仕方ないので、俺は気配を探る方向に注力する。
元々、俺の手は細かな作業には向いていない。適当に掴んだり握りつぶしたりは得意なのだが。
採取はノアに任せ、俺は周囲を警戒しておこう。適材適所というやつである。
歩き回るノアの後を追っていると、ふと、少し奥の方に複数の気配を感知した。
小さな生き物――状況的に見て雷兎――が群れている。
何をしているのかは不明だが、群れで襲ってこられたら厄介だ。
俺はノアをその場に残し、様子を見に行くことにした。
接近に気付いて逃げてくれればそれでいいし、向かってくるなら俺ひとりの方が危険がなくて良い。
様子を窺うと、やはり雷兎が数頭固まっていた。角に雷を纏わせ一心に何かを攻撃している。
攻撃を受けているのは、雷兎よりも更に小さな塊だった。黒っぽい毛の塊だ。
雷兎の獲物だか敵なのだろう。集団で攻撃している。そういえば肉食だと言っていたなと、さきほどのノアの言葉を思い出す。
攻撃されているソレは、一見ただの毛玉にしかみえない。攻撃されるたびに動いているから生きてはいるのだろうが、正体が判然としなかった。
様子をみるために近づくと、俺の存在に気付いたらしい雷兎が反応した。
咄嗟に前に出した腕に雷兎の魔法攻撃が当たるが、ダメージらしいダメージはない。パリ、と紫電が一瞬弾けて、光が明滅しただけだった。
俺に攻撃が効かないと悟ったのか、雷兎たちはぱっと身を翻して逃げ出した。戦力差を理解するだけの頭はあるらしい。
後には、震える黒い毛玉のみが残される。
あらためて観察してみても、毛玉という感想しかでてこない。生き物だとは思うが手も足も、なんなら頭がどこかもわからない。2000年後の世界には不思議な生き物がいるな、としげしげと観察する。
「どうしたの?」
結構な時間観察していたのか、ノアが様子を見に来た。俺の後ろからひょいと覗き込んで、首を傾げる。
「なあに? 真っ黒な……毛虫?」
もふもふしてそう、とノアが呟く。長い毛で手足も埋もれているため、もぞもぞと動いている様は肥え太った毛虫のように見えなくもない。それにしては全体的に丸すぎるのだが。
「みぃ」
なんと答えたものかと思っていたら、不意にソレが鳴いた。
口らしきものは見えないが、そのもふもふの中に隠れているのだろうか。
怯えているのか、じりじりと後退している。逃げたそうにはしているが襲ってくる気配はない。
「なんだろう、魔物? 動物?」
悩んでいるノアに、俺は見つけた経緯を軽く伝える。正確さはともかく概要は問題なく伝わったようで、ノアは「子犬かなあ」と頷いた。
肉食性の雷兎は、鳥や昆虫、鼠などの小動物や小型の魔物が餌だが、狩りの基準は対象の大きさであるらしい。つまり、小動物並に小さいモノならばいずれ大型となる熊や狼なんて生き物も捕食対象になりうるのだ。この毛玉を、そういった動物なり魔物なりの幼体とノアは判断したらしい。
まあ毛虫はあまり「鳴く」印象はないし、犬の方がまだありえそうだ。見た目は犬っぽくないが。
納得した俺は、そのまま毛玉を放置することにした。
毛玉に攻撃意思はないようだし、ノアもさほど興味はなさそうだ。
経緯から怪我の有無を気にしてはいたが、確認しようにもソレは毛を逆立てて――たぶん――いるから、どうしようもなかった。
それに、わざわざ危険を冒して手当をしてやるほど、この生き物に思うところはないのだ。これがただの動物ならともかく、魔物ならば尚のこと。それよりも下手なことをしてノアに傷がつくほうが問題である。
まあ、いずれ再び雷兎に襲われるかもしれないが、そこは野生の掟なので頑張って生き延びて欲しい。
そう判断して、ノアを伴ってその場から離れる。
俺たちが動くと、毛玉は警戒したようにぴたっと動きを止めたが、それだけだ。やはり攻撃しようという素振りはない。
「みたことないのがいっぱいいるね」
こちら側の町の外を初めて経験したノアが、少し興奮気味に言う。雷兎にしろ、そのあたりを飛び回る虫にしろ、ノアにとっては初めての生き物ばかりだろう。町の中では見られない生き物には違いない。
とはいえ、それは俺にも当てはまることだ。
商人、あるいはそれこそ冒険者でもなければ、大抵の人間は生まれ育った町や村で一生を終えるものだ。俺もその例に漏れず、レテとその周辺の森くらいしか行ったことはなかった。
当然、雷兎なんて魔物も知らない。2000年前にはいなかった魔物なのか、単にレテの近辺にいなかったのか。
俺にとっても、初めてのことばかりの経験。
「みぃ」
きっとこの辺りに生えている草木も、俺の知らないものだろう。薬草図鑑に載っていた薬草ですら、未知のものが多かった。名前が当時と違うものもあるかもしれないが。
「みぃーっ、みぃー!」
「……ついてきてるね?」
みーみーと聞き覚えのある声が近づいてきて、さすがに知らんふりを貫けなくなったらしいノアが振り向く。
最初は仲間を呼んでいるのかと思っていた。親を呼んで助けて貰うつもりなのかと。
ところが、声はどんどんと俺たちに近づいてくる。
「みぃっ、みぃ!」
草むらを跳ねるように黒い毛玉が転がってくる。たぶん走っているのだとは思うのだけれど、丸いものが転がっているようにしか見えない。
ころころとやってきたそれは、足を止めた俺たちのすぐ近くでぴたりと止まった。
「みぃ」
訴えるように、小さく鳴くそれ。
無視して歩き出すと、それは慌てた様子で転がり寄ってくる。
「みぃみぃ」
懸命に追いかけてはくるものの、一定の距離は保っている毛玉。決して俺やノアが触れられる距離まではこない。
「町までついてくるのかな」
ノアの不安そうな言葉を裏付けるように、毛玉はその後もころころとついてきた。
ついてくるだけで他に何をするでもない。強いてあげるなら、みーみー鳴くことくらいか。
「……犬って飼ったらだめかなあ……」
すっかり絆されたノアが、ペットを飼うことを検討しはじめる。
さすがに許可は下りないだろう。孤児院にそんな余裕はない。
「でもこの子、このまま放っておいたら死んじゃうかも」
それは十分に考えられる未来である。きっと近くに仲間はいないのだろう。でなければ、これといって繋がりのない俺たちを追いかけたりはしない。毛玉なりの、生き残りを賭けた行動だ。
だがそれを俺たちが汲む必要はないし、そもそも関係がない。
親や仲間がおらず、いずれ死んでしまうかもしれなくても、言ってしまえばそれが"野生"だ。生きられないならばそれまでの命だということである。
子犬だと思えばかわいそうな気はするが、あくまでその程度。
昔よりも淡白な思考になっているのは、自分が「生きられなかった」側で、常に死を覚悟して生きていたからだろうか。それとも、死者は感情まで鈍くなるものなのか。
そんな冷淡な俺とは違い、ノアはついてくる小さな毛玉を複雑そうな顔でみつめている。
毛玉は手が届く距離までは来ない。もし飼うつもりならば、せめて俺かノアが確保できなければ難しいだろう。
そう思い、足を止めて毛玉を見下ろした。
飼われる気はあるのだろうか。
尋ねたところで答えなど返ってはこないとわかっているけれど、このままでは町の手前で追い払われるだけである。
ノアに対してそうであるように、この毛玉にも俺の内心が伝わればいいのだが。
じっと見つめていたら、毛玉は慎重に近づいてきた。
左右にふらふらと揺れながら転がってきたそれは、こつんと俺のブーツの爪先にぶつかる。
頭をあげたような気がしたが、やはり全体的にもふもふしていて顔がわからない。
これは飼われてもいいということだろうか。
さっぱりわからないので、都合の良いように解釈して手を伸ばす。
迷いながら、毛玉を鷲掴んだ。
乱暴な自覚はあるが、毛に埋もれ過ぎていて手足の位置すら曖昧なのだ。たぶん頭かな、と思える場所を避けて捕獲しようとしたらこうなった。
手の中でふるふると震えているし、何かが弱くもぞもぞ動くので、力加減は問題なさそうである。
そうして間近に持ち上げてみると、やはり毛玉だった。
大きさは俺の手の中に収まる程度。黒い毛はふわふわと柔らかい。よくよく見ると、その長い毛に埋もれるようにして小さな顔があった。特徴からしてノアの見立て通りの子犬らしい。
みぃ、と鳴く口には牙はなく、顔の割に大きな目は若葉色。やはり埋もれて目立たないが、耳もあるし両手両足も欠けることなく揃っている。この分だと尾もあるに違いない。わかりにくいけれど。
「大人しいね」
手の中に転がされて、暴れるでもなくされるがままのそれに、ノアが言う。
この様子なら危険はなさそうだ。まあノアに危害を加えそうな兆候があれば俺がどうにかしてしまえばいいだろう。
「先生に聞いてみる。ダメかもしれないけど……」
そのときは傷の手当てだけでもしてあげたい、とノア。
そもそも怪我をしているかどうかがさっぱりわからない。少なくとも欠損してはいないので、外傷があったとしても軽微なものだろう。
修道女たちならこの子犬についても何か知っているかもしれない。犬種とか。
そんなわけで、その日は子犬を連れ帰った。
一応門番の兵士にも見せたが、特に何も言われなかったので本当にただの子犬なのだろう。
ちなみに、目当ての青天花は採取できていた。
適当に採取した中に一部紛れていたのだ。
ノアもわかって採取したわけではなかったようで、どのあたりで採ったものかはわからないらしいが、成果は成果。
修道女たちに太鼓判を貰って、少ないながらもエリアーテに持っていったところ、相場より少し色を付けて買い取って貰えた。ただ彼女が求めている鮮度には僅かに及ばなかったようなので、次回は採取方法を工夫することにした。
まあ「植える」のが最も鮮度がいいのだが、まさかエリアーテの目の前であの状態を見せるわけにもいかない。せいぜい鉢植え程度にしておこうと思う。
▽・w・▽ < わんわんお。
よろしければ、評価(↓の☆)やご感想など頂けますと大変励みになります。
一言、「面白かった」だけで十分です。長文は更に大歓迎です。
お手数をおかけしますが、作者のメンタル救済のためによろしくお願いします。
こちらでコメントしづらいという方は「ましゅまろ」(Xの固定ツイ)もありますのでよろしければ。




