2.状況を確認しよう
本日2回目。
前話がちょっと短かったので。あとまだ書き溜めがあったので……
俺はどうやら人型に近い形状の魔物になっているようだ。
一応生き物だと思うが、あまり自信はない。
なぜなら、体の構成物が土や泥といった無機物だから。
腕や足が破壊されてもそのあたりの土で再構築できることがわかっている。おかしな形になっていた右手を肘辺りから壊して、ついでに汚れた左手も破壊して再構築した。関節の数がまともになった。
まともではないのは、目と口の位置である。
あまりにも自然に見えていたから、つい人間の感覚で顔に目がついていると思い込んでいたが、目は顔にはなかった。正確には、体のどこであれ移動可能なパーツだった。背中だろうが手のひらだろうが、そこで「見よう」と思った瞬間には移動している。ちなみにひとつしかない。たったひとつしかないのに立体視が普通にできているあたりがとても謎である。
口も当然顔にはなかった。人間なら鎖骨がある部分のすぐ下、胸部に真横に走っている線が「口」らしい。らしい、というのはまだこの口を一度も使用していないからだ。服を纏うように、上から土で覆われていて、外からは見えない仕様になっている。
「目」をあちこちに移動させた際に偶然見つけた。
たぶん、「口」を開けようと思ったら動かせるのだろうけれど、覆い隠している部分の土がどうなるのかわからないので保留している。
さて、そんな顔の部分はどうなっているのかというと。
人型を模しているだけあって、ちゃんと目や鼻、口らしき形は作ってあった。彫像のように、形がつくられているだけで動かすことはできない。まさにただの飾りだ。素人の粘土細工とでもいおうか、とりあえず顔だなとしかいいようがない造作である。
造形といい構成物といい、魔物というよりは呪われた像みたいな……いや、まあそれも魔物の範疇ではあるのか。
俺の知る魔物は、野生動物が凶暴化したような姿が多かった。それ以外の特殊な魔物が存在することは知識として知っているが、実際にお目にかかったのは我が身が初である。
それでも、こんな魔物は聞いたことがなかった。
魔物は環境に応じて変化しやすいというから、よく知る魔物が変異したモノという可能性も捨てきれないが、少なくとも村周辺にはそれらしい魔物はいなかったように思う。
そもそも、ここは一体どこなのか。
改めて周囲を見回すが、何もない。
四方を石の壁に囲まれ、足元にはやや粘性のある土と木の根のようなものが転がるだけ。天井は高く、先ほど大勢が走り去って行った出口と思しき場所はかなり遠い。
洞窟にしては人工的な壁と、屋内にしては不自然なむき出しの地面。そのほぼ中央に、ぽつんと俺は佇んでいる。一人部屋にはあまりにも広すぎる、どこかの『部屋』。
考えても考えても、何もわからない。
俺は確かに人間だったはずだ。
レガンテ王国の辺境の村、『レテ』で暮らしていた人間。両親に兄と妹、それから近々家族になる予定の兄の婚約者。ごく普通の、よくある家庭だったと思う。
違うところがあるとすれば、俺が生来の虚弱体質だったことくらいか。とはいっても、日常生活が困難なほどではなく、人より体力がない程度だ。
なので畑仕事は日が高くなる前に切り上げ、一日の大半は屋内で過ごしていた。家にいることが多いため家事はなるべく手伝うようにしていたが、役に立っていたかどうかはわからない。特にここ数年は、熱を出して寝込むことが多かったので。
行動範囲は家と畑。家にいる時は家事をしているか寝込んでいるかのほぼ二択。
何も変わったことは――
『――何か贈り物を』
脳裏にふと閃いた言葉。それを口にしたのは誰だったか。
そうだ。兄の結婚が間近に迫っていた。だから、兄への祝いの品を用意しようという話になって。
ちょっとしたお守り程度の護符を作ろうと思ったのだ。
材料は確か、千年蜘蛛の糸と風霧狼の牙、それから。
「ねぇ、どうしよう?」
不意に聞こえてきた人の声に思考を止めた。
身体が反応しないように注意しながら、声の方を窺う。わざわざ出所を探す必要はない。ここには俺しかおらず、第三者が現れるならばそれは出入り口のある一カ所のみ。
「どうもこうも……あれ無理だろ。あいつの傍から動いてねぇもん」
「ボスは動かないって聞いてたけど……動かなすぎじゃない? まあ追ってこないのは有り難いけどさあ」
「なんとかあいつから引き離さないとな」
小声で相談しているらしい三人の声。話の内容から察するに、俺の足元で死体となっている彼の仲間らしい。仲間の遺体を回収するために引き返してきたのか。
現状確認のために敢えて放置していたが、そろそろ真面目に足元の彼についても考えねばならない気がする。主に遺体の処理について。
「けどさ、アレほんとにボスかな」
「は? 今更何言ってるんだ。そもそもタダの泥人形ならあいつがやられる筈ないだろ」
「わかってるよ、でもギルドで聞いた情報と違うじゃん。あんなの、普通の泥人形と何が違うっていうのさ」
「そういえば追撃もなかったな。もしかして形態変化するのか?」
知らない情報が次々と飛び出して首を傾げる。彼らが話題にしている「アレ」は、消去法から言って俺のことだろう。「泥人形」とは言い得て妙である。実際、この身体の大部分が土で出来ていることは、俺が一番良くわかっている。
だが「ボス」?
村では、群れの頭目と思しき魔物に使う呼称だった。大抵は他の個体より巨大だったり、体色が違ったり、一目でそうとわかるほどに格の違う個体だった記憶がある。
この身体のような魔物は見たことがないが、それでもボスと呼ばれるような風格があるようには思えない。子どもの玩具のような不格好な土の人型。両腕は長く床に垂れ、その重みに引き摺られるように身体はやや前屈みになっている。客観的に見て不気味ではあるだろうが、とても強そうには見えない。
「ここが王の間なら、アレ以外にボスはいねぇだろ」
「やっぱり? じゃあさ、もしかして今弱体化してるんじゃ?」
「弱体化なんて情報はなかったぞ」
「ここではね。けどアウムではボスが弱体化したって話を聞いたんだよ。ちょうど前のボスが倒された後だったから、討伐直後は弱体化したボスが生まれるって仮説が」
「アウムでの話だろ?同じ事がここでも起きるとは限らねぇぞ。それにここのボスを討伐したって話も聞いてない」
「けど賭けてみる価値ありじゃない? 弱体化してるヤツだったら私たちでもなんとかなるかも。ランク上げるチャンスじゃん」
ダメなら逃げればいいんだよ、と女性の声が明るく言う。それに渋る様子の男性ふたり。
俺としては男性陣の慎重さを尊重したい。会話の中身はよくわからないことばかりだが、女性が突撃しようぜと推していることだけは理解できた。そして、その突撃対象が現状「ボス」と思われているらしい俺であることも。
切実に辞めて頂きたい。
俺にはそんな余裕などないのだ。一時期の混乱からは抜け出したが、それだけである。自分の身体の状態を咀嚼するのに精一杯で、まだ現状の把握にまで理解が及んでいない。自分がなぜか魔物になっていることだけは理解したものの、納得はできていないし、原因に心当たりもない。
もう少し整理する時間を与えて欲しい。次から次に理解できない事態を持ち込まないでくれ。
まあ、伝えようにもこの身体に声帯などないのだが。
「まずはアレの注意を逸らすところからだな」
「俺らが壁際まで誘導するから、あとは」
「あたしがアイツの荷物を回収、と」
話がまとまったらしい。俺にとって最悪な方向に。
俺が既に気づいているとは思ってもいないのか、彼らは再び『部屋』に足を踏み入れた。
途端に、彼らの姿がはっきりと見える。
カンテラの淡い明りに浮かぶ、剣を構えた二人の男性と弓をつがえた女性。
近接攻撃が二人と遠距離攻撃が一人、もしかしたら足元の骸も遠距離攻撃を得意としていたのかもしれない、と分析する。彼らはなかなかにバランスの良い仲間だったのではないだろうか。こうやって一緒に仕事をしていたんだろうな、と統一感のない彼らの恰好を眺めて思う。女性は狩人風の防具を纏い、男性ふたりは盾や鎧で防御している。足元の骸はローブの下に皮鎧を装備していた。
ぐっと踏みしめた男性二人の足が地面に僅かに沈む。
駆け出した彼らの狙いは俺だ。彼らの相談内容からして、俺の注意を引きつけたいのだろうとあたりをつける。その証拠に、彼らの動きはこちらの首を狙うものではない。
もっとも、首への攻撃が致死になるかどうかは微妙なところだ。この身体の構成物はほぼ土だし、血もなければ臓器もない。頭部は人型を模すためのただの飾りである。
とはいえ、わざわざ彼らの意図に沿ってやる必要もなかった。俺は誰にも邪魔されずに考える時間が欲しいのだ。
「っ、うわ」
「やべぇ!よけろ!」
「この!」
これに懲りたら、相談事は誰にも聞かれないところでしてほしい。
――なんて、軽くあしらって、追い払うつもりでいた。
けれど、はたと気づいたらあたり一面血の海だった。
地面には吸収しきらないほどに赤い水が溜まり、壁には盛大に赤がぶちまけられている。あちこちから顔を出した植物の根が、赤く濡れたまま所在なげにゆらゆらと蠢いていた。
この出所は血の海の中央で散乱している三人のなれの果てだ。
弁解させてほしい。殺す気なんてなかった。
適度に相手をして、諦めて貰ってお帰り願おうと思っていた。この亡骸に用があるのなら返すのも吝かではない。むしろ処遇に困るので回収して貰える方が有り難いとすら思っていた。
ただ、既に仲間を殺めてしまっている以上、友好的に返すことなどまず無理で。
かといって訳もわからないこの状況で、魔物だからと殺されるのは御免被りたい。
自分がどの程度戦えるのかもわからないまま始めた戦闘は、戦況を見る間もなく、ものの数秒で片がついてしまった。
地中に埋まっていた植物の根で、軽くひと薙ぎ。
操作可能だと意識していた訳ではない。襲われたから咄嗟に動かした。反射にも似たその行動一つで、全ては終わった。
遺体がここまで酷い状態になってしまったのは、単純に力加減を誤ったからだ。
人間の身体がこんなにも脆いとは思わなかった――いや、今の自分を見くびっていた。土や泥でできているだけの大した能力もない魔物だと、そう思っていたから。
どんな見目であれ、魔物は魔物なのに。
結果的に彼らを殺してしまった俺は、しばらく呆然としていた。
「おい、まだいるか」
「暗くてよく見えねぇな……中にいるか? おい、赤狼の、」
「ダメだ。誰かカンテラ持ってないか」
唯一の出入り口から再び声が聞こえた。また誰かが戻ってきたようだ。
自分がしでかしたことに自失してはいたが、そう長い時間は経っていない筈だ。この三人と一緒に行動していなかったのには何か理由があるのだろうか。
小さな金属音がして、ぽつりと淡い光が浮かぶ。
蝋燭のそれよりは幾分明るいものの、この室内を照らすには頼りない。
「ボスは動いてねぇな。……よし、そっとだ。端のほうを」
「ダメだな。奥のほうまでは見えん。……まて、あの根のところ」
「……色はわからんが、あれは……」
「これは……やられたか?」
真っ赤な地面で蠢いていた木の根に気付いたらしい。まあ、凶器はそれなので当然といえば当然だ。
「あー。仲間の荷物を回収したいっつってたから嫌な予感はしたんだが……」
「二度も生きて返すような甘いヤツじゃねぇわな。命拾っただけ儲けもんだと割り切れなかったんかね」
「魔が差しちまったんだろうよ」
「あーあ、こりゃひでぇな。『赤狼の牙』は全滅か」
ふらふらと揺れるカンテラの光が、地面をぽつぽつと照らす。浮かび上がる赤い水たまりに、息を呑む気配がした。
「どうする、遺品だけでも持ち帰るか?」
「やめろ。それこそあいつらの二の舞だ」
「けどよ」
なにやら言い合う彼らのうち、誰かの足が一歩室内へと踏み込んだ。
瞬間、そこに佇む彼らの姿が鮮明に認識される。背格好、身に付けた防具に武器。先ほどの三人の時には気付かなかったが、俺はどうやら彼らを目で見ているわけではないらしい。おそらくはこの室内の土を通して、対象を認識している。
そして、いまこの時、彼らは俺の攻撃範囲に入っている。
すぐにでも殺せる。
浮かんだ思考にぞっと背筋が冷えた。
――排除セヨ。
無機質な声が脳裏に響いたのは、その瞬間だった。
知らない、けれども、確かに聞いたことのあるそれに動揺したのも束の間、ぐらりと視界が揺れる。
――排除セヨ。排除セヨ。侵入者ヲ、排除セヨ。
無機質な声が同じ言葉を延々と繰り返し叫んでいる。頭蓋の中で反響して思考がぐるぐるとかき混ぜられた。身体が動かず、意識が深いところに引きずり込まれるような感覚に襲われる。
これは、前にもあった。
自分の意志に関係なく動いた手足を思い出し、嫌悪感が湧く。
この魔物の身体に愛着など皆無だが、また勝手に身体を使われるのは嫌だ。
だって、きっと俺は人を殺す。
攻撃範囲に入ってしまった、あの人たちを殺してしまう。
それは嫌だ。
攻撃を受けたなら、敵として相対するならともかく。彼らはただ仲間の様子を確かめにきただけだ。
敵でない相手を、むやみに殺したくない。
――排除セヨ、――排除、セ――排――
ぷつん、と声が途切れた。同時に、身体が楽になる。
こわばりが嘘のようになくなり、朦朧としていた頭の中もすっきり元通りだ。わんわんと頭の中で響いていた音が消え、静寂が訪れる。もちろん、出入口付近でこそこそしている彼らの存在はまだ認識しているが。
一体なんだったのだろう。よくわからないが、なんともいえず不快だった。
ここにきてから初めて経験することばかりで戸惑う。
こんなこと今まではなかった、と考えて、以前からあったらそれはそれで問題だなと思い直す。
虚弱なだけで、幻覚や幻聴とは縁がない。このおかしな現象は、間違いなくこの魔物の体が原因だろう。
そうして、盛大にため息でもつきたい気分で周囲の状況を探る。
「目」は使っていない。戦闘が始まる前に邪魔になるかもしれないと「口」の近く――要は、外からは見えない場所に移動させてある。元々「目」をつかわずとも把握できているため、「目」がしまいこまれていても何ら不都合はなかった。
俺が周囲を「目」でみていなかったと気づいたのはついさっきだが、俺の無意識はそれよりも早く自分の状態を理解していたらしい。
人間とは順応する生き物である。いま、身体は人間じゃないけど。
どうやら、俺が自分のことにかまけている間に、彼らは撤退を決めたらしい。感知できる範囲からは人の気配が消えていた。足音などで場所を追跡できなくもないが、そこまでする必要はないだろう。
賢明な判断である。
目的が何であれ、ここにに突入されていたらまた死体を増やす羽目になっていた。俺に手加減なんてできない……何しろ既に失敗しているので。
生き物の気配のしない暗闇のなか、俺は天井を仰いだ。
ここに光源はない。カンテラを掲げていた人々が遠ざかった今、闇は一層濃くなった。
けれども、俺はこの空間を完璧に把握できている。肉眼では見えないほど遠い天井にある、ちいさな亀裂のひとつひとつが手に取るようにわかる。
この身体に着々と順応しつつある自分に、俺は肩を落とす。そこに明確な骨格や筋肉は存在しないけれど、そんな気分だ。
ああ、どうしてこうなった。