26.条件
ノアの成長はめざましかった。
『炎の剣』が指導についている間、脇目もふらずに魔術の練習をし、あっという間に初級程度は発動できるようになった。
こうなってくると、『炎の剣』がいない時も練習をしたいと言い出すのは予想がつくことで。
ノアのおねだりを受けたアンジェリカは、当然、危険だからと一蹴した。
そもそもがそういう条件だったし、何より万一の際に対応できる大人が近くにいないという状況は危険である。子どもの火遊びを禁止するのと同じ事だ。
だが、ノアは折れなかった。
何度も修道女たちやアンジェリカに掛け合って、危険なことはしないと主張した。燃えるものの近くではしない、他の子どもたちのすぐそばではしない、部屋の中ではしない……などなど。
結局、折れたのはアンジェリカの方だった。
そういった注意事項をひっくるめ、ひとつだけ必ず守るようにとノアに言い含めて。
それは、「絶対にルーチェがいないところではやらない」というもの。
解せない。
俺に一体何を期待しているのか。俺はしゃべれもしない泥人形なのだが。ノアのそばにいるのは俺が従魔だからで、建前上の護衛だからだ。まあ危ないことをしそうだったら物理で止めるけれど、そのくらいしかできない。
アンジェリカの頭をひそかに心配していたが、同じ説明をうけた修道女たちも「それならまあいいか」と納得していたので、もしかしなくてもここの修道女たちは皆、頭か目を患っているのかもしれない。
それから、ノアは一層、魔術の練習に打ち込んだ。
毎日飽きもせず教本に向き合い、暇さえあれば発動の練習。
料理の手伝いに向かえば竈の火を調節してみたり、庭でごみを焼くとなれば火魔術で着火したりとあれこれ応用している。
それでも言われたことはきちんと守っており、俺の側以外では魔術を使わない。
この頃には、他の子どもたちもちらほらと魔術に興味を示すようになってきていた。ノアが脇目も振らずやっているので、気にするなというほうが無理な話である。真似をしようとする子どもたちも現れ、危険な兆候が現れ始めた。
このままでは、そう遠くないうちに過去のような事故が起きかねない。
だが、孤児院は「余裕がない」。
子どもたちに目を配るだけの人員の余裕もなければ、外部に委託するだけの金銭的余裕もない。
ノアの件は唯一の例外であり、『炎の剣』への対価もアンジェリカの私財で賄われている。
他の子どもたちへ同じ事をさせようとすれば、個人の資金ではなく孤児院の資金でやりくりすべきで、全員分となるとそれなりの依頼料となる。
日々の食事すらギリギリに見受けられるのに、そこに割く資金はないだろう。
アンジェリカは子どもたちを食堂に集め、ノアが魔術を練習している理由を説明した。
「すべては冒険者になるため」
と、暗に冒険者を目指さないならば今すぐは必要のないことだと、魔術の危険性と共に子どもたちに説明した。
そういうことならと半数は興味を失った様子だったが、残り半数が「じゃあ冒険者になる」と言い出した。エルシーとソフィア、ユーグの三人だ。
ノアが練習しているところによく居合わせる面子である。
元々ノアと仲良しの子どもたちだ。俺のそばで魔術を使うノアを一番よく見ている。興味も湧くし影響もされるだろう。
ノアが魔術を使う際は、彼らの動向に注意していた。興味本位でノアの近くに駆け寄ったりする可能性は十分に考えられたからだ。ノアと子どもたちの足元の地面を支配下に置いて、何かあったらすぐさま対応できるようにしていた。
アンジェリカは、後に孤児院を訪れた『炎の剣』にその時のやりとりを伝え、いくつかの打ち合わせをして。
最終的に「絶対にルーチェがいないところではやらない」という条件で、三人の子どもたちにも許可が下りた。
いや、なぜ。
確かにノアはもはや手がかからない。教本さえあれば自ら黙々と練習している。ならば追加で三人くらいはノアのついでに教えてもいい、となるのはまあわかる。
ユーグはともかく、エルシーとソフィアは比較的大人しい子どもだ。これまでもノアの側で大人しく遊んでいたのだから、そこに多少「教える」が追加されたところで問題ないと判断したのかもしれない。
それはいい。『炎の剣』と修道女たちの判断で好きにすればいい。
ただそこに、条件として俺の存在をもってくるのはおかしくないか。
ノアの場合は百歩譲って「護衛」という名目があるので良いとしても、他の子どもたちは俺の管轄外である。
なんとなく子守担当にされてるなと思っているけれど、それはそれだ。
常識で考えて、魔物が人間の子どもの面倒をみるはずがないだろう。中身が俺だから惨事になってないだけだ。目覚めてすぐに2件ほどやらかしたことが脳裏をよぎったが、あれはダンジョン内なのでと頭の片隅に追いやっておく。今とは事情が違う。
やはりここの修道女たちは一度医者に診てもらったほうがいい。
「ぼく、冒険者登録したい」
三人の子どもたちが魔術の練習に参加するようになってしばらくした頃。
誕生日が近いというノアに、ジークが何か欲しいものはないかと尋ね、返ってきたのが以上の言葉だ。
「いやそれは無理だろ」
「登録は15歳まではお預けですよ~」
「他にはないかな? ほら例えば新しい魔道具とか」
アリシアの問いに、ノアは首を振る。
「まどうぐは頑張って買うよ」
自分で稼いで買いたい、となかなかに立派なことを言うノアに、ジークが苦笑する。
「しっかりしてんなぁ……でもほら、せっかくだからなんか言ってみろ。登録以外で」
「……ほしいのないよ?」
冒険者登録以外に希望はないらしい。無欲というか、魔術にハマりすぎて他が見えなくなっているというか。
「ん~ノア、今度6歳になるんだっけ?」
「うん」
「6歳かぁ。10歳だったらまだどうにかなるかもしれないけど……」
アリシア曰く、登録可能年齢は15歳からだが、事情次第では10歳からでも可能らしい。その場合、討伐は不可で、基本的には採集や街中での簡単な依頼に限られるそう。
だが例えその事情に合致していても、ノアは6歳。さすがに無理がある。
「どうしてそんなに急いで冒険者になりたいの?」
「ぼく、早く強くなりたいんだ」
「慌てるこたねぇだろ。早い者勝ちってわけじゃなし」
呆れた口調のジークへ、ノアはひたと視線を合わせて続ける。
「ううん。早いほうがいいの。少しでもはやく強くなって、冒険者にならないと」
「冒険者は逃げやしねぇけど……ああ、もしかしてロビンか?」
ロビンはこの孤児院出身の冒険者であり、ノアが「お兄ちゃん」と慕う青年だ。まだ駆け出しだそうだが、独り立ちしてきちんと生計を立てているらしく、目標としてはうってつけである。
ちなみにロビンとは顔合わせをした。
ノアが孤児院に戻ってきてからかなり時間が経った頃に、草臥れた様子でふらりと現れたのだ。どうやらノアが行方不明になったあと、依頼で遠方へ行っていたらしい。仕事が片付き次第、取るものとりあえず孤児院に駆けつけたようで、彼は旅装のままだった。
お兄ちゃんの来訪に無邪気に喜ぶノアに、ロビンは心底安堵した顔をしていた。
俺のことは「護衛」だと例の設定通りに伝えたらあっさりと信じた。立て続けに看破され続けていたのでよほど拙い偽装なのかと思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。
ノアが、そのロビンに憧れているのは誰もが知っている。
魔術を覚え、少しでも早くロビンに並びたいと思う気持ちはわからなくもない。もしかしたら、ロビンと共に冒険をしたいという気持ちもあるのかもしれない。
けれども、そう指摘したジークへの答えは、首を左右に振った否定だった。
「お兄ちゃんは関係ないよ。ぼく、ルーチェと一緒にいたいの」
「ルーチェ?」
「うん。ルーチェはぼくの……護衛だけど、ぼくが強くならないと……」
もごもごと言葉を探す様子に、はっとジークが息を呑んだ。
ジークたち『炎の剣』は、俺が護衛などではないことを知っている。
本来はスヴェンではなくノアの従魔であることも、こうなるに至った経緯もなにもかも知っている。
そしてこの処置が、ノアがある程度成長するまでの時間稼ぎでしかないことも。
この場には事情を知らないエルシーたちもいる。ノアなりに「言ってはならないこと」と理解しているようで、曖昧な言葉を返すに留まっていた。
「……あー、そっか。そうだな。ノアの気持ちはまあわかる」
「え? 何がわかったの? どうしたの?」
「ノアさんは高い志をお持ちということです~」
「アリシア、後で説明してやるから」
いまいち掴めていないアリシアに、ジークが目で合図する。アリシアは首を傾げたものの、納得したのか口を噤んだ。
「ルーチェのこと大好きだもんな、わかるよ。けど、きまりは決まりなんだ。あと四年くらいならきっとどうにかなるし、その間に学んで強くなればいい。ルーチェだってノアに無理してほしくないって思ってるだろ」
「けど……ぼくが弱いと、しょぶん、される」
「そんなことは……ないとは、うーん……まあ今すぐじゃないから安心しろって」
断言できずに濁したジークの言葉に、ノアの眉がへにょりと垂れる。
大きな目にゆらりと涙の膜が張り、今にも零れ落ちそうだ。
ジークが大慌てでアリシアとエレンに助けを求め、いまいちわからないながらもアリシアが「大丈夫よ」と無難に宥める。エレンも「焦らなくても大丈夫ですよ~」と背中を撫でた。
俺は珍しくノアの側にはいない。
ノアたちから少し離れたところで、早速魔術の練習をしている三人の子どもたちを見ているところだ。見ているというか、しでかさないように監視しているというか。
真剣に本を読むエルシーとソフィア、飽きたらしく土を掘り返して山を作って遊んでいるユーグ。
目の前のことに夢中なので、気を遣わなくても聞こえていなさそうだ。
『炎の剣』に宥められているノアを眺めながら、思ったよりもノアがしっかりと考えていたらしいことに感心する。
確かに、現状のままでは俺は「処分」される。
ノアの特異性と俺の存在が、スヴェンが懸念する「誰か」に見つかったら即終わり。
そこで見つからなかったとしても、ノアが成人するまでは気は抜けない。何しろ後ろ盾のない孤児だ。権力のある大人がどうこうするのは容易い。
そして成長し冒険者となったとしても、やはり気を張っておく必要がある。
それなりに強くなり実績を作らねば、冒険者ギルドも守ってはくれないだろう。成人していれば尚のこと。俺というモンスターを従えているだけの「説得力」が必要になる。
ノアが楽に生きるには、俺を手放すのが一番手っ取り早いのだ。
まあその場合、俺は処分という名目で討伐されるわけだが、そこはあまり考えていない。
死んだことを自覚したせいか、死への恐怖は薄いのだ。
まだ何も知らなかった頃は「家に帰る」という目標もあったし、討伐されそうになったら逃亡しようと思っていたのだが。
今は別に逃亡する理由がない。
逃げたところで行くところも、魔物としてやりたいこともないのだ。幸い、この怪物の身体には痛覚はないし、討伐されたところで苦しみは感じないだろう。ならば元通り死者の列に戻ることになんの不満があろうか。
ノアの存在以外に、俺がこの世界に留まる理由も、未練もないのだ。
だからノアには俺のことで気負ってほしくはない。俺を必要としてくれているならまだしも、単に俺が「死ぬのがかわいそう」ということなら、おかまいなくと言いたいくらいだ。
俺のそんな気持ちはノアにも伝わっている……とは思う。意図しないこともするする伝わっているのだから、少なくとも俺が死を恐れていないのは理解していると思うのだが。
結局、『炎の剣』経由で事情を聞いたアンジェリカは、溜め息をつきながらも許可を出した。
冒険者登録ができるかどうか、ギルマスに確認してくれるとのこと。
もちろん、正規の登録では無理なのはわかりきっている。そのため、10歳から適用されるという『特例』を使えないかという提案だろう。
年齢制限の一番の理由は「身を守れない」ことである。その点、ノアには俺という従魔が既にいる。ノアが心身共に幼くとも、盾となり剣となる従魔がいるのなら話が変わるかもしれない。
そのあたりをギルマスに掛け合ってみるというアンジェリカに、『炎の剣』も口添えするということでノアの夢、もとい誕生日祝いが半ば決定した。ちなみに冒険者ギルドから拒否されたら、誕生日祝いはちょっと便利な魔道具にするとのこと。
その際、アンジェリカは再びノアに条件を出した。
仮に冒険者登録が認められたとしても、これを守れないならば外出すら禁止だと。
それは、「絶対にルーチェと一緒に行動すること」というもので。
とても……既視感がある。
これ何回目だろうな、と思いつつ、アンジェリカとノアのやりとりを眺める。
アンジェリカは俺を何だと思っているのか。俺が泥人形だと知っているはずなのに、遠慮なくこき使ってくる。肉体労働ならともかく、保護者のような仕事は管轄外なのだが。
とはいえ、まわりに言われるまでもなくノアに付きまとうつもりだ。従魔だからというのもあるが、何より10歳にもなっていない子どもを一人歩きなんてさせられる筈がない。危険すぎる。
ただ、行き先がダンジョンや外ならばともかく、街中のちょっとした手伝いのような依頼の場合はどうすべきだろうか。
俺が役に立てばまだいいが、依頼をこなすノアの後ろでぼんやりしているだけになりそうである。それはそれで不審だと思うのだが。
この姿も、そろそろ要検討かもしれない。
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一言、「面白かった」だけで十分です。長文を頂けたらもうその日は踊り明かす勢いで喜びます。
お手数をおかけしますが、作者のメンタル救済のためによろしくお願いします。
こちらでコメントはどうも……という方がいらっしゃいましたら「ましゅまろ」(Xの固定ツイ)もありますので是非……