23.なりたいもの
バレンタインだということに仕事中に気付きました。時既に色々遅し。
ノアは将来、冒険者になりたいらしい。
お兄ちゃんが現役の冒険者だからか、となんとなく納得していたが、そういえば本人からはっきりと聞いたことがなかった。
そう思って尋ねてみたら、あっさりと肯定された。
曰く「すごくつよい冒険者になりたい」とのこと。
どうやら「強い」というのが重要らしい。強さを求めるなら冒険者よりもむしろ騎士とか兵士ではないのかと疑問に思ったが、ノアにとっては身近な「強い」人が冒険者だったようで。
思い返せば確かに、ジークたちは結構強かった。群がるモンスターを危なげなく倒していたのは記憶に新しい。俺だったらあんな状況で平然と戦える自信はない。あくまでかつての――生前の俺ならばという注釈はつくけれど。
俺がそんな質問をしたのが切っ掛けだったのか、それからノアはことあるごとに「冒険者になりたい」と口にするようになった。
「といっても、何を話せば……?」
「登録にはまだ早すぎるし、剣を握るにも……ちょっと早い?」
「5歳ですものね~魔術の適性って調べられましたっけ~?」
今日は『炎の剣』が孤児院を訪れる日だ。
ギルドからの定期巡回という話になっているが、実際はアンジェリカからの指名依頼であり、目的は俺というモンスターの監視である。
とはいえ三日に一度という高頻度なので、毎度の滞在時間は短い。アンジェリカと軽く話をして、孤児院のほうにちらりと顔を出し、ノアと暫く戯れて帰って行く。長くても30分いれば良い方だ。当然ながらわざわざ俺に声をかけるはずもなく、ノアを確認するついでに俺の存在を視認する程度。
最近では、修道女たちの手伝いをしているうちに彼らの滞在が終わっていたなんてこともザラにある。
姿どころかいつ来たかもわからないとか、俺の護衛としての設定が根底からブレている気がするのだけれど誰も突っ込んでこない。
『炎の剣』もそんなに暇ではないだろうし、そろそろ訪問頻度を落してもいいのでは。
などと思っていたのだが、ノアが「冒険者になりたい」と口にするようになったことで彼らに新たな依頼が発生したらしい。
つまりは、ノアに冒険者の心構え……もとい現実を教えるという、教師役の依頼である。
「えーと、ノアは冒険者になりたいんだったか?」
「うん! つよい冒険者になりたいの!」
恐らく、依頼を受けるにあたって相当渋ったのだろう。ノアの前に現れた三人は揃って困り顔だった。それでも断らなかったのは彼らの人の好さか、それともアンジェリカの押しの強さか。
とりあえずといった様子で尋ねたジークに、ノアが元気な返事をする。
ジークは「そうかあ」と頷いたきり、難しい顔で悩んでいる。
「まあ……強くなるのはともかく、冒険者になるのはそんなに難しくないのよ。冒険者ギルドにね、名前を登録すればいいから」
「すぐになれるの? いまから?」
「いやいや、すぐには無理かな!」
悩むジークの代わりにアリシアが答え、ノアの言葉に慌てて首を振る。
「登録は成人してからですよ~ノアさんはもう少し我慢ですね~」
「でもね、ただ登録すればいいってだけじゃないの。それまでにちゃんと準備して強くなってないと、怪我しちゃうから」
「じゅんび?」
「そう。鎧とか盾とか、そういった身を守るものね。それから一番大事なのは、ノアの身体と心を鍛えることよ」
冒険者登録は年齢制限があるらしい。俺の常識ならば成人は15歳なのだが、今……というかこの国も同じだろうか。仮に同じならば、あと10年はお預けである。
すぐには不可能と知ったノアが項垂れるのへ、アリシアがすかさずフォローを入れた。
「体力づくりと体の動かし方と、剣を使うのならその練習かな……まあこれはもうちょっと大きくなってからね」
「あとはお勉強も大事ですね~賢さも強さですよ~」
文字もたくさん覚えると良いですよ、とエレン。
確かに、体を鍛えるにはノアはまだ幼すぎる。そうでなくても痩せ気味なのだから、下手に訓練などしてしまっては却って成長を妨げそうだ。
「賢さも、つよい?」
「ええ、たとえば重い物を運ぶとき、ノアさんならどうしますか~?」
「えっと、ルーチェに手伝って貰う!」
「ルーチェさんがいなかったら~?」
「……先生にお願いする?」
「なるほど、周りの皆さんに手伝って貰うのですね~? ああ、悪いことではありませんよ、むしろとても良いことです~。自分ひとりでは難しいことを他の人に手伝ってもらうことで解決する、ノアさんのそれが賢さのひとつですよ~」
「賢さ?」
「ええ。困ったときにどうやって解決するか、その方法をたくさん思いつけるようになることが、より賢くなるということです~ひとりで重い物を運べるようになることもいいことですけれど、色々な方法を知っていればもっと強い冒険者になれると思いませんか~?」
エレンの言葉を難しい顔で聞いていたノアは、うんと頷いて俺を見上げた。
「ぼく賢くなる。賢くなって、つよくてすごい冒険者になる」
うん、まあいいんじゃないか。
決意みなぎる顔で見られているが、それを俺に向かって宣言するのは何故だ。俺は別にノアの意見に賛成も反対もしていないし、さほど興味もない。すぐにも冒険者になると飛び出したらさすがに止めるけれど、成人してからならば問題ないだろう。その頃には選択肢も増えている筈だ。夢はいくら大きくてもいいと思う。
「ルーチェはつよいけど、ぼくもつよくなるよ」
買いかぶりである。だがまあ、今のノアより俺が強いのは当たり前なのでそうかそうかと流しておく。
「そいつの強さを基準にしたらダメだと思うんだけどな……」
「……魔物だものね。人間の強さとは種類が違うかなあ」
思考の海から戻ってきたらしいジークと、腕を組んだアリシアが渋い顔をしている。
「ルーチェは賢いよ? だからとってもつよいの!」
エレンによる「賢さ=強さ」がすり込まれた結果、とんでもない暴論を持ち出すノア。だからそれは買いかぶりだと。俺はただの泥人形だし、生きていないらしいから成長も伸びしろもないと思う。
「ああ~なるほどそういう……否定しづらいな」
「要は勉強頑張るってことだしいいんじゃない? 悪いことじゃないもんね」
「まあ最初のとっかかりとしては悪くないか。身体鍛えるのはまだ早そうだしな」
「そうそう。私たちも最初は文字が読めなくて大変だったもの。エレンは教会で習ったんだっけ?」
「そうです~。教会に入ったのはちょうどノアさんくらいの歳でしたけれど、それまでは文字なんて意識したこともなかったですね~」
田舎だったので、とエレンが言うのに、ジークとアリシアも頷いている。
田舎での識字率が低いのは俺の時代と変わりないらしい。
日々の労働は頭より身体を使うほうが断然多いので、読み書きの必要性があまりないのだ。なにかあっても、読み書きのできる人間がひとりふたりいれば事足りてしまう。
レテでは俺を含め、7人ほどが読み書きを覚えていた。村長とその息子、俺、それから事情あって家に籠りがちな人間である。他の村人は、単純に生活に追われて学ぶ機会も余裕もないので、余裕はなくとも時間だけはある村人が選出された形だ。割と貴重な本をいくつか読ませて貰えたのは良い思い出である。
「……ていうかさ、ここきた時からずっと気になってたんだけど、言っていいか?」
「え、何?」
俺にとってはせいぜい数ヶ月前の記憶を振り返っていたら、田舎の話題で盛り上がっていたエレンとアリシアに、ジークが声をかける。
「なんか……だいぶ馴染んだよな、ルーチェ」
内緒話をするようなノリで二人に話しかけているが、特に潜められてもいないのでばっちり聞こえている。
当然ながら俺の膝の上に鎮座しているノアにもしっかり聞こえていたため、不思議そうに金色の頭が傾ぐ。
「そうなの?」
「いやこの状態で馴染んでないとかありえないだろ」
真顔のジークに指摘され、俺はなんとなく視線を巡らせた。
俺たちがいるのは、孤児院の一室などではなく『奥の庭』の片隅だ。樹木の周辺は畑にするには向かないので、結構な範囲がそのままの状態になっている。
この辺りは子どもたちの遊び場だ。畑仕事があってもなくても、天気の良い日は子どもたちが走り回っている。
『炎の剣』の来訪は聞いていたものの、特に何も言われなかったのでいつも通り過ごしていた。なので、この場にはノアの他にも子どもたちがいる。言わずとしれた、俺を怖がらない面子である。
エルシーとソフィアは、俺の隣で聖書を元にしたごっこ遊びを展開中。
彼女たちに巻き込まれて『農民』の役をさせられているユーグと、『天使』役のノア。ルッツは俺の背中に凭れて読書をしつつ、聖書に登場する『予言者』の役を兼任している。
ついでに、ノアの椅子になっている俺まで『天使』の役を割り当てられている。まあ聖書には7人の天使が登場するので、台詞のない『天使』がひとり増えても問題ないのだろう。ちなみに肝心のエルシーとソフィアの役も『天使』である。この配役で物語がどうなっているのか気になるところ。
実態はともかく、周囲を子どもたちに囲まれている状況は一見すると「馴染んだ」と判断されても仕方ないかもしれない。
「ノアでだいぶ驚いたつもりだったけどなあ……最近の子どもって肝が据わってるのか?」
俺が泥人形だと知るジークには、なかなかに衝撃の光景のようだ。気持ちはとてもわかる。
「ねぇ次ルーチェだよ」
「ルーチェ、せりふ~」
ジークたちとの話が一段落ついたと判断されたのか、ソフィアとエルシーから指導が飛んできた。
台詞と言われても俺に声は搭載されていないし、ついでに話の展開も理解してない。
エルシーがやれやれといった様子で手元の絵本をノアに渡し、あれこれと指示をしている。
「いまここなんだって。ここ読んで」
ページをめくったノアが、俺に該当の箇所を示してみせる。
なになに――『今こそ我が裁きを下す時』?
「いまこそ わがさばきをくだすとき」
うんうんと頷いたノアが、物騒な台詞をそのまま口にする。
俺に読ませる意味があるのかそれは。
だが問題はなかったようで、彼女たちのごっこ遊びは問題なく進んでいく。これ、俺ではなくてノアの台詞でよかったのでは。
「それノアのセリフじゃないんだ?」
俺と同じことを思ったらしいジークが、思わずといった様子で口を挟む。
「ルーチェだよ。ルーチェはレヴィア様だもの」
「ノアはねぇ、ルフトゥさま」
ソフィアとエルシーが端的に答え、農民のユーグに次の台詞を要求した。
どちらも聖書に登場する天使の名前のようだが、残念ながら覚えていない。
俺が『七天教』について知っているのは、7人の天使がいることと、その中に『セラータ』という名の天使がいることくらいだ。その名を記憶しているのも、単にこの孤児院、もとい運営している教会のほうにセラータの天使像があるためだ。『七天教』は天使の数と同じだけ宗派がわかれているようで、ここの教会は『セラータ』派に分類されるらしい。なので一般的には『セラータ教会』と呼称されるのだとか。ちなみにセラータは慈愛を司る天使であるため、他の宗派に比べ孤児院を併設することが多いそう。
ある意味ここの皆が専門家なので、手伝いの合間に尋ねたら嬉々として教えてくれた。
勿論、質問者はノアである。俺はただ傍で突っ立ってただけだ。まあ、5歳児には不向きな難しい言い回しも多々みられたけれど、ただのうっかりだということにしている。
「レヴィアなあ……うーん、近いといえば……?」
当然ながら知っているらしいジークは、俺を見て首を傾げている。
「白いからじゃない?」
「レヴィア様は銀の天使とも呼ばれますしね~」
聖職者であるエレンが納得したように頷く。銀というには輝きが足りず、白というにはくすんだ色味なのだけれど、と己の胸元に流れる髪に視線を落とす。うーん灰色。
「というか魔物に天使の役って……」
「ジーク」
ぼそりと呟いたジークを、アリシアが勢いよく小突く。
余計なことを言うなというヤツだろう。子どもたちに聞かれるのを懸念しての行動だと思われる。
俺としてはジークの反応が正常だと思うので、許してやってほしい。ここの子どもたちの態度のほうがおかしいから。なんで口の利けない俺に台詞付きの役を振るのか。ノアの代弁も意味がわからないし。
「あーいや、まあよかったとは思ってんだよ。正直ルーチェのことはあんま心配してねぇけど、ノアが浮いたりしたらかわいそうじゃん」
「子どもって残酷なとこあるしね。って私はルーチェも心配してたけど!」
「嘘つけ、お前だって何考えてるかわかんないっつってただろ」
「それとこれとは別でしょ。大体ルーチェは話せないんだしわかるわけないよ」
仲良くやりあうふたりに、エレンが首をかしげる。
「でもパメラ様もキャロル様も、なんかわかるって仰ってましたよね~?」
俺が「目で会話できてる気がする」と思ってたあれそれは、やはり向こうも同じように感じていたらしい。実質会話成立といってもいいのでは。
「それ! 聞いたときマジで驚いた。俺ら全然わかんねぇのに……やっぱり過ごした時間とかか?」
「半日一緒にいただけだしね。パメラさんたちもルーチェが従魔って忘れてる気がする」
それは俺も思う。用事の頼み方に遠慮がなくなってきた上に、先日は味見を頼まれた。この口はただの飾りで舌はないし、そもそも味覚もあるのか怪しいので断ったけれど。俺の反応をみて「あっ」って顔をしていたからあれは間違いなくうっかり。
「こうしてると忘れちゃうのもわかりますねぇ~」
「いやわかんねぇよ!?」
「わかんな……くもないようなそうでもないような……」
のんびりとしたエレンの言葉にジークがありえないと首を振り、アリシアはなんとも言い難い表情で子どもたちを見つめる。
子どもたちは大人たちのやりとりに興味がないようで、ごっこ遊びに夢中だ。今は『農民』のユーグが剣に見立てた枝を授けられている。さてはあの農民、重要な役だな。
「ぼくも! そういえば護衛だったってよく思うの」
「そりゃそうだ。ノアはそいつの声聞こえてるんだろ? なおさらだな」
「んっとね、声はきこえたりきこえなかったりだよ」
考える素振りのノアに、ジークが首を傾げた。
「聞こえないのにわかるのか?」
「うん。なんかね、胸のあたりがそわそわしたり、ぎゅってしたり、ふわふわしたりするからわかるの」
「うん……? ふわふわ……?」
「ルーチェの感じてることがわかるって感じかな?」
疑問符を量産しているジークにかわり、アリシアが尋ねる。
「たぶん? 痛いときはぎゅってするよ。ダメだよって言ってるときはそわそわする。あと、なでなでしてくれる時はふわふわしてるの」
ちょっと待って欲しい。とてつもなく恥ずかしいことを暴露されている気がしてきた。
「へぇ……ふわふわ、かあ」
束の間ぽかんとしたアリシアが、なんとも言えない表情を浮かべて呟く。
その隣で微笑んでいたエレンが、柔らかな笑顔のままにノアに尋ねた。
「ちなみに、いまのルーチェはどんな感じですか?」
「えっとね」
ぱっと俺を仰いだノアの両目を、つい手で覆ってしまった。
「? ルーチェ?」
意味はないとわかってる。ノアとは目で会話どころか殆ど筒抜けなのだから。
あくまで気分の問題で……要はこれ以上話さないでくれると俺の心が助かるのだ。今すぐ埋まりたくなるからできるだけ黙っててほしい。
「……ひみつ?」
ノアが俺に目隠しされたまま聞いてくるので、すぐさま肯定した。俺のために秘密にしてください。
俺の切実な内心を理解したらしいノアは、頼もしく頷いて口を開く。
「わかった! あのね、ひみつだって」
「へぇ……秘密かぁ……」
「あら~ふたりの秘密なんですねぇ」
もう殆ど暴露してるといってもおかしくないノアの返しであったが、まあ子どもにしては上出来かもしれない。ありがとな、と目隠しを外してやると、ノアは嬉しそうに笑う。
「ぼくたちのひみつ!」
秘密が嬉しい年頃らしい。そんな大層な秘密でもないが、楽しそうだから無難に肯定を返しておく。
口の利けない現状、思考が伝わるのは便利だとは思う。
ただ、こう何もかも筒抜けなのはさすがにどうかと思うのだ。
隠し事がしたいわけではないが、いつか俺だけの秘密がもてるようになりたいものである。