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20.ローレン

「ああ、ルーチェ、いいところに」


 何気なく呼ばれて、足を止める。

 振り向けば、籠を抱えた修道女と子どもがひとり。今から洗濯物を干しにいくところなのだろう。腕の中のかごからは、洗濯物がはみ出さんばかりだ。

 なんだろうと思っていると修道女は俺から視線を外し、子どもへと目を向ける。


「ごめんね、エルシー。今手が離せないの。少しのあいだだけルーチェと一緒にいてくれるかしら」


 柔らかな髪をゆらし、子ども――エルシーは小さく頷く。


「なあに、どうしたの?」


 俺の代わりに問いかけたのは、すぐ傍にいるノアだ。

 俺がノアと別行動を取ることはない。ノアのいるところには俺がいるし、逆もしかり。なので当然、俺が呼び止められればノアも足を止める。

 まあ孤児院内だから許されていることだろう。街中なら間違いなく警備の兵士がすっ飛んでくる。何しろフードの不審人物が子どものすぐ後ろにいるのだから。


「……んと、服、破れちゃったの」


 ノアの問いかけに、エルシーは自らの服をつまんでみせた。

 みれば確かに、ワンピースの裾が大きく裂けている。膝下まで覆われていたそこが、ぱっくりと縦に裂けて(もも)の半ばあたりまで足が見えていた。


「あとで繕いましょうね。少しだけ待っていて。これが終わったらすぐにくるから……ルーチェ、ノア、エルシーをよろしくね」


 修道女はそう言い置いて、慌ただしく去って行った。

 彼女たちは普段から何かと忙しい。教会や修道院なんてものに縁のなかった俺からすれば、もっと穏やかな……いってしまえば隠居生活のようなものを想像していたのだが。

 教会の維持管理だけでなく孤児院のそれまで彼女たちの仕事のようだ。宗教儀式や行事、子どもたちの世話、加えて自らの生活もあると思えば、彼女たちの負担は相当なものだろう。全員で分担するといっても、アンジェリカを含めて4人の姿しか見ていない。

 どうやって回しているんだろうか。

 子どもたちも手伝ってはいるようだが、幼い子どもにできることなど限られている。魔法を使うにも限度はあるし、彼女たちは休む暇があるのだろうか。

 彼女たちの負担の一部である自覚があるので、非常に申し訳ない気がしている。

 とはいえ、俺にできることなど「大人しくする」くらいしかない。

 その延長で、やたらと集まってくる子どもたちの相手くらいはと世話を焼いていたら、いつの間にか『子守り担当』に割り当てられていた。

 もちろん面と向かってそう言われたわけではない。

 気付けば周りに子どもを集められることが増え、名前で呼びかけられるようになり、ついには今のように「子どもをよろしく」とあっさり託されるに至って、さすがに察した。

 これ、俺の仕事にされてるな、と。

 まあ別に苦ではない。ここの子どもたちは程度の差はあれど大人しい子どもばかりだ。注意すればちゃんと聞くし、子ども同士で喧嘩になることもあまりない。年長のルッツがいれば、言い聞かせてくれるので更に楽である。

 村の子どもたちの有り余る元気っぷりを思うと、本当に同じ年頃なのかと疑うレベルだ。恐らくは育った環境というか、生い立ちによるものだとは思うのだけれど。

 ……ともかく俺が楽なので良しとしている。これで村の子どもたち並みだったら、間違いなく俺は原型をとどめていない。あいつら元気すぎるから。まだ害獣と戦った方がマシだと思う。


「ぼくたち、お庭にいくところなの。エルシーも一緒にいこ?」


 ノアの誘いに頷いたエルシーだが、こちらに近寄る足運びは少しおぼつかない。怪我をしている様子はないから、服の破れが気になっているのだろう。

 近づいてきたエルシーを、屈んでそっと抱き上げた。


「ルーチェ?」


 エルシーが不思議そうに見てくるが、危なっかしいのでこのままで移動させてほしい。別に転びはしないだろうけれど、おっかなびっくり歩いていると不安になる。


「危ないからって言ってるよ」


 すっかり俺の通訳が板についたノアが、俺の内心を勝手に代弁している。

 おかしいな、ノアに伝えたつもりは全くないのだが。従魔術とは脳内が筒抜けになる魔法なのだろうか。

 俺のそんな困惑は伝わっていないようで、ふんふんと謎の鼻歌を披露しているノアはいたくご機嫌である。

 不思議に思いつつ『奥の庭』へと移動すると、そこにはルッツと、見慣れない男性の姿があった。


「何してるの?」


 相変わらず物怖じしないノアが、首を傾げて問いかける。

 それににこにこと答えたのは、袋を手にしたルッツだ。


「種を植えてるんだよ」

「おう、あんま近寄るなよ、あぶねぇぞ」


 覗き込もうと近づいたノアを、傍にいた男性が制する。

 無精髭の、壮年の男性。孤児達と同様、作業着のような簡素な服を纏い、右手には(くわ)を握っている。ノアを制そうと伸ばされたその左手は肘から下がなく、こちらを振り向いた左目にも眼帯が着けられていた。

 隻眼に隻腕。

 痩せてはいるものの、しっかりとした体つきから、長く肉体労働をしてきた人物だと思われた。

 ここには修道女しかいないと思っていたが、男性もいたらしい。それにしては今まで一度も顔を見なかったけれど、ここの住人ではないのだろうか。

 疑問に思っていると、俺の元に戻ってきたノアが「ローレンはぼくたちのお部屋のお隣だよ」と教えてくれた。へぇ隣。……隣?

 孤児院の子ども達は、男女に分かれての共同部屋だが、ノアに限っては個室だ。

 理由は俺の存在である。

 従魔とはいえ魔物と子どもを一緒に部屋に放り込むなんて暴挙としか言いようがない。ならば該当する子どもと従魔を隔離するしかないということで、俺とノアは孤児院ではなく別の建物に部屋を与えられた。

 敷地内には、住居用としての建物が2棟ある。どちらも教会と内部で繋がっているのだが、中庭を挟んで相対する形で建てられており、片方は修道院、つまり修道女たちの住居棟となっている。

 そして反対側の棟は、院長室や倉庫などのほかは大半が空き部屋であり、そのうちの一つが俺たちに与えられていた。

 そのため、こちらの棟は夜になるとひとけがなくなる。寝泊まりしているのは俺とノアくらいだと思っていたのだが。

 まさかすぐ隣に人が寝起きしていようとは。


「そいつか。例の従魔ってやつは」

「そうだよ。ルーチェって言うんだ。土妖精(グノー)なんだって」


 男性――ローレンが、胡散臭そうに俺を見遣る。ルッツの答えを聞いて、更に表情を渋いモノに変えた。


「グノー? あれが? そんなしょぼいモンじゃねぇだろ……」


 その目にはありありと警戒の色が乗る。

 もしや、彼にも正体がバレたのか。本格的に自分の姿が不安になってきた。ヒトっぽいと押された太鼓判はもはや信用できない。いやまあ、現状魔物であることを明かしているので、ヒトらしく見えるかどうかは問題ではないのだけれど。


「よ、妖精だよ! ぼくの護衛!」


 俺の焦りが伝播したのか、ノアが俺にひっしとしがみついて主張する。


「ん? ああ、院長から聞いてる。大変だったみてぇだな、ノア。どこもなんともねぇのか?」

「うん。平気」


 ほら、と両手をあげて元気アピールをするノアに、ローレンはふっと目尻を緩める。


「そりゃよかった。暫く留守にしてる間に面倒なことになっちまってるようだが……まあ、護衛としちゃあ十分か。命令とかちゃんと聞くのか謎だけどな」


 どうやら彼はずっと不在だったらしい。通りで一度も姿を見なかったわけである。

 そして、彼の訝しげな視線と台詞から察するに、俺とノアの『事情(せってい)』をある程度把握している様子だ。

 アンジェリカが設定しただろう手頃な仮想敵とは、一体どんな魔物なのか。あまり強くない魔物だといいなと思う。下手に期待値を上げられても困るのだ。こっちはただの泥人形(モンスター)なので、土をどうこうするくらいしか取り柄がない。


「大丈夫じゃないかな。ルーチェ頭いいよ。いろんなこと知ってるし、教えてくれる」

「教える? あいつ喋れるのか?」


 ノアの代わりにルッツが答え、ローレンが眉を跳ね上げた。


「ううん、喋らないよ。喋れないのかな。ノアがね、わかるみたいで」


 こう言ってるって教えてくれるんだ、とルッツ。

 表情が益々渋くなるローレン。

 その気持ちはわかる。どう考えても異常だ。護衛として貸し出されただけの従魔と、主人でもないはずのノアがどういう理由で会話ができているのか、謎というより不審でしかない。

 このあたりを隠すことができれば良かったのだが、さすがに5歳児にそこまでは求められないため、アンジェリカとスヴェンはこう『設定』を作った。


「従魔証にそういう機能がついてるんだって」

「ああ……なるほどな。すげぇな魔道具ってのは」


 従魔証にそういう術を仕込み、それによってノアのみが意思疎通可能なのだと。そういう『設定』にしたらしい。

 実際に、そういう魔道具が存在するのかはわからない。少なくとも俺の記憶にはない代物だ。

 ただ、従魔証や拘束具でわかるように、この国の魔道具は性能も機能も多岐にわたる。たまたま知らないだけでどんな便利な魔道具が存在しても不思議ではない。――そう思うのは俺だけではないようで。

 ルッツのあっさりとした言葉に、ローレンはすぐに納得した。

 もう少し疑ってもいいと思うのだが、それだけ魔道具への信頼があるのだろう。


「その種なあに?」

「えっと野菜の種だよ。なんだったかな、色々入ってるんだって」

「へぇ、ここに畑を作るの?」

「お野菜? 果物は? ベリー食べたいなあ」


 エルシーを降ろしてやると、ノアと一緒になってわいわいと騒ぎ出した。服の破れも気にならなくなったらしい。


「まあ上手くいきゃそうなるな。上手くいきゃな」

「やっぱりだめかな? ゴルドさんが、これならあまり手間がかからないからってくれたんだけど……」


 呆れたように笑うローレンに、ルッツが手元を見て眉を下げた。

 ゴルドというのは、街にある雑貨店の店主の名前だ。ルッツは定期的にその店で下働きをして、時折こうして食材や菓子など、様々なものを貰ってくる。ちなみに稼いだ分は孤児院を出る時のために貯蓄しているらしい。


「あー、俺はそういうのよくわかんねぇけど、そんならまあ育ちやすいんだろ。とりあえず幾らか蒔いてみろ。土の機嫌がよけりゃ育つかもしれねぇし」


 ややなげやりともとれる口調のローレン。その口ぶりからは、これまであまり成功していないらしいことが感じ取れた。

 俺はフードの影からぐるりと周囲を窺う。

 建物と壁に挟まれた奥まった場所とはいえ、日当たりは悪くない。土の色を見ても特に痩せてる印象はないし、水はけが悪いというわけでもなさそうなのに育ちにくいのだろうか。

 確かに、ここに植わっているのは一本の木だけで、あとはひょろりとした雑草しかないけれど。


「ここに植えるの?」

「まてまて。そこじゃなくてそっちの土のとこだ。いいか、指で少しだけ窪みをつくって、そこに蒔け」

「こう? あっこぼれた」

「……まあそんなとこだ。こぼれたのは拾わんでいいぞ」


 ローレンの指示に従って、ノアとエルシーが慎重に種を蒔いている。うちの村なら、もっとざっくりばらばらと蒔くことが多いのだが、あまり生育がよくない環境となればつい丁寧にもなるだろう。


「ね、ルーチェ」


 少し離れたところで見守っていたら、いつの間にかこちらにやってきたルッツが俺のローブを引っ張った。


土妖精(グノー)なら、土の状態とかわからないかな? 色々やってみたけど何が悪いかわからないんだ」


 ルッツによれば、ここ『奥の庭』では以前から何度か畑を作る計画が出ていたそうだ。

 ところが、何をどうしても野菜が育たない。芋などの根菜も育たず、ならば花や果樹ならとあれこれ試行錯誤してみたが、やはり育たなかった。唯一の成功例が庭の片隅にある一本の木だ。それ以外はことごとく枯れ朽ちてしまったらしい。

 詳しい人物を頼ったり、様々に原因を探ったが、結局「人体に害はないがなぜか植物は育ちにくい」という結論しかでなかったそうだ。


「ここで野菜が育てられたらいいのになって思ったんだけど」


 そうなれば少なくとも、栄養状態はもう少しマシになるだろう。今が悪いとは言わないが、村に比べてここの子ども達は痩せている。

 村の生活は基本的に自給自足だ。野菜などは各家庭で育てているし、肉類はすぐ隣の森で狩ってくればいい。貧乏な村ではあったが飢える心配はしていなかった。

 ここは、生活水準などは村より豊かだと断言できるが、その分自給自足は難しい。すべてを金銭でまかないきれればいいが、そうでなければどこかを切り詰めなければならなくなる。

 子どもたちの痩せ具合や、修道女たちの華奢さを見るに、台所事情もあまり良くないのかもしれない。いくら宗教的に清貧が推奨されていたとしても、栄養失調で倒れるのは違うと思うし。

 なので、ルッツの提案はとても良いものだとは思うのだが。

 問題は俺が土妖精(グノー)ではないことである。

 俺はただの泥人形なのだ。土の操作はできるが、地質調査は管轄外である。土なんて身体の構成要素くらいの認識しかない。

 期待の眼差しを向けてくれるところ申し訳ないが、俺では役に立てそうもないわけで。

 そのあたりを通訳して貰おうとノアを見たら、ノアはこちらに全く注意を払っていなかった。彼はエルシーと種まきに夢中である。

 強引に呼びつけるのも気が引けたので、ひとまず屈んで両手を地面につけてみた。


「! 調べてくれるの?」


 そうじゃない。というか調べかたなんてわからないのだ。これはあくまで、試しにやってみる程度のものである。調査なんてちゃんとしたものではなくて、ただのダメ元だ。

 両手を地面と同化させ、近場の土を操作してみる。問題なく動いた。

 少しずつ支配領域を増やしていくと、連動して俺の「視界」も広がる。庭に埋まった建物の残骸。その深さ。ちょろちょろと生えている雑草。そして、庭の片隅に残った一本の木。

 どれも、変わった感じはしない。

 ただ強いて挙げるなら、雑草も木も、一般的なそれらに比べて魔力が多いような気がする。

 雑草はともかく、木からは微妙な反発も受けた。恐らく根っこに俺の支配が及びそうになったからだと思うのだが、ダンジョン内では一度もなかったことだったので少し驚いた。

 考えてみればわかることだ。

 木だってちゃんと生きている。自分が懸命に伸ばした根を、ぽっと出の俺に無理やり奪われたら抵抗もするだろう。

 改めて、ダンジョンの異常性を思う。モンスターが「生きていない」のと同様、ダンジョン内の植物も「生きていない」のだ。だから容易く支配権を奪えるし、抵抗もない。


「どう? わかる?」


 ルッツがしゃがんで、俺を覗き込む。

 その焦げ茶の瞳を見返して、俺はちいさく首をふる。

 異変というならこの魔力くらいだが、それがどう関係しているかはわからないし、そもそも無関係かもしれない。

 ぱち、と瞬いたルッツが、少しの間を置いて肩を落した。


「そ、そっかあ……ルーチェにもわからないならやっぱり無理なんだ」


 目に見えてしょんぼりとしたルッツに、さすがに少し焦る。

 なんとか慰めてやりたいが、残念ながら俺の喉に声が搭載されていない。こんな時に通訳もといノアがいればと再度ノアを見ると、ノアはやはりこちらの様子に気付いてもいなかった。

 仕方なく、地面との同化を解いて両手を地面から引っこ抜く。元通りの手を作って、異常がない事を確認して。

 俯き加減の目の前の頭を、軽く撫でる。子ども相手の日常で力加減は当初よりぐっと上達した。撫でるくらいなら余裕である。


「?」


 突然撫でられたルッツはぽかんとして、それから視線を彷徨わせた。


「……えと、もしかして、なぐさめてくれてる?」


 その通りだけれど肯定するのは少し恥ずかしい。そもそも俺が役に立たなかったせいなので、どう反応しようもない。

 ひたすらなでなでを繰り返す俺に、「ありがとう」とルッツが笑った。

 10歳の子どもの方が大人な対応である。




 その後ようやく気付いたノアが「どうしたの~?」と暢気な調子でやってきて、経緯をきいてひとりあわあわとしていた。やりとりを聞いていたらしいローレンまでもが話に入ってきたあたりで更にパニックを起こしていたが、「ちょうどいい。このへんの土を掘り返してくれ。片腕でやるのは疲れるんだよな」という彼の発言にあからさまに安堵していた。あまりにバレバレな反応に俺の中の不安が増す。それとなく様子を窺うと、ローレンも仕方ないなと言わんばかりに苦笑いをしていた。

 勘付かれている気もするけれど、俺にはどうしようもない。

 ローレンと子どもたちの要望に従って、掘り返しては土をふかふかにしていく。そのあたりの土を支配下に置いてしまえば、息をするより簡単な作業だ。実際に呼吸をしているかどうかは別として。

 そのままわいわいと全員で土いじりをしていたら、修道女がやってきた。

 洗濯ものなどの作業を終え、エルシーを探していたらしい。

「庭にいるならそうと言ってちょうだい」とお叱りをうけた。


 なぜか俺が。



 ……いや、俺にどうやって伝言しろと。


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