1.始まりは惨劇
短めです。
始めに、思い切り殴られたような衝撃があった。
痛みより何より、ぐわんと揺れる視界と脳に、混乱が先立った。
殴られた? 誰に? 何に?
状況を認識するより早く、体から力が抜けていく。果実が地面に落ちるように、落下していく意識と体。抗おうにも抗えない。混乱しつつも仕方ないと諦めかけて。
――排除セヨ。
不意に脳裏に響いた声に、体が反応した。
落ちかけた意識はそのままに、体だけが声に従う。
意識の外で動いた腕が、足が、力強く大地を殴りつけた。
響く破砕音。体に伝わる衝撃。ぶるぶると脳を揺すられて、半ば飛びかけていた意識が戻ってくる。
「っ、ヤバイ、逃げろっ!」
「防壁だ! 魔道具は!」
「展開してる! あいつは、」
「無理だ、もう諦めろ!」
途端に喧騒が耳に届いた。
張り詰めた空気と、恐怖と混乱に引き攣れる複数の声。
明らかに尋常ではないその様子に、ようやく意識がクリアになった。
声の方に視線を向けると、武装した数人の姿。がちゃがちゃと鎧や盾を鳴らしてどこかへ走り去っていく。振り回したカンテラが地面に落ちて割れ、その音にすら恐慌をきたして騒いでいる。滑稽なほどの混乱ぶりに思わず呆然と見守ってしまった。
どこぞの兵士だろうかと思考して、それにしては統一感がないなと思う。
鎧の意匠はバラバラで、剣や盾の他にも見慣れない武器や防具を持っていた。狩人のような姿やローブだけを纏った軽装者も見受けられることから、少なくとも兵士ではないと判断する。
一体何があったのか。
突然の出来事に危機感がまったく仕事をしないまま、ぼんやりと彼らの後姿を見送ってしばらく。
すぐ近くで微かな呼吸音がすることに気づいた。
視線を落すと、足元に伏した何者かの頭がある。――その下には、真っ赤な水たまり。
辛うじて生きているようだが、このままであれば恐らく幾ばくも持たないだろう。
ぽかんとしたまま、まじまじと観察する。
その人物は男性のようだった。足元まで覆うローブを羽織り、その下には皮鎧を装備している。
ただの村人にしてはやや重装備だ。狩りをするにしても鎧まで着こむことは滅多にないし、そもそも狩りならばこんな長いローブは邪魔である。
兵士にしては軽装だけれども、去っていった仲間と思しき人々の様子からみるに、やはり何らかの組織に属していると見たほうがよさそうだった。
傭兵か自警団か。装備の程度からして、少し大きな街の自警団かもしれない。そういえばどこぞの村はかなり投資をして自警団を作ったと聞いた。近隣の街にも負けないと息まいていたそうだが、戦争でもする気なのだろうか。ちなみにうちの村にはそんな組織はない。
素性が気になって観察をしているうちに、気づいたら彼の呼吸は止まっていた。
死因は頭部の重篤な損傷。血を流しすぎたというのもあるだろう。
広範囲に広がる血溜まりを見遣って、彼の仲間たちが走り去った方向を見遣る。
負傷したこの男性は見捨てられたのか。
それとも、既に事切れたと判断されたのか。
『諦めろ』と叫んだ誰かの声が脳裏に蘇り、これだけの出血をみれば仕方ないと思った。
となると問題は、彼がなぜ死んだのかということだが。
答えはあっさりと判明した。
俺の、地面へ垂らした左手。手のひらと言わず腕と言わず、とにかく全体的に赤いのだ。
つまり犯人は俺らしい。
赤い滴を垂らす手を軽く振ると、地面に赤い飛沫が散った。
思い返すに、倒れそうになった瞬間に力を入れた記憶がある。倒れないために足と、反撃のために左手に。
おそらくはこの男性から攻撃を受け、ふらついたものの反撃に出た結果、相手を殺してしまったようだ。
状況に合点がいって、己の冷静な思考に首を傾げた。
殺人だ。人殺しだ。ついさっきまで生きていた命を、この手で奪った。同族殺しは重い罪だ。
頭にしっかりと叩き込まれた倫理観がつらつらと並べるが、「そうだね」という感想しかでてこない。罪悪感はいずこ。
むしろ「死んで当然では」という正当化する思考が強いのが不思議だった。
それは、攻撃を先に受けたというのが理由の一端。
自衛のために反撃をするのは生き物として当然の反応だ。害されたことに対する反射として、相手を殺すのはおかしなことではない。……いや、おかしいな?
じわじわと土に染みこんでいく血溜まりを眺めつつ、やたらと過激な方向に傾く思考に首をひねる。
俺はこんな人間だっただろうか。
人の死に動じないどころか、害することを正当化するような、そんな人間だっただろうか。
真っ赤に濡れた手を見遣り、違和感に気づく。
小指が欠けている。
それだけならば反撃の際に負傷したかと思うところだが、よくよくみれば関節の付き方が不揃いでおかしい。あるべき指に節がなかったり、かと思えば節が多かったり。ぐ、と握ってみるとその不自然さは顕著になる。そして見当たらない爪。
改めて今度は汚れていない右手を見て見ると、明らかにおかしかった。長さは肘のあたりまでしかなく、まっすぐな断面から指らしきものが数本突き出して蠢いている。その数は12本。うん、ちょっと指が多いかな。
いつの間にか、俺は人間を辞めていたらしい。