源臓不全
♯♯歴3201年
僕は源臓不全と診断された。
ずっとずっと昔に、偉い医者が作り出した『源臓』という人工臓器。
やる気が作られるという臓器は、何を分泌しているとか化学物質とかは忘れたけど、現代ではこの「源臓」を持つ人間人間がほとんどだ。
ごく稀に無い状態で生まれてくる人は、培養された源臓を乳児の頃に移植されるのだ。
昔誰かが、「やる気」とは行動を移さない人間が作り上げた体のいい良いわけだと言った。源臓のあるこの世の中じゃ、みんな「健康管理」「自分の健康も分からないで」と責めたてられる。これは本質的に変わったのだろうか?
「源臓のない人間はどうやってやる気を作ってたんだよ」
誰も返事なんかしない。そりゃそうだ、だってここは僕の部屋で、一人ベッドに横たわっているのだから。
"ある日突然に音もなく、やる気を作る器官が壊れた"
大学に入ってから、一人暮らしが始まり、何もかも慌ただしくて慣れなくて、でも楽しかった。
サークルにも入ったし、授業も楽しい、バイトも週2だけど飲食店で働き始めた。
ある日朝起きてご飯食べて出ようと思って立ちがろうとするけど腰が重い。涙が次々に流れてきて止まらない。拭いても拭いて止まらなくてよく分からないのに悲しくて仕方ない、
結局大学をサボって罪悪感と布団の中で目も鼻も真っ赤なまま寝たり泣いたりする。
突然無力感に襲われ、なす術なく家に引きこもらざるを得ない日が続いた。
どうしても必要な手続きがあるから、身体を引きずるように大学構内を歩く。誰にも見られたくない思いから背中が丸まる。友人らはきっとこの時間は授業だろう。
本来はその授業に僕も出ていないといけないけど、行けない。資格がないように思えてしまう。どんな顔をして会えばいいの? どう教授に言い訳すればいいの。
「見ろよあいつすげー下向いてるぜ」
「おい、下くらい向かせてやれよ」
ハハハッと明るい笑い声が聞こえる。
僕のことだ……涙が出そうになった。授業中のこんな時間だから、人通りは非常に少ない。そんな中、視界の端にいる男子学生たちの目線の先は間違いなく僕だった。
そして言われて初めて気がついたらのだ。僕の首は下へ90度ほど曲がっていた。こんなにも下を向いて歩いていたのかと驚いた。恥ずかしい。死にたい……そんな気持ちが芽生えた。
これはヨクナイ感情だ。
一人暮らしの家にやっと帰ると、ベッドに倒れ込む。ペットボトルがたくさんある、捨てなくちゃ、中身が空のもの、入っているもの、麦茶の上澄には埃のようなカビが浮かんでいた。
友人から連絡が来た。
メッセージに既読をつけずに見る。
返事する気が起きない。
アルバイト先から連絡が来た。
メッセージに既読をつけずに見る。
返事する気が起きない。
電話が鳴っている。
出られない。
母さんからも電話が来た。
出られない。
もう1週間は風呂に入っていない、汚くて不快だけど、身体が泥のように重くて重くて……思考まで沼の底に沈んでいくようだ。
「〇〇〇?! 〇〇〇?! 扉開けて!」
僕の世界に無遠慮にも声をかけてきたのは、母さんだった。
病院へ嫌々引き摺られて行った先で受けた診断結果、医者によると僕の源臓は、良くて常人の10分の1程度しか動かない状態らしい。
20万人に1人程度が発症する『後天性源臓不全』と診断された。治せます、治療法は確立されてますよ、という医者の言葉に僕よりもが母さんが泣いて喜んだ。
僕はやっぱり頭も身体も心も重くて痛くて、治るというのは分かるけどそんなに喜びを感じなかった。
実家へと母さんと帰らされて、検査結果を頭の中で反芻しながら、実家のひだまりの匂いのするベッドの中に埋もれて、枕は涙に濡れデバイスを弄ぶ。
僕は後天性源臓不全だったんだ。今までも泣きながら色々と調べてた。近しい症状の病気を調べて、これかもしれないとか思ってた。
でも病院に行けなかったのは! 病名がつけられたら、その病気のせいで僕の将来が狭まってしまう……未来の景色がシャットアウトしてしまう気がしたんだ。
でも名前がついて、ホッとしている自分もいる。考えすぎて頭にドライバーでも刺してぐりぐりと回されているような気分だ。
明日入院して、僕は手術を受ける。
受けたらきっと明るい表情で、挨拶できるだろうか?
元の生活に戻れるだろうか? 友人は? バイトは?
そして翌日の病院の手術台の上でも僕の思考はペースト状だったが、吸入器具をつけられて麻酔が入るとすぐに視界が白んでいった。
△△△
「ちょっと、〇〇〇! 朝ごはん食べていかないの? おにぎりくらい持っていきなさい‼︎」
出されるおにぎりの入った袋を受け取りつつ、中途半端に足の刺さった靴を履きなおす。
「ありがとうっ! 母さん! じゃ、電車ヤバイんだよ!」