【番外編】さあ、カニの話をしようか
カニのシーズンは今ですよ!年内がベストですよ!
海無し県のネギが有名な町で僕は生まれた。
インフラが整ったこの現代。
海が無いからといって魚介類が食べられないワケでもないし、なにしろ此処は島国ニッポンである。
ちょっと頑張って足を伸ばせば海にだって遊びに行ける。
ネギの町に大きな不満は特に無い。
僕は地元の友達も町も好きだったから。
だから、遠い何処かに憧れることも無い。
この居心地が良く地味な町でまあまあな暮らしをして、まあまあ幸せに生きていったらいいんじゃないか?
そんな風に考えていた高2の夏。
騒がしい教室で、僕は進路票に地元の調理師専門学校の名前を書いていた。
「へえー、シュウちゃん料理人になるん?」
それを覗き込んだ隣の席の友達の言葉に僕は頷く。
「うん。料理まあまあ好きだし、なんか資格持っときたいし」
「俺みたいに東京に行きたいとかないのか?夢がねえなあ」
そうだろうか?
僕が首を傾げていると、もう1人の友達が「そんなことないって」と会話に加わってくる。
「俺の伯父さん料理人で店やってんだけど、すっげえ儲けてるらしい」
「へえー……」
「伊豆の海の近くに移住?してさ、こだわりの地元食材使ったオーベルジュ?とかいう店やってんだよ。すげえ人気で芸能人とかも来るらしいし、ドレッシングとかも作って売って、とにかく大成功ですげえ儲かってすげえ大成功してるんだってさ。夢がある話だよなー」
成功かあ……
僕は成功したいんだろうか?
まあ、やるからには成功したいのかもしれないけど。
そんなボンヤリした僕の未来地図。
それが強烈な光に照らされたのは、高2の冬のことだった。
従姉妹の結婚式のために訪れた北陸の地で、僕は出会ってしまった。
そう。『カニ』に出会ってしまったのだ。
それまでの人生で、カニを食べたことがないわけじゃなかった。
しかし僕が食べてきたカニというのは、カニ缶とか回転寿司のカニとか、良くてスーパーに冷凍で売っているボイルされたカニだった。
というか、そもそも別段『カニ』を食べたいと思ったこともなかった。
高いカニを食べるくらいなら、高い肉を食べたい。
高校生男子のカニに対する意識なんてそんなものだ。
そんな僕の目の前に現れたカニ。
披露宴の華やかなテーブルにやって来たソレは、その地で『香箱蟹』と呼ばれるカニだった。
小ぶりの甲羅の中にほぐされたカニの身とカニ味噌、そしておそらく卵らしいものが詰め込まれ、その上に剥かれた足が綺麗に盛り付けられている。
初見、僕は小さいのを誤魔化すためにこういう盛り付けなのかと思ってしまった。
ここだけの話だけど。
「柊太郎、コレはこのカニ酢で食べるんだ」
隣のテーブルの現地のオジさんが、ぼんやりカニを眺めていた僕に教えてくれる。
小さな器(今にして思えば九谷焼だった)に入ったカニ酢は、そのままかけて食べてもいいらしい。
よくわからないので、地元民のオジさんに倣ってカニ酢をそのまま香箱蟹にかけて食べてみる。
「え……?うまっ………」
ーーそれは、僕の進路を決定した運命のひと口だった。
ーーーーーーーーー
やがて調理学校を卒業した僕は、運命のカニに出会った北陸の街で就職した。
心から美味しいと思ったモノを自分でも作ってみたかったし、香箱蟹との出会いを機にこの地の食材に興味を持ったのだ。
働くことになったのは、割と老舗で割と有名な料理店。
ここで修行を積んで、地元に戻って、高1から付き合っている彼女と結婚して。
いつかネギの町で北陸の海産を扱った割烹でも開けたらいいな。
……なんて。口には出さないけれど、そんな未来を思い描いていた。
新天地での生活は、始めは順調だった。
親戚のオジさんの家に居候をしながら必死で働き、休みの日には海に行って釣りをしたり現地の料理屋で趣味と実益を兼ねた食事をしたり。
そんな生活に不穏な空気が立ち込め始めたのは、夏も佳境に差しかかる頃。
『浦田さん』という調理師の女の子が新しく店に入ってきたことがきっかけだった。
小柄で可愛らしく愛嬌もある浦田さんは瞬く間に『調理場の姫』となり、2週間も経たないうちに店の男たちのハートを掌握してしまったのだ。
「ちょっと中田くん!アレどうなってんのよ!」
休憩時間に接客係のお姉さま達に取り囲まれた僕は、「僕に言われましても……」とゴニョゴニョ口ごもる。
「さっき大将に『あまり浦田チャンいじめてやるなよ〜』とか言われたんだから!」
「なんでそーいうことになってんのか意味わかんないんだけど!」
「あたし達に挨拶する時に目も合わせないんだからね、あの子」
……いやだから、僕に言われても困る。
「板屋ちゃんだって、あれじゃ可哀想だよ」
とあるお姉さまの言葉に、僕はその背後で落ち込んだ顔をしている女性を見遣った。
板屋さんは僕より5つ年上の先輩料理人だ。
男ばかりの調理場で研鑽を積んできた板屋さんは、口も達者で気も強い。
そんな板屋さんが浦田さんの肩を持つ男共に虐げられて可哀想だ!と、お姉さま達が口々に言ってくる。
……いや、だからなんで僕に???
「みんな、アタシのためにありがとう。でも大丈夫だって。ほら、アタシって『ほぼ男』だしサバサバしてるからさ!」
それまで落ち込んでいた板屋さんは笑顔になってそう言うと、僕の肩をバンバンと叩いた。
「中田くんもごめんね〜。地元の彼女いるのにアタシのためにありがとネ!」
……え?僕が板屋さんのために?
僕はただ調理場の人間模様を困りながら傍観してただけで、特に何もしてないんですが。
なんなら、浦田さんが近くを通るたびに舌打ちをする板屋さんを怖く思ってたくらいなんですが。
「はあ……」
僕は気のない返事をすると、隙を見て店を抜け出した。
そしてそのまま犀川の河川敷までトボトボと歩いて行き、川の流れの向こうにある海を思う。
「……カニ、食べたいな」
よく分からない皆の言い分に振り回されグッタリした僕は、ただただ美味しいカニを食べたいと思った。
ーーーーーーーーー
結局、僕は10月いっぱいで仕事を辞めた。
あれから浦田さんと板屋さんの対立が激しさを増す一方で、なぜか板屋さんが毎日のように飲みに誘ってくるようになった。
調理場の人間関係に胃を痛め、いつの間にか僕と板谷さんが『デキている』と認識されていることに頭を悩ませ、『調理場の姫』に興味を示さない僕に纏わりついてくる浦田さんから逃げ続け……
ついには身の置き場がなくなってしまったのだ。
「………結局、勇気出してくれなかったね…中田クンの意気地無し………」
最後の出勤日、板屋さんは店の裏に僕を呼び出してそう言った。
そして力づくで僕を引き寄せると、頬にブチュッとキスをして涙を浮かべながら去っていった。
マジで意味わからん。
辞めることに未だに迷いがあったけど、辞めて良かったのかもしれない。
不幸には不幸が重なるもので、同じタイミングで東京の学校に通っていた彼女から『別れよ』というメッセージが届いた。
それっきり全ての通信手段をブロックされて混乱していた僕は、同じく東京に進学した友達と彼女が付き合っていることを別の友達ヅテに耳にした。
……もしかして、今年は女難の相でも出ているのだろうか?
店を辞めてから抜け殻のような1ヶ月を過ごし、11月も終わりに差しかかった頃。
能登半島にある桟橋で、海に釣り糸を垂らしボンヤリと考える。
これからどうしよう?
オジさんはまたこっちで職場を探したらいいと言ってくれるけど、地元に戻るべきなのか?
それとも、もう少しこっちで頑張るべきなのか。
どうにも思い切りがつかない。
「中途半端だよな〜……」
薄墨で描いたような早朝の海に向かってポツリと呟いた。
そうして気がつけばすっかり朝日が登っていた。
そろそろ帰ろうかと荷物をまとめ始めると、不意に背後から声をかけられた。
「いや〜、良かった良かった」
振り返ると、地元民とおぼしき2人のお爺さんが立っていた。
「……良かったなら良かったです………???」
訳もわからず相槌を打つと、帽子を被った方のお爺さんがニカっと笑う。
「思いつめた顔して海を見よって。おらっちゃ身投げでもするのかと思って見張っとったんや」
「えええー!!」
驚愕して話を聞くと、お爺さんたちは「まさか」と思いつつ、僕があまりにも思い詰めている様子だったので気にかけてくれたのだそうだ。
「……悩んではいますけど、身投げする予定はないです」
髭を生やした方のお爺さんの家に招かれた僕は、海の見えるガレージでストーブにあたりながら首を振った。
「はっはっは!そうかそうか!生きてりゃ悩むこともあるさけ、悩んだらいい」
……それは長く生きているからそう思えるんであって。
20年そこそこしか生きてない若者がそんな風に思うのは、コレがなかなか難しいんだって。
と思ったけど、人生の先輩の大雑把なアドバイスに僕は「はい」と頷いた。
「ねえー、朝ごはん食べた?味噌汁とオニギリなら出せるけど食べていかない?」
元気のいい女性の声がして入口を見ると、小柄で丸顔の40代くらいの女の人が立っている。
「そりゃあいい。食べてけ食べてけ」
「………いいんですか?」
食べ物の名前を聞いた途端に我に返った腹が鳴る。
正直、朝ごはんはかなり嬉しい。
女の人は髭のお爺さんの娘で、名前を梅子さんというらしい。
お爺さんは梅子さんのお母さんと30年以上前に離婚しているけど、離れて暮らす梅子さんはこうしてたまに父親の様子を見にやってくるそうだ。
「梅子の料理はうまいぞ〜。金沢で料理屋やってるげん」
お爺さんの言葉に、梅子さんは味噌汁を僕に渡しながら「そうなの」と相槌をうつ。
「お兄ちゃん金沢に住んでるんでしょ?今度食べにきてよ〜。下鏡通りにある『でん福』って店だよ」
「は、はい。行かせてもらいます……」
梅子さんの圧倒的な陽の圧に若干戸惑いながら、僕は受け取った味噌汁のお椀を覗き込んだ。
「あ、カニだ!」
大きなお椀から細めのカニの足が飛び出している。
そして立ち込める芳しいカニの匂い。
僕は一気にテンションが上がって、前のめりで「いただきます!」と言うと、熱々の蟹汁を啜った。
そしてもう片方の手で塩むすびを口に詰め込む。
おいしい!
おいしい!
おいしい!
カニってやつは、どうしてこう美味しいんだろう。
出汁をとっただけでこの旨さ。
カニに勝るものはこの世にないと、割と本気で思う。
「あら〜いい食べっぷりで嬉しくなっちゃうわ。おかわりする?」
「兄ちゃん、なんならカニ焼いてやるから食べてくか?」
「牡蠣もあるから焼いてやろうか?」
僕が頬張りながらコクコク頷くと、梅子さんが蟹汁のおかわりと立派な蟹足を用意して、髭のお爺さんが火を起こし、帽子のお爺さんが牡蠣の入ったコンテナを持ってくる。
そうして、あっという間に浜焼きパーティーが始まった。
炭火で焼いた蟹は、ムチムチのプリプリのジュワジュワで僕は夢中でそれを食べた。
とても美味しかった。
カニしか勝たんってヤツだ。
すみません。自分の語彙力でこれ以上この美味しさを表現することはできません。
でも、とにかく美味しかった。
カニが美味しかった。
心に火がつくこの感じ。
やっぱりコレだ。
僕の道はコレだ。
気が済むまでカニを追い求めていく。
それが僕の道なのだ。
ーーーーーーーーー
「やっぱシュウちゃんていったらカニよね〜」
梅子さんが賄いの蟹汁を差し出しながら、しみじみと言う。
あれから8年の時が過ぎ、僕は梅子さんが女将を務めるでん福で調理人をしていた。
とにかく明るい人たちに囲まれて、お望み通りカニを追求しながらまあまあ平和で幸せな毎日が過ごせている。
「こんなにカニ好きなのに、なんで蟹面だけは認めないかなあ」
地元愛の強いアルバイトの瑠奈さんがブツブツ言うので、僕はフッと笑う。
「それは…強化担であるが故に……?」
「はー?意味わかんない」
「わたくしは蟹面も大好きですわ」
上品に蟹汁を口にしていた謎のセレブ妻・フローネさんが不服そうな瑠奈さんに微笑みかける。
「だよねー!」
フローネさんは苦手な蒟蒻の事でさえ悪く言わない人だ。
うまくいってないらしい旦那さんのことでさえ、愚痴すらこぼさない。
というか、そもそも旦那さんのことはまったく話さない。
この人は、誰かを憎んだり悪口を言ったりすることなんてあるんだろうか?
僕は蟹汁を堪能しながら、ふとそんなことを思う。
すると、僕の視線に気づいたフローネさんがニッコリと微笑みかけてくれた。
フローネさんはめちゃくちゃ美しい人なので、そんな事をされると俄にときめいてしまう。
……ダメだ。人妻に対してなんて不謹慎な。
それに、あまりゲスな勘ぐりをするのはやめよう。
そうだそうだ。
嫌なモノをわざわざ語る必要なんてないじゃないか。
とはいえ僕は完璧な人間ではないので文句を言うこともあるけど。
でも、できることなら好きなことを語って生きていたい。
カニのこと。
でん福のこと。
周囲の優しい人たちのこと。
今の僕には、こんなにたくさんの好きなモノがあるのだから。
今の時期にカニの話を書かなくていつ書くんだ!?と思って書きました。
1番好きなカニ料理は浜焼きです。
寒いガレージで熱々ジュワジュワのカニを食べるのです。最高です。
次点で香箱蟹かな?カニ酢はぶっかけ派です。
最後、甲羅に貯まったカニ酢を飲むまでが香箱蟹です。
話は変わって。
あんまり良くなさげなキャラの名前に割り振っちゃったけど、うら田も板屋も大好きです。
『起上もなか』と『こもかぶり』は定期的に食べたくなります。
お土産にもオススメですよ!(こもかぶりは、あんまり日持ちしないけど……)