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おでん屋の灯り①

取り巻きの女官を引き連れ廊下を歩いていた側妃ユリアは、窓の外に王妃フローネの姿を認めて立ち止まった。

早足で歩くフローネは、普段のおっとりしている姿からは想像できないような俊敏さで瞬く間に中庭を横切り、棟の向こうへ消えていった。そしてその後ろをフローネ付きの女官たちがバタバタと付いていく。


「???」

「ユリア様。お花畑様は最近ああして庭を歩き回っているらしいですよ」

眉間に皺を寄せ怪訝そうな顔をするユリアに、後ろに控える女官が声をかけた。

「……何故?」

「さあ?頭にお花が咲いている方が考えることなど分かるはずもありません」

クスクスと湧き上げる嘲笑につられて、ユリアもフッと口の端を吊り上げる。

「確かにそうね……」


(……暇で暇でどうしようもなくなって、歩く以外にやる事が無くなったのかしら?いい気味……)


ユリアは再び歩き始める。

これから執務室で国王ラウルとの打ち合わせがあるのだ。

隣国へ輸出する小麦の税率について相談をして、次の政策会議の準備をして……そしてそのまま2人きりの時間を過ごす予定だ。

(最近執務が忙しくてそういう時間が取れなかったから、今日はゆっくりしたいわ)

ほくそ笑んだユリアは、しかし執務室でラウルの信じられない言葉を耳にする。


「今宵はフローネの部屋で過ごすことにした」


ーーどういうことよ!?今日は私と夜を過ごす日でしょう!?

そう詰め寄りたい気持ちをグッと抑えて、ユリアはしおらしく俯いた。

「まあ、そうなの……ひさしぶりに貴方と過ごすのを楽しみにしてたけれど、仕方ないわね……」

寂しそうに微笑んで見せると、ラウルは切なげに眉根を寄せてユリアを力強く抱きしめる。


「ッユリア…!寂しい思いをさせてすまない。だが、ここ最近の忙しさでフローネを構ってやれなかったフォローをしてやらねばならんのだ。お前と過ごしたいのはやまやまだが、フローネはあれでも一応王妃だからな。無下にするわけにはいかない……」

「ええ…ええ……私はわかっておりますわ。だからそんな悲しい顔をして謝らないで。貴方は悪くないのだから……」

「ユリアッ……!!」


(ーーはっ!半月ぶりに若い女の体を貪りたいだけなんでしょ?)

口づけを交わしながら、ユリアはラウルの浅はかな魂胆を心の中で嘲笑う。

だが、そんなことは絶対に口には出さない。

こういう時は男を責めたりせずに、しおらしい態度で自尊心と罪悪感をくすぐるのが賢い女のやることなのだ。


恋人関係になって13年。側妃となって1年。

ラウルとユリアは32歳になった。

フローネのことは家柄が目当ての形だけの王妃だと言っていたのに結局夢中になっているのは癪に触るが、長く付き合っていればこういう時もあるだろう。

短絡的に焦ってもラウルの心が離れていくだけだ。


弱冠20歳の顔が美しいだけのつまらない女。甘やかされて育った中身のないお人形。

せいぜい王室にいいように利用され、ラウルに若さを貪り尽くされればいい。

その間に自分は執務と社交に励み、王宮内での地位を盤石なものにしてみせる。

一介の男爵令嬢に過ぎなかったため正妃になることこそ叶わなかったが、事実上の正妃はユリアなのだと思い知らせてやる。


(それに、フローネに子どもが出来ても育てるのは私だと王后陛下が約束してくださったわ。子どもを取り上げられ、若さを失い、いずれ空っぽになった女にラウルは見向きもしないでしょうね)

一途でいじらしく、慎ましやかな見た目に反して夜は積極的で、気の利いた心配りと教養あふれる会話ができる女。

男が最終的に選ぶのはそういう女……つまり自分だ。


(正妃の座もラウルの愛も私のものなの。最後に笑うのは私なのよ、フローネ……)


自己陶酔に浸るラウルの瞳を優しく見つめ返しながら、ユリアは再び熱い熱い口づけを恋人へ贈った。


_________


ーーどういうことですの!?今日はユリアと夜を過ごす日でしょう!?

そう叫びたい気持ちをグッと抑えて、フローネはラウル来訪の予定を告げに来た女官に穏やかな微笑みを送った。


「わかりました。今宵お待ちしておりますと陛下に伝えてください」

女官が去っていくと、フローネは人払いをしたのちソファに突っ伏して涙ぐんだ。


このところラウルの足が遠のいていたのをいいことに、フローネは2日ごとに下鏡通りへ行っていた。

筋トレも皿洗いの訓練も順調に進み、でん福にも馴染んできて、「そろそろデビューさせようかね」というカズエの言葉に大喜びし、訓練の追い込みとして王宮の中庭を歩き回り足腰を鍛え始めるほど張り切っていた。

今夜もまた下鏡通りへ行くつもりだったのだ。


(今宵はカズエさんに皿洗いの最終指導をして頂く予定でしたのに!ウメコさんがフクウメやらいうお菓子をくださる予定でしたのに!シュータロウさんに新メニューのカキとハスダンゴの小鍋ダテを試食させて頂く予定でしたのに!”ガルバノバイト”が無いルナさんがおでん屋とやらに連れて行ってくださる予定でしたのに!)


(ああ、ラウル…予定通りユリアの元へ行って夜を過ごせばいいのに……)

ラウルとユリアの”形ばかりの側妃”という言い分を信じるほどフローネは鈍感ではない。

長年連れ添ってきた恋人をもっと大事にすればいいのにと思うが、しかしそれを言ってしまえばラウルはムキになって否定をし、今以上にフローネに執着するだろう。

そんなことになれば下鏡通りに行けなくなる。それだけはなんとしも避けたいところだ。


(……今後のために今日は我慢ですわ。落ち込むことはありません。それに夜伽は王妃としてのわたくしの義務…我儘を言ってはいけない……)


フローネはチェストの引き出しからカズエにもらった”キンツバ”を取り出し、泣きながら食べ始めた。

じんわりと体に広がっていく優しい甘さに慰めてもらっているようで、余計に切ない涙が溢れてくる。


(……けれど、できる事が増えるほど、やりたい事が増えるほど、ラウルと過ごす時間が苦痛になってくるの……自分でも驚くほど感情が豊かになって、今までのような我慢が出来なくなってしまうの……どうすればいいの?)


甘い物は頭を働かすエネルギーになるのだと言うカズエの言葉を思い出しながら、フローネは最後の悪あがきで必死に思考をめぐらせた。


ーーキンツバよ。どうかわたくしに知恵を与えてくださいませ。


そうしてキンツバを食べ終わったフローネは意を決したようにペンを手に取り、手紙をしたため始めたのだった。

_________


「はあ〜…カキとハスダンゴの小鍋ダテ、大変美味しゅうございました。フクウメも大変美味しゅうございました。すべてすべて美味しゅうございました……」


閉店作業の終わったでん福から出てきたフローネは、小花柄の傘をさしてワルツを踊るような足取りで小雨降る路地に躍り出た。

フローネがクルクルと回る度に、ゴシキセイガイインコような鮮やかな色のコートが夜の闇にはためく。

「おいしいモノ食べると元気になるよね〜わかるわかる!」

「そんなに喜んでもらえると作ったかいがありますよ」

賛同する瑠奈と柊太郎と共に、フローネは夜の下鏡通りを歩き出した。


「ーーあ、あれが三平屋だよ」

5分も歩かないうちに辿り着いたのは下鏡通りにある1軒のおでん屋だった。

三平屋と書かれた暖簾をくぐると、年配の夫婦が「いらっしゃいませえ」と威勢のいい声で出迎えてくれる。


三平屋はカウンターと4人掛けのテーブル2つという、でん福よりもさらにこじんまりとした店だった。

「あら、でん福の子たちじゃない。ひさしぶりね」

カウンター席に座った3人に、三平屋の女将が気さくに声をかけてくる。

「もしかして、その人が噂のフローネさん?」

「まあ、わたくし噂になっておりますの?」

「常連さんに聞いたのよ。でん福にすごい美人がいるって。でん福とウチをハシゴする常連さんは多いからね」

「今日はフローネさんにおでん食べさせてくて来たんです」

瑠奈はそう言ってカウンター内のおでんを覗きこ込む。


「だったら、とりあえず蟹面かしらね。バイ貝もオススメよ」

「わたくしオデンは初めてですので、皆様にお任せしてもよろしいかしら?」


「そしたらさー、バイ貝もいいけどやっぱ蟹面じゃない?」

「んー…初めては定番がいいんじゃないかな?大根とか卵とか……蟹面は見た目はキャッチーだけど、個人的にはおでんにしなくてもいい気がする……」

「あーあ、またそういう地元民に喧嘩売るようなこと言う!柊太郎さんは!」

「って言っても、おでんがここまでの名物になったのって割と最近でしょ?」


瑠奈と柊太郎がわあわあ喋っている側で、三平屋の大将が「そうなんだよなあ」と頷く。

「いつの間にか名物ってことにされてたが、俺も正直よく分からん」

水とおしぼりを出しながら、女将も頷いている。

「たまに旅行の人に『なにが違うんですか〜?』だなんて聞かれるけど、最初の頃は答えに困ってたわよねえ。私たちにとっては昔からこれが普通なんだもの」



そんなやりとりの中で、フローネは興味深そうにおでんを見ていた。

いくつかに区切られた四角い入れ物の中で、琥珀色の出し汁に浸かる様々な具。

オデンはニホンの伝統的な大衆料理で、出来上がった中から好きな具を選んで食べるのだとカズエが言っていた。


(でん福といい、8番ラーメンといい、大衆料理は好きなものを選んで食べるパターンが多いのですね。なんと自由なのでしょう……)


「………………」

フローネはふと思い直したように両隣に座る瑠奈と柊太郎を見た。

「ーーあの…やはり、わたくしが選んでもよろしいかしら?ひとまず見た目で選んでみようと思いますの」


「うん。もちろんいーよ」

「おでんを初めて見た人が何を選ぶか興味あるな〜」

2人と三平屋夫妻が見守る中、フローネは立ち上がりカウンターの中のおでんを真剣な眼差しで見つめた。


(大丈夫。でん福で頂いたことのある食材は分かりますもの。大根…玉子…ちくわ…はんぺん…お肉らしきものが刺してある串…蟹や貝……あら、わたくしが苦手なコンニャクもありますわ。その横にあるこの白い糸?縄?を纏めたようなモノはなんでしょう?初めてみる食材ですわ。お肉でもお魚でも野菜でもない、味の想像が全くつかない食べ物……)


「……この、白い糸のようなモノを頂けますか?」

フローネの言葉に瑠奈が驚きの声をあげる。

「えー!シラタキじゃん。そいつフローネさんが苦手な蒟蒻の仲間だよ?」

「まあ、そうですの?では、やめた方がいいかしら……」

「試しに食べてみたらどうですか?食感も違うし案外いけるかもしれないですよ」

「まあ、食感が違いますの?」


柊太郎の言葉に背中を押されて、フローネは「やはりコレをくださいな」と女将に告げる。

「それから、この焼いた綿のようなものを……」

「はいはい。これは車麩っていうのよ」

「まあ、クルマフというのですか……それから、先ほどオススメして頂いたバイ貝をくださいな」

「は〜い」


「へえ〜食べたことのないものを選んだのか……挑戦しますねえ」

柊太郎が感心したように言う。


「ええ。わたくし、このシモカガミドオリでは何故か挑戦したいと思えますの。前向きな気持ちになれますのよ」


フローネはおしぼりで手を拭きながら、ニッコリと微笑んだ。



【後編へ続く】

【ゆっくり不定期で更新していく予定です】

知り合いのマダムに「福梅は美味しくないけど、美味しいとか美味しくないとかそういうモノじゃないの!文化なの!」と熱弁を振るわれたことがあります。私は福梅は普通に美味しいと思います。

ちなみに1番好きな和菓子は森八の宝達です。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 郷土愛(?)溢れる旨いもの描写に食欲がいたく刺激される楽しい作品ですが、それはそれとしてフローネさんがちゃんと幸せになれますように。 [気になる点] >「福梅は美味しくないけど、美味しいと…
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