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8番ラーメンの灯り

(見られている…王妃様にすごく見られている……)


王城の給仕係の青年は、王妃フローネの熱視線に耐えながらディナーのメインディッシュをスマートな動作でテーブルへ置いた。

(俺…何か失敗したか?いや、いつも通り完璧な給仕のはずだ……)

思えばここ最近ずっと見られている気はしていた。

しかし王妃が一介の給仕係を気に留めるわけはない、気のせいだと思っていたが……間違いなく、王妃は瞳を輝かせて自分の動作に注目している。

(ーー何故だろう……???)


「……フローネ。一体どうしたんだ?この男が気になるのか?」

国王ラウルがやおら不機嫌な様子でフローネに問いかけた。

給仕の青年を含め周囲の使用人たちに緊張が走る中で、フローネは柔らかい笑顔でラウルの不機嫌オーラを受け止める。

「ええ。このように洗練した動作で給仕ができるだなんて……今まで気にも留めていませんでしたが、よくよく考えれば素晴らしいことだと感心しておりましたの。この方も、他の給仕の方々も、きっと厳しい鍛錬を積み重ねてきたのでしょうね」


(王妃様……!!!)

褒められた給仕係一同は心の中で喜びの声をあげるが、ラウルはフローネの賛辞を一笑に付した。

「ハッ!こんな事は誰にでもできる簡単な仕事だ。お前は本当に世間を知らないな」

「……………ラウルの仰る通りですわね。給仕が簡単な仕事だとは思いませんが、わたくしが世間を知らないというのはまったくその通りです」

「夫婦でディナーを共にできる3日に一度の貴重な時間なんだ。くだらないことを考えずに私と過ごすかけがえのない時間に集中してくれ」

「……はい」

「そうだ!そんなに考えたいのならば、私が昨今の国際情勢の話をしてやろう!お前には理解できないだろうが……」


フローネは「まあ、ぜひお聞きしたいですわ」と拍手をすると、柔らかい笑顔を貼り付かせたまま夫の話に耳を傾けた。



「危うくあの方が咎められてしまうところでしたわ……今後は気をつけなければいけません」

湯浴みをし寝着に着替え、人払いをして自室に1人になったフローネは、独り言を呟いた。

「わたくしも、いつかあのように動けるようになりたいものです……」

先ほどのスマートな給仕係のように。あるいは、でん福で目にしたテキパキと動く瑠奈のように。華麗に働く自分を想像してフローネはうっとりとする。


「ーーさあ。そうなるためにトレーニングに励みましょうか」


フローネは寝室のチェストから蛍光ピンクのハンドグリップを取り出すと″あの日の夜″のことに思いを馳せた。


_________


「給仕の前に、まずは皿洗いからやってみようかね」


でん福で働くことになったあの日の夜。

カズエの自宅で試しに一度皿洗いをしてみることになった。が、生まれて初めての皿洗いは散々な結果に終わった。

動作が遅いのはもちろんのこと、日頃重い物など持たないフローネの小さな手は、泡で滑る皿を満足に扱うことが出来なかったのだ。


「わたくし…なんとまあ情けない……」

「手早くとまではいかなくても、せめて普通の皿洗いが出来るようにならないと店には出せないね。ましてや給仕なんて先の先。店のみんなもフローネさんばかりに構うわけにはいかないし、いくら福の神の願いでも店の営業に差し支える頼みは聞けないよ」

つまり、今のフローネを店に出しても足手まといになり邪魔だと言われているのだ。

出鼻を挫かれたようでフローネはショックを受けるが、しかしすぐに(……では、普通に皿洗いができるようになれば良いのですね)と思い直す。


フローネはスッと立ち上がると、カズエに向かって恭しくカテーシーをした。

「カズエさん。わたくし、″普通の皿洗い”を目指して誠心誠意訓練に励む所存です。ぜひご指導をお願いできませんか?」


(ーー変わった王妃様だこと)

おとぎ話から抜け出てきたような王妃様が真剣な表情で皿洗いの指導を乞うてくる姿に、カズエは暗い瞳でうつむくフローネを思い出す。

(あんな思いつめた顔をするなんて…王妃様には王妃様なりに色々あるんだろうね……)


カズエは居間のボックス棚から蛍光ピンクのハンドグリップを取り出すと、それをフローネに握らせた。

「これは握力を鍛える道具だよ。アタシャ健康のために家でトレーンングをしてたんだけど、最近ジムに通い始めたからさ。コレはフローネさんにあげるよ。皿を洗うにしても給仕をするにしても筋力は必要だからね」

「そんな素晴らしい道具をわたくしに……?」

「それから、練習用にゴム手袋といくつか食器を貸してあげるから、お城でイメージトレーニングをするといいよ」


_________


ーー徐々にできることを増やしていけばいいんだよ。


あれから3日の時が経った。

フローネはあの日のカズエの言葉を心の中で反芻しながら、毎夜必死の形相でハンドグリップを握りしめている。そしてそれが終わると次に壁に手をついて腹の筋力を鍛え始める。これもカズエに教えてもらった筋トレなる方法だ。

壁腹筋を朝昼晩20回ずつやるように言われたが、5回もやれば腕がプルプル震えてくる。

それでもフローネは歯を食いしばってなんとか腹筋を続けた。

(今はダメでも、毎日積み重ねれば出来るようになるとカズエさんは言っていました。わたくし頑張りたい…頑張りたいの……)


「ーー王妃様。国王陛下がお通りです」

そろそろ腹筋が終わろうという頃、扉がノックされ女官がラウルの来訪を告げてきた。

慌ててハンドグリップをチェストに隠し、やや乱れていた髪を整える。


(今日の夜を乗り越えたら、明日の夜はシモカガミドオリですわ)


その楽しみを思えば夜伽の苦痛にも耐えられる気がする。

フローネは深呼吸をすると、ラウルを迎え入れるため寝室の扉を開けた。


_________


(見られている…フローネさんにすごく見られている……)


ピークタイムを終えたでん福で、アルバイト店員 瑠奈はフローネの熱視線に戸惑いながら、テキパキとした動作で空いたテーブルの片付けをしていた。


(そのうちここで働くって言ってたけど……ホントかな?)

大女将カズエと並んでカウンター席に座るフローネにチラリと目を遣ると、青く美しい瞳と視線が合って小さな拍手を送られた。

アマゾンの蝶のごとくド派手な蛍光ブルーのワンピースに負けない美貌と溢れ出る上品さに、瑠奈は思わず頬を赤らめる。

(セレブ妻なのに働きたいなんて……今日のワンピも大女将に借りたって言うし、やっぱり家出?旦那がDV野郎とかモラハラとか、そういうアレ?)

瑠奈は(かわいそう……)とフローネを憐れみつつ、華麗な手捌きでテーブルを一瞬にして拭き上げた。



「やはりルナさんは素晴らしいですわ!瞬く間にテーブルを綺麗にしてしまわれました!」

カウンター内の水場で食器を洗う瑠奈に、フローネは身を乗り出さんばかりの勢いで賛辞を送る。

「へへ…ありがと。掛け持ちしてる焼肉屋でもさ、手際がいいってよく褒められるんだあ」

「わたくし、ルナさんをお手本にするようカズエさんにご指導頂いてますの」

「わたしは全然いいんだけどさ……ていうか、わたしでいいんですか?」

瑠奈は確認するように大女将のカズエを見た。

かぶら漬けを摘んでいたカズエは瑠奈の問いに「もちろんだよ」と頷く。

「瑠奈ちゃんの仕事っぷりは天下一品だよ。これ以上ないお手本だ」

「瑠奈さんは動けるだけじゃなくて接客も上手だよね。お客さんに対して堅苦しくなく馴れなれしくもなく……」

調理担当の柊太郎の言葉に、厨房奥で天ぷらを揚げている女将の梅子も「そうそう!」と相槌を打っている。

瑠奈はご満悦そうに「へへへ」と身をよじった。


カズエはフローネの背中に優しく手を添えた。

「フローネさんは外食したことがほとんど無いらしくてね。皆の働きをよく見て接客業がどんなもんか知ってもらいたいと思ってるんだ。大体の雰囲気や流れを感じるだけでいい。そういうのを知っているのといないとじゃあ大違いだからね」

フローネは真剣な顔をしてコクリと頷く。


そんなフローネの様子を見ていた瑠奈は、ハッと何かを閃いたように飛び跳ねると「はいはい!」と右手を上げた。

「じゃあじゃあ、今日クローズしたら他の店にも行ってみない?きっと勉強になるよ!わたし今日はガルバのバイトないから付き合うし」


「いいねえ〜」と賛同するでん福一同を見ながら、フローネは感動に打ち震えていた。

(……わたくしの学びのためにこんなにも皆様が親身になってくださるなんて…この異国において、わたくしは何の地位も無い無価値な女だというのに…それなのに……)


「げ!フローネさん泣いてんの!?」

大きな瞳から涙を流しながらフローネは嬉しそうに微笑んだ。

「……皆様、ありがとうございます…わたくし、きっとなってみせます。立派な普通の皿洗いに!!」


_________


″タクシー″と呼ばれる動く鉄の箱は、馬車のように揺れることもなく、馬車よりも早いスピードで、夜の街を駆け抜けていく。


「わたくし、このような乗り物は初めてです……!」

興奮した様子で窓にへばりつくフローネの言葉に、隣に座る瑠奈が納得したように頷いた。

「へー、やっぱ家に運転手とかいるんだ。めっちゃセレブだね」

「……そんなセレブな人を連れてくのが″あの店″でいいのかなあ?」

助手席の柊太郎が心配そうに呟いた。

「いいに決まってるし。大女将だってイイネって言ってお金出してくれたし。外国の人にも人気あるって聞いたことあるし」


やがてタクシーは繁華街の片隅にある雑居ビルの前で止まった。

タクシーから降りて来た派手なワンピースを着た美女を行き交う人々が振り返る中、瑠奈はビルの1階で赤く輝く電光看板を自慢げな顔で見た。

「やっぱ北陸っていったらコレでしょ!8番ラーメン!」



「お待たせしました〜塩ラーメンです」

フローネは初めての店と食べ物を興味深げに観察した。

塩ラーメンなる食べ物は、白みを帯びた濁ったスープの上に野菜とスライスした肉、8と書かれた白いテリーヌのような物がのっている。

周囲の客たちが食べている様子を見るに、このスープの中には麺が入っているようだ。

そして親しみの持てる店内の雰囲気、安い価格設定、客の滞在時間、それらを見るにこの8番ラーメンという店はでん福よりいっそう大衆的な店であると思われる。

(肩肘をはることなく、自身の都合に合わせて手軽な料金で手軽においしい料理を選んで食す……民衆の食堂とは、かくも合理的な物でしたのね)


感心しているフローネに、柊太郎が心配そうに声をかけた。

「どうです?食べられそうですか?」

「ええ。もちろんいただきますわ」

フローネは周囲の客たちの真似をして、レンゲを手に取ってみた。

「ねえねえ、はじめにスープ飲んでみてよ。ラーメンのスープだと思えないくらいおいしいんだあ。スープ単品でもぜんぜんイケるくらい!」

ドヤ顔の瑠奈の言い分に、やってきた味噌ラーメンを受け取りながら柊太郎が首を傾げた。

「……いやあ、正直そこまでは…」

「柊太郎さんは地元民じゃないからこの愛が理解できないんだよ!味噌とか頼んじゃってさ!」

「だって8番の味噌ラーメンおいしいから……」

「それはモチロンそうなんだけど!とにかく8番といったら塩なの!断然、塩!」


2人がごちゃごちゃと話している合間に、フローネはレンゲですくったスープを優雅に口へ運んだ。

「ーー美味しゅうございます!」

頬を薔薇色に染め瞳を輝かせるフローネに、瑠奈は満足そうにニヤニヤと微笑む。

「でしょ?でしょ?」

「今まで食したことの無い味ですわ。雑味と塩気が絶妙なバランスで統合されて大きな1つの美味しさになっている……」

「でしょでしょでしょ〜!!」




(ーーわたくし食は細い方ですのに、でん福や8番ラーメンではこのようにたくさん食べてしまう…不思議だわ)

フローネは麺をフォークで口に運びながら、もうすぐ食べ終わるラーメンをジッと見つめた。

(このラーメンも、でん福の料理も確かに美味しい……けれど、城の料理だって美味しいですわ。むしろ、わたくしの好みとしてはあちらが上と言ってもいいくらい。それなのに、何故このように食欲に差が出てしまうのでしょう?)


「フローネさん、良かったら餃子も食べる?」

考え込むフローネの前に、柊太郎が餃子の載った皿を差し出してきた。

「では、お1つ頂きますわ」


「フローネさん、デザート食べる?わたしは杏仁頼む〜」

ビールを2杯飲んで上機嫌の瑠奈が、メニュー表を差し出してくる。

「アンニン?よく分かりませんが、頂いてみとうございますわ」


「ねえねえ、フローネさん」

「ルナさん、何でしょう?」

「楽しんでくれてる〜?」


フローネはビールジョッキを片手にヘラヘラ笑う酔っ払いの瑠奈と、「餃子うまっ」と呟きながら餃子を食べている柊太郎を見た。


ーー思えば、下鏡通りに来るまでこのように気楽に食事をしたことは無かったかもしれない。

特に結婚して城に上がってからは、ラウルの顔色を伺いながらラウルの一方的な話に耳を傾けることに重きを置いて、食事を楽しもうと思ったことすらなかった。


こうして誰の監視もなく、誰に気遣うこともなく、たわいない雑談をしながら好きなものを選んで食べる。

それだけのことで、かくも料理とは美味しくなるものなのだろうか?


「楽しい……ええ、わたくしはとても楽しんでおります」


気がつけばフローネの瞳からは涙がこぼれ落ちていた。

「えー!なんで泣くのー!?」

動揺する2人にフローネは微笑んで見せる。

「ふふ…わたくし、楽しすぎて涙が出てきてしまいました……」

「ホントに?何か無理してるなら言ってくださいよ?」

柊太郎が差し出してきたペーパーナフキンで涙を拭いながら、フローネは首を横に振った。

「本当に楽しいのです。本当に…心から……」


_________


「ーーわたくし、この度の食事で1つ学んだことがありますわ」

デザートの杏仁豆腐を前にして、フローネは横に座る瑠奈と向かい側の柊太郎を交互に見た。

「飲食店とは、単純に飲食を提供すればいいというものではありませんのね。お客様を迎え入れ、注文を聞き、商品を提供して料金を徴収する。その流れの中でいかにしてお客様が自由に食を楽しめる空気を作るか、それが大切であると気づかされました」


「へえ〜そんなこと考えたことないけど、そうかも!」

「そうだね。僕こないだ新しくできたイタリアンに行ったんだけど、店長がずーっと機嫌悪くてスタッフ全員ビクビクしててさ、美味しかったけど二度と行きたくないって思ったよ」

「何それ?どこ?なんて店?」

「そのようなお店もございますのね……」


フローネは2人と雑談を交わしながら、初めての杏仁豆腐をドキドキしながら口にした。

(ーーまあ!なんて美味しい食べ物でしょう)

胃袋も心も満たされたフローネは、幸せを噛み締めるようにギュッと目をつぶった。

読んで頂いてありがとうございます。

コロナの緊急事態宣言中に「カニ食べたい」という気持ちで個人的な楽しみとして書いた話です。

その後ほったからかしにしていて話のストックも少ないので、一旦更新を停止します。

【不定期更新ですが再開しました】

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