おいでまっし王妃様②
賑わう茶屋街と大通りから一本奥へ入った場所に下鏡通りはあった。
狭い路地に沿って古民家と雑居ビルが混じり合い、飲食店が点在している。
その一角に店を構える”でん福”は、最大7名が座れるカウンター席と4席のお座敷席がある小さな食事処である。
古民家を改造した風情のある店内と季節の地物を使った美味しい料理、そして明るくお喋りな女将が人気のこの店は、今宵も常連客と旅行客で賑わっていた。
そんなでん福に大女将カズエと南国の鳥のようなワンピースを着た金髪の美女が入ってきてカウンター席に座る様子を、座敷席の常連客たちが覗き見ていた。
「瑠奈ちゃん、瑠奈ちゃん。ありゃあ大女将の知り合いか?とんでもねえ美人じゃねえか」
アルバイト店員 瑠奈は、空いたテーブルの片付けをテキパキとしながら「知り合いってか、遠い親戚だって聞きましたよ」と明朗な口調で答える。
「どっかの外国に住んでる人らしいですよ。私もさっき女将さんから聞いただけだからよく分かんないですけど。ーーそれより、そろそろ9時半のラストオーダーですけど大丈夫ですか?」
慌てて追加注文をする常連客を手慣れた様子で捌きながら、瑠奈はフローネを横目で見た。
黄緑の大きなフリルが付いた赤いワンピースを着こなしているフローネに(あれ着こなせるとかタダモノじゃないでしょ)と感嘆すると同時に首を傾げた。
なんでも、あのワンピースは大女将のものを借りたらしい。
なんでそういうことになったのだろう?
もしかして、服も持たずに家出でもしてきたのだろうか?
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「はぁい、香箱蟹お待たせしました〜」
カウンター席では女将の梅子が運んでくる料理を前に、フローネが目を丸くしていた。
「こっちは刺身の盛り合わせ。水蛸おまけにつけといたからね!それと白子の昆布焼きだよ!」
「まあ、コッチハサシミノモリアワセ…ミズダコヲマケ…全て見たことのない料理ですわ。ニホンの方々はこのような物を食されるのね……」
「北陸の冬は海鮮が美味しいからね!ぜひ堪能してってよ」
梅子に勧められるがままフォークとナイフでそれらを口にしたフローネは、「美味しいですわ!」と感動しつつも、初めての味に対して戸惑いを見せている。
目を輝かせたり首を傾げたり忙しそうに反応しているフローネを見ながら、梅子は母親である大女将カズエにヒソヒソと話しかけた。
「ちょっとお母さん!婆様が言ってた押し入れのお姫様ってホントにいたのね!思ってた以上にお姫様じゃない。ティズニープリンセスみたいじゃない」
「いいかい梅子。丁重にもてなすんだよ。フローネさんは我がでん福一族に福を運んでくださる福の神なんだからね」
「あんな綺麗でかわいいお姫様、見るだけで眼福よお〜!」
陽気にはしゃぐ娘の言葉にカズエもうなずく。
そうしてラストオーダーを捌き終えた頃。
厨房がひと段落したタイミングを見計らってカズエはおもむろに立ち上がり、スタッフたちに声をかけた。
「みんなにこのお嬢さんを紹介するよ。フローネさん、食事中に申し訳ないけどいいかい?」
フローネはしとやかにフォークを置き、カウンターの中の3人のスタッフに向き直る。
「ええ。よろしくてよ」
「さっきも軽く紹介したけど、ここの女将をやってるアタシの娘の梅子。歳は48でこの店の2階に住んでるんだ。面倒見がいいから何でも気楽に相談するといいよ」
カズエに似て小柄で丸顔の梅子が、愛想のいい笑顔でお辞儀をする。
「越山梅子でーす。フローネさんと同じ年頃の息子が2人いるんだけど、2人とも東京の大学に出ちゃってるの。日本のお母さんだと思って頼ってちょうだいね!」
「まあ、なんて親切な方なの!よろしく。ウメコさん」
「この子はアルバイト…っていう雇用形態で仕事してる瑠奈ちゃん。年が近いから仲良くするといい」
洗い物をしていた瑠奈が手を止めて、明るい笑顔でお辞儀をする。
「森八瑠奈です!23歳です!フリーターやってます!よろしくです、フローネさん」
「フリータア?」
「そ、フリーター。今はバイト4つかけ持ちしてるんだあ」
「まあ!仕事を4つもこなしているなんて、なんと素晴らしい……!」
「ちょっ!大袈裟だって!……へへ、やだなーもう…」
「最後に調理担当のシュウちゃん。此処で働いてもう6年目?7年目?」
「……8年目です。大女将」
「8年目だってさ!」
涼しげな顔立ちの若い男性が、穏やかな笑顔でペコリとお辞儀をした。
「中田柊太郎です。よろしくお願いします」
「まあ、シュータロウさん。今日の料理はどれも素晴らしいものでした。ぜひ一度我が城へお招きして腕を振るって頂きたいものですわ」
「城?」
「し、城くらい大きい家に住んでるんだよ、フローネさんは!旦那がたいそうな金持ちなのさ」
キョトンとする柊太郎に、カズエが慌てて言い訳をする。
「とにかくさ、フローネさんはこれからちょくちょく店に顔出すかもしれないから、丁重にもてなしてやってよ」
「わたくしはフローネ」
フローネは南国の鳥のようなワンピースをひらめかせ優雅に立ち上がると、ニッコリと微笑んだ。
「こうして他国の市井の皆様と触れ合う機会を得たこと、誠に喜ばしく思っております。ぜひ多くのことを学ばせてくださいませ」
シャラランという効果音が聞こえた気がするのは幻聴だろうか。
心なしか背景に薔薇が咲き誇っている気さえする。
でん福の面々はフローネが放つあまりに浮世離れをした存在感に、ポカンと口を開いて顔を見合わせた。
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「でん福はアタシの母さんが開いた店なんだ。元は小さなうどん屋だったんだけどさ、突然現れた押し入れのお姫様のご利益で大繁盛して、今じゃあ市内に食事処を3つ、カフェを1つ持つまでになった。ちなみに今行った店が本店だよ」
でん福を後にしたフローネとカズエは、店から徒歩2分のカズエ宅に向かいながらゆっくりと下鏡通りを歩いていた。
「ね、フローネさん!また魔法の通路を使って下鏡通りに来ておくれ。そしていつかの押し入れのお姫様みたいに、どうかアタシたちに福をもたらしておくれよ」
「福……」
カズエの願いを受けて、フローネは立ち止まり左手薬指の指輪を見つめた。
以前にシモカガミドオリを訪れたという【押し入れのお姫様】とは、おそらく何代か前の王妃なのだろう。
もしかしたらその王妃はとても優秀な人物だったのかもしれない。
まるでユリアのように。
「……カズエさん。大変申し訳ありませんが、わたくしには人に福をもたらすような能力はございません。でん福の皆様の為にできることがあるとすれば、今宵のもてなしに対する褒美を下賜するよう夫に願い出ることだけ……それでよろしゅうございますか?」
暗い瞳をして俯くフローネの言葉にカズエは虚をつかれたように瞬きをして、やがて気遣うように優しくその手を握りしめた。
「……アタシは商売人だからさ。そりゃあ金目の物は大好きだよ。でもねえ、アタシが欲しい福ってのはそういう事じゃないんだ。空から降ってくる泡銭が欲しいわけじゃないんだよ」
「ーーごめんなさい。カズエさんの仰っていることが理解できませんわ……」
「つまり、アンタは居るだけでいい!フローネさんをアタシたちがもてなすことで、良い方向に運がまわり始めてほしいってことさ。フローネさんが楽しく過ごしてくれればアタシたちは子々孫々まで幸せになれる!そういうことだよ!……それじゃあダメかね?」
(まただわ…また居るだけでいいと言われてしまった……)
フローネの脳裏にラウルとユリアの顔がよぎる。
しかし、でん福の件に関しては何の能力もないと自己申告したのは自分だ。
それなのに勝手な言い分だと自分でも気づいてはいるが、この異国の地でも役立たずだと言われた様に感じて落ち込んでしまう。
(……いけない。こんな気持ちに支配されたままではいけないわ。わたくし、何かを掴むために魔法の通路に足を踏み入れたはずなのに……)
フローネは思い直し、唇を噛みしめる。
(この異国の地までラウルの目は届かない。これはチャンスなのかもしれません……)
「ーーカズエさん!」
フローネは意を決して顔を上げると、前のめりになってカズエの手を握り返した。
「わたくしに仕事を……でん福で働かせてくださいませんか!」
フローネの言葉にカズエは目を丸くして驚愕した。
「ええっ!……いやいや、アンタみたいなお姫様にそんなことをさせる訳には……」
「そうすることで、わたくしは楽しく過ごせることでしょう!そう毎日こちらに来ることは不可能ですので報酬は要りませんわ!料理は作れませんが、給仕でも掃除でもなんでもやりますから!ぜひ!何卒!お願いします!」
「そうだねえ……そこまで言うなら………」
その気迫に押されたカズエが戸惑いながら頷くと、フローネは道行く人々が驚いて振り返るほどの嬉しい悲鳴を夜空へ轟かせた。
お刺身には白米合わせたい派です。
でも海鮮丼はそこまで好まないのです。
お刺身定食こそ最高なのです。