そら豆
「じーさん、瓶ビール、緑の」
「ん」
この店は酒の種類は結構あるけど、それでも一番よく飲むのはビール。
ジョッキで生ビールも飲むし、瓶ビールを手酌でも飲む。
瓶ビールの時は、じーさんは注いではくれない。各々、流儀とタイミングがあるだろうから、ご自由にと言う。緑の瓶ビールは、ハートランド。最近の濃いビールの中では軽めだけど、さっぱり呑めて気持ち良い。500mlのグリーンボトルとビアグラスが並んで置かれる佇まいが結構気に入っている。
「はい、ビールと、今日はそら豆」
「えっ、なんか焦げてる」
「人聞きの悪い。鞘だろう、それは。そら豆は茹でるのが簡単だから多いけど、オーブンで鞘ごと焼くだけで、甘みが増して美味しいんだ。そのゴツゴツした塩をほんのチョイとつけて。袋は剥いても剝かなくてもお好みだな」
「あっ、ほんとだ、味が濃い。甘くて、苦みがちょっとあって、あぁ、ビール旨い」
「そら豆の殻一せいに鳴る夕 母につながるわれのソネットって歌があってね」
「あ、なんか聞き覚えある。誰だっけ」
「寺山修司だね。劇作家らしいっていうか。架空のイメージだけの風景だし、短歌の中でソネットって別の西洋詩の形を言ってるし、言葉の意味も分からないんだけど、なぜか鮮やかで格好良くて切ないんだよね。お芝居のセリフって見得や締めのセリフは特に、意味よりまず鮮やかに響かないとでしょ」
「あぁ、そうですね」
「どんな芝居かわかんない、でも色々、どろどろあって、最後に主人公が立ち去りそうな際で振り向いて、空を見上げる目線で、『そら豆の殻一せいに鳴る夕 母につながるわれのソネット』って言ったら、なんか舞台カッコよく締まる気がしない?」
「あ、何か、本当にそんな気した。え、でも、そんな芝居ないですよね」
「たぶんね」
「でも、その芝居、一本全部観たい。ひどい、じーさん。観たくても絶対観れないのに」
「自分で書けば?」
「じーさんが責任取って書いてよ」
「無理無理。寺山修司の歌とタメ張れる文章力が無いと」
「チャットGPTに書かしても無理だろうな」
「そうだね。そもそも言葉の意味だけじゃなくて、響きやイメージが大事だし、コンピューターには向かない仕事だろうね」
「でも、こないだテレビの企画でチャットGPTにお笑いの台本を書かせるってのやってた。まぁ、まだまだ全然、面白くはなってなかったけど、そのうち書けるようになるかもしれないね。お笑いができるようになれば、お芝居も」
「へぇ、恐ろしいことやってるんだねぇ」
「えっ、恐ろしいって…」
「だって、恐ろしいだろう。もし、十分に学習して、面白い漫才を書けるほど学習したら、けっこう気持ち悪いよ」
「どうして?」
「だって、コンピューターが、人間はこういうことを笑いますって学習するんだよ。人間がお笑いの台本作る時って、まぁ、基本は自分が可笑しいとか、笑えるとかの感覚がベースにあって、そこにウケたとかの体験がプラスされて、自分たちなりの面白さ、可笑しさが生まれるわけだ。でも、コンピューターは自分が笑うことはない。可笑しいことなんか何もない。ただ、学習して、人間はこういうことを笑うので、それをストーリーとセリフにしてみましたってこと。コンピューターが人間の内面を学習によって定義してるんだ」
「あぁ、なんとなく気持ち悪さは」
「例えば、単純に登場人物が失敗ばっかりしてあたふたしているコントをチャットGPTが書いたとすると、それは、『人は人が失敗し続けている様子を見ると笑います』っていう学習結果の発表なんだ。熱湯風呂みたいなコントを書いてきたら、それは『人間は、人間がひどい目に合って悲鳴を上げて困っている様子をコント、つまり芝居として罪悪感を免除して見せてもらうと、笑う生き物です』と学習した結果なんだ」
「確かにやめて欲しいですね。そんなもの突きつけられたら、笑えないじゃないですか」
「そう。でもね、突きつけてみてもいいのかもなぁって気持ちもちょっとはあるな」
「えっ」
「さっきのような、人を困らせたり、痛い思いをさせる笑いの手法は、昔からある。それに対して、そういう笑いの在り方は、いじめを助長する、今の時代、人を傷つける笑いは良くない、という意見も出ている」
「そうだね。ただ、それをやられると、その芸風で売ってきた芸人は困るよね」
「そう。そして主張する。我々は、虐められているのではなく、了解の上で演じているのだ、笑われているのではなく、笑わせているのだ。これを一方的に禁じることこそ、我々への虐めだ。虐めを助長することに関しては、禁じることより、お笑いと現実を混同しないリテラシーの方が必要だ」
「もっともな気がする」
「そう。彼らにとってはもっともな主張。でもね、虚であれ実であれ、我々が人が虐められ,痛めつけられ、あるいは失敗し続けるのを見て、それを面白いと感じている構図には変わりはないんだよ。それが自然で、誰でもそうだ、笑うのは自然なんだから仕方ないっていうなら、我々は自分たちがそういう存在だと受け入れなきゃいけないよね」
「えーっと、そこまで言われると」
「笑いは、たぶん文化的な要素も大きい。自然に笑えちゃうんだから、人間の本性だってのは早計だと思うけど、それでも、いや、笑えるものを笑うことまで制限するなって言うなら、せめて自分たちが、実は何を笑ってるのか、どうしてそれが可笑しいと感じるのかを知って、自覚して、その上で享受すればいいと思うんだ」
「それ、もう、笑えない気が」
「そうかな? とにかく俺は、禁止して封をするのは賛成しないけど、何に加担してるか無自覚に、笑わせるのも笑うのも、なしでいいと思う。でなきゃ、それで実の世界で傷ついている人間がいるのに、釣り合わないでしょう」