5.変わり始める日常
アイリスとルイスが取引をした次の日の昼、アイリスたち新人と前年に入団した先輩騎士たちの2グループは訓練場にいた。
今日は、月に三回程度ある新人騎士と、先輩騎士との手合わせの日。大抵の新人たちは、実力を試す機会だと毎回楽しみにしている。もちろん、アイリスもその中の一人だ。
この手合わせは、危険がないよう三組ずつで行われる。
現在手合わせ開始から半刻程経ち、半分くらいの組が手合わせを終えていた。
今日という日を楽しみにしていたアイリスは、今とてもわくわくしている。否、大興奮の真っ只中である。
なぜなら、漸くアイリスの組の順番が回ってきて手合わせの最中だからだ。
(ーーふふっ!普段の訓練も良いけれど、実際に手合わせすると楽しいわ!ここに来てから辺境にはない刺激もたくさんもらえるし、良いことだらけね!)
そう思いながらも、剣を振るう手を止めずに動かす。
しかし、手合わせの相手にはアイリスが手合わせ以外のことを考えているという事実を、お見通しのようであった。
「お前、先輩との手合わせの最中に他のことを考えてるだなんて……、随分と余裕そうだな」
「ご冗談を、エルヴィス先輩っ!今、この状況で考えることだなんて、先輩のことだけです!!」
エルヴィスの攻撃を避けながら、アイリスは答えた。アイリスからも攻撃を仕掛けるが、難なく躱され逆にそれを利用される。
油断も隙も与えられない状況に、アイリスは内心冷や汗をかいていた。
(さすが、たった一年で上位に上り詰めた人ね。今まで戦ってきたどの騎士よりも、一つ一つの攻撃が重く、鋭い!)
「おい、あのチビの奴、エルヴィス相手に結構攻め込んでるぞ…!」
「すげぇな、あいつ!」
周りにいる騎士たちも、興味津々といった様子でこちらを見ている。さらに、他の二組も手合わせを忘れてアイリスたちを、じっと見ているようだ。
そのことに気付いていないアイリスは、次々にエルヴィスに攻撃を仕掛ける。
その中で生まれた一瞬の隙を見つけたアイリスは、エルヴィスよりだいぶ小さい身体を活かして懐へ踏み込む。
「っ!!」
エルヴィスが驚いた様に、少し目を見張った。
(今ならいけるっ!!)
「ーーふっっ!!」
浅く呼吸をし、そのままエルヴィスの左腹目掛けて剣を振る。
そのまま当たるかと思われた瞬間、カァンと木剣同士がぶつかる音と、アイリスの頭にこつんっと衝撃が与えられたのは同時だった。
一瞬何が起こったのか理解できず、呆然とする。
「……はっ、惜しかったな、アルフ。あともう一歩だ」
少し息を切らせたエルヴィスの声に導かれるように上を見て、アイリスはっとした。
よく自分の手元を見ると、当たったかと思った剣はエルヴィスの剣によって防がれ、そしてアイリスの頭にはエルヴィスの拳が乗っけられていた。
(一一防がれていた…!?当たったと思ったのに!でも頭の拳はなんの意味が……!?!?)
そう思った瞬間ふとアイリスは力が抜け、地面に座り込んだ。そして周りからは労いと興奮が合わさったような拍手が贈られる。
座り込んだアイリスの上に近づいてきたエルヴィスの影がかかり、手を差し伸べられた。
「立てるか?アルフ」
「はぁ〜〜〜。大丈夫です…、このくらい、一人で立てます…」
大きく深呼吸をしたアイリスは、ふらふらしながらも自力で立ち上がる。ここで手を借りるのは、なんだか悔しいと思ったのだ。
その気持ちが入ってしまったのか、少しむすっとした言い方になってしまったが、仕方がないと思う。
「まぁ、俺の動きについてきて、あと一歩の所まで打ち込めたんだから自信を持て。そのうち一回は、さっきのと似たようなのができると思うぞ」
少し満足げに笑いながら、エルヴィスは言う。
アイリスは、改めて上に立つ者の凄さを感じ、そして少しでも早くその人達に追いつきたいと思った。
何とか落ち着いたアイリスは手合わせのお礼を伝えようとエルヴィスを見上げた時、何処からかパチ、パチ、パチ、と拍手が訓練場に響き渡った。
「ーーなかなか、素晴らしい腕を持った新人がいたものだ」
騎士たちが拍手の主を見つけようと探していると、すぐ後ろにある通路の影からどこか冷酷さを感じさせる声が響き、再び訓練場を包み込む。
その声に、近くにいた騎士たちの殆どが固まってしまった。声の主はそれに構わず、訓練場の中央に向けて歩いてくる。
(どうしてあの人がこんな所に来ているのよっ!!振り向きたくはないけど、向かなければ後で何かしら言われるに決まってるわ…!)
そんな事を思いながら、後ろにいるであろう人物に挨拶をするため、恐る恐る振り向く。
そして目の前に立った人物を見て、うわぁと思ったがそれが顔に出ないように、慎重に言葉を紡ぐ。
「ふ、副団長に、おかれましては、このような所まで足を運んで頂き、誠に有難うござーー」
「そのような堅苦しい挨拶はいい。俺はただ、噂の強い新人を見に来ただけだ」
「ひぇーー」
「ルイス副団長、御託はいいですから何故このような場所に足を運んだのか、それだけ教えて下さい」
声の主、ルイスに向けて挨拶をするもののばっさりと足蹴にされる。そんな状況に慣れているのか、エルヴィスは呆れたようにここに来た意図を尋ねた。
この時点で、アイリスは変な胸騒ぎがしていた。ーー何かとても悪いことが起こるような、そんな感覚だ。
ルイスは獲物を確実に捕らえるような、それでいて面白がるような感情を瞳の奥に潜めたまま口を開く、
「俺がここに来たのは、いま目の前にいるアルフという者の勧誘のためだ」
その言葉にアイリスは、この先に不安しかないこと静かに悟り、絶望を感じた。