1.アイリス・バーレイ
エアハート王国の辺境伯領には、一風変わった令嬢がいた。
***
バーレイ辺境伯領の訓練場では、朝から剣がぶつかり合う音が響いていた。
「もっと、もっとよ!もっと踏み込んで振らないと、攻撃の意味がないわ!私を斬ってしまうような勢いで来なさい!」
アメジスト色のサラサラした髪の毛が、少女が剣を振るうたびに揺れる。少女はまるでダンスを踊っているかのような軽やかな足取りで、目の前の騎士と剣を交えている。
その騎士は、自分よりも小柄な少女に追い詰められていくのを感じていた。男と女とでは腕力、体格の差があるはずなのに、攻撃を仕掛けても少女はそれを躱し、逆に攻め込んでくる。
焦った騎士は、少女めがけて思いきり剣を振り落とした。しかし少女は、それを避け騎士の間合いに入った。
そしてー
「はい、チェックメイト。私の勝ちね」
トンっと、騎士の左胸に切っ先を突きつける。その瞬間、周りからは大きな拍手が飛び交い、剣を突きつけられた騎士は全身の力が抜けたように、地面に座り込む。そして前髪をかき揚げ、悔しそうに笑う。
「はぁー。さすがお嬢ですね、俺のような男を相手にしておきながら傷一つないだなんて」
「ふふっ、ありがとう。でも、あなたも初めてここに来た頃に比べたら、かなり上達してるわよ。自信を持ちなさい。まぁ、幼い頃からここの騎士たちと訓練している私と比べたらまだまだね」
スカイブルーの瞳を細め、にやりと笑うこの少女こそ、バーレイ辺境伯現当主の娘であり普通の令嬢らしくない令嬢、アイリス・バーレイであった。
幼い頃から父や兄、辺境伯家の騎士たちが鍛錬をしている様子を見ていたアイリスは、齢6歳にして剣を教わりたいと言い出した。もちろん最初は両親や兄、屋敷中の者たちに全力で止められていたが、一度言い出したことは必ず実行する彼女を止められる者はいなかった。
結果、アイリスは剣術と並行しながら淑女教育もするという条件で剣を振るうことを許された。
そして驚くことに、アイリスは剣の才能を幼いながらに開花させ、7歳になる頃には辺境伯家に見習いとして来ていた10歳の男の子を相手に何度も勝利を重ねてきた。さすがの父も、アイリスの成長ぶりには驚いたようだった。
もちろん淑女教育も、厳しい母のもと徹底的に完璧にさせられたため、社交の場においても恐いものなしの立派な令嬢となるはずであった。
「そういえばお嬢、3日後の昼には出発するんでしたっけ?」
二人の周りに集まってきた騎士の一人が、思い出したように言う。
「えぇ!もう早く行きたくて、ずっーとウズウズしているの!あぁっ!早く3日後にならないかしら!」
「それ、当主夫妻と坊ちゃんの前では言わないでくださいね。絶対に悲しむんで」
「分かっているわよ。でも、本当に楽しみで仕方がないのだからいいでしょう!」
呆れたように言う騎士に、アイリスは頰を膨らませながら抗議する。
「まったく、お嬢には困っちまうなぁ。そろそろ社交会デビューするのかと思ったら、王国騎士団に入るだなんてよぉ。旦那様たちが泣いてるよ」
「しかも、男装して入団するつもりなんだろう?いくらお嬢が強いとはいえ、男だらけのところに行かせるってのが心配だね」
そう、アイリスは社交会デビューをする前に、国随一の強者たちが集まるとされている王国騎士団に入団しようとしていたのだ。
「もうっ!みんな心配しすぎよ!大丈夫、ぜっーたいにバレないように色々考えているから!」
心配する騎士たちをよそに、アイリスは笑う。
「そんなに心配しなくても、誰一人として私の完璧な男装に気づかないわよ」
その言葉が後にアイリス自身に返ってくることなど、この時は誰も予想していなかった。