新旧天才の入れ替わりと還ってきた者たち
いろいろあって、最終シリーズを書く余力が来年以降になりそうなので、その悪あがきに2022年のアガーラ和歌山をざっくりと残していこうと思います。
選手、コーチ、そして監督とクラブのJリーグ昇格からの十数年に渡りクラブを支えた松本大成監督が昨年限りで現場を退き、クラブとの協議の末にフロント入りもせず野に下ることになった。アガーラ和歌山というクラブ史上においてはまさに『生き字引』的存在だった松本監督の政権終焉をもって、クラブは後任探しに奔走した。
各種媒体では後任候補はいろいろ推察されていたが、クラブOBからの招聘が基本線というのが大方の見方だった。
剣崎龍一という稀代のストライカーを筆頭に代表クラスの選手を数名擁し、こう言っては何だが『曲者』も少なくない選手陣容、それでいて決して裕福とは言いきれない財政面が露呈する層の薄さ、その状況でチームを指揮するとなれば、そういう見方になるのも自然ではあった。かつて高みを目指して外部招聘して、それが破綻と凋落を招いてJ2降格という苦い歴史(2015年シーズン、詳しくは『オーバーヘッド4』を参照)があることも、その予想を後押しした。最終的にJリーグクラブ指揮に必要なS級ライセンスを有する、チョン・スンファンコーチ、あるいは吉岡聡志GKコーチの昇格が有力視されていった。
そして、年も押し迫ったころ。クラブから新監督就任のリリースが媒体へ送付された。
「いや~、元キーパーの監督って珍しいんじゃないですかねえ。まずスーツ着たのがホント年単位で久しぶりなんで、早くも身体がこってきてます。ハハハ」
のほほんとした口調で会見場のテーブルに座ったのは、吉岡聡志GKコーチだ。
2013年に仙台から移籍加入し、当時若手だった友成、天野、そしてユースから昇格したばかりの本田たちキーパー陣の良き兄貴分として振る舞い、彼らの成長に少なからぬ影響を与えた。翌14年シーズン終了後に現役を退いてコーチに着任すると、以後昨シーズンまでその役職を全うした。
本人が話したように、少なくとも日本のサッカー界において、キーパー出身の監督というのはかなり稀有な存在だ。まずそもそも選手としてゴールキーパーは、練習の方法からして他のフィールドプレイヤーとは一線を画し、コンバートすることもほとんどない。ハンドという反則が存在する中で、唯一手が使うことが許されていること、サッカースクールでもGK部門と独立しているなど、存在自体がスペシャリストだ。フィールドプレーヤーの特性も理解しつつチーム全体をまとめるマネジメント能力のほうが問われる監督というポジションとはあまりキーパー向きとは言えないのかもしれない。実際、日本のJリーグが開幕から30年近い歴史の中で、監督を務めた例は両手は使うが手の指で数え切れるぐらいしか例がない。
ただ、和歌山はさらなるサプライズ人事を発表する。同じ場に、一人の男が颯爽と現れた。
「ん~どーも。代理人業を廃業して指導者修業に明け暮れていた、内村宏一で~す」
軽い口調とやや粗雑に着たスーツ姿で現れた男に、場はそれなりのフラッシュの嵐となった。
現役引退後は代理人業として海外挑戦の日本人選手を支え、剣崎や竹内がイングランドへ挑戦するに当たってはその橋渡し役を担ってきた内村。しかし、二人が和歌山に復帰するとすっぱりと廃業(当時抱えていたクライアントは他者に譲渡)し、そのままデンマークやドイツで指導者としての修行を重ねた。ただ、さすがに指導者としての活動期間の短さが仇になったか、監督となるためのS級ライセンスの取得には至らず、アシスタントコーチとしての着任に落ち着いた。
「まあ、指導者としては新米同然なんで、皆さんのほうが不安が尽きないでしょうけど、これでも選手だけでなく、あらゆるチームを間近で見て分析もやってきたんで、それを還元できれば十分勝負できる自信はありますよ。手駒には見知った連中もいることだしね」
明るい雰囲気で進んだ新監督就任会見だが、SNSの一部界隈ではこの体制を不安視する声がちらちらあった。邪推だが本来監督にしようとした内村にライセンスが下りなかった、その穴埋めに吉岡を据えた形。二頭体制とも傀儡政権とも言われた。
そしてこの新体制において首脳陣にもテコ入れがあった。
まずは厚いとは言えない選手層から故障のリスクを軽減させるべく、コンディション調整に特化した部門を新設。その責任者としてチーフコンディショナーという役職ができ、そこに内村の妻であるリンカが着任した。2013年から2年間チームを指揮したヘンドリック・バドマン氏の娘で、内村とは指導者と選手、そして代理人業務においても師弟関係であり義理の親子でもある。リンカはかつてトレーナーとして在籍していたこともあり、この役職では試合出場選手のリカバリーや故障明けのリハビリに特化した指導を行い、長期離脱のリスク軽減を目的とした。
そしてトップチームのコーチに、クラブOBでもある仁科勝幸氏を招へい。2014年に経験豊富なセンターバックとして加入。退団するまで若いチームの知恵袋として振る舞った。現役を退いてからは最後に在籍した栃木でコーチ経験をつみ、この度の復帰となった。来シーズンのアガーラ和歌山は吉岡新監督の下、内村、チョン、マルコス、仁科の4コーチの体勢となった。なお空位となったGKコーチは、本人の希望により吉岡監督が兼任する。
つづいて選手の補強。
最初の発表に、和歌山のサポーターのみならず、選手たちからも驚きの声があった。
「8年経つとすごい不思議な感じがしますね」
カッターシャツの上からアガーラのユニフォームに袖を通しながら、日本有数のセンターバックである大森優作は照れくさそうに語った。
全国大会の経験はなく、地元徳島でも全国クラスにいたわけでもなく、もっと言えば気弱なメンタリティーが問題視されて「隠れた逸材」と言われながらも決して注目されていなかったのが、2011年までの大森であった。しかし、今石博明現GMがユース監督からトップチーム監督に昇格するにあたり、自分の教え子だけでなくスカウトの琴線に少しでも触れたならとにかく獲るという当時の方針で、雄大な体躯とそれにに使わぬ俊敏性を秘めていたことから、大森は紀伊水道の向こう側でプロ選手としてユニフォームを着た。デビュー戦で一発退場という苦い経験をしながらも、当時の今石監督はじめ首脳陣が結果ではなくプレーの決断を褒めてくれたこと、そして同学年の選手があふれかえる環境下で揉まれたことで精神的課題は瞬く間に克服。翌年以降はセンターバックのレギュラーに定着し、2013年のJ2制覇、さらに翌2014年の天翔杯制覇など旋風を巻き起こしたチームの主力を担い、名門鹿島への移籍を果たす。リオオリンピックやA代表でも実績を重ね、さらにクラブでも不動の地位を得て日本有数のセンターバックとなっていたが、ここ数年は新戦力の加入や若手の台頭で守備固め要員になっていた。レギュラーとしてのプレーにこだわりがあった大森は移籍を決断するや、複数クラブからオファーを受け、その中で真っ先に、そして最も多く交渉の時間をかけてきた古巣への復帰を決めたのだった。
くしくも鹿島で守備陣形を長く組んでいた友成、小野寺と再結成することになった。
「自分は和歌山から羽ばたいていたから、その比較で鹿島の経験を還元できる。もちろんまだまだ代表レベルに負けない動きもできるので、クラブの失点数を削っていきたい」と50番という大きな背番号を背負って抱負を語った。
そしてもう一人。こちらは広島に移ったのち、昨年は湘南でプレーしてJ1残留に貢献してきた、地元和歌山出身の長身ストライカー、小松原真理(真理と書いてまことと読む)。かつて国体の和歌山選抜で剣崎らと戦った間柄で、大学在学中に特別強化指定選手としてアガーラ和歌山でプロサッカーのキャリアをスタート。ヘディングが苦手だがスピードがあり、シュート力はもちろんサイドからのクロスの質も高く、センターだけでなくウイングもこなせるタイプの選手だ。
「またこうして和歌山に帰ってこれたのが嬉しいですね。背番号も大きく期待されていることを実感できるので恥じない結果を出したいですね」
そう言って、10番のユニフォームに袖を通した。ただ、彼がこの番号を身に着けるということは、前任者がどうなったかが気になるところ。
その前任者である司令塔・小宮榮秦は、古巣であるJ2の東京ヴィクトリーに完全移籍で復帰することが決まったのだった。かつて日本サッカー界を牽引する司令塔として大きく注目された逸材だったが、ここ数年はコンディションが安定せず、常連だった日本代表からも遠ざかっていた。名古屋からのUターン後はベンチ止まりの日々が続いており、自分のキャリアが終末に近づいていることを悟った。
そして、Jリーグ黎明期の絶対王者、日本サッカー界の名門としての栄光を抱えながら、10年以上二部リーグにくすぶる古巣のJ1復帰を最後の指名と決めて復帰することになった。
「いつまでもリーグ初代王者が二部にいるのは日本の恥。スパイク脱ぐ前に俺が引き戻してやる」
そう言って小宮はチームを去った。
このほか主力の退団者は今年もあった。特に最終ラインにおいては、大森の復帰をもってして埋めきれるかどうかの穴が開くことになった。センターバックの要だった上原隆志が川崎へ、サイドバックを務めたカイオ・ロドリーゴが横浜Nマリナーズへそれぞれ引き抜かれた。4バックのレギュラーのうち、2人を失ったことはチームにとって大きなマイナス要素で、これを根拠に降格候補に挙げる評論家もいたぐらいだった。
だが、この不安をかすませるような、感動的な新戦力が、和歌山に新たに加わったのだった。