関東バベル-6
花垣は跳ね起きた。
今、呼吸を思い出したように息を吸った。
花垣は周囲を見渡した。
暮らしているアパートの部屋だ。
「いつの間に、帰ってきた?」
花垣は背中を確認した。
洗面台に駆けて、鏡の前に立つ。
鏡には、火傷も、喰い込んだ破片もない。
「これって、つまり……?」
わからん、と、掌で口を覆った。
花垣は眉間に深い皺を作り唸った。
「ん?」
ベッドのシーツが動いたように見えた。
冬でも薄っぺらい掛け布団だ。
花垣が抜ければぺしゃんこだ。
膨らんでいた。
動いていた。
「な、なんだテメェ! でかいネズミか!?」
シーツが、はらりと滑り落ちた。
中から出てきたのは、裸の女だ。
「天使……」
花垣は、美しい女を見て言った。
そして、背中に生えた翼を見た。
「天使だ!?」
天使は眠たげな顔で花垣を見つめた。
まぶたは半分は閉じていて垂れ目だ。
瞳が、カメラレンズのように動いた。
焦点を合わせるように機械的に絞る。
「サイボーグなのか」
「……」
「まあ人間だろ。彼女ができたようなもんだ」
花垣は論理構築して、天使の隣へ座った。
「俺は花垣だ。ヤクザにこき使われてる貧乏人だな。天使ちゃんの名前は?」
「……」
天使は花垣を見つめていた。
不思議そうな目と合っていた。
「話せない?」
「……」
「まっ、そういうのもいるか」
花垣は勝手に納得した。
おもむろに立ち上がった。
山になっている洗濯物を漁った。
パンツと、シャツを取り敢えず用意した。
「ほい、裸だと困るだろ」
「……」
天使はジッと見ているだけだ。
花垣は、パンツを天使の足に通した。
シャツを腕に通して乳の前でボタンした。
「……でっか」
ボタンは、半分ほどで留められなくなった。
「ブラジャーとか無いから勘弁してくれよ」
そこで、花垣は天使の首筋を匂った。
天使は特別な反応を見せなかった。
「煙草もアルコールの臭いもなし。俺の好みだ。部屋から追い出すか考える最低条件だ」
と、花垣はあらためて天使を観察した。
「全身にチューブを打たれてたから穴だらけだが、そのうち埋まるだろ。美人には酷な、跡は残るかもだがな」
天使は何も話さない。
言葉以前に、声そのものを発さない。
「寡黙な女なことだ。金切り声よりマシだが」
花垣は、自身のぼさぼさの髪を掻いた。
「荷物から抜いたことになってるのか?」
困るな、と、花垣は唸った。
ドアが乱暴に叩かれた。
インターホンは壊れて久しかった。