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巨人の踏んだ尻尾-1

「ぐえっ」


 花垣は腹の重みで目を覚ました。


 しょぼつく目、手探りで当てた。


「天子、どいてくれ」


 と、花垣は翅のある乙女を持ち上げ退けた。


 羽毛布団を引き裂いたように、鼻や肌をくすぐる羽毛はあちこちに撒かれている。


 美しい抜け毛に花垣はくしゃみした。


 彼は眉をしかめ腹を押さえて動けなくなる。


 額には脂汗が浮かんでいた。


 天子が、丸い瞳で覗きこむ。


「平気だ」


 と、花垣は目覚まし時計をとった。


「はえぇよ」


 デジタル時計は0201時──夜明けは遠い。


 花垣は松脂か蝋のように瞼を封するねばついた眠気をこすりながら、同棲している天子の、グラスファイバーのような無機質で柔らかい、指に刺さるような錯覚のある長い髪を撫でた。


「あー、おはよ」


 天子は満足そうに──しかしいつもと変わらないほがらかな、夜に迷わないよう照らす月のように優しく──微笑んで、ベッドの縁に、ぎしりと軋ませながら座りこむ。


「誰か来るか」


 花垣は、マンションとビルの間の夜を見た。


 裏路地になるジメジメと薄暗い窓の外だ。


 眠気のまま窓を開けた。


 金属製の巨大なゴミコンテナから物音だ。


 ゴミ収集車の巡回にはまだ早過ぎた。


 花垣の瞳孔が夜に慣れて猫のように丸まる。


「野良犬か」


 花垣は台所で『弁当』の用意を始めた。


 昨夜の夕飯の残りと米をタッパーに詰めた。


 桃色の風呂敷を結んで箸を一つ差した。


「おい、土産だ。食っておけ」


 窓から、野良犬に声をかけた。


 野良犬が、ゴミコンテナに突っ込んでいた長い鼻を持ち上げた。


 花垣は弁当を投げた。


 窓を閉めて、大きなあくび。


「眠い」


 ベッドの上は、天子に占拠されていた。


 ──目覚まし時計が鳴る。


「仕事を選べない辛さかな」


 トラックの開けた窓に肘をかけた。


 残っている左の手はハンドルに添えてある。


 自動運転で進む賢いトラックは、法律の問題から人間である花垣を必要としたが、道端に落とされたコンテナとそれに群がる人垣を、ステアリングをきって器用に避け、また元の道へ戻った。


 腐った果実を食べたような渋い顔の花垣は、不味さと甘さの入り混じる複雑な表情で渋滞の先を見つめていた。


「天子も食い扶持は稼いでくれよ」


 助手席の相棒である天子の翅を退けた。


「地球サミットで関東バベルタワー建設を宣言して五周年のイベントがあるんだったか。道理で混んでいるわけだ」


 花垣は、関東バベルタワーの管理を任されている組織同じロゴの大型トレーラーが何台も走っているのを見送りながら、ふと、思い出していた。


「一応、俺らのボスと同じ姉妹だから、挨拶しておけば、天子」と、花垣は冗談のつもりだ。


 天子は、トレーラーに手を振っていた。


「お利口にしていてくれよ」


 トレーラーのドライバーは気のいい連中なようで、天子に手を振りかえしていた。


 ──。


「天子を預ける代わりだ」


「引き取ってくれても良いがな」


 と、花垣は背中に張りのある豊かな、二つの餅を押し付けられ、母鳥が卵を温めているかのように翼で体のほとんどを覆われていた。


 針のような翅が肌を刺した。


「スマートコクーンの所有物なんだろ。この天使は。どうして強制的に連れて行って、俺を消さない」


「事情があるからな」


「なるほど。天使を完全に制御できているわけでもないのか。襲撃で目覚めるのは予想外だったと」


「飴は充分にくれてやれる。鞭で打たれたくなければ働くことだ」


「天使の翅を踏まないよう頑張るよ」


 天使の所有者であるスマートコクーンのエージェントで、黒い肌に、細かく編み込まれたドレッドヘア、デウスと名乗る人物がサングラス越しに鋭い目を向けているようだ。


「……正気か?」


 と、デウスは、整えられていない眉を跳ね上げて、唾を吐くように言葉を落とした。


「頭がおかしい男だな、お前」


 ──。


「わかってるよ」


 窓に肘をかけ花垣は前の車の尻を見つめる。


 後ろからクラクションを鳴らされた。


 トラックは、みじろぎもしなかった。

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