関東バベル-1
男は仕事のパソコンとは別を起動する。
半分に折り畳める最新のモデルである。
それを、最近、定額でネット通信を提供するようになった会社からインターネットに接続した。
動画サイトのライブを観た。
「もう始まってる」
トゥーハンド──。
工場で大量生産された生体部品で作られた、肉で組まれた機械……それは極々標準的で真新しさはないが、バベルタワーカップの試合、それもルール1のレギュレーションは、世界最高峰の人型ロボットが技術の粋を結晶させる。
パソコンのモニターへ静かに熱中していた。
おもわず、左右の手足が動く程度にだ。
トゥーハンドを無意識に操縦していた。
だが……指先は引き攣って痙攣した。
繊細な操縦など望むべくもなかった。
男は、手をさする。
いたわるようにだ。
ライブでは、トゥーハンドが激突した。
どちらも世界最先端の技術の塊だ。
ドライバーもまた、世界最高峰だ。
レギュレーションにのっとり、どちらのトゥーハンドも市販されている物ではあるが、ルール・ワンへ参戦できるようにするためだけに、限定生産されたモデルだ。
毎年変わるレギュレーションに対応して不断のカスタムとメンテナンスも受けているのだろう。
スコルピオのクローハンドが唸る。
HP-Rが肘鉄からメタルジェット。
冷却と応急材と電池を兼ねた血を吹いた。
装甲皮を青くする青い返り血を吸っていた。
「社長」
「うおっ!?」
まどろんでいた男は跳ね起きた。
夢を見ていた心地よさから覚めた。
「渡真利根、心臓が止まるぞ……」
「それは困ります」
男はパソコンをミュートした。
役員である渡真利根が自身の眼鏡をただす。
「休憩中だぞ」と、男は言った。
渡真利根は胸をとんとんと指で叩いた。
男は胸ポケットのケータイを確認した。
スーツのポケットにあるピッチケータイ。
着信を告げようと点滅していた。
渡真利根はポケベルとケータイを見せた。
「休憩なのですよね?」
と、渡真利根はデスクに腰掛けた。
「おい」
と、男は抗議する。
渡真利根は聞かない。
「バベルタワーは人類史上最大の失敗建築物と言われています。今でもです。世界最大のスラムとも。そんな、バベルを拠点にしています」
「そうだな……好きでやってるわけじゃない」
「そうなのですか?」
「当たり前だろ。お前、俺に経営センスを?」
「求めていると思いましたか?」
「あるわけねぇわな」
と、男は自嘲して、落ち込んだ。
「お前は嫌がるだろうが、けっこう、こんなバカみたいな空気を楽しむのが夢だったんだが、あまり夢を壊してくれるなよ、俺の夢」
「努力はしましょう、シャッチョー」
「変な訛り、なおらなねぇなー」
渡真利根がポケットから何か探していた。
「もっと下界で安全に金を稼げるのでは?」
と、渡真利根は煙草を出した。
「嫌煙家なんだがな。灰皿はあるのか」
「携帯が」
と、渡真利根は煙草を咥えた。
スーツのあちこちをまさぐる。
ライターが見つからないらしい。
「嫌煙家にライターをせがむな」
と、男はポケットからライターを出した。
ターボされたガスがタングステンのフィラメントを真っ赤に焼きながら、青白い、鋭い炎をあげた。
「ターボライターとはハイカラ。臭いがない」
渡真利根は遠慮なく煙草を吸った。
紫炎を男からできるだけ離して吹く。
渡真利根の『ノズルのある長い口と鼻』、『人間よりも鋭い歯』の横顔が伸びていた。
「自慢の『尻尾や毛並み』がヤニ臭くなるぞ」
男はデスクに肘を置いた。
男の趣味ではない、デスクに飾られたフォトフレームの中には、写真がおさまっている。
そこに、天使がいた。