宇宙人失格
私は宇宙人ではない。
さて、本当にそうだろうか。
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気がつくとすでに授業が終わっていて、教室が騒がしくなっていた。
俺が目を覚ましたのは、誰かに名前を呼ばれた気がしたからだった。
「おーい日直〜!HR始めるから黒板消しとけー!」
いや、俺は日直じゃない。
「あ、エイ!すまん勝手に消しゴム借りてたわ」
隣の席から、俊が慌てて消しゴムを渡してきた。
「あぁ。別にいいよそんくらい。」
俺を呼んだのはきっと俊でもない。
...別にどうでもいいかそんなこと。
ところで一体、俺はいつから寝ていたんだ。4限が終わって、昼休みになって。
5限が数学だからと教科書を机に置いたな。
視線を落とすと、絶妙に湿気った表紙の数学の教科書。
ヨダレじゃなくて良かった。
とりあえず表紙を見なかったことにして教科書を片付け、ぼーっとしてたらHRが終わった。
「エイ!今日看板描けるか?」
「あぁ。別にいいよ。」
「お前は相変わらず省エネだなあ」
実行委員をやってる俊がいつもの調子で声をかけてきた。
俺は文化祭用の看板を描くらしい。
別に好きではないが、特段断る理由もないから軽い気持ちで承諾した。
昔から、どんなことでも大した努力をせずとも1番になれてしまう。
...だから俺は"エイ"と呼ばれている。名前の略、というよりはエイリアンの略らしい。そう、宇宙人なんだってさ。
それでも俺だって苦労はしている。
"何もしてない癖に"という攻撃の的になり続けるんだから。
より努力を避け、考えることを辞め、極力一発勝負のつもりで取り組むことにしてきた。
それでも、勉強も運動も芸術も、なんだって結局5番以内に入っている。
ほとんどのことがなんの苦労もせず手に入る。そんな人生を歩んできた。
教室前の廊下にビニールシートと新聞紙を引いて、布団2枚分くらいの大きなベニヤ板を置く。
下地処理をし、下描きもそこそこにベタ塗り部分のペンキをハケで軽く板に置いた。
そのあとで丁寧にローラーがけをして、ムラを取る。
一旦乾かす必要があるので、作業を中断し
俺はカルピスソーダを飲みながら一息ついた。
あとは細かい部分の描き込みだ。
「なあ、看板なんて校舎の壁に掛けるものだし、細かいとこまでちゃんと描く必要あるか?」
そんな失礼なことを俊に聞こうとした瞬間、
「あ!2組も看板やってるんだ!」
多分3組の...恐らく看板担当の奴が話しかけてきた。
「まぁね。」とだけ返事をした。
「あぁごめん、俺3組の渚。滝沢の描く看板、めちゃくちゃ楽しみにしてんだよ」
よく分からんがやたら笑顔の賑やかなのが来た。"楽しみにされるようなもの、俺には描けないけど"なんて
何故かどうして、どうにも言えなかった。
俺が描いてるのはクラスの奴等が完成図を決めていて、
この通りに描いてくれ、という指示書のようなものが手元にあるからだ。俺は言われた通り、忠実に"なぞるだけ"
「滝沢って中3の最後のコンクール、優勝してただろ?あれを見た時、あぁ俺ももっと頑張らないとって思ったんだ。」
いやわからん。どのコンクールだよ。音楽...なわけないよな。まぁ今看板描いてるし、さすがに絵...絵画...?となると...
「あぁ、ええと...もしかして水彩のコンクールのこと?確か桜の木と水溜りを描いたやつ?」
「そうそれ!細部の描き込みが丁寧で、でも"写真みたい"なんかじゃなくて、目で見た光景がそこに広がってるようだった。まるで俺もその景色を見たんじゃないかって錯覚して、感動したんだ。」
あってた。てか、あんなの覚えてる奴いるんだ。
俺は担当教員に勧められた場所で"見たまんま" を "描いただけ"。
「そうか、ありがとう。看板頑張ろうな」
そう返事をすると、渚は何故かニコニコしながら去っていった。
「エイって本当に表情変わらないな。感情もないんじゃないかって思っちゃうな」
横で見ていた俊が不思議そうに、悪戯に笑いながら言った。
俺もそう思う。もし俺の名前が英斗じゃなければ、アンドロイドと呼ばれていただろう。
何時までに終わらせようとか、画材が足りるかとか、俊と一通り話し終え、俺は飲み終えたペットボトルを捨てるためにその場を離れた。
そして3組の前を通るついでに、なんとなく教室の中を少し覗いてみた。
渚は数名のクラスメイトと何やら楽しそうに作業をしていた。
「あ、滝沢!あの...ごめん、ちょっと聞きたいんだけどさ...」
「何?」
「ここ、変にスペースが空いちゃってさ。みんなで考えてたんだけど何を書き足してもコンセプトに合わないんだ。」
そういうのは描く前に決めない?というのは置いとこう。
確かに今のままでは全体のバランスが悪い。趣味の芸術ならこれも味になるが、クラスの出し物をアピールする看板だから総合的なバランスをとりたい。
かといって何かを書き足すと、ちょっと煩くなってしまう。
渚のクラスは「約束の丘」というオリジナルの劇をやるらしい。
内容を聞いたらヒミツ!と言われてしまったので分からないが、敢えて言わないだけだと思う。
左の上から1/3は丘。右側には1人の野球少年と、もう1人は...誰だろう。関係性は分からない。そしてこの絵の左下がまだ白い。
ボールなどの思い出になるものを描く、とも思ったが、やはり賑やかすぎる。ならば自然...地面に近いもので、調和するもの......。
「そうだな...。別にペンキとか絵の具に拘る必要ないと思うけどな。無理に描かなくていい。俺だったら...まぁ...貼るかな。」
「貼る...あぁ!それいいじゃん!!採用!ちょっと取ってくる!!」勢いよく言い放つと、すぐさま渚は校庭へと駆け出して行った。
今ので伝わったんだ...と思いつつ
「あいつ、いつも"ああ"なの?」近くにいた奴に聞いた。
「渚くんはずっとあの感じだね〜!ブレないよ。」
「この看板だって、募集するよりも前に自分で立候補してるのに、『みんなでやろ!』とか言い出してさ」
「ま、楽しいからいいんだけどね。」
と、皆が続け様に嬉々として語っていた。まぁ、俺達2人よりは確実に賑やかだ。
「なるほどねぇ」と、納得したフリをしてその場を後にした。
教室から出ると、こっちに向かって走りながら
「ほんと2組の看板、楽しみにしてるから〜!ありがとな〜!」
と、遠くで渚は叫びながら手を振っていた。
軽く手を振り返し、教室に戻る。
「楽しみに、か。」そう小さく独り言を吐き捨て
俺はスッと短く息を吸い、アクリルガッシュを筆にのせる。
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文化祭も終わり、各学年の出し物や売上の結果、その他の賞の結果が出た。
俺のクラスは凝りに凝ったお化け屋敷。美術部員が多いからか、あまりにも怖すぎると噂が広まり、かなり人を選ぶ結果になってしまった。
看板は来場者と生徒の投票で優勝が決まる。
結局、俺の看板は1位、優勝だった。
そして準優勝は渚の看板だった。
「さすが、滝沢には勝てないな」
渚が声をかけてきた。
「いや、どう考えたって俺の負けだよ」
そう返すと渚は拍子抜けしたような顔をしていたが、絶対に俺の負けなんだ。
俺はあの後、クラスの奴から渡された指示書を破り捨て、
己の感覚のみに身を委ねて完成させたんだから。
俺は初めて、"俺"を無視した。
だから俺の負けなんだ。
思い出したんだよ。中3の春、水彩画コンクール。
その時俺は見たんだ。無表情で表彰される俺の隣に、泣き跡のある渚を。
勝者が敗者にかける言葉なんかないんだけど、居心地の悪さから「大丈夫か」なんて声をかけた。
渚は驚いた顔をして「僕の作品じゃ、君のあれには到底敵わないよ」
と言った。その時、俺はよく理解できずに気まづくて俯いたんだ。
俺は今、初めて努力を美しいと思えた。
あの時渚が泣いてたのは、2位で悔しかったんじゃない。きっと純粋な感動と深い絶望だったんだ。
「自分には絶対に手に入らないもの」を見た時の絶望を、あの時の俺はまだ知らなかったらしい。
そうしてるうちに、集客の発表があった。
最高集客は3組、渚のクラスだった。
「練習頑張ってよかった〜!看板も2位だよ!みんなありがとう!!」などクラスメイトと泣きながらはしゃぐ渚を見て、いつの間にか俺も泣いていた。
頑張らないようにしていた俺は、"頑張ってよかった"そう思ってしまった。そしてあの時泣いてた渚の気持ちが、少しだけ分かったような気がしたんだ。
--あぁそうだな。俺はきっと今頃、俊に笑われ宇宙人失格の烙印を押されていることだろう。