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瑠花と分かれてバスを利用し、自宅まで帰ってからというもの、純哉は夕食や入浴を済ませ、リビングのソファで横になってくつろいでいた。スマホに繋いだイヤフォンを両耳に装着して、動画投稿サイトでゲーム実況を視聴している。
実況者の言い回しや、ゲームの内容への突っ込みが的確なため、場面によっては純哉もついつい笑ってしまう。傍らでソファに座ってテレビを観ている純哉の両親は、彼がリアクションを取るたびに反射的にチラ見していた。だが、2、3回ほど反応したところで慣れたせいか、それからは純哉に目を向けず、前方の大きな画面に集中する。
何も知らない人間から見れば、ただ1人で笑っているだけのようだが、スマホの画面に向けた純哉の目線とラフに垂れ下がったイヤフォンの線が現状を物語っていた。簡潔にいえば、純哉は動画に夢中になっていると。
今日は帰るのが遅めになったが、いつもなら帰宅してからずっとこういった状態だ。下校前のホームルームが終わるとすぐに帰宅し、先に手洗いなどを済ませてソファに寝転がり、ゲームをしたり本を読んだり、仮眠を取ったりして、自堕落に過ごして放課後の時間を無為に消費する。
さすがに授業で出された課題があればそれに取り組むし、定期テストが近くなれば勉強もする。やるべきことはきちんとこなしているが、純哉本人も部活生やバイト勢が必死に汗水垂らして頑張っているあいだに、自分は何をこんなだらだらとしているのかと考えてしまう。かといって、今更部活に入ろうという気もないし、バイトを始めるつもりもない。
一体自分は、いつからこんなにも怠惰を貪るようになってしまったのか。いつからというより、高校に入学してからだ。曰く、中学時代に頑張り過ぎた反動がきたのだという。
これでも中学時代は部活や勉強に明け暮れていたものだ。当時サッカー部で培われてきた基礎体力や運動神経はどれほど残っているのだろう。意外と身体が覚えていたりするのか。しばらくまともに運動もしてないので、ほぼ確実に体力は落ちているはずではあるが。
今になって考えれば、中学時代はよくあんなにも身軽に動けていたとしみじみ思う。想い人に自分という存在を見て貰いたいなどといった、一見して不純な動機があったにしても、その時のフットワークの軽さや行動力は称賛に値する。
そこまで遠くない過去のことを思い返し、今年の10月で18歳の誕生日を迎える純哉は、妙に年老いた気持ちになった。きっとこの先、何年何十年先でも、時折こうして後ろを振り返るのかと。そして、時の流れとともに歳を重ねていくのだ。
ひとまず今の自分が、やるべきことだけをやってのんびりと日々を過ごしているのは、来年から社会人として働く時のために気力を温存しているのか。いわば長い人生の中における休憩地点に例えてもよかろう。
1本の動画が終わり、チャンネル登録や高評価を催促する文言のほかに、オススメの動画が添付された画面が表示されたタイミングで、写真をメインに投稿するSNSのダイレクトメッセージの方に通知が来た。プロフィール画像やユーザーネームを見るに、瑠花からだ。
(何でまた?)
塾が終わったのでSNSを開いたのだろう。呆れたように溜め息を吐き、純哉もアプリを起動してトーク画面を開示する。他に何か言うことでもあったのか。いや、ないはずだろうと自分の中で1人で突っ込みを入れつつ、瑠花からのメッセージを確認した。
『冬田、急にごめん』 『直接会って、どうしても話したいことがあるんだ』
2つに分けられた吹き出しを見て、純哉はピクリと口元をひくつかせる。直接会って話したいとは、今更何を言いたいのか、何が目的なのか。彼女への不信感も合間って、純哉の胸中では否定的な感情ばかりが膨らんでゆく。
だが、ここで感情に流されて判断を誤ってはいけない。まずは心を落ち着かせ、この場において最も適切な回答を選び出し、穏便に事を済まさなければ。
とりあえずは、無難に相手の言葉を借りてオウム返しする。
『話したいこと?』
『うん、話したいこと』
対する瑠花の返事はとても早かった。現に瑠花は、バス停の前に立ってスマホを操作し、帰りの便を待っているのでしばらくは画面を直視できる。
『明日、もし時間があればバスターミナルに18時に来てくれる?』
やけにピンポイントな指定だと純哉は思った。しかし、そんなことはどうでもいい。結局は何を話したいかが疑問だったが、今そのことについて触りを訊いただけでも、ここでは答えてはくれないだろう。実際に、“直接会って”と言っているのだから。
たちまち明日も放課後の予定は無いし、行くだけ行ってみるか。仮にもし物騒な物事に巻き込まれそうになったら全力で逃げる気でいるし、最悪の場合は瑠花のアカウントをブロックするつもりでもいる。
純哉は警戒心を解かぬまま、瑠花に対してメッセージを送り返す。
『別にいいけど、』 『とりあえず18時にそこに行けばいいんだな』
返信すると、純哉はSNSを閉じて再び動画投稿サイトを表示する。すぐに通知があったが、それは既読を伝えるハートのスタンプを送ってきただけのようだったので、こちらは未読スルーの扱いでいいだろう。
現在時刻は22時過ぎを差す。まだまだ浅い時間だ。そして、次はどの動画を観ようか。先程と同じようにゲーム実況でも良いし、ミュージックビデオでも良い。
少しばかり考えたが、純哉はサイトのホーム画面に表示されている1つのミュージックビデオのサムネイルを見て、半ば無意識に右手の親指でそれをタップした。
その曲は、交わりそうで交わらない男女の両片想いを表現した歌詞の恋歌だ。神秘的な曲調のイントロから始まり、最後まで厳かな雰囲気で終わる。
まさに今の自分にとってタイムリーな曲と出会ったような気がしながら、純哉はついつい感傷に浸っていた。
久し振りに再会した瑠花の心情は知る由も無いが、明日のことは明日で成り行きに任せれば良い。
イヤフォン越しに流れる曲に聴き入る純哉は、仰向けになって自身の両腕で視界を塞ぎ、静かに目を閉じる。そうして、夜はだんだんと更けていった。
翌朝、純哉はいつものように3年6組の教室に入る。すると、自身の席の側に、糸井と昨日は居なかったもう1人の連れの姿があった。
「おは、よう! 冬田!」
昨日まで風邪を引いて休んでいた尼川和希が登校してきたのだ。もちろん、完治はしている。抑揚をつけて朝の挨拶をする尼川に対し、純哉は朗らかな調子で言葉を返す。
「えっ? なぁ、糸井。この人、誰?」
「えっ? 知らんよ? なんか教室入ったら居ったんじゃけど! もしかして転校生?」
純哉に合わせて、糸井もわざとらしくヘラヘラ笑って冗談を決め込む。復活して早々、違う意味で手厚い対応だった。
「……あんたはさっきまで俺と喋っとったでしょうがにゃ!」
じわじわと込み上げてくる笑いを解放しながら、尼川は集中的に糸井へ突っ込みを入れる。対する糸井と純哉は気を取り直し、尼川を歓迎する。
「冗談だって、尼川さん!」
「ほんまよ、風邪治って良かったな」
尼川本人の話を聞く限り、このたびの体調不良は日頃の疲労の蓄積や、6月の気候もありきの気温の寒暖差が激しかったのが要因になったという。
少なくとも感染症の類いではないので、完治すれば普通に学校に来ても問題は無い。
「ああ、久し振りにがっつり風邪引いたけ中々しんどく感じたよ」
「だろうね」
元気な時は学校に行ったりするのが気だるく感じるので体調でも崩して学校を休みたくもなるが、いざ本当に風邪を引いたりするとしんどさ故に回復を望むようになる。
これも一種のないものねだりか。実際に体調が悪ければ、そこまで浮かれることは出来ない。
尼川の復帰もさることながら、純哉を始めとした3年6組の生徒たちはホームルームや授業、休憩などを経て部活動に赴いたり下校を開始したりする。今日も何事もなく平和に1日が終わった。
だが、純哉にとってはこれからが本番だ。目下の課題を頭の片隅に留めておこうと思っても、そう意識するたびに思考の中心にまで浮上してくる。
余裕を持ってその場に臨みたいものだが、それはどうも難しそうだ。考えがまとまらないまま口を開いて、余計なことまで言ってしまわないように注意したい。
周囲の人間から、自分の感情が悟られぬようにと純哉が無表情を貫いて荷物をまとめているところに糸井が声を掛けた。
「冬田さん、このあと暇なら買い物行かん?」
学校から少し離れた場所に位置する大型ショッピングモールまで行かないかと誘う糸井。しかし、尼川へチラリと視線を向けると、自らの発言を訂正する。
「って、思ったけど今日はやめとこうか。尼川さんが病み上がりだし」
連れの体調を考慮しての取り止めだった。自転車での移動ではないし、店内でも結構練り歩くようになるため、それで風邪がぶり返してしまっては面白くないだろう。
「あぁ、別にいいのに……。なんか俺1人のためだけに中止ってのも申し訳無いな」
尼川はへりくだって言うが、糸井ははっきりと言葉を返す。
「いや、尼川さんは休みんさい? またテストが終わって夏休みに入れば遊べる時はいっぱいあるでしょ」
受験生もしくは就活生なので色々なものに追われそうだが、時間を作ればどうとでもなる。夏休み前に出されるであろう課題も、計画的にやるかその日のうちに片付ければ問題は無い。
「うん……。まぁ、うん……」
糸井の気遣いに渋々応じる尼川の一方、2人の会話を傍観していた純哉は、今からの約1時間半をどう過ごそうか考えていた。
相手が指定してきた時間は、18時。それまでの間は進路指導室で求人票を閲覧していくつか良さげなものに目星をつけておくか、図書室で小説を読んで時間を潰すか。
あるいは、今の時間に昨夜の件とこれからのことについて糸井たちに相談してみようとも思ったが、出身中学校が違う上に自分の背景までを言わなければならないと思い直し、純哉はその気を喉元で吞み込んだ。
結局のところ3人は足並みを揃えて学校をあとにし、各々の家路に分かれている地点で解散となった。
そして純哉は、待ち合わせ場所であるバスターミナルの近くにあるファストフード店に入り、時間の調整を行うことにする。
とりあえずは軽食を頼み、あとは席に座ってフライドポテトでもつまみながらスマホをイジってゆっくり待つか。当然、画面に触れる前は紙タオルで手についた油を拭き取る。
帰宅した直後のようにスマホにイヤフォンを繋いで動画を観たり音楽を聴いたり、SNSやネットの掲示板を眺めたりする純哉。それでも、時間の進みは遅く感じる。
良くも悪くも、何か待ち遠しいことがあれば時の流れが遅いように感じるのは人間の性だろう。根本的にいえば、早く事を済ませてしまいたいという焦燥感からきているのであろうが。
「…………はぁ」
テーブルにひじをつき、純哉は頭を抱えて深い溜め息を吐いた。もう何回それを繰り返したか分からない。別に瑠花の話に乗ったことを悔いてはいないが、胸中を中心に全身へ駆けるその焦りが純哉の胃を圧迫する。良い加減、自分はせっかちな奴なのではないかとも疑う。
そうしてだらだらと適当に過ごしているうちに、時刻は17時45分を差す。ようやく時間の檻から解放される。タイミングを見計らって、純哉はファストフード店から出た。
道なりに歩道を歩き、毎度世話になっているバスターミナルに到着した純哉。ここまでおよそ10分ぐらい掛かったので、割とちょうど良い時間になった。
次いで、昨日瑠花と居合わせた場所へ目を向ける。すると、まごうことなき彼女の姿があった。純哉は少し足早にそちらへ歩みを進め、声を掛ける。
「おつかれ、峰村」
対する瑠花は彼の方を振り返り、淡い笑顔を咲かせた。
「……冬田。ごめんね? 急に呼び出したりして」
「ええよ、別に。それで、話ってなに?」
単刀直入に、純哉は本題を切り出す。作り笑いを浮かべて相手を見詰める純哉に、瑠花は気恥ずかしそうに視線を泳がせながら答える。
「あ、うん。その前にさ、これまでのこととか、近況とか聞きたいから、コーヒー行こうよ」
(ええ……?)
まずはカフェに行こうと。会話が繋がっていないことと微妙に噛み合っていないことを踏まえ、純哉は胸中で歯痒さを覚えた。いわゆるマイペースというものもあるのだろうか。
「まぁ、いいよ? てか峰村は部活帰りか」
久し振りに会ったことへの様子見として、純哉は本音を抑えて瑠花の調子に合わせた。
「そうだよ?」
「あぁ、だよな。ほんとお疲れさんだよ」
間を持たすため、思い付いた限り質問を投げ掛けてみる純哉だが、実際には表面上だけのものだ。何故なら、それが本心からではなく義務感からくるものだからである。
腹の底では言いたいことがあるならさっさと言えぐらいに思っているが、いきなりそう言えばあまりにも味気が無い。今はただ、純哉はひたすらに猫を被る。