story:16
日に日に気温が上昇傾向にある7月下旬の某日。長期休暇前の定期テストと終業式を経て夏休みに入ってからすぐのこと、糸井柾人と尼川和希は在来線の駅と隣接した大型ショッピングモールの中を散策していた。
2人は高校生活最後の夏休みとはいえど、卒業後の進路を見据えての勉強や休み明けに提出しなければならない課題に取り組む気にもなれず時間を持て余している。そのため、周囲を行き交う人々に紛れて適当にぶらぶら練り歩いているわけだが。
「冬田さんは、今頃彼女さんとお楽しみでしょうな」
ここには居ない連れのことを不意に思い出し、糸井が呟いた。今日はいつも一緒に遊んだりしている友人が恋人と出かけているため、予定がなかった者同士で尼川と暇を潰す。
「ほんまね。まぁ、いいと思うよ? 何処に行こうが何しようが」
漠然と歩みを進めながら、尼川は適当な相槌を打つ。とてもアバウトな言い方だが、恋人同士で過ごすのなら本人たちしだいなので意向については否定も肯定もしない。
「羨ましいんか? 尼川さん」
「別に? 俺も今はそこまで飢えてないから」
ニヤけ顔で煽る糸井に、乾いた笑いを交えて答える尼川。両者とも過去に恋人が居たことがあり、その時ならではの青春を過ごしてきたのもあってか感情の盛り上がりは小さい。
「ほんまかいなー? っていうても、まぁね。それを言うたら俺だって前に比べたら落ち着いたって自分でも思うよ? あぁ、あん時はまだ若かったのぅ」
生まれて初めて女子から告白された時の心の震えようや、そこから恋人同士になった際の感動など、思い返せばそれは鮮明に蘇る。だが、当時のときめきが経験を重ねるごとに薄れていっていることは、反面寂しくもあった。
18歳の男子高校生が少しジジ臭い恋バナに華を咲かせかけたのもさることながら、空腹を感じた糸井が話を変える。
「とりあえず飯にしようや。尼川さん、何か食べたいのある?」
「ええー? 何でもえーよ」
「じゃあ、俺の希望に付き合ってぇや?」
何でも良いと返されれば困るものだが、糸井は柔軟な決断のもと、尼川を連れてフードコートへ向かう。2人が訪れたのは、その区画内に設けられた定食屋のチェーン店だった。
「ここだここだ。ここのカキフライ定食がね、美味いんよ」
店の前に貼り出されているメニュー表を見ながら、糸井は自身のオススメを紹介する。昼食時とはいえほとんどの客が席を取っているため行列は出来ていない。よって、何を注文して食べるかは余裕を持って考えることが可能だった。
「んん、じゃあ、俺もそれでいいかな?」
ひとまずものは試しで食べてみようか。2人が定食屋の従業員のほうを振り返ろうとしたところで、糸井は反対側から来た顔見知りを視界に捉える。向こうも気が付いて声を溢す。
「あっ、」
「んー? 何処かで見たことあるような……?」
直接的に関わったことはないにしても、互いは顔を覚えていた。先月のいつか、学校の購買前で連れに惣菜をぶちまけた1年生と一緒に居た男子生徒、小庭太一だ。傍らには富名昂介の姿もあり、糸井は彼を小庭の友人だと瞬時に認識する。
2人とも私服で、学校内での雰囲気とはまた違う。しかし、小庭の整った顔立ちですぐに人物像が一致した。
「どした? 知り合いか?」
後方から尼川が訊く。それと同じように、富名も小庭に対して尋ね掛ける。
「なん? まさかとは思うが、お前が飯ぶちまけたっていう先輩とかじゃないよな?」
「それ俺じゃなくて由磨だって! んでもって、あの先輩はその時被害受けた先輩と一緒に居った人よ!」
本気なのか冗談なのか分かりづらい冷淡な口調で問う富名に、糸井は取り繕うように指摘を入れた。一方の糸井も、人違いでないことを確信して気さくに歩み寄る。
「こんなところでまた会うって凄い奇遇ですな! これもまた何かの巡り合わせってやつでしょう!」
「たはは…、そーっすね」
糸井と小庭が適当な距離感を意識して話す。そのあいだ、尼川と富名は完全に傍観という立場に回る。次いで、互いにもう1人の連れが居ないことにも気付いたので何気なく糸井から訊いてみた。
「もう1人の子は何処だい? こないだ一緒に居た子」
「あー、あいつはクラスの女子と遊びに行ってるんすよ。それで、俺とこいつは暇だったんでとりあえずここでぶらぶらしに来たって感じです」
彼等もまた、自分たちと全く同じような経緯を辿っているとは。状況が重なりすぎて恐ろしいぐらいだ。だからこそ、余計にその手の縁を感じる。
「どうかいな! 俺等と状況がほぼ一致じゃ! どうするよ、尼川さん!」
「どうもこうもないよ! 今日はそういう日なんよ!」
偶然鉢合わせたことに然り、状況がほとんど同じだったに然りと、ここまでの奇跡はもはや笑うしかない。尼川が面白可笑しく反論したのを黙殺し、糸井は3人へ事の進展を促す。
「この際じゃけん、みんなで飯でも食うかぁ! ほら尼川さん! カキフライ食うで! きみらもここで食べるんかい?」
「はいー、そうさせていただきますー!」
それからというもの、3年生2人と1年生2人、合計4人の男子は妙な繋がりを経て食事をともにする。4人掛けのテーブル席に座り、各々軽い自己紹介をしたりSNSをフォローし合ったりして談笑を交わす。
「そうそう! だからあの人も彼女と遊んどるんよ!」
純哉のことは小庭も少し知っているため、まだ話として通じる。最も、小庭の中で純哉は由磨に昼食をぶちまけられた不運な先輩という不格好なイメージしかないのだが。かといって、それについて言及する気は毛頭ない。
現状が重なり謎の親近感を抱く者同士、陽気に会話を進める糸井に対して小庭が相槌を打つ。
「ああー、いいっすねぇ! 俺もそういうふうに青春してみたいっす!」
高校生になってから約4ヶ月、現時点で恋愛における青春は小庭にはまだない。学校以外のことでいえばアルバイトが出来るようになったので新鮮な体験はなくもなかったが、他に高校生らしいことといえば何があるかと言われれば頭を捻ってしまう。
これで好きな異性でも居れば大分違うのだが、クラス内はおろかバイト先にも気になる人は居ないらしい。その代わりになるのかは分からないところではあるが、友人や周囲の環境には恵まれている。
「小庭くんはこれからでしょ。イケメンだし面白いけん女子から見ても親しみやすいじゃろうけ、すぐに彼女ができそうだと俺は思うんだけどね」
外見と人柄をひっくるめて後輩を称賛する糸井。社交辞令などではなく、第一印象とこれまでのやり取りを踏まえての意見だった。卒業や進路選択が差し迫る自分とは違い、彼等の高校生活は始まったばかりで時間的な余裕も充分にある。
「いやぁ、でも俺モテないんすよぉ」
小庭は照れ笑いを浮かべながら言う。主観的に自身を顧みて、モテない理由とやらは落ち着きのなさからなのかと疑ってはいるが、確証が得られないので断定はできずにいる。
「そーなん? まあまあ、恋愛に関しては男はどっしりと構えときんさい? 焦りよったら逆に余裕のなさを見透かされて逃げられたりすることもあるけぇね!」
「マジでそれな。彼女いらんって時に限って告られたりもするけん、ほんとないものねだりよ」
大らかに助言する糸井に続いて、尼川がこくこくと頷きながら同意した。彼が言うことの他にも恋人が出来たら急にモテだす事例もあるので、結局恋愛において大事なのは精神的な余裕が一番なのかも知れない。
「ところで小庭くんに富名くんよ、全然話は変わるんだが夏休みに入る直前ぐらいに1年4組の窓ガラスが割られたらしいじゃん? そんときはきみらは大丈夫だったんかね? 怪我とかせんかった?」
「あっ、」
心配した調子で尋ねてくる糸井の一方、小庭はギクッという効果音を引きずって口元をひくつかせた。横目に見ると、富名が自身の連れを白眼視している。
あの事件の犯人は自分だ。また、そのことが先輩の耳にまで入ったのは風の噂というやつだろう。小庭はとりあえず、聞かれたことにだけ答えてみせる。
「はい! 大丈夫でしたよ! あははははは………!」
「あー、ほんとぉ。それならよかったわ! いやぁ、現場に居ったんかは知らんけど、びっくりしたじゃろうよ!」
すると、同情した糸井が言い終えてから間髪入れずして富名が口を開く。
「ええ、それは驚きましたよ。なんせこいつの変化球が当たって割れたんですもの」
「えっ?」
「おい……!」
今、さり気なくカミングアウトがされたような。糸井と尼川は拍子抜けし、小庭は呆れ交じりに苦笑している。口を滑らせたわけでもなく、富名は堂々と言い切った。
「お前さー、ほんまに余計なこと言い過ぎ!」
「え? でもお前の場合は面白いけいいじゃん」
「面白いってなんだよ! それじゃあ、俺の人権はどうなるんよ!」
「知らーん、そもそもそっちがドッジやろうとか訳の分からんことを言い出したのが始まりじゃん」
「なんや! そっちこそバカみたいに速い球投げよっただろうが!」
「はい? 記憶にございませんわ」
「なんやそれ」
小庭と富名の、傍から見ればしょうもない言い争いが繰り広げられる。それを見守っている先輩2人は、微笑ましげに目の前の光景に対する感想を言い合う。
「可愛い後輩たちじゃのう。なぁ、尼川さん?」
「あぁ、若いわぁ」
まるで子どもの喧嘩を見ているようだった。もはや一周回って尊さとノスタルジーさえ感じる。しかし、ずっとそのままではらちが明かないので、糸井が適当なタイミングで2人の間に割って入った。
「よーし! 男同士のイチャイチャはそこまでにして、2人とも全部食べきってしまいんさいよ? 食ったらこの4人で次に行くでぇ!」
小庭はメンチカツ定食が、富名は野菜炒め定食が食べかけだ。良い加減、汁物もぬるくなってしまっている。さっさと食事を済ませてしまい、午後からまた遊ぼうという意向だった。
「あ、すいません」
「ゆーても何処に行かれるんですか?」
小庭がペコリと頭を下げ、富名は澄ました表情で訊く。対する糸井は、意気揚々とこれからの行き先を宣言した。
「ペットショップよ! 可愛いワンちゃん猫ちゃんを見に行って癒されましょうぜ!」
なんとも可愛らしい提案だ。ここに居る4人はペットを飼えない家庭ではないが、たまには気軽に動物を愛でたいという糸井の考えだった。そんな頬が緩みそうな機会を前にして、小庭が一早く賛成する。
「おぉ! いいっすね! 俺、犬とか猫とか好きっすよ!」
「さすが! 分かっとるねぇ、小庭くん! でもみんな大丈夫かい? 動物アレルギーとかないよね?」
念のため、アレルギーの有無について確認しておく。行った先で皮膚が猛烈にかゆくなったりしては大変だ。もしアレルギー持ちの者が居るなら、止めておくことにするつもりでいる。
だが、幸いなことにそれは全員なかった。そして食事が終わると、トレイに乗せた食器類を返却して目的地へ向かう。