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story:10

3日後、純哉は自室のベッドの上で目を覚ます。しかし、身体は動かない。事故による後遺症が残ったのではなく、自分で動かそうとしても身体がいうことを聞かないのだ。


脳が直接指令を出しても、神経がそれを拒否しているような。はたまた、見えない何かにこれ以上動いても無駄だと抑圧されているかのように。


まさに生きているだけで死んでいないというに差し支えない状態だ。気力を失った純哉は、抜け殻そのものである。食事も一口しか取れないし、風呂に入る気すら起きない。さすがにトイレは行けるが、いよいよ自分が腐っていっているのが分かる。


(あんとき、打ちどころが悪くて死んどけばよかったんよ……)


天井を仰ぎつつ、朝イチに相応しくないような物騒な自虐を心中で呟く純哉。ここ3日間も自身を戒め続けるために否定的な物言いを繰り返す。ついには自殺願望までもが脳裏をかすめた。


こんな、恋に負けた底辺など世の中に要らない。誰かに言われたわけでもないのに、世間から必要とされていないように思ってしまう。被害妄想もいいところだ。


事故の後は、純哉を追ってきた連れたちが介抱にあたり、学校まで戻って教職員を呼んで対応したのだという。病院や純哉の保護者にも連絡し、事態はたちまち収拾に向かった。


一方で自転車に乗っていた通りすがりにはそれなりの保険が適用されたそうだが、見知らぬ男子中学生を轢いてしまったからには気が気でなかったと心境を吐露している。もちろん、後日には純哉とその両親に菓子折りを持って謝罪をしに来た。


そして、当の純哉はといえば経過観察を経て帰宅してからずっと自室にこもりっきりだ。事故のショックよりも事前に負った心の傷が本人としては大きいようで、生き甲斐を失ったがゆえに現状だった。


1日、1時間、1分、1秒。何もする気が起きぬまま、寝たきりで時間だけが過ぎていく。体調は良くなっても、学校には行っていない。


このままでは純哉が本当に廃人のようになってしまう。そう危惧した純哉の母親は、事故から5日目、もといその週の日曜日の夜に声を掛ける。食事のためにリビングまで降りてきた純哉に、母親が言った。


「純哉、明日からは学校行けるよね? そろそろ行かんとヤバいよ?」


「……………………」


対する純哉は、くたびれた表情で無言を返す。ヤバいとは、何がヤバいのか。具体的に言ってほしいものだ。さもなくば、そんな中身の無い説教など聞きたくもない。


「ちょっと……、純哉……?」


炊きたての白米を一口だけ含んで呑み込むと、純哉はすぐに席を立って自室に戻る。母親は呼び止めようとしている様子だが、父親は静かに純哉を見詰めていた。


週明けとなる翌日も、学校には行けなかった。ここまでくれば、もはや不登校の類いだ。もしかすると、ずっとこうして引きこもっているつもりなのだろうか。純哉の母親は頭を悩ませる。


「純哉! 良い加減に……」


「まぁ、待ちんさい母さん」


声を張り上げて催促しようとする母親を、純哉の父親、冬田紘明が後ろから遮った。仕事から帰ってきてすぐのため、格好はカッチリめのスーツ姿だ。穏やかさと厳しさを併せ持った圧のある調子で言うと、ドア一枚で仕切られた部屋の前まで躍り出る。


「でも! 本当に純哉がこのまま出れんくなったらどうするのよ!?」


「ええけん、ここはわしに任してみんさいやぁ?」


そこまで言うのならば何か考えがあるのか。妙に余裕を感じさせる紘明に押され、口を噤んで引き下がる純哉の母親。あとは、事の行く末を見守るのみだ。


対する純哉本人は、眼前にある真っ白なドアの向こう側に居る。電気も点けていない暗い自室の中でベッドに横たわり、自らの存在価値に憂いていた。


自分は自分の声に負けた、今までの努力に裏切られた、結局こんな苦痛しかないのなら、もういっそのこと消えてしまいたい。自身に向けた呪詛が、延々とまとわりつく。


先刻から両親の声が部屋の外から聞こえるが、正直どうでもいい。ありきたりな日常の中に溶け込む生活音の一つとして聞き流しておく。自分へ向けた言葉は、どうせモラルに乗っ取っただけのしょうもない定型文だ。


だが、父親の言い分は違った。


「純哉よぉ、まずはわしから言わしてくれぇの? おつかれさん」


いきなり結論から述べようとは。その奇想天外な発言に、純哉も母親も疑問符を浮かべる。同時に、意識を引かれた。


「いっつも色んなことを頑張ってなぁ、そりゃあちぃたあ休みとうなることもあるじゃろうてぇ。じゃげんな、お前が学校に行けれんのんもわしは悪言うつもりはなぁで?」


それはそれで有り難い。無理なものは無理だし、そもそも気力が湧かないのだ。いや、気力は枯渇したといったほうが正しいかも知れない。物言えぬ純哉に、父親は語り続ける。


「ほいじゃけんの、純哉。お前の気が済むまで寝ときんさいや」


勉学や独学と部活に、様々な努力を積み重ねてきている純哉の態度を尊重した上での意見だ。しかし、本題はまた別の事柄である。要は失恋、恋愛に関する課題だ。さすがにそこまで核心を突けまい。


それでも、紘明は遠かれ近かれ的を得る。


「ほんでの、また元気ようなったら起きればええんよ。これまで色々あったんじゃろうけど、お前なら大丈夫じゃ。自分の思うとったことが叶わんでもの、それが何かしらのかたちで活きることもあったりするんよ」


想い人に向けた好意や努力は、また別の縁を紡ぎ出し、それを支えるための糧になると。いつか訪れる、最後の恋を抱く彼女との日々に然り。


ただ、現状ではどうなってしまうのか。峰村瑠花のことは相談できないし、したところでどうにもできない。まず思春期の男子が、両親に色恋沙汰の相談なんて恥ずかしくて出来るわけがなかろう。結局、実情の好転も望めない。


次いで、紘明は改めて言い切る。


「悪いことや辛いことはずっと続かん。純哉、焦らんでええしどんなに小そうても生きることだけは忘れんさんなぁ? よう考えてみぃ? 今までも泣くようなことはあっても、なんじゃかんじゃええことはあったし、乗り越えてこれたじゃろうが」


そこまでいったところで、純哉はついに自室のドアを開け放つ。眉間にしわを寄せ、怒りに満ちた表情の純哉は父親と対峙する。


「何も知らんくせに適当な綺麗ごと並べてんじゃねぇよ! こっちはもうどうにもできんのよ! 取り返しもつかんしやり直しも利かんのよ!」


今にも泣きそうになっていながらも、怒号を飛ばす純哉。普段の彼からは想像もつかないぐらいの凄まじい気迫だが、父親は真正面から息子とぶつかる。


「純哉! お前の言う通り生きとりゃどうにもできんことなんかいくらでもあらぁや! でもな、人の道は一つじゃないいうことだけは忘れんさんなぁ!?」


「っ!」


全力で豪語する紘明に気圧され、純哉は一歩引き下がった。先程から父と子のやり取りを見ていた母親も、あいだに入れず立ち尽くしている。


「で、お前は今、こうやって自分から外に出てきたのぅ! それだけでも充分じゃ! あとは明日学校行って、これからの道を探してこい!」


父親の言葉が作用したとはいえ、起きて自室から出て感情をぶつけた。こうなればもはややけくそだ。この情をもってして、当たって砕けろの精神で前に進むと決めた。



あくる日、純哉は重たい身体と精神を引きずって登校する。実質一週間振りに学校へ行くだけあって緊張もしたが、家から一歩外に出れば自然と歩みは前に進んだ。多少の抵抗感はあれど、以前から習慣化された流れに依存するものだろう。


いざ教室に入ると、瑠花を除くクラスメートが純哉を出迎えてくれた。歓迎ムードの中、彼を心配する声が飛び交う。


ようやく学校に来ることは出来た。瑠花の件もありきで全てが元通りになりはしないが、今からでも少しずつ前を向いていく。たちまちは、自分の意思に重きを置いて行動する。


クラスメートたちに囲まれている純哉は、ふと何処かしらからの視線を感じた。そちらに目を向けると、自身の席に座ったまま澄ました表情で純哉を見詰めている瑠花が居る。


彼女は今、何を思い、どんな気持ちに駆られて純哉を見ているのか。想像することは容易ではないが、純哉は文字通りの挨拶代わりを掲げて瑠花に近付き、一言添える。


「おはよう」

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