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story:1

誰もかれも、みんな報われるために努力をしている。夢を叶えるため、出来ないことが出来るように苦手を克服するため、理想の自分になるため。希望も努力のやり方も、十人十色だ。


だが、一概に己の想いを遂げるために努力するとはいえど、必ずしも全員が報われるわけではない。非常に酷な話ではあるが、そんな自己中心的で都合の良いことはまず有り得ない。勝者か敗者か、その勝敗ともいうべき結果論は嫌でもついて回る。


そうして、敗北者は自らの胸に問い掛けた。一体自分は、何のために努力を積み重ねてきたのだろうか、と。


報われるため、もとい誰よりも側で、想い人との時間を共有するためではなかったのか。ただ、それだけだった。彼にとって彼女という存在は何よりも大切で、いかなる時でも頭から離れなくて、かけがえのないものだったのだ。


彼女と近しい関係になれば、普段通りの日々もどれほど晴れやかに色付くのだろう。想像するだけで、心が躍った。自然と笑みが溢れ、たちまち身体も軽やかになる。恋愛において片想いをしている間が楽しいとは、巷でもよくいったものだ。


しかし、彼女が選んだのは自分ではなかった。


何故だ、何故自分ではなかったというのか。当時の彼は、その心に響いた痛覚を伴う衝撃により、呆然と立ち尽くすしかなかった。いや、精神という機能が一時的に停止したといってもいい。


報われるため、自分の時間を犠牲にしてでも己を磨いてきたというのに、勉学や部活動に励んだり、異性とのコミュニケーション術を学ぶなど独学でも行動を起こしたりと、やるべきことをやり、可能な限りの努力を積み重ねてきたはずなのに。


好意を抱いた相手が、振り向いてくれることはなかった。


悔しいといった感情を通り越し、もはや何も感じない。その胸中にあるのは、心にぽっかりと穴が開いたような、筆舌し難い虚無だった。こんな時、自分は何を思い、どんなことを考えて、それなりの言葉を吐けばいいのか。


分かるのは、自分の今までの努力が無に帰したことだけだ。


何もかもが嫌になり、彼は心を閉ざして自室に引きこもった。人の想いや希望なんてものは、こんなにもあっさりと砕かれてしまうものだとは。もう恋愛感情とは、好意とは、憧れとは、自分の心身を滅ぼす余計な要素でしかない。


学校や休日の部活動にも行かず、彼はベッドで仰向けになって虚ろな時間を延々と貪り続ける。ここで起き上がったところで、どんな恩恵が得られるのだろうか。


ついには食事も喉を通らなくなり、3日目以降には衰弱している様が明確となってきた。さすがに焦りを感じ始めた彼の母親は、息子をどうにかして外へ出そうと声を荒げて催促をかけたり、せめてもの軽食やらを取らせようとしたが、無駄だった。彼の身体と心が、外からの刺激を拒否する。


もうこのまま、死んでしまいたい。憔悴しきった彼の無意識が呟く。


想いを絶たれ、人生に悲観した多感な時期の男子中学生。そんな時、彼を救ったのは父親の慈悲だった。


彼の父親は言った。要約すると、頑張れないのなら頑張らなくてもいい。色々と思考を巡らせ、何処かで希望を見出したのなら、また歩き出せばいいと。


現状を否定するのではなく、まずは全てを受け入れ、次に向かうために今は休めといったニュアンスだろうか。急かすわけでもなく、叱るわけでもない。自分のペースで、少しずつ立ち直ってから外へ出ればいいのだ。


期間にしておよそ1週間程か、両親からの支援もあり、彼はもう一度外の世界への一歩を踏み出した。気力と体力ともに普段通りの生活が出来るぐらいまで回復し、特に支障もなく日々を過ごす。


だが、彼の、冬田純哉の“情”は、心から欠落したままだった。



夢を見ている。それは不治に近い病を抱えながらも、人生で最後の“恋”を謳歌する、とても幸福で残酷な夢だ。


必然的な出会いから始まり、しだいに互いの距離を縮めて誰よりも側で想いを添い遂げる。真夏の海辺で好意を伝え、そこから命の灯火が尽きるまで苦楽をともにしてきた。


2人でカラオケに行き、リズム感の無さを晒したことや、友人たちも交えて一緒に文化祭を見て回ったことなど、そんな高校生としてはありきたりとも思える情景が、ぼやけた視界に次々と浮かび、浮かんでは消えてゆく。


そして、病室のベッドで寝ていた自分は、母親や親友、恋人に看取られて短い生を全うする。


これほどまでに妙に現実味のある夢から覚めたのは、昼休憩前の授業中のことだった。


「っ!」


後ろの席に座っている女子生徒にシャーペンの消しゴム側で突かれ、赤星由磨は上半身を起こして弾かれたように姿勢を正す。背骨辺りに残る感触が、直前までの状況を物語っている。


自分は居眠りをしていたのか。由磨は寝惚けた様子で、焦点が定まらないまま教室内をぐるりと見回す。4時間目の授業である現代文の担当教員も、1年4組のクラスメートたちも、皆一様にこちらへ目を向けていた。


ちょうど真後ろを振り返ったところで、自分を起こした女子生徒、朝山陽菜と視線が重なる。綺麗な黒髪と健康的に日焼けした肌が印象的な陽菜は、ニコニコと柔らかく微笑みながら由磨を見詰めていた。


「………おはよ、」


「おはよーっ!」


とりあえず何か言おうといわんばかりに適当な一言を選んだ由磨に対し、陽菜はノリ良く調子を合わせて挨拶を返す。2人の声が、間抜けた空気感の教室内でありありとこだました。


由磨が目を覚ましたことにより、授業は再開される。現代文担当のお経のような解説が聞こえる中、由磨は未だに目覚めてからのふわふわとした不思議な感覚を引きずっていた。


胸中に残留する精神的な負荷と、やり場のない無力感。しかしそれらは、現実に近しい夢で受けたダメージの延長線上にあるものか。随分とリアリティに足り得る夢だったので、ついさっき経験したことばかりのように感じる。脳内では母親に罵られる光景や、過度のストレスで呼吸困難に陥っている状況が思い起こされた。


(……………………)


自分には身に覚えもない重々しい記憶だ。何故なら由磨は、生まれてこの方大きな病気や手術が要るような怪我を負ったことがないし、母親との仲も良好なのだから。


きっと、たまたまそのような悪夢を見ていたに違いない。由磨はそう思い直し、脳内に浮かぶ情景を打ち消して授業に臨んだ。



「ごめん、朝山っ! ちょっとノート写さしてくれん?」


4時間目の授業が終わるチャイムが鳴った直後、由磨は陽菜に頼み込む。居眠りをしている間の板書が取れていなかった。当然、黒板に書かれている内容はその時と変わっているので、自分のノートにまとめようと思ったら他から写させてもらうしかない。


「いいよぉ、全部写してから返してくれていいからねぇ?」


陽菜のやおくてふわふわとした声色が、由磨の耳をくすぐる。丁寧な字で書かれた現代文のノートを受け取ると、由磨は急ぎ気味にシャーペンを走らせた。


「いつも色々とありがとな、朝山。おかげで助かってるよ」


視線はノートに、意識は陽菜に向けて由磨が礼を言う。高校に入学してから早2か月、由磨と陽菜は近くの席ということもあり関わる機会も多く、たちまち仲を深めていった。


例を挙げれば、由磨がマーカーなどのちょっとした筆記用具を忘れた時は貸し借りをしたり、勉強面で分からないところがあれば互いに聞き合ったり、そんな些細なやり取りを繰り返して今の距離感に至る。


その仲の良さ具合から、2人は間もなく彼氏彼女の間柄で付き合い始めるのではないかと一部のクラスメートから噂されているが、実際はどうか。恋愛面は定かではないが、互いに異性の友人という意識はある。


一方で、彼らは同じクラスになって最初に顔を合わせた際に、何故か初めて会った気がしなかったという。まるで以前何処かで会っていたような。それについては、由磨も陽菜も気のせいだといってそこまでの話にしている。


「どういたしましてだよぉ、でも授業中はちゃんと起きてなきゃダメだよぉ?」


「うん、まぁ、今日はたまたまだったから許してよ」


緩くたしなめる陽菜に、由磨は微妙に引っ掛かる言い訳をした。たまたまとは、何がたまたまなのか。疑問符を浮かべた陽菜は、何気なく訊いた。


「たまたまってなによぉ?」


「なんというかね、今日は気が付いたら寝とったって感じ! 多分ちょっと気を抜いて目ぇ閉じた瞬間にそのままこてんといったんだと思う!」


「要は寝落ちしたってことだよねぇ、疲れがたまってるんじゃないのかなぁ?」


「それもあると思うっ……と、出来た! はい! ノート返すわ!」


書き逃した板書の写しを終え、そのままノートを返却する由磨。対する陽菜は、そっと右手を添えて受け取った。


そこまでいったところで、2人の間に端正な顔立ちに爽やかな雰囲気を身にまとった美男子と呼ぶに相応しいクラスメートが割って入る。由磨の連れ、小庭太一だ。


「相変わらず由磨は熱いねぇ?」


嬉しげな笑みで、小庭は由磨に煽りを入れる。彼は学年内でも抜群にイケメンな方だが、少々ねちっこい性格が玉に瑕か。由磨も小庭とは別のベクトルで美男子であるが、中性的といえば一番しっくりくる。


「どしたの、小庭? どうせただ煽りに来ただけじゃないだろ?」


「いや? 煽りに来ただけよ? それ以外何かあるん?」


「……どうなんよ、それはそれで」


無意味な悪ノリを展開する小庭に対し、由磨は反応に困って苦笑を浮かべた。


僅かな間合いを挟んで黙殺し、小庭は要件を伝える。


「でよ、由磨は今日は弁当か? なんだったら食堂まで昼飯買うのに付き合って欲しいんだけど、どうよ?」


すると由磨は、こくこくと頷きながら答えた。


「あぁー、いいよ? 俺もちょうど今日弁当持ってきてなかったけんさ。それで、富名も来る感じなん?」


「いや、昂介は持ってきとるけぇ行かんて」


離れた席に座ってスマホの画面を眺めている物静かな連れ、富名昂介をチラ見して小庭は言う。淡々と答える小庭に、由磨は冗談として揚げ足を取る。


「なるほど! 富名にふられたけん俺のとこ来たのか! さすがだな!」


「ふはっ! 黙れや、ウザいの! そんなん言うんだったら一生お前んとこ行かんけぇな!?」


「冗談だって」


噴き笑いをしつつ、はしゃぎ気味な大声で冗談を返す小庭。ゲラゲラと笑う小庭は、次いで陽菜に視線を向けてそのままのテンションで声を掛ける。


「…朝山も行くぅ?」


「いやぁ、僕は持ってきてるし、もう向こう行くから」


陽菜は同じクラスの仲の良い女子たちと昼食をともにするようだ。その友人グループはすでに1つの席を中心に一箇所に固まっているため、陽菜はそちらと合流する。


「陽菜ー、食べようやー?」


「はぁい! じゃあー、行ってらっしゃい! 赤星、小庭」


陽菜とつるんでいる女子に声を掛けられ、彼女は弁当と水筒を取り出し、由磨たちから離れた。女子グループに溶け込む陽菜を見送り、由磨と小庭は揃って食堂へ向かう。

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