♯6 最後に、もう一度だけ
「田所!? なんであんたがここに・・」
予想だにしない登場人物の姿に、日下部は目の前にあるノコギリのことも忘れ、思わず声を上げてしまう。
田所は、自分の名を呼ぶ声へと視線を向ける。
すると、そこには見覚えのある寝巻き姿の男がベッドに張り付けられていた。
『・・あんた、もしかして日下部さんか?』
「あっ、はい・・・・え?」
突如、警官に名前を呼ばれた日下部は、身に覚えのない罪悪感を感じて吃ってしまう。
確かに今日、警察署で田所とは一度顔を合わせている。
間違いなく自分に対して良い印象は持って無いだろう。
しかし、名前を教えた覚えはない。
なぜ、自分の名前を知っているのか。
そして、なぜここに来たのか。
日下部がそんなことを考えていると、
『・・話は後だ、今は自分が助かることだけを考えろ』
田所は銃口と視線の照準を能面達から寸分も外さず、そう言い放つ。
『おい、聞こえなかったか・・? 今すぐにその男から離れて、凶器を捨てろ!』
田所は淡々と、それでいて威圧的な声で警告する。
部屋の中には凍てつくほどの静寂が漂っていた。
人質を取っているとは言え、相手は銃を持つ警官二人。
圧倒的に不利な状況に立たされているはずの能面達は、少しも動揺する様子を見せない。
それどころか、田所達が突入する前と同じ体制のまま、微動だにすることはなかった。
(それにしても、こいつらは・・そしてこの異様な状況は一体・・)
田所は困惑していた。
全身黒ずくめで、能面を被る男か女かもわからぬ存在。
傍には今日警察署で会ったばかりの不審なスエット男。
そしてどこにも見当たらない、この家の住人達。
正味、田所はこの惨状を目の当たりにするまで、日下部の話など全く信じていなかった。
しかし現実はどうだ。
目の前では、如何わしさの塊とも言えるあのスエット男が予言した通りの光景が広がっているではないか。
そして奇しくもその予言者は今、ベッドにきつく拘束され、得体の知れない者達の手によりその首を落とそうとしている。
『田所さん・・ど、どうします?』
田所と一緒に突入してきたまだ若い警官は、日下部が見ても分かるほどに動揺しており、その声は微かに震えていた。
そして田所もまた、文脈も経緯も想像し難いこの光景を前に、戸惑いを隠すので精一杯だった。
『これが最後だ・・その男から離れて、武器を捨てろ。』
田所は再度能面達に銃の照準を合わせる。
それでも、依然として能面達からの返答はない。
どう転ぼうとも、死傷者が出るのは必至だろう。
それが自分である事を予感せざるを得ないこの状況に、日下部は極度の緊張からか、今にも飛びそうな意識をこの場に繋ぎ止めるだけで精一杯だった。
しかし、予想に反し、しばらくした後、無数の鋭利な歯を有する鋼鉄の板は日下部の喉元から遠ざかっていく。
「・・へ?」
能面達はノコギリを手放すと、ゆっくりと警官達の方へと向き直る。
「・・たっ、助かった・・?」
日下部は思わず大きなため息を漏らす。
首に焼けつくような激しい痛みを感じていたが、田所達が飛び込んできてくれたおかげで幸いにも傷は浅く、出血もそこまで無いように感じていた。
観念したのか、特に抵抗する素振りを見せない能面達。
そして、徐々に能面達との距離を縮める警官二人。
これで、本当に助かる。
日下部がそう安堵したその時、
『ぜ、全員っ その面を取りなさい!』
それは田所の相棒の声だった。
「・・え?」
日下部は不意に、意識を失う前に見た能面の “素顔” を思い出す。
「だ、だめだ・・“奴等” の顔を見ちゃ・・だめだっ」
そう警告する日下部を田所は一瞥したが、耳を貸す様子はない。
『おいっ・・全員、その仮面を取って顔を見せるんだ』
すると、華奢な能面が自身の面に手をかけた。
田所とその相棒は、銃を構えたまま息を呑む。
ゆっくりと面が外れ、その素顔が晒されようとしていた。
(クソッ!! どうなっても知らないぞっ)
“それ” の目が見えかかった時、日下部は強く目を瞑る。
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『お、お前・・』
視界が一瞬揺らぐ。
存在してはいけない、いや、“存在するはずのない人間“ が目の前にはいた。
『お前・・なんだっ・・その・・顔・・』
目の前の “それ“ は、笑っていた。
声を出す訳でも体を揺する訳でもない。
直立不動のまま、目を大きく見開き、裂けそうなほど口角を上げ、歯を剥き出しにしている。
“それ“ は確かに “笑っている様な顔“ に見えた。
しかしそこには、通常人が持つ “揺らぎ” や “至らなさ” が欠落しており、“それ” からは所謂、感情というものを一切感じ取ることができない。
“それ” はまるで、極端に精巧に作られた人形の様に、不気味の谷にも似た違和感や嫌悪感、そして薄気味悪さを放っていた。
しかし、何よりゾッとしたのは
________“それ” が田所と同じ顔をしているということ。
『た、田所先輩っ・・あ、あの・・あの顔が見えますか!?』
田所からの応答は無い。
佐竹が振り返ると、そこには背を向けうつむく田所の姿があった。
『先輩・・どうしたんですか・・?』
田所の背中は凍りついたように何も語らない。
『せ、先輩っ・・一体どうしたって言うんですか!?』
佐竹は田所の正面に回り込み、うつむく田所の顔を覗き込む。
すると、彼は笑っていた。
『せ、先輩っ・・こんな時に・・何を・・』
田所は何も答えず、ただ満面の笑みで佐竹を見つめている。
それは、“奴等” と同じ空虚な表情だった。
佐竹は咄嗟に能面の方を見るが、やはり何度見てもそこにはもう一人の田所が立っている。
『な、何だよ・・ 何だよこれぇ!!』
何が起きているのか、理解になど到底及ばない佐竹は半分泣きそうになりながら、二人の田所に対して交互に銃口を向ける。
『何だよ!? お前らっ・・何なんだよぉ!?』
二人の田所は、その笑顔を寸分も崩すことなく、佐竹の方へとゆっくり近づいてくる。
『どうなってんだよぉ!! 来るんじゃねぇよぉぉお!!』
佐竹は腰を抜かし、片手で銃を構えながら、もう一方の手で床を這うように後退りを続ける。
しかし、部屋の隅に背中をぶつけると、遂に逃げ場を失ってしまった。
『ひぃぃ!? ・・く、来るなっ ・・来るんじゃねぇっ』
まるで、合わせ鏡の様に一糸乱れぬ動きで音も立てず佐竹へと近づいてくる二人。
それは確かに人の形をしていたが、何かがおかしい。
まるで、得体の知れない “なにか” が人の皮を被っている様な。
意思の疎通さえも許されない。
そう思わせる未知なる恐怖が、“それ“ の黒く沈んだ目には現れていた。
『や、やめろぉ・・やめてくれぇぇえ!!』
そう叫ぶ佐竹は、頭を抱えてその場にうずくまる。
『こ、これは夢っ・・そ、そうだ、ただの夢っ・・これは夢っ・・夢なんだよぉ!!』
佐竹がしばらく目をつぶっていると、辺りはシンと一切の音が途絶え、静寂に包まれる。
『ほ、ほら見ろ・・やっぱりっ・・俺は夢を見てっ・・そうだっ・・目が覚めれば、全部・・』
恐る恐る目を開き、顔を上げた佐竹は、目の前の光景に言葉を失ってしまう。
『・・・・ぁあ・・・・あぁぁっ・・・・』
そこには、吐息を感じるほど間近にある二つの顔が、物も言わず佐竹の顔を覗き込んでいたのだ。
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響き渡る銃声。
『・・佐竹、お前・・どう・・してっ・・』
崩れ落ちた田所は、肩を押さえ床でうずくまる。
華奢な能面のその “素顔” を見た直後から、言動がおかしくなった佐竹。
急に叫び出したかと思えば、何かに怯え、敵味方問わず銃を四方八方へと向ける彼は、呂律のまわらない声で必死に何かを訴え続けていた。
そして、彼は最後に田所を撃ったのだ。
『これは・・夢・・これは、夢・・』
佐竹は、痛みに苦しみ悶える田所を見ながら、呆然と宙を見つめながら何かを呟いている。
『ははっ・・大丈夫・・夢は覚めるから・・大丈夫・・』
『でも、いつ・・?』
『いつ覚める? いつ? いつ!? いつ覚めるんだよぉぉおお!?』
再び取り乱し出した佐竹。
しかし、佐竹はすぐに何かに気づいた様に目を見開くと、柔らかい笑みを浮かべて呟いた。
________『あ、こうすれば良いんだ』
佐竹は、拳銃で自らの頭を撃ち抜く。
俺は呆けたように、ぼんやりと “それ” を眺めていた。
『・・さ・・たけ・・?』
田所は目の前で壮絶な最後を遂げた相棒の姿に、その声を震わせる。
すると大柄な能面が、すでに虫の息となっている田所の元へと近づいていく。
その手には、鋭いナイフが握られていた。
「た、田所さんっ・・逃・・げろっ・・」
日下部は声を絞り出す。
しかし、
『・・佐竹・・どうして・・どうして、こんなっ・・』
今や見る影もない、かつて相棒だった肉塊を目の前に、田所もまた正気を失いつつあった。
(このままじゃあ、俺も田所も・・)
________ “助かるかもしれない”
つい先ほどまで日下部が抱いていた、仄かな希望の灯は今にも消えそうに揺らめく。
静かに、そして緩やかに。
しかし確実に迫り来る “死” の影。
虚ろな目で、未だ何かを呟き続ける田所。
いつの間にか田所の側に立っていた大柄な能面が、大きくナイフを振り上げたその時、
________アアアァアアアアァァアアッ!!
部屋中に断末魔の様な金切り声が響き渡る。
田所は一瞬その体をビクッと振るわせ、その声の主へと視線を移す。
そして能面達もまた、その注意をベッドの上の発狂者へと向けた。
そこには気が触れたかの様にバタ狂い、そして喉が千切れるほどの力でデタラメに叫ぶ日下部の姿があった。
「ザマァねぇなぁ!? おいおいおぃ!! 日本の警察ってこんなもんかよ!?」
「良いよな!? 仲間が殺されたぁ!? 俺は不幸だぁ!? だから職務放棄オッケー!! パンピー見殺しオッケー!! そして自身の命もどうでもオッケー!! オールオッケェェエ!!」
「俺ら小市民が!? 寛大な心で!? 血税チューチュー許してやってんのに!? 最低限の仕事もせず!? 悲劇のヒーロー気取りですかぁぁあ!?」
3人の能面達と田所は皆一様に固まったまま、ベッドに張りつけられた、つい先ほどまで蚊帳の外だったネズミ色の男を見ていた。
大柄な能面は、ナイフを振り下ろすタイミングを失ったのか、振り上げたその腕はまるで凍ってしまったかの様に動かない。
「なぁっ!? そうだろ!? 能面の旦那よぉ!? あんた達もこんなクソみてぇな国の仕組みにウンザリした組織の一員なんだろ!? いや、皆まで言うな・・俺にはわかる・・ひじょ〜に良く分かる!!」
「能面の皆さん!! やっちまってくださいよぉ!! こんな国の犬!! いや、国のゴリラか!? こりゃ失敬!!」
田所は呆気に取られた、間抜けな顔で日下部を見ている。
「あぁぁ!? ちょっとタンマ、タンマッ・・そのゴリラより生きる価値の無いヤツいましたわぁ!!」
「俺だよ、オ・レ!!」
「俺、逃げたんだよ!! 小犬丸家のみんなを見捨てて!! 我が身可愛さに!! なぶり殺されるみんなを見捨てて逃げたんだよ、俺!!」
能面達は顔を見合わせる。
『お前・・一体、何を言って・・』
田所は、日下部が本当におかしくなってしまったのかと困惑する。
しかし、その奇行により田所は少しづつ正気を取り戻しつつあった。
「・・で、何でそんな卑怯者がわざわざ舞い戻ってきたのかって!? 最初は興味本位だったんだよ!! まさか本当に “こんなこと“ が起きるだなんてっ・・夢にも思ってなかった!!」
「でも “夢” での出来事がどんどん現実に変わっていくのを見てさぁ!! 俺思ったんだよっ・・もしかして俺の人生変わるかもって!!」
「でもさぁ・・ 俺、分かったんだよっ・・」
「肝心な俺自身の性根がこれっぽっちも変わってねぇのに!? ちょっと変な夢見たくらいで!? この負け犬根性が芯まで染み渡った俺のクソみてーな人生が変わる道理なんかないって!!」
「そんな俺が!? 死んだところで!? 世界はミリも変わらねーし!! 誰も知らねぇし!! 一人も悲しみゃしねぇのよ!!」
「家族や同僚が葬式には参列するだろうさ!! そりゃあな!! 世間体ってすごいな!? 48日?? いらねーよ!! 俺を忘れるのなんざ3日あれば十分だっつーの!!」
「・・はぁっ・・はぁっ・・いいか!? ・・だからっ・・俺は・・いつ死んだってっ・・良いんだよ・・」
「だからそんな税金泥棒じゃなくて!! やるなら俺をやれよ!? おら、どうしたさっさと殺せよ!? 日和っちまったのかぁ!? おいおい、そんなB級ホラーみたいな格好してる癖にビビってるんじゃねーだろうなぁ!?」
威勢よく切った啖呵とは裏腹に、日下部の叫びは涙と鼻水に塗れていた。
ただ、彼は必死だった。
少しでもこの世に長らえるために、今の彼は叫ぶよりほか術を持たなかったのだ。
しかし、日下部の悪あがきに隠れたおかげで能面達は気づけなかった。
田所の目に光が戻ったことに。
「でもなぁ・・こんな俺より惨めな奴らがいるんだよ」
「そいつらは闇夜に紛れて、罪なきパンピーを他勢で襲撃するクソヤローでね・・分からないのか?」
「お前らのことだよぉ!!」
その瞬間、華奢な能面は、その体が宙に浮くほどの凄まじい勢いで吹き飛ぶ。
壁に後頭部から激突した能面は、そのまま項垂れ動かなくなった。
『・・誰が税金泥棒だっ・・日本の警察舐めんなよ』
そこには肩で息をする田所の姿があった。
そして、初めて動揺する姿を見せる能面達。
二人は必死に運命に抗っていた。
その生命を盾に。
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『・・ダサすぎる演説だったな、日下部さんよ』
「う、うるせぇっ さっきまで情けない顔でウジウジしてた癖に・・って言うか、アンタ一人でこの状況何とかできるのかよ?」
『安心しろ、俺は学生時代はずっとアメフトやってたからな。 ・・あと柔道6段だ。』
「何だよ、6段って・・聞いたことねーよ・・って言うか自分語りする暇あんならさっさと倒せよ」
日下部はさっきまでの自身のテンションに引きづられ、田所へ乱暴な物言いをすると、鼻をすすり上げた。
『ふふっ・・そうだな、君の演説に感化されたのかもな』
残る能面は二人。
しかし佐竹は死に、日下部は未だ拘束されたままで、田所は誰が見てもわかるほどに衰弱していた。
決して事態が好転した訳ではない。
加えて、能面達は正体不明の奇怪な力を持っている。
それについては、田所も認めざるを得なかった。
まさに絶体絶命。
それなのに、なぜか田所の顔には笑みさえ浮かんでいた。
田所は使い物にならなくなった、血塗れの右手をダランとぶら下げ、残った左手を構える。
『・・お前達、警官殺しは重罪だぞ』
“奴等“ にそう告げる田所の声には、沸々と煮えたぎる怒りが滲んでいた。
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大柄の能面が自身の面に手をかけようとした、その時。
目にも止まらぬ速さで、全体重を乗せたタックルを能面にお見舞いする田所。
そのまま、ヘビー級の二人は壁に激突する。
その姿を見ていたもう一人の能面は部屋の窓を開け、外へ乗り出そうとしていた。
それは、日下部が消火器で殴り倒した能面だった。
「あ!? て、テメェ!! まだ仲間が戦ってんのに自分だけ逃げんのかよ!? この卑怯者っ」
日下部がそう言い放つと、能面はピタッと動きを止める。
そして部屋の中に戻ってくると、日下部の方へとゆっくり近づいてきた。
「あ、ウソですごめんなさいっ そりゃあ本部への報告とかあるでしょうし、誰か離脱しないとですよね? 戦略的撤退・・わかります。 ナマ言ってすんませんしたっ」
しかし、能面はその歩みを止めない。
「たっ、助けてっ・・田所・・田所助けてぇ!!」
日下部が泣きそうな声で助けを求めたその時、鈍い音と共にヘビー級の能面が突っ伏す形で勢いよく倒れる。
『ハァッ・・ハァッ・・ハァッ・・手こずらせやがって・・』
そこに立つは、田所ただ一人。
『大丈夫か!? 日下部さん!!』
「は、早くっ・・こっちにも一人、能面が!!」
日下部が視線を戻すと、そこにはもう能面の姿はなかった。
「・・えっ・・あれ!?」
『どうやら、逃げたみたいだな・・』
「よ、良かった・・マジで・・マジで殺されるかと・・」
『・・ふふっ・・はははっ』
「な、何がおかしいんすか!」
『いや・・変な奴だなと思って。 そんなに怖いんなら、どうしてここに来たんだよ』
「それは・・・・そ、それより、さっさとこの縄といて下さいよ・・」
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「あ、ありがとうございます・・」
縄が解かれ、日下部は数時間ぶりに晴れて自由の身となる。
『怪我はないですか?』
「首をざっくりと・・田所さん、もうちょい遅かったら俺、首いかれてましたよ・・」
日下部は首の傷をこれ見よがしに指さす。
『なら、良かった。』
「良かったって・・」
(署への報告をしたいが、能面達がいつ目覚めるかも分からない・・)
『申し訳ないが、能面二人を拘束するから手伝ってくれ。 ・・どうも、もう右手の感覚がないみたいなんだ。』
「俺、パンピーなんすけど・・」
『非常事態だ、つべこべ言うな。 これからの君の処遇を考えても、協力しておいた方が身の為だと思うぞ』
「・・わ、わかりましたよ! じゃあ俺、一階から布テープ持ってきますね」
『頼む』
日下部が階段を降りていくのを確認すると、田所は部屋の隅に転がっている、かつて相棒だった死体の前に膝をつく。
『・・佐竹・・』
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まずは、大柄な能面の手足を拘束することになった。
両手の拘束に関しては手錠を使用した。
生の手錠を初めて見た日下部は、その重厚感に感嘆の声を上げる。
『・・日下部さん、遊びじゃないんですよ』
「は、はいっ」
田所に叱られると、日下部は急いで両足の拘束作業に取りかかる。
万が一、急に能面が目を覚ました時のため、傍に田所が付きつつ、日下部が布テープで両足を縛っていく。
日下部がビビりながら作業をしていると、田所が尋ねる。
『・・日下部さん、あなたはどうしてこいつらの襲撃を知っていたんですか?』
(やっぱり、気になりますよね・・)
「知っていた・・訳ではなくて、たまたまこの辺を通りかかって・・不審な奴らがいたので・・」
『こんな時間、嵐の中、傘もささずにその格好で・・? それに君はこの辺りの住民ではないだろう?』
『何より君は、今日警察署に来た時点で今夜小犬丸家が襲撃されることを知っていた!』
『事業聴取は署に戻ってからしか行わない。』
『しかし、俺は君のために言っている!! ・・本当のことを話すべきだ。』
日下部は黙り込む。
下手に本当のことを言えば、もっとややこしい状況になるのは明白。
しかし、そもそも “この話の根本“ はあり得ないところから始まっている。
いくら取り繕ったとしても、いずれ確実にボロが出るだろう。
しばらく考えた後、日下部は語り始める。
「・・視えたんです。」
『なに? 視えた・・とは?』
「・・夢で視たんです。 今回の件の一部始終を」
『またそれか・・署でもそんなことを言っていたな。』
『つまり君は、白昼夢の中で今夜起こる “小犬丸家の襲撃” を視たと・・まるで予知夢の様に!』
「・・はい」
『“夢” でみた。 たったそれだけの根拠でわざわざ警察署まで通報に来た!』
「・・はい」
『それから君は俺に追い回された挙句、単身小犬丸家に殴り込み、こいつらに殺されそうになっていた・・君はそう言いたいのか!?』
「・・はい。 まぁ・・おおよそはそんな感じです。」
『ふ、ふざけるな!! そんなことが信じられる訳ないじゃないか!? 人が・・人が死んでいるんだぞ!?』
田所は佐竹の方を見つめる。
「そんなこと言ったって、本当のことなんだから仕様がないじゃないですか!?」
「俺にだって訳がわからないんですよ!! 急にっ・・急にこんな夢が視えたと思ったら・・」
その時、
________『やはり、おまえだったか』
背後でそう呟く声がした。
日下部と田所が振り返ると、そこには意識を取り戻した華奢な能面が立っている。
『し、しまった・・』
華奢な能面は、初めて発するその声で高らかに笑う。
『ウフフフッ・・・アハハハハハハッ!!』
「やべぇよ・・やべぇよ、田所さん!?」
『わ、わかっているっ・・』
田所は失血し過ぎたのだろう。
虚ろな目で、フラフラと足元がおぼつかない。
(もう少しっ・・もう少しで、この悪夢をくぐり抜けれるのにっ・・嘘だろ!?)
華奢な能面は、もう既にその面を外そうとしていた。
「た、田所さんっ・・奴の顔を見ちゃダメだ!!」
日下部は急いで目を背けると、
『・・まだ・・子供じゃないか・・』
そう驚く田所の声に、日下部は恐る恐る薄目で “それ” の顔を見た。
すると、そこにはまだあどけなさが残る女の子が立っていたのだ。
(違うっ・・俺が見た顔は・・)
彼女はどこからともなく、その小さな手に収まる楕円形で枯れ草色の物を取り出し、“それ” から何かを引き抜く。
『・・お前は絶対に私達の元へ来る。』
彼女は気味の悪い笑みを浮かべると、日下部に向かってそう言った。
___________________________________
『______に、栄光あれ』
そう言うと、彼女は大口を開け “それ” を咥える。
その瞬間、凄まじい勢いで田所が俺の方へと駆けてくる姿を見た。
なぜだか、全てはスローモーション。
田所は鬼気迫る表情で、俺に何かを叫んでいた様な気がする。
しかし、俺には、彼がただ口をパクパク動かしているだけの様にも見えた。
そして、田所に突き飛ばされた俺は、一瞬眩い光を放つ彼女の姿を見た。
________それが、俺の最後の記憶。
________________________
____________
______
___
_
________見知らぬ、天井
俺は、白いベッドで目が覚めた。
体を動かそうとするが、節々が猛烈に痛む。
近くで無機質な心電図の音が時を刻む。
よくよく見ると、腕には点滴の針が刺さっていた。
なぜ、今俺は病院にいるのか。
何も思い出せない。
と言うより、なぜだか何も考えたくない。
「・・・・」
生気が抜けた俺は、そのまま天井をジッと見つめていた。
しばらくすると、一人の看護師が近づいてくる。
俺の点滴を交換しているようだ。
俺が下から看護師の豊満に張り詰める胸元を眺めていると、
『・・えっ・・あ!? 気づきましたか!? 日下部さん、ここがどこだかわかりますか?』
「・・病院」
『ちょ、ちょっと待っててくださいねっ』
そう言うと看護師は一目さんに病室を出ていってしまった。
___________________________________
しばらくすると、先程の看護師とともに、白衣を着た男と、身体中いたるところに包帯を巻いたゴリラの様な大男が杖をつきながら俺に近づいてくる。
『日下部さーん、ここがどこだか分かりますかー?』
白衣の男が、俺の顔を覗き込み、大声でそう尋ねる。
(さっきも言ったじゃん・・)
「・・病院・・ですよね」
『そうですよ〜 ご自身のお名前と生年月日はわかりますか〜』
「日下部元、誕生日は1987年11月25日・・です。」
その後、俺は白衣を着た男から俺が事件に巻き込まれた事、そしてその結果、負傷して緊急搬送されたことを聞かせられた。
その後、白衣の男とゴリラの様な大男が何やら部屋の隅で話している様だったが、内容までは聞き取れなかった。
しばらくすると、看護師と白衣の男が病室を出ていく。
そこには俺とゴリラ、二人っきりになった。
『気分はどうだ?』
見知らぬ大男がやけに馴れ馴れしく声をかけてくる。
「・・最悪です。 事件に巻き込まれたって・・一体、どういうことなんですか?」
『君・・覚えてないのか!? ・・そうか』
『じゃあ “能面” 達のことも覚えてないか?』
「能面って・・あの狂言とかで演者が・・被っ・・てる・・・・やつ・・」
その時、日下部の目には小犬丸家の景色がフラッシュバックしていた。
知らない家族。
暗闇の中、凄まじい落雷と、吹き荒ぶ風。
そして、目の前で奪われていく命。
いつの間にか俺は縛られていて、
そして、能面が俺の耳元で囁く。
________次はお前の番だと。
「___っはぁ___っはぁ___っ___やめろっ___やめろぉぉ!!」
狂ったように暴れる俺を、抱きしめるように抑える田所が押し殺すように言う。
『落ち着け、日下部さんっ・・終わったんだっ もう、終わったんだよ!』
『あんたは・・俺たちは・・生きて帰れたんだよっ』
___________________________________
しばらくして正気を取り戻した俺は、田所に事のあらましを聞かされた。
あの爆発の後、意識を失った俺をパトカーで病院に届けた田所も、そのまま倒れてしまったそうだ。
大量の失血、爆発によるダメージも有り、緊急処置を受けていたようだ。
何というタフガイだろう。
怪我の重篤さであれば、間違いなく田所の負傷の方がずっと大きいはずだ。
しかし、目の前の男は傷だらけの体を引きずりながらも、その表情からは全くそんなことを感じさせない。
「助けていただいて・・ありがとうございました、田所さん・・」
『人を助けるのが俺の仕事だからね、礼には及ばないよ・・それに本当にお礼を言わないといけないのはこっちの方さ』
「礼・・? いや俺は何も・・何もできず、ただ殺されそうになったところを助けてもらっただけで・・」
『何を言ってる! 君がいなければ、俺も佐竹と同じ様に・・くそっ・・俺がもっと・・』
「・・・・・・」
杖が軋むほど、拳を強く握りしめた田所は歯を食いしばる。
「・・その、本当に・・本当に残念です。」
『いや、すまない・・俺もまだまだだな・・兎に角、君のおかげで俺も、小犬丸家の人達も生き延びることができた。 君はヒーローさ。』
「・・え・・今なんて・・?」
『ん?・・君のおかげで俺は助かったよ、ありがとう』
「ち、違います! その後・・誰が生き延びるって!?」
『あ、あぁ・・小犬丸家のみんなも君のおかげで助かった・・と』
「みんな生きてるんですか!? みんな!? パパさんもママさんも、信君に由奈ちゃんも!?」
「ママさんの首は!? 信君の目は!? 由奈ちゃんは奴等にっ・・その・・触られてないですか!?」
『あ、あぁ・・何のことか良く分からんが、みんな傷一つないよ。 君が頑張ってくれたお陰でな。』
『それに小犬丸家のお父さんが言ってたよ。 “君のおかげで家族を失わずにすんだ。 本当にありがとう” ってね』
『正直まだ分からないことばかりで、おそらくこれから君には厳しい事情聴取が待っているだろう。』
『・・しかし、俺にはどうしても君が悪い人間だとは思えない。』
「・・・・・・」
『君はヒーローさ。 少なくとも俺と、あの家族にとってはね』
田所は、はにかんだ様な笑顔を見せる。
“あの夢“ を見て以来、奇妙なことばかり。
________“仕方ない“
その言葉をスローガンに、それらしい理由をつけては諦め、見捨てて、通り過ぎてきたこれまでの日々。
「ははっ・・ヒーローって、田所さん。 それは、ちょっと、ないわ〜・・」
自分自身ですら見切りをつけた人生。
________“死にたくない“
その気持ち一つだけを頼りに、何とか堪えてきたこれまでの日々。
「・・ぅ・・うぅ・・何だよっ・・何だよ、ヒーローって・・バカじゃねーのっ・・ふざけんなっ・・ふざけんなよっ・・ぅうあぁ・・あぁあぁぁ」
________“君はヒーローさ“
俺は、ずっとこの言葉を待っていたのかもしれない。
生まれて初めて、“生きていても良い“ って認められた様な気がした。
今までずっと我慢してきたものが、堰を切ったように止めどなく溢れ出す。
『・・少し、外の風を浴びてくる。 また、後でくるよ。』
田所は、まるでそんな俺の様子に気づいていないように振る舞い、病室を出ていく。
___________________________________
泣きつかれた俺は、腫れた目で病室の窓を開ける。
すると、夕暮れ時の心地良い風が俺の頬を撫でていく。
「・・ふふっ」
あれだけ駆けずり回って、怖い思いをして、殺されそうにもなったはずなのに、いつの間にか俺は笑っていた。
こんなに自然に、心から笑ったのはいつ以来だろう。
窓から見える街並みは、眩暈がするほど退屈で、うんざりするほど変わり映えしない。
しかしそれ以上に、その街の景色はとても透き通って見えた。
少し視線を上げただけ。
それだけなのに、その目に映る景色は、もうすっかりその様相を変えてしまっていたのだ。
________死ぬのも怖い、明日も怖い。 きっと俺はどこへも行けない。
今もその気持ちは変わらない。
でも、それでも構わない。
もう一度だけ、日下部元という人間を信じてみよう。
最後に、もう一度だけ。