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元庶民の転生オバチャン令嬢は恋愛ができないなら引き籠りたい

作者: そらいろはなび


「僕が君を愛することはない」


 夫となったばかりの生粋のお貴族様な男は私を冷たく一瞥して、そうおほざきあそばされた。




 政略結婚なのはよくよく分かっていた。

 それでも仕方ないと諦め切れない自分もいた。

 それは、恋愛結婚した未だラブラブな両親を見て育ったこともあるだろう。我が家はつい最近、男爵位を賜ったばかりの、所謂新興貴族というやつで。それまでは平民であり、普通の商人だった。ただ、国外で成功を収め、結構な財を築いていたというだけの。だから平民として恋愛結婚ができた。

 だがその成功という1点がある意味まずかった。母国であるこの国の国王に目を付けられたのだ。国王は、両親が築いた商会をこの国に繋ぎ止めるために、父に男爵位を叙爵したのだ──というのはあくまで私の推論だが、強ち間違いでもないと思う。

 爵位なんて望んでいなかった父は、畏れ多いとか何とか理由をつけて断ろうとした。父の性格から推測するに、実際に畏れ戦いていたかもしれない。それはともかく勿論、商売も自由にし辛くなる、という理由もあった。

 しかししがない一平民が国の最高権力者である国王に逆らえる筈もなく。泣く泣く、本当に渋々、爵位を賜ることにしたのだ。そしてその結果が、私の政略結婚に繋がってしまったというわけだ。まあそれだけではないけれど、それはこの際関係ないので置いておこう。

 新興貴族の我が家に、大抵の貴族達は当たりが強かった。とは言え社交なるものは最低限にしかしなかった為に、そこまで辛い思いをすることはなかったけれど。それでも噂好きな貴族達の目には付いてしまうもので。そんな我が家に目を付けたのは、没落寸前という噂のある侯爵家だった。

 噂は正に真実で、侯爵家は我が家に資金援助を要請してきたのだ。そこはさるもの、父は男爵になろうとも基本は商人である。益がなければ支援はできぬと、臆することなく交渉した。商売となると強くなる父。頼もしい。商人はそうでなければやっていけない。私は無理。駄目な娘でごめん。

 それはともかく。父が頑張って交渉した結果──非常に残念なことに私の婚約が決まってしまった。何てこったい。

 これは当然、両親も断りたかったらしい。しかし悲しいかな、格上の家の申し出を断るという選択肢はなかったのだ。それが貴族というものらしい。最悪だ。

 おそらく侯爵は、援助を半恒久的に吸い上げる為にこの政略結婚を持ち込んだのだろうと思う。最初は、由緒正しい我が家と縁続きになれるのだから良いだろう、という態度だったらしいが、それでは父が頷かないと分かると、権力を笠に己の息子との婚姻を持ちかけたのだ。権力でごり押しされたらどうしようもない。息子の意思はどうでも良いのか、と思ったが、どうでも良いらしい。貴族とはそういうものらしい。最悪だ。

 父は泣き、母は怒り狂っていた。私は叫びたかったが、2人を慰め宥める羽目になった。仕方ない。婚約宣誓書なる正式な書類に、私が幸せだと思えるようにすること、という文言を何とか捩じ込んでくれただけでも有り難かった。勿論、婚姻誓約書にも記載される。良くやった、お父様。

 最早信じられないことだらけでこれが何度目の信じられないことなのか分からなくなったが、侯爵は「我が家に嫁げるだけで幸せだろう」と宣いやがったそうだから。──似た者くそ親子め。

 そんなこんなで、端くれで成り立てとは言えども貴族となってしまった以上は、この政略結婚を受け入れるしかなかった。しかしやはり諦め切れない。諦めが悪くて何が悪い。自分の生涯に関わる問題だ。諦めも悪くなる。

 私のこの諦めの悪さは、自由恋愛ができる平民として育った、ということだけが理由ではない。最も深部、私の根幹に染みついた思想というか価値観というか、そんなものもあるからだ。それが、前世の記憶である。私には、地球という星の日本という国で生きた前世の記憶がある。自由恋愛が当然の庶民の記憶だ。前世がセレブだったならもしかすると政略結婚に対する考えも違ったのかもしれないが、残念ながら対極の貧乏暇なしな普通の庶民だった。それがより一層私を諦めの悪い人間にしていたのだ。自由恋愛の上での結婚が普通の世界で生きていた記憶があるのだ。愛のない政略結婚が受け入れ(がた)くとも仕方がないと思う。

 だから受け入れるしかなくなったこの政略結婚に対しても、結婚してからでも恋はできると言うではないか、とか、歩み寄る努力をすればそれなりの愛情を育てられる筈、とか結婚式の当日まで頑張って自分に言い聞かせた。釣書の絵姿を見る限りはとてもイケメン。面食いな私には御の字だ、とも。

 いつ顔合わせができるのかと思っていたが、結局結婚式の当日まで夫となる人に会うことはなかった。これが普通なのか貴族。信じられない。最悪だ。

 そして結婚式では。

 初めて見る新郎をよく見る余裕など、式の最中にはなかった。何せ()()結婚式。密かにずっと着てみたかったウェディングドレスに叫び出しそうなほど、滅茶苦茶に舞い上がっていた。前世では着損ねたからなあ。あ、別件でも腹が立ってきた。いかん、その話は忘れよう。うん。

 御披露目までの全ての儀式を終えて、新たな住み処となる夫の屋敷に着くまでの間。馬車の中で初めて私は夫となった人をまともに見た。イケメンだなあ、と見惚れる私と彼の目が合うことはなかった。

 屋敷に着き、夕食と湯浴を済ませて侍女に導かれるままに夫婦の寝室に入ると、夫は既にそこにいた。非常に恥ずかしい。居たたまれない。どうしたらいいのか全く分からない。こういうことは、()()()()()()()のに。

 どうしたものかと入り口付近で立ち尽くす私を、夫となった男は何を促すでもなく、ただ冷たい目で見据えた。好意の欠片もない、それどころか嫌悪すら感じさせる目だった。鈍い私にもはっきりと分かるほどに。

 なぜそんな目で見られるのかさっぱり分からず、頭が真っ白になり身体が硬直する。生娘か。生娘だ、今世では。

 縮こまる私に構うことなく、夫となった男は徐に口を開いた。


「最初に言っておく。僕が君を愛することはない。しかし結婚した以上、義務は果たす。君に不自由はさせないよう努める。心配しなくとも、君は義務さえ果たしてくれたら、あとは好きにしていい。男爵家と言えども元は平民。期待はしていないし、何ができるとも思っていないからな。但し、好きにするにしても侯爵家の恥になることはしないよう、節度は守ってくれたまえ」


 言われたことがまるで頭に入ってこなかった。頭が機能停止していた。それでも軈て、ゆっくりとぼんやり耳に届いていた言葉を頭が勝手に反芻していく。繰り返し、繰り返し。

 少しずつ動き始めた頭が、夫となったばかりの男の言を理解するにつれ、私の中に怒りが湧いてくる。──この男は何を言った? 巫山戯るなよ。ちょっと顔が良いからって調子に乗っているのかこの野郎。

 込み上げる憤怒を抑えようと、静かに深く息をする。

 答えない私に、馬鹿にしたような視線を投げかける男に、ぷつりと何かの緒が切れる音がした気がした。にっこり笑ってみせる。──その喧嘩、買ってあげようじゃない。そっちがその気なら、こっちも遣り返すのみ。

 私がそこで微笑むとは思わなかったのか、一瞬鼻白んだ表情になった男を気にすることなく笑顔のままで口を開く。


「分かりました。ではお引き取りくださいませ。(わたくし)、疲れておりますので、もう休ませて頂きたいのです」

「……何だって?」


 訝しげな表情になった男に、内心で馬鹿じゃないのと嘲りながら、同じ言葉を繰り返す。


「お引き取りくださいませ、と申し上げたのです。それとも、別の場所に(わたくし)用の寝室があるのですか?」

「……ここは夫婦の寝室だ。君だけの寝室はない」

「ええ。ですから、お引き取りください、と申し上げております」

「……初夜の勤めがまだだが」


 眉間に深く皺を刻んだ男の言葉に驚いてみせる。


「まあ」


 勿論わざとだ。言われなくてもそんなことは分かっている。だが冗談じゃない。初夜どころかこの男と寝るなど一寸たりともしたくない。夜の夫婦の営みなど絶対に嫌だ。イケメンだろうが何だろうが御免である。何を驚いているんだ、という表情をしているが、それはこっちがしたい。

 罵りたい気持ちを抑えてくすくすと笑ってみせる。心底可笑しい、という風に。私も成長したものだ。この芸当ができなければ社交界にはいられない。身につけたくもなかった技術だが、こんなところで役に立つとは思わなかった。嬉しくない。


「可笑しなことを仰いますね、()()()()()様。婚姻誓約書に書かれていた“(わたくし)が幸せだと思えるようにする”という誓約に背くことを仰ったばかりではありませんか。それなのにベッドは共にするだなんて、そんな不幸この上ないことをなさるなどと、可笑しなことを仰らないでくださいませ」


 ああ可笑しい、と言う風にくすくすと笑う。ちっとも面白くないけれど。目の前の男はむっとした表情になったあと、取り繕うように馬鹿にした表情になる。


「義務は果たすと言った。だから好きにして良いと言ったのだ。これ以上の好条件があるか。()()()私が()()()()お前に対して譲ってやるのだぞ。破格の好条件だろう。それなのにお前は妻の勤めを放棄すると言うのか」


 ……こいつは頭が悪いらしい。それとも単に人の話を聞かないだけか。いや、平民の話を聞かないのか。そんなんで領主が務まると思っているのだろうか。……思っているんだろうなあ。だから没落寸前までいくんだ、馬鹿め。はあああ……。

 ──おっと、思わず溜息が漏れていたらしい。物凄い目で睨んでいる。だが残念。純粋にこの世界の女性であったなら怯えもしただろうが、そんなことくらいで怯んだりしない。前世、男女平等が謳われていた別世界で生きてきた記憶がある私を舐めるなよ。


「……婚姻誓約書の誓いを守らないと仰ったのは()()()()()様ですわ。(わたくし)はそれを了承しただけです。勿論、政略結婚の意味くらいは存じておりますし、故に恋愛感情が伴わないことが殆どであることも知っておりますわ。それでもニッセーオスタ侯爵様も()()()()()様も、婚約、及び婚姻誓約書に(わたくし)──“シェラーチェ・ベルモンド、婚姻後は、シェラーチェ・ランゴーニが、その一生涯を幸せだと思えるようにする”という文言を入れることを承諾なさいました。そして本日、その誓約書に侯爵様も()()()()()様もご署名なさいました。ええ、(わたくし)も父も署名致しましたからきちんと覚えておりますわ。ですが()()()()()様はその神聖な誓約に背くと仰られたのではありませんか。結婚初日に「愛することはない」などと言われることのどこが幸せと言うのでしょう。()()()()()様にとっては幸福なことであるのかもしれませんが、(わたくし)にとっては全く幸せだとは思えませんわ。(わたくし)にとって結婚して幸せになると言うことは最低でも、仮令(たとえ)政略結婚で最初は愛情がなかったとしても、家族としての愛情や、夫婦として過ごすための信頼を築く努力をする、というものなのです。でも()()()()()様はその努力を放棄なさると、誓約に背くと仰いました。残念には思いますけれど、()()()()()様がそう仰るのなら(わたくし)は了承するのみですわ。そして誓約が履行されないというのであれば、この婚姻は破棄、つまり離縁となります。それなのにベッドを共にするなど、有り得ないことではありませんか」

「……」


 黙り込んだな。漸く事態が理解できたか。

 婚姻誓約書に書かれたことが履行されなかった場合は、履行しなかった側の有責で離婚となるのも条件の1つだ。お父様グッジョブ。

 貴族の妻の最大の義務は跡取りを産むこと。そんなことは知っている。嫌と言うほど教えられた。だが夫婦となる努力をする気が毛頭ないと抜かしたこんな野郎と寝るなんて、絶対にお断りだ。いくらイケメンでも嫌だ。私の価値観が大々的に拒絶。シュプレヒコールが響き渡っている。この世界のこの国の貴族の間では最初から仮面夫婦なんていうのはざらに有ることだろうが、この世界ではそんな価値観など通用しなかろうが、知ったことか。お父様、グッジョブ!

 反論されるとは思ってもみなかったのだろう、唖然としている。まあ、この世界のこの国の貴族女性は概ね、大人しく夫に言われた通りに従う。だが、ふふん、馬鹿め。私は前世の記憶があるだけじゃない、仰る通り元平民だ。これで終わると思うなよ。言いたいことは言ってやる。後悔しないようにすると生まれ変わりを受け入れた時に決めたんだから。


明日(みょうにち)、王城と神殿に“()()()()()()()誓約不履行による離縁の申請”を(わたくし)(おこな)っておきますわ。良うございましたわね、()()()()()様。元平民の男爵家の娘風情である(わたくし)との婚姻が非常にお嫌でいらしたご様子でしたもの。あっという間の離縁で安堵なさっているのではありませんか? それともこれは、()()()()()様の思惑通りなのでしょうか。でしたら、流石ですわ。でもそれなら、最初から結婚などなさらないようにしてくだされば宜しかったのに。そうしたらこのような面倒な手続きなど必要にはなりませんでしたのよ?」


 呆然としているけど、理解できてるのか? まあ、理解できていなくても明日朝一で決行しますけどね! 受理されれば私は放免の上に慰謝料が手に入り、我が家もニッセーオスタ侯爵家を支援するという益の見込めない無駄をしなくて済むしこれまでの支援金も回収できる上に賠償金が入る。なんと素晴らしい!

 ──要するに、あんたん家は没落まっしぐらなんだけど、そこも理解できているのかな、坊や?


「では()()()()()様、失礼致します」


 出ていかないならこっちが出ていくしかない。そもそもこいつの親の屋敷なんだし。

 屑男の意識と思考が回復する前に、私は侍女を呼び出して躊躇う隙を与えずに強引に客間に案内してもらってさっさと移動した。

 明日は早く起きなければ。ああ嬉し過ぎる!



 翌日、朝早く起きると伝えてあったにもかかわらず、朝食の用意すら整っていなかったので、何も食べずに自分で着替えて出掛ける準備をした。この家では私は使用人にすら軽んじられているらしい。ムカつく。


 その後、王城と神殿を回り離縁申請をしたわけだが、3日後には受理された。国王と大神官長の承諾が要る筈なんだけど……暇なのかな、王様と大神官長様。暇ということは問題がないということだ。平和なのは良いことだよね。うん。お蔭で予想より早く離婚できたのだから文句などあろう筈がない。ありがとう、平和。

 ちなみに両親は大層喜んだ。良かった良くやったと、父は再び泣いていた。父も母も×(ばつ)が1つついたことも醜聞になるだろうことも全く気にしていなかった。良かった。私が気にする筈も無し。良かった良かった。

 さあこれでのんびり引き籠れる! 万歳!



 ……と、思ったのに。

 あろうことか侯爵家は、この離縁は無効だとごねた。

 ……まあ、予想してはいた。あの馬鹿息子が勝手にやらかしたんだろうなとは思っていたし。しかし正式な離縁書類は既に王家にも神殿にも受理されているのだ。どれだけごねようとも無駄である。恨むなら己の馬鹿息子と己の子育て失敗を恨め、わっはっは!

 だがしかし。

 だがしかし! ニッセーオスタ侯爵は高笑いしていられない方向へごね出した。約束の賠償金と慰謝料を踏み倒そうとしたのだ。巫山戯んな。我が家がどれだけ援助したと思っている。それもこれも私が侯爵夫人となることが前提。私の子供が跡を継ぐことが前提。その2つが大前提の資金援助だったのだ。その前提が崩れれば、当然それまでの援助額は返済してもらう形になる。私の醜聞だって消えない。バツがつけば最早良いご縁は望めないに等しい。嫁げても陸な男のところじゃないのだ。その()に対する償いくらいしやがれ。再婚する気は毛頭ないが、慰謝料で悠々自適な生活をする計画を手放す気もない。

 幸い婚約、婚姻両誓約書には“私の証言だけで離縁を成立させられる”という1文がしっかりがっちり記載されている。何度でも言うが、父は元商人。母も商家の出身。その商才で2人で力を合わせて頑張った結果、多額の納税をするほどの大商会に乗し上がり、男爵位まで賜ったのだ。その辺り、抜かりはなかった。何度でも言おう。お父様グッジョブ! ついでにも1つ、流石お父様! よっ!

 私も負けてはいられない。幸い、前世の記憶と今世の父と母の教育の賜物のお蔭で私もその辺りはがっつりしている。多忙な父に代わって、誓約書と離縁書類とその受理証を持って王城に乗り込み、担当の文官相手に訴えた。

 国外で成功している両親がこの国に拠点を置いているのは何も生まれ故郷だから、というだけではない。法がしっかり施行され、遵守されているからだ。勿論、しっかりした専門部署も存在する。

 ──と言うわけで王城にある司法院というところに乗り込んできたわけなのだが。だがしかし。

 訴える私に対する、女の癖に、と言わんばかりの視線にぶっつりキレた。──どいつもこいつも巫山戯んな! 男がどれだけ偉いんだ! お前もお前も皆、女から生まれてくるんだぞ! 女性が命かけてくれなきゃ男なんぞ生まれてこねえんだよ! それどころか人類絶滅だ! 馬鹿野郎!



「失礼」


 怒鳴らない程度に、しかしがっつりドスを利かせた低い声で延々と目の前の馬鹿に脅し──もとい、説得と正当な訴えをしていたところに不意に声をかけられた。──邪魔すんな! と更にぶちギレかけて──(とど)まった。そこにいたのは怒りを消し去るほどの超絶イケメンだった。この人本当にこの世に生きている人間?


「話は聞かせて頂きました。明日には侯爵家に調査に参ります。結果は必ずお知らせ致しますので、ご安心下さい」


 頭を下げている文官らしき人。その人を見て周りが慌てている。あなた様が頭を下げる必要などありません、とか何とか。なるほど、この人はどうやら法を扱うこの司法院の偉い人らしい。


「──ご一緒させて頂いても宜しいですね?」


 芸術鑑賞していた私だが、思考はあっという間に戻った。前世()貧乏庶民にして今世()元商人の娘を舐めないで頂きたい。お金大事。俗物と呼ばれても気にしない。お金大事は真理。

 有無を言わせぬ物言いに戸惑ったような表情を浮かべる超絶イケメン。しかし引く気は一切ない。イケメンだろうがない。文官を追い詰めているのを盗み聞きされたのなら最早取り繕う必要も感じない。ちょっと残念で悲しいなんて思っていない。心で泣いたりなんてしていない。


「……分かりました。では、明日お迎えに上がります。男爵殿には私からご連絡致しましょう」


 よっしゃ! 必ずお金を全回収してみせる!


「宜しくお願い致します」


 カーテシーをして、私は意気揚々と引き上げた。



 翌日、超絶イケメンが自ら迎えにきた。これには心底驚いた。部下にやらせると思っていたのだけれど。


「──まだ名乗っていませんでしたね。私はリディオ・デル=クレメンテと申します。以後お見知りおきを」

「……ヴァノセッタ男爵家の長女、シェラーチェ・ベルモンドと申します」


 馬車に乗り込むと、すぐに超絶イケメンがそう名乗った。

 クレメンテ、クレメンテ……爵位名と家名が違うから面倒臭いんだよね。えーと……クレメンテ……。え、もしかしてレストリア公爵!?

 考えながら応答していて答えに辿り着いた私は目を剥かずに堪えた。偉い、私! 一緒にいる私の侍女は惚けた表情があっという間に驚愕に変わり、慌てて顔を伏せた。うん、気持ちは分かる。普通なら男爵家の娘如きが関わることなんてない雲の上の人だもんね。

 しかし! 相手が誰だろうと今の私には関係ない。大事なのはお金の回収。公爵なのは却って都合が良い。向こうの家より家格が上だし、天上人にはお金の回収が終わったら関わりたくないから、どんなにイケメンだろうともこの世界では醜態と言われるものを見せても気にならない。貴族って面倒臭い。



 こうして私とレストリア公爵クレメンテ様の共同での金回収が始まった。

 案の定、侯爵家は悪足掻きに資産隠しをしていたが、公爵様の調査網と情報収集力と私の知る侯爵家情報の前に、無駄な足掻きが通用する筈もなかった。ざまあみろ。



 1ヶ月ほどかかった賠償金と慰謝料と支払い問題と援助金の回収問題。話し合いも全て済み、解決の目処がつくとほっとした。全額一気に返済、支払いとはならなかったけど。まあ支払う能力があれば領地の立て直しくらい既に終わっていただろう。その領地も家屋敷に家財も一切合切なくした今後は、残った爵位を使って文官か騎士になって働いて返して貰うことになった。監督は司法院。レストリア公爵様直々。有り難いことである。


「ご協力に感謝します。今日までお疲れ様でした」


 レストリア公爵様と会うのは今日で最後。ちょっと残念。イケメンは眼福である。──いや違う、見惚れている場合ではない。お礼を言うのはこちらのほうだ。


「こちらこそ、ありがとうございました」


 最後まで(おん)(みずか)ら我が家に私を送り届けてくださった公爵様に、己にできる精一杯の丁寧なカーテシーをする。所詮男爵家、下級貴族。おまけに元平民。上級貴族のカーテシーに及ばないのは百も承知だが、最大限の感謝を表したい。

 (つたな)いだろう私の挨拶にも、公爵様はそれはそれは麗しい笑みを浮かべて「では失礼します」と、馬車に乗り込み帰っていかれた。はああ。もう2度とあの麗しいご尊顔をあんな近くで拝見する機会はないだろう。それは残念だが致し方ない。幸運で幸せな時間であった。うむ。



 そんな私の予想に反して、後日公爵様から「会いたい」という旨のお手紙を頂くことになる。ご自身の「年齢が年齢」で且つ私より「大分歳上だから」という理由で、「身分など気にせず正直に返事をして欲しい」といった内容のことを、とても丁寧ながら遠慮がちに、しかし貴族らしい持って回った表現ではなく私にも分かり易いようにと配慮された文章で。何とも心遣いのできるお(かた)である。

 私が嬉々として、お会いする旨を認めた手紙を返したのは言うまでもない。公爵様の年齢なんて、今生21年+前生ウン十年の私からしたら、とても若い。歳下は駄目だと思っていたが、公爵様は大変大人であった。下手をしなくとも私より精神的に大人であった。……うん、成長していない気がするのは認める。



 この時の私は、友人的な意味で会いたいと言われているのだと1ミリの曇りもなく思っていた。しかしそうではなかったと、すぐに思い知らされるのだった。眼福できると浮かれていたのは認めよう。

 だがしかし残念ながら、公爵家などというとんでもない高位貴族になるなどご免なのだ。そんな堅苦しく腹の探り合いのどろどろな世界は無理。生きていける気が全くしない。いくら相手に好意を持っていようとも。


 斯くして、私と公爵様の攻防が始まる。



2020.08.

誤字報告、ありがとうございました。

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[一言] 面白かったです。 ぜひ続きが読みたいです。
[一言] 面白かった! でも、その後が物凄く気になりますー!
[良い点] 面白かったです!是非続きが読みたいです!
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