第96話 蕩蕩。
「海ってのに行ってみたいっ!」
今後の予定を話し合っていた時、エアに行ってみたい場所を尋ねたらそんな答えが返って来た。
……海か、それはいい考えだ。
よしっ、では行きましょうか海へ。久しぶりに水の見える街へと。
そう言えば川に行って以来、長い事魚も食べていない気がする。……エアの目的も、もしかしてそれだったりするのかもしれない。
数年前に川に行ってから少し経ってはしまったけれど、あの時の事をエアはまだ覚えているのだろうか。『天元』で水の魔素を通してしまえば溺れる事はないだろうが、水場と言うのは何が起こるかはわからない。色々と備えてから行くことにしよう。
ただ、今居るダンジョン都市があるのは大陸の中心に近い方であるので、ここから海に行こうと思うと実はかなり遠い旅路になる。
……まあ、そこはゆっくりと旅をしながら目指せばいいかと話し合い、完全に日差しの厳しい季節になる前には出発して、大樹のイベントがある時には【転移】で一度戻り野菜をお腹いっぱい補給したら、行ったり来たりを繰り返して旅をしようと二人で計画を立てた。なんとも緩い話だが、それもまた良し。エアは楽しそうに笑っていた。
時には歩きながらのんびりと夕日を見つめ、夜明けの美しい空を飛び、夜闇で星を見ながら色んな話を語り合おうか。そんな風にゆっくりと、目的地だけを決めた長い旅を続けるのだ。と言うと、それを思い浮かべただけでエアは瞳をキラキラと輝かせている。待ちきれなくて少しウズウズしているようにも見えた。
「……ロム、そう言えばどらごんってみないね」
話し合いの途中でそんな事をエアが言って来た。
……だが確かに。昔は一月に一回くらいは街に『石持もどき』の羽トカゲが『ちょっとお邪魔しまーす!』とよく降って来たものだけれど、この旅に出てからはまだ一度も見ていなかった。
まあ、あいつらの生息する場所からはまだ距離があるので、そう言う事もあるのかもしれない。
なーに、見つけたら逃がしはしないさ。全力で狩る。エアも協力して欲しい。
「うんっ!たのしみだねっ!」
……ああ。まったくだ。
見つけたら即プチュンだ即プチュン。
「あっ、ふふっ、はいっ!浄化っ!」
おっと。ありがとう。エアがいきなり浄化をかけてくれた。どうしたのだろうか。
もしや、日差しも段々ときつくなってきているので、少し汗の臭いでもしたのかもしれないな。ふむ、きっとそうに違いない。少し周囲の風を涼しくしておくとしよう。
「っふふふ、ううん。大丈夫だよ。ただ、やっぱり何度聞いてもロムってどらごんが嫌いなんだなーって」
ん?ああ。もちろんだとも。あいつらは天敵だからな。
美味しい干し肉に変わるまで、生きている間は須らく奴等は敵である。
「うんっ。だったら私もきらーい。でも、干し肉はすきー」
私もだ。だが、油断だけはしてはいけない。あいつら本当にかなり危ないのだからな。
「うんっ!聞いた!わかってる!」
よし。それだけ分かっていれば大丈夫だろうと私も安心する。
──ここ数日、私達は次の冒険の為の準備を本格的に始めた。
先ずはいつも通りに『ダンジョン散歩』を熟して、予約してきてくれたお母さん方や子供達に、もう少しで旅に出る事を伝えていく。
もうギルドの人数不足も解消されて、私達が居なくなっても代わりの者が来てくれるだけなのだが、いつも私達の案内が良いと言ってくれている固定客は意外と多かったので、それら全ての方々に同じ様に報告していった。
子供達の中には暫くはもう会えなくなると言ったら『やだやだやだ!』と駄々をこねて悲しんでくれた子も居たのだけれど、またいつか戻ってくるとハグして、この柔らか白ローブで包んでから再度説得してみると直ぐに分かって貰えた。……このローブの効果は、未だに測り知れないものがあるらしい。
このダンジョン都市には四つのエリアがあり、結局私達はまだその一つ、東のエリアの『ダンジョン散歩』しか見れていないようなものなので、その残り三つのエリアもその内ちゃんと見に行く予定なのである。だからいずれまた、きっと直ぐにでも私達はまたこのダンジョン都市へと戻って来るだろう。
エアにとっても、私にとっても、もうこの街の東のエリアは慣れ親しんだ庭の様な感じで、住み心地が大変素晴らしい場所になっていた。
海に行って、向こうの周辺の街やダンジョンを楽しんだら、またすぐここに戻るのも良いんじゃないかとエアとは話している。とにかくエア的には今は海の気分らしい。……そんなにご執心と言う事は、やはり何か、もしかしたら魚以外の理由が他にもあるのかもしれない。私にはまだ不明である。
その後、私達は冒険者ギルドの方にも挨拶に向かった。
元受付嬢、現東のエリアの纏め役となった彼女は大部久しぶりに会ったが、中々に元気そうにやっているみたいである。
「ロムさん達のおかげでかなり楽になりましたよ。……でも、そうですか。行ってしまうんですね」
「ああ」
「寂しくなります。ロムさん達がここの一番人気なんですから」
私達は人気をとる為にやっていたわけではないからな。やりたいからやっていたのだ、とは言え『ダンジョン散歩』は正直かなり楽しかった。
なので、私達も彼女に感謝を伝える。なんだかんだと便宜を図って貰ったりしたのだ。ありがとう。
私はそんな彼女にお返しとして、また一時的にでも馬車馬を越えて超人的に働けるように【回復魔法】を【浄化魔法】を魔力ましましでかけておくか?と一応尋ねてみた。
すると、彼女の方は『これ以上忙しくなるなら、その時は今度こそ私の方から真っ先に辞めますから、大丈夫ですっ!ぜったいにいりません!』と怒りながら笑っていた。なんとも器用な人だ。
これで大体はこの街で世話になったものには挨拶が終わったと、一息ついてエアと一緒に食事処でご飯を食べていると、黒とんがり帽子を被った集団を何度か見かけた。ただ、私達は意図的にそれらから視界を外す。……あそこには挨拶に行かなくて大丈夫だ。あまりいい思い出がない。
そんな食事の終わり、宿へと向かう道すがら、私達はドライアドの店主がやっていた『古木』と言う一見廃墟に見える店の前で、食後の少しのんびりとした時間を過ごしていた。
この店の店主は今頃冒険者の仲間達と一緒に、この街の難度の高いらしいダンジョンで一生懸命頑張っている事だろう。
店は閉まっているので中には入れないが、この店はこの街で一番森の気配がするので、この店の前は私達のお気に入りの場所の一つだったりする。
ここはなんだか街から切り取られたように、時間の流れがゆったりと流れているように感じられる。……私はこの雰囲気が地味に好きだった。
まあ、私達がゆったりとしているのか、周りの者達が早く過ぎ去ってしまうのか、その正確な所はわからない。
だが、ちょっとした時間で変わってしまう街の様相は、いつまで眺めていても全く飽きがこない。私としては、少しだけしんみりとしてしまう部分はあるものの、なんとなく楽しく感じる。
ふと、エアの、エアから見える街の様子はどうなのだろうと気になった。どう見えているのだろうかと。
……だが、気にはなったものの、その質問をする必要はなくなった。
私の横で楽しそうに笑っている彼女は、先ほど露店でかったガレットっぽいお菓子の包みを開けると顔を突っ込み、ほふほふと美味しそうに食べながら、私の入れたお茶を飲んでホッと一息ついていた。その幸せそうなホッとした顔に、私も心の中で喜びを感じる。……どうやら質問するまでもなかったらしい。
最近のエアは街中だと同じものを沢山食べる事よりも、色んなものをちょこちょこと種類多めに食べるようになった。色んな味を楽しみたいのだという。やはり満喫しているようだ。
ここ数日忙しく動き回って、挨拶回りも終わった。
これでだいたいの準備も出来たと言えるので、明日にも私達は旅に出るだろう。
次に戻って来る時は、この店の店主や、『ダンジョン散歩』によく来てくれた子供達やお母さん方、街の道場の人達、東のエリアの冒険者ギルドのみなに、お土産をたくさん持って帰ることにしよう。
またのお越しをお待ちしております。




