第81話 清濁。
「『原初』って……"あの"?」
どれを指しての"あの"なのかは分からなかったが、おそらくは彼女の想像通りだと思い、私は頷きを返した。
因みにだが、屋号が『原初』と言うだけで、その称号が正しいのかも、それが何の最初なのかも私には分からない。結局は誰かがそう呼び始めただけの事。特別な事等何もない、ただの普通の森だったのだ。
「あの砂漠の森に、まだ生き残りが居たのね……」
彼女が言った砂漠の森というのは、何も私の故郷の森が砂漠にあるオアシスの如き局所的な小さい森であったり、砂漠に飲まれつつあるような厳しい環境にある森を指しているわけでない。
元々、大きな森があった場所が、今ではもう一面の砂漠に変わってしまったという、ただそれだけの話である。
──そう、私の故郷は滅んだのだ。……悲しい事にもう何もない。
遠い昔に、そこに居る全ての種族の者達と、生息していた全ての生物達はみな、ある日、突然消えてしまった。
私はもうその頃、森を飛び出した後だったので、何が起きて森が消えてしまったのか、正確な事は何も知らない。
ただ、森が消えた事を人伝に聞いて、向かった頃には、見渡す限りの砂しか残っていなかったのである。
私には帰る場所が無くなった。
ただ、唯一にして幸いだったのは、友二人が私を探す為に、同じくちょうど森を離れており、その二人も無事だった事だけだ。彼らと再会した時には、良く無事でいてくれたと思った。
それ以外は全て、幼き姉弟たちも、あれだけ口うるさかった淑女達も、エアと同じ鬼人族の知り合いも、他の種族もみんな、みんな消えてしまったのだ。……あの時は胸が震える程の痛みを覚えた記憶がある。
冒険者として、各地を探し回ったこともあったが、数百年経とうとも誰一人見つけられなかった。
私が故郷について語れるのは、森を出るまでの昔の思い出と、砂漠の光景だけ。
後はもう何もない。
あの砂漠はもう、私の故郷とは呼べない。……いや、呼びたくなかった。
「出来ればだが私の事について、誰にも漏らさないで貰えるだろうか?」
「……ええ、分かったわ。約束する」
ドライアドの彼女は、私の言葉に深く頷き、気持ちを察してくれた。
私が私の事について、過剰なまでに情報を他者に与えないようにするのには、冒険者だから、人に己の力を吹聴するのが嫌だから、という理由だけではないのかもしれない。……自分にも良く分からないのだ。
「ありがとう。感謝する」
「いえ、そんなこと位。それに今日の事で感謝しているのは私の方だもの」
ドライアドの彼女は、それ以上の事は聞かなかった。それを有難く思う。思い返すと未だに悲しくなるのだ。
だが、雰囲気を変える為だろうか。少しおどけた感じで彼女は私へこう言ってきた。
「……ただ、あなた思ったよりも年上だったのねー。私のお爺ちゃんよりお爺ちゃんよ?」
彼女達ドライアドも長命な方の種族ではあるが、それと比べてもやはり耳長族の寿命は長い。それも、私の場合は老化自体が止まってしまっているので、彼女の考えているよりも更に遥かに私は生きるだろう。
だが、一つ注意しておきたいのだが、老化が止まった時点で私の年齢も止まっている様なものなのだから、おどけて励ます為とは分かっていても、『お爺ちゃんのお爺ちゃん』は酷いと思うのだが?
それに最近はアンチエイジングを全力で熟しているし、ほらよく見て欲しい、むしろ肌質は少々若々しくなっている気がしないでもない。きっと今なら友二人も私の事を若いと言ってくれるのではないだろうか。
「そうだよ!ロムは若いよ!凄いし!それにカッコいい!」
さすがエア。そうだそうだ。もっと言ってやりなさい。
子供達も帰り、私達の所に戻ってきてちょうど途中から会話が聞こえていたのだろう。ドライアドの彼女が私を、お爺ちゃんと言っているのを確りと否定してくれたのである。これは凄く嬉しい。
「えー、エアちゃんそれは評価が甘すぎない?本当のところは?」
「ううんっ。本当だよ。ロム達はよく私を甘やかしたいって言ってるから、私も逆にロム達を甘やかしてあげたいのっ。いつもありがとうって思ってるから──」
……そのエアの言葉を聞いて、私は上手く言葉を発する事が出来なくなった。
それは感動、いや、正確に言うならばそれよりも、もっと強い感情である。
想いが通じあった時に感じる共鳴にも似た何かが胸を強く打ち、心に響く衝撃の様なものが今まさに私の胸中で駆け巡っていた。
先ほどまでの悲しい思いが全て一気に晴れ渡って消えた。
今なら私は誰にでも優しくなれる気がする。
人に何かをしてあげたいと思う気持ち、慈悲の心というのはこのような心境を言うのかもしれない。
……穏やかで温かい。とても優しい感情である。
自分が大切に思っている相手に、同じ気持ちを相手からも向けて貰える。
それだけで、心とはこんなにも満たされ──。
「──だから、ロムの評価は甘めな位でちょうどいいんだって。特にロムは私に『若い』とか『カッコいい』って言われると、きっともの凄く喜ぶだろうからって、何時だったか『かーくん』が囁いてきたの。機会があったら旦那の目の前で試しに言ってみてくれって……ずっと前に言われてたの、今思い出した」
『ちょっ!?エアちゃんッ!!』『あっ』『あっ』『あっ』
……おーとっとっと、おかしいな?今、聞こえてはいけない言葉が聞こえてしまった気がする。
先ほどまでの悲しい気持ちは無くなったが、幸せな気持ちも一緒にどこかへと行ってしまったらしい。
あの満ち足りた幸せな気持ちは、いったいどこへと消えてしまったのでしょう。
人の心の移り変わりの早さとは、こんなにも切り替えが早いものなのだと、私は改めて思い知る事が出来ました。ありがとう『かーくん』。帰ったら少しお話がありますので、お時間を少々いただきますね。
『ひぇ、そんなっ!?』『まーしょうがないね!』『怒られて』『後先を考えてから行動する様に』
私は火の精霊に怒っている様に見せた。……だが、心の中では笑みを浮かべている。
まさかこんなメンタルトラップが仕掛けてあるとは思いもしなかった。
火の精霊の掌の上で遊ばれてしまうとは、私もまだまだである……。
──因みに、その後ドライアドの店主とは確りと挨拶を交わしてから別れ、私達は直ぐに宿に戻った。
そして、言うまでもなく私はその後に怒ったりもしていない。
エアの言葉で、悲しい気持ちが晴れたのは本当の事だし、嬉しく思ったのも、誰かに優しくしたくなったのも本心だった。火の精霊が私の事を喜ばせたいと思い、仕組んでくれた事もちゃんとわかっている。その思いやりを忘れられるわけがない。感謝していないわけがない。……ありがとう。
……ただ、そんな全部を人前で認めるのは恥ずかしかったので、ちょっとだけ照れ隠しをしてしまったのである。
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