第787話 福音。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
かつての『ロム』が、どうして『お裁縫』を好きになったか、それが今なら分かる気がした。
「…………」
数ある『ロムの服』を手慣らしに、幾つか真似して作ってみると分かる事があった。
それは……折り重なっていく『糸』が、一着の『服』へと変わっていく様子がまるで『世界』の縮図の様にも思えたのだ。『管理者』として『領域』を生み出す感覚とかなり近しく感じた。
多くの存在が影響し合って、支え合い、地道に作り上げていく光景──
それは『ロム』が望む『道』そのものに思えた……。
「……ロムはやっぱり、それをしている時が一番楽しそうっ」
すると、私がそうして『新たな服』を『表現』するために試行錯誤を重ねている所に、隣からエアがそう語りかけてきた。私はそんなエアへと視線を向けると、少しだけ頬を緩めて応える……。
「そうか?」
「うん。雰囲気が一番柔らかくて。それに『笑顔』も一番自然で……すてきだよ」
そういう彼女は、私の頬へと手を伸ばすと嬉しそうに微笑んでいた。
……無論、彼女に『お裁縫』の邪魔をしようと言う気はほぼないだろう。
ただ、どうやら無性に私の『笑顔』が気になるのか、頬を『ツンツン』と突きたくなったようだ。
「…………」
「あれ?照れてるっ?」
そして『ツンツン』されながらも私が無言でエアの顔を見返していると、彼女は『にんまり』としながらそう問いかけてきた。……いや、まあべつに照れてなどいないがな。気になるだけの話だ。
私はそう思いながら軽く横に首を振って、一応は『照れてなんかないよ』と『表現』するために──彼女の『怒った時』の真似をして『頬を膨らませて』みたりもした。
……すると、私のそんな『表現』に、エアは尚更に喜んでいるのだ。
「……ぷっ、ぷっ、ぷーっ」
「ふふっ」
彼女の指が私の頬を突く度、私の口からはそんななんとも情けない『音』も漏れ出て──。
その『音』に、ついには彼女の方が吹き出した。
そして、彼女はその後私の後ろに回り込むと、背中からギュッと強く私の身体を抱きしめてくる。
──うむ?どうやら、『……愛らし過ぎて、抱きしめたい衝動』が治まらなくなったらしい。
『大樹の森』の花畑の一角、草の絨毯とも呼べる様な地べたに腰を下ろしながら、変わらぬ空の下──『服』を編み続ける私の背中には彼女がいた。
そして、私にぴったりと張り付きながら、彼女はその重みを私に預けてくれる。
そんな彼女の鼓動の『音』と、触れた体温の『熱』、回された腕から感じる『力』の入れ具合──
それら『表現』の一つ一つが、私の『心』へとどう響き、どれだけの色を満たしていくか……。
その繊細さを感じ取れる『喜び』……。
前面では『服作り』も続けていた為、その邪魔に最低限ならないようにという──そんな彼女のさり気ない『気遣い』も含めて……それらを感じ取れた私はなんとも言えない『気持ち』になった。
「…………」
それに、そんな彼女の隠れた裏の『表現』にも気づかぬ今の私ではなく──
その『構って欲しい』と言うアピールをした彼女の方へと身体ごと向き直ると、私は直ぐに前からエアの事を抱きしめたのだ。
「ロム」
「…………」
……うむ。『お裁縫』は一旦中断しよう。
日中、近頃のエアはまた何やら『やりたい事』が見つかったらしく──そっちに疲れると、こうして癒しを求めて私に甘えてくる様になった。
だから、ふら~っと気が向くままにこうして寄り添ってくる彼女の気が済むまで……私は思う存分甘えさせてあげたいと思う。
そして、その際にはちゃんと『表現』を感じ取り、何をして欲しいのか気づいてあげたいと思うようになっていた。
──因みに、その『やりたい事』の内容を尋ねてみたが、また珍しくも『──ある程度の目処がつくまでは……ロムにも秘密にしたいっ』と彼女が言うので、私はその思いを尊重している。だから、聞いてはいない。
ただ、その瞬間瞬間の『人の気持ち』をより良く『理解』しようと思うのであれば、ちゃんと気づくべき『表現』がある事を私は学んだ……。
──要は、そうする事でエアは、今も私に何かを『表現』しようとしているのだと、そう思うようになった。
「……ろむ」
ただ、そうして顔と顔が向き合ったまま、次いで彼女の軽い身体を持ち上げ私の膝の上に乗せていると──もう少しだけ自分の『表現』も深めたくなるもので……。
彼女の背中へと回した腕に更に力を加えると、もっとぎゅっと強く引き寄せたくなり──
気づけば、自然と私は彼女と、深くキスをしていたのだ……。
「……んっ」
そうして、エアは若干の甘い吐息を残しながら……その、なんと言うのか、嬉しそうな『表現』を返してくれる。
だから彼女の気が済むまで、私も『表現』をし続ける事にしたのだ。
……暫くして、互いの顔と顔が離れると、彼女はそのまま少し俯きがちになり──
私の右胸辺りに耳を押し付けながら、少し火照った表情で『ふぅ……』と嬉しそうな笑みを零した。
そしてエアはそのまま、私の『心』の響きを耳を澄ませながら、目を細めて微笑んでいる……。
「…………」
「…………」
『どくんっ、どくんっ』と弾むこの『心』からは、一音一音『愛しさ』が『表現』されているだろうか──。
私は、寄り添う彼女から伝わる『ドックン!ドックン!』と言うその激しい『音』を感じるだけで……こんなにも『幸福』を感じている。
そして、その『表現』をちゃんと『理解』できることが、なによりも嬉しかった。
どれだけの時間を共にしても、ずっと彼女の『心』はこんなにも大きな『音』を私へと響かせ続けていたのだろうかと想うと……それだけで感慨深くもなる。
同時に、その『音』の大きさの意味を、かつての『ロム』はちゃんと『理解』できていなかった事を思えば……なんとも勿体ないと思うばかりであった。
『当たり前』の事を、『当たり前』だと思える『普通の感覚』は、気づかないだけでとても大事な感覚の一つだと──そして、その『当たり前』が『特別な事』だと『理解』できる今を……私はとても尊く感じたのだ。
『深み』と言えばいいのだろうか……『エアの気持ち』の繊細な部分が、『びりびり』と響いているのも伝わってくる。
……その何とも言えない『恥ずかしさ』や『痛み』、『喜び』や『悲しみ』が、今ならば私でも『共感』出来たのだ。
「…………」
『人の気持ち』の酸いや甘いを感じて、尚更に『誰かを想う』事の深みを想う。
言葉だけではなく、実際に体現する事の重み──。
『表現する力』の有無によって、どれだけ相手に与えることが出来るか、相手をちゃんと『理解』出来るか……。
私は今『幸福』を感じ、それをちゃんと『表現』している。
目の前にある『笑顔』に届くような笑みを、きっと自分なりに私も浮かべているだろう。
……『笑顔』にも種類があるのだ。
そして、間違いなく彼女と共に浮かべる『笑み』は──私にとって一番の『笑顔』だと、そう『心』が感じ取ったのだった。
またのお越しをお待ちしております。




