第786話 味見。
注意・この作品はフィクションです。実在の人物や団体、事象などとは関係ありません。
また作中の登場人物達の価値観なども同様ですのでご了承ください。
私が『お裁縫をする』と告げると、その途端にエアとバウは面白い様に揃った行動をとり始めた。
──その瞬間、また『既視感』も疼くが……二人の様子を見てると次第に、それも漫ろに治まっていったのである。
「…………」
……まあ、厳密に言うと些細な違いはあった。
エアは、持っている『服』の数々を『お気に入りの古カバン』から取り出し──。
バウは、帽子や手袋、その他諸々のバウ専用の装備品だと思われる品々を『空間魔法』の収納から取り出しては私へと見せつけてきたのである。
「もういっぱいあるよっ!」
「ばうっ!」
……と、そして二人はそう言った。
無論、二人の言葉通り……取り出された服や装備品の数々は、控えめに言っても過剰に存在している。
ずらーっと並べられた衣装の数々は、その時々の『ロム』が残した『記憶の残滓』とも言えるだろうが……それでも流石に多すぎだろうと。
それも、似た様な『服』も数多くて、一見して『不要なもの』も多い様に思えたのだ。
「…………」
ただ、その品々を見ているだけでかつての『ロム』も──密かに『力の使い方』を模索していた事が、なんとなくだが伝わって来る気がした……。
『エア達が喜ぶならば』と、不器用ながらも『道』を歩んだ結果がそこには在った。
当然の様に、数え切れないほどにあるから──『着られていない服』も、未だ多く残っているが……。
ただ、そんな『不要な力』の使い方をしていても、またそこには別の『在り方』と言うか──『意味』や『表現』を感じてしまい、色々と思いを馳せる事になったのである……。
「…………」
その『表現』とは、ある意味『追憶』であった。
そして、その『追憶』を想うと、確かに『エア達の気持ち』も分からなくはなかったのである……。
その『不要なもの』も、エア達からすれば単純に『沢山あるから必要ない』という訳ではなかったのだ。
もっと言えば、『大事な宝物』を大切に扱っていきたい──それも、その『力』をちゃんと意味ある存在として、活かしきりたいと言う……『拘り』とも『執着』とも『依存』とも呼べる強い想いがある事を感じたのである。
私が思うよりも、二人はその沢山の『ロムの残滓』へと呼べる『モノ達』に深い愛着を感じており、その一つ一つをちゃんと大事にしていきたいと考えているのだろう。
『同じ衣装』に視えても、注意深く視ればそれぞれ微妙に『色』も『形』も異なっているのだと。
それも、『身体』に合わせ微妙に大きさを仕立て直した跡も視えるだろうと。
……中には、本当に本人達しか知らない思い出や、些細な『縫製の仕方』が変わっただけの──『着る者』の体形に少しでも合うようにという、ちょっとした工夫が施されただけのものも数多くあった。
「…………」
それは一見、普通の『人』であれば一目では気づけない様な些細な違いでしかなく──『不要な力』の使い方とも言えるかもしれない。
だが、自分だけでは斬新な『色』や『形』は作れなかったから……せめてもの『変化』を、そこには与えたいという気持ちが何よりもこもっているのを感じたのだ。
『同じ服』に視えても、その実『全く同じ服』など、一つも無いのだと……。
その一つ一つが、『エア達』からすれば特別なのだと。
そして、その特別を作り出すために、『ロム』がどれだけの苦悩を重ねたのかと。
──気づこうと思えば、そこには人知れぬ『深い表現』が数多く隠されていたのだから……。
そんな些細な『理解』が、二人にはちゃんとあったのだと私は察した。
「…………」
以前までの『ロム』であれば、ただただ『沢山あるから必要ないのか……』としか思わなかったかもしれない想いがそこには在った。
『何かを新しく作り出す』というのは言うほど簡単ではないと──その『服』の数だけ『表現』されている様にも感じたのだ。
何より、『想像力の不足』を嘆く者の『声』が、そこには感じられた……。
「…………」
『想像力の不足』する『道』とは、ある意味で『未来』への展望さえも抱けていないのと近しいだろう……。
──要は、そんな先の見えない『ロムの道程』を、その『モノ達』は思い出と共に『表現』し続けていたのだ。
そして、その気持ちをエア達は『理解』していたからこそ……深く『大切に』していたのだと私は感じた。
『不要なもの』に視える『モノ達』の中にも、時として『大切なもの』が隠れ潜んでいる。
「…………」
それは例え『下手だから』と、『どうせ失敗するから』と──そう言って、諦めてしまう事なく、立ち止まらず歩き続けてきたからこその結果でもあった。
『無意味に思えても、今の自分の出来る最善を尽くそう』という足搔きが、そこには意味を与えたのだと。
それがなくば、そもそもこの場に、それらが存在する事もなかっただろうと。
そんな数々の『不器用な工夫』がなければ、生み出される事も無かった『モノ達』──その『記憶』は、それだけで『宝物』にも思えた。
そして今、私はそんなかつての『ロム』の『想像力の不足』の先──そんな『表現』の『道』の先に立っており、その『服や装備品』を通して『過去の自分』にも触れているのだと感じていたのだ。
……或いは、言い換えれば、私は今『過去のロムの想い』と『繋がっている』とも言える。
「…………」
『失った記憶』は取り戻せないものも多いが──
こうして『作りだしたモノ』を通じて、『繋がり』を感じる事はできるのだと知った。
『道』を歩む限り、その足跡は必ずどこかに残っており、消えはしないのだと。
下手でもいい。
ダメでも良いのだ。
諦めなければ──そして、作り続けていけば、それを『理解』するものがいつか現れるかもしれない。
そんな『理解者』がいれば、伝わる想いはこうして『未来』へとちゃんと続いていくのだと。
それはある意味で永遠であり、『運命』でもある──。
「…………」
無論、その『理解者』が、例えば『未来の自分』であっても構わないだろう。
『道』は予期せずとも繋がるものだから……。
必ずしも『表現』とは、『他者』へと伝えなければいけないものではない。
ある意味では『未来の自分』へとその想いが届くならば──
もっと言えば、『明日の自分』へと残せる『表現』がそこには在るのならば……それはそれで『意味がある』と私は思うのだ。
──要は、それこそが『今を生きる意味』の一つでもあるのだと。
一見して『不要なもの』に視えても──例えば、もしも私達が今不要に『息を吸ったり吐いたり』していたとしても、それは明日に残すものがあるからだと思えた。
好きな食べ物の『味』が、いつの間にか『変化した』と感じた事はあっただろうか?
それは『舌が変わった』だけとも言えるし、『相応の年を取った』だけとも言える──
だが、ある意味では過去の自分が残してくれた『記憶の残滓』を感じ、『表現』を知り得た瞬間だとも言えるだろう。
そこには良くも悪くも思い出があり、『心』があり、『道』を感じる筈だ。
例えそれが、どんなに些細な想いだとしても、その『表現』との再会には、その時々によってどんな思いを抱けるかわからない『楽しさ』がある……。
つまりは、そうして私達は『日常』の中に、知らず知らずの内に『未来への贈り物』を増やしているのだろうと。
「…………」
無論、その結果の如何は、それぞれの『歩き方』に依ってしまうだろうが……。
どんな『力』の使い方をしてきたかによって、『成功』にも『失敗』にも変化する『楽しみ』があるとも言えるのである。
上手くは言えないが、今私がこうして『お裁縫』をしているのも、きっとそんな感覚なのだと思えた。
そして『不要なもの』の中にも、気づかないだけでそんな色々な『味』が隠されているのだと知ったのである。
「…………」
まあ、私は『食事』を摂る必要がないから、『お料理』などの直接的な『味』などはあまりわからないが……。
得意分野である『お裁縫』に関しては、その良し悪しなどの『味』が──自分でも『表現』できる気がした。
そして、知り得た経験から様々な『味』を引き出し、私はもっと別の『表現』を作り出せる気もしたのである……。
それら想いに一つ一つ『力』を込めながら、それをどんな風に模っていこうかと『魔力』を編んでいくのが楽しいと感じ──。
そして、編めば編むほどに、もっともっと『表現』してみたいと強い『欲』が湧き出る様にもなっていったのだ。
「…………」
『未来に繋がる』と感じる時ほど、『楽しい』は膨らんでいく──そんな気がした……。
またのお越しをお待ちしております。




